アッコちゃん

録画しておいた「ひみつのアッコちゃん」を視聴しました。

 

綾瀬はるか主演のコメディです。子供のころ、アニメの「アッコちゃん」は見ていました。だから「テクマクマヤコン」も、「ラミポスラミパスルルルルルー」もよーく耳に馴染んでいます。ただ、実は「アッコちゃん」のストーリーってほとんど覚えていないんですよね。飼っている猫の名前はシッポナ、確かお父さんは豪華客船の船長で、ほとんど家にいなかったという設定だったと記憶しています。間違っていたらゴメンナサイ。

でも、今回の実写映画版はまるっきりのオリジナルストーリーだったようで、綾瀬はるかの魅力を余すところなく引き出していたように思います。

映画としては、よくある企業再生もの、主人公の純粋で真っ直ぐな気持ちが周囲を動かして、金と力にモノを言わせ会社を食い物にしようとする極悪人をギャフンと言わせる、そんな内容です。ですから、言ってしまえば荒唐無稽、出来すぎ、ありえないストーリー展開と言えるでしょう。

ただ、どうして小学生のアッコちゃんが毎日会社へ行けるのか、という基本的なところは、学校の冬休み期間中だから学校にいかなくても大丈夫、家には塾へ言っていると誤魔化して毎日出勤していたということになっていました。そう、ストーリー全体の荒唐無稽さは棚に上げて、あたしって、こういう細かいところが気になってしかないタイプなんです。

とにもかくにも、休日に難しいこと考えずに気楽に見るには十二分に楽しめる映画でした。

その後に変化なし?

前々から気になっていたNHKブックス『「デモ」とは何か』、読了。数年前に刊行された書籍ですが、まるで古びていないと感じました。

前半は、戦前からの日本のデモの流れを簡単におさらい。著者も書いていますが、日本ではデモというとどうしても否定的な感じで受け止められがちですが、どうしてそうなっていったのかが説かれています。著者に言わせると、デモは欧米では当たり前の権利として認知されているそうですが、日本では、あたしのようなフツーの人間にはどうしても左翼的で極端な運動といったイメージが強く連想され、一般人には馴染みのない、むしろ関わらない方がよさそうなもの、という印象が強いと思います。こういうイメージ戦略は政治家や官僚がうまいこと創り上げていったのだと思います。

後半は現在のデモについて。近年になって日本でもようやく政治的な左とか右と言ったカラーのない、一般の人も気軽に参加できるデモのスタイルができてきたと述べています。にもかかわらず、マスコミがそれを真正面から伝えようとしていなかったということも書かれています。一般の人よりマスコミ人の方がデモに対する偏見、先入観が強いのでしょうか?

しかし、それもここ数年ようやく薄れてきて、市民参加の祝祭的なデモが広く行なわれ、マスコミも報じるようになったといいます。確かに、それは事実でしょう。そして本書がそんな数年前に書かれた本ですので、記述もそこで終わっています。

それから数年。果たして、著者が書いたような市民が参加するデモが日本の政治を動かせたのか? そのことを考えると、デモが無意味だとは思いませんが、無力だとつくづく感じさせられます。そんな印象を抱きながら、続いて読み始めたのが集英社新書『安倍官邸と新聞 「二極化する報道」の危機』です。

安倍政権の巧みな情報操作、マスコミ操作によって、新聞を中心とした日本のマスコミは二極化していると書かれています。そこまで単純に二極化、二分化できるか否かはともかく、前著のように直接民主主義が育ってきたと思える日本で、どうしてここまで極端に民主主義、立憲主義、議会制を無視するような安倍政権が生まれてきてしまったのか?

両書で共通に取り上げられている話題の一つに原発問題があります。東日本大震災後、一度事故が起きたら取り返しの付かないことになる原発はもうやめよう、というのが日本国民大多数の気持ちだったと思います。もちろん、即刻廃止から、期限を切って徐々に削減まで温度差はあるにしろ、原発はもうやめる、ということでは一致を見ていたと思います。にもかかわらず、日本国民は原発推進を唱える安倍自民党政権にあれだけの票を与えたわけです。

確かに、一票の格差など選挙制度に大きな不備や問題があるのは事実ですが、それでもああいったデモ、知識人たちの主張に耳を傾ければ、そしてなによりもこれからを生きる子供たちの未来を考えたら、あそこまで自民党に票を与えるという選択肢はないと思うのはあたしだけでしょうか。いや、最大の問題はあまりにも頼りない野党、非自民勢力なのですが。

でも、日本人の民意って那辺にあるのか……

日本人の感性、外国人でなくても不思議です。