5月 2015のアーカイブ
自虐って何だろう?
今日の朝日新聞夕刊一面に、大阪の平和博物館のリニューアルに伴って戦時中の日本軍による加害行為に関する部分が撤去されたとありました。大阪版では既に報じられていたニュースでしょうか? 東京版では本日の夕刊でした。
加害の行為をどう伝えるか……
その一方、こんなニュースもありました。核拡散防止条約の会議で、日本が提案していた「世界の指導者らの広島、長崎の被爆地訪問」という文言が中国の反対で最終文書の草案から削除されたと。
この手の話題になったときの中国と日本って、なんか、子供のケンカみたいです。
大阪の平和博物館の展示が、戦争の悲惨さばかりを伝えるような展示になっているのは、中国にある抗日記念館の展示が日本軍の残虐行為ばかりを展示しているのと同じくらい歴史の改竄ではないかと思います。どちらも歴史に正しく向き合おうとしていないということでは同じではないでしょうか?
この話題が出るたびに一つ疑問に思うのは、加害行為の展示がなんで自虐になるのでしょう? 昨今の日本では「自虐」という言葉がずいぶんと広い意味で使われてしまっているような印象を受けます。戦争中に残虐な行為をしたことを認めるのが自虐になるのでしょうか? 慰安婦を強制連行したことを認めるのが自虐なのでしょうか? 南京をはじめとした中国大陸で虐殺を行なったことを認めたら自虐なのでしょうか?
あたしには、そうは思えません。戦争においては程度の差こそあれ、どれも起こりうべきことだと思いますし、むしろ起こって当然の行為だと思うからです。もちろん、あたしは起こることがよいことだ、などと主張したいのでは決してありません。あくまで戦争という状況下ではどの時代、どの国でも起こったことであって、日本軍だけが聖人君子の軍隊で、そんなことは微塵もなかったなどというはずはないと、ごくごく常識的に考えてそう思うのです。それを認めるのがなぜ自虐になってしまうのか?
そのあたりの心理がよく理解できません。
コミュニケーション能力が不足しがちなあたしは、「罰が当たる」の使い方からして間違っているようで……
このところ神社仏閣で油のようなものがまかれるという事件が続いていますが、早いところ犯人を捕まえて欲しいものです。日本全国あれだけ広範囲にわたっているので個人的には単独犯というよりは模倣犯がいるのではないかなと思っているのですが、警察の見立てはどうなのでしょう?
そんな中、東京の板橋区のお寺の仁王像に黒い液体(油?)がかけられたというニュースが入ってきて住職さんが「(犯人には)罰が当たる」とおっしゃっているそうな……
ところで、この「罰が当たる」という表現、いまの若い子は使わない言葉なのでしょうか? あるいは既に知らない言葉になっていたりして? 「罰当たり」なんて言い方もしますが、どうなのでしょう。
あたしなどは、よくではないですが、比較的使う方世代なのだと思います。いたずらをしたり、親に叱られるようなことをしたときには決まって「そんなことをしているといまに罰が当たるぞ」と言われたものです。なので、比較的馴染みのある言葉ではあります。
しかし、あたしの場合、他人に対して、心の中でよくつぶやいていました。
小中学生のころですから学生時代という言い方が正しいのかどうかわかりませんが、そんなころ、何度も書いているようにあたしはどちらかと言えばいじめられっ子、嫌われっ子でした。クラスメートとの間で嫌なことがあると、いつも「お前なんか罰が当たるぞ」と心の中でつぶやいていたものです。
そんなクラスメートが風邪を引いたとか、ケガをしたとか、重い病気になったと聞いても、あたしは「ざまあみろ、だから罰が当たったんだ」と心の中で思うことで溜飲を下げていたのです。もし仮に、クラスメートとの間にいざこざがあった日の放課後、帰宅途中にそのクラスメートが交通事故にでも遭って死んでしまったとしても、あたしの気持ちとしては「死んじゃうなら、もっと仲良くしておけばよかった」とか、「仲直りできなかった」といった後悔の念に駆られることはなく、やはりそういう時でも「ざまあみろ」というルサンチマンのかたまりのような心持ちでした。
もちろん、死んでしまったクラスメートなど当時いたわけではありませんので、あくまであたしの心の中、頭の中での話ですが。
つまり罰が当たるというのは、あたしにとっては、悪いこと、いけないことをした自分に下されるものではなく、あたしに対して嫌な態度を取った相手に下されるものというのが第一の意味なのです。こんな考え方だから他人とうまくコミュニケーションが取れないのか、コミュニケーションがうまく取れないからこんな考え方になってしまったのか……
ペガサス書房へ行って来ました!
フジテレビ系の話題のドラマ「戦う!書店ガール」の舞台・ペガサス書房、もとい、ジュンク堂書店吉祥寺店へ行ってきました。
いやー、久しぶりです。二年前までは営業担当でしたので毎週一回は顔を出していたのではないかと思いますが、担当が代わってからほとんど来ることもなく時が流れてしまいました。
実は、帰路、吉祥寺に立ち寄らなければならない用事がありまして、久々に吉祥寺で中央線から降り改札口を出たので、ちょっと寄ってみるか、と思い立ったわけです。もちろん、この季節も影響していたと思います。小田急線沿線を営業していて下北沢経由で帰宅する場合、この吉祥寺で井の頭線から中央線に乗り換えるわけですから、当然降りるし、改札も出るのですが、やはり冬の季節は夕方が早々と暗くなるので、なんとなく「帰心矢の如し」で寄り道もせずに家路を急いでしまいます。
でも、いまくらいの季節になると夕方もかなり明るいですから、なんとなく「まだ早いから」という気になるものです。幸い、今日は雨も降らずにいてくれたので、そんなところも後押しになったと思います。
というわけで、久しぶりにパルコブックセンターとジュンク堂に寄ってみたという次第。もちろん、ペガサス書房、否、ジュンク堂書店で『書店ガール 4』を購入するのも目的の一つです。
あえてドラマの舞台で購入するというのもこだわりではありますが、そのおまけとして「特製ブックカバー」がある(もらえる?)というのもアドバンテージです。
上の写真が、そのブックカバーです。あえて本にはかけてもらわず、そのままの状態で持ち帰ってきました。だからなんだ、と言われても、なんとも言えませんが、稲森いずみも渡辺麻友も映ってはいないのですね(汗)。さすがに、そういうカバーだと欲しがる人と、あえて欲しがらない人の差が出てしまうからでしょうか?
で、ブックカバーと言えば、こんなのもいただいてしまいました!
5月17日はお茶漬けの日、なんだそうです。わざわざ「ジュンク堂」って入っていますけど、コラボ・ブックカバーなんでしょうね? ユニクロのTシャツを思い出します。
さてさて、ドラマについては視聴率がよくないとか、全11回放送されずに途中で打ち切りになるのではないか、といったネットの口さがない噂も出ていますし、「あんな書店員はいない」とか、「事務室が広すぎる、きれいすぎる」とか、書店員の異議申し立ても多数あるようですが、所詮ドラマです。どの業界を描いても、それなりの演出とかデフォルメはあるものではないでしょうか?
そんなことよりも、ドラマを見て「本屋さんって面白そうだな」「本屋さんってあんなに頑張っているんだ」と思ってくれる人が一人でも増えれば、それで御の字ではないでしょうか? ちなみにペガサス書房、否、ジュンク堂書店吉祥寺店には、やはりドラマを見てわざわざ見に来るお客さんがそれなりに増えているそうです。ドラマの舞台ということで写真を撮っていく人もいるのだとか。
そういう人って、実際に吉祥寺のジュンク堂へ来たら「わぁー、ペガサス書房だ!」という感想なんでしょうけど、あたしはドラマを見ながら「あー、ジュンク堂吉祥寺店だ」という感想が出ちゃうんですよ(笑)。
中南海
今日のネクタイ[2015.5]~服装にはTPOっていうものがあって、あたしだってそれなりに理解しているので、今日という日にこういう装束を選んでみたわけなのよ~
今日は月曜日です。だから一般に博物館と美術館は休館日であることが多いです。そういう日を利用して内覧会とかレセプションなんかが行なわれたりするのですが、本日は東京国立博物館で行なわれている鳥獣戯画展の内覧会にご招待いただきましたので、いそいそと出かけて参りました。
鳥獣戯画、鳥獣戯画と、そればかりがフィーチャーされていますが、展覧会のタイトルは「京都高山寺の至宝」なんですね。まあ、その至宝というのがつまりは鳥獣戯画なわけですし、なんといって展示品の目玉がこの鳥獣戯画ですから、一般に「鳥獣戯画展」と呼ばれるのも致し方ないところでしょう。
で、平成館の前の池で、既に鳥獣たちがお出迎えしてくれています。気づかずに通り過ぎてしまう人も多そうなさりげなさ。なかなか凝ったディスプレイですね。
展覧ですが、個人的には明恵上人という仏僧でありながら、春日大社や住吉大社とも近しく、日本ならではの神仏習合なのかなと思いながら絵画などを見ていました。そのうちに華厳や密教なども入ってきて、明恵上人って非常に興味深い人だと感じました。
肝心の展示ですが、実は鳥獣戯画って教科書とかいろいろなところで見ますので、もちろん本物を見るのは初めてですが、それでもなんか「既視感」を覚える作品でした。言葉を悪く言ってしまえば新鮮な驚きが足りないという感じです。もちろん「へぇ、こんな場面があるのか」「こんな表情をしていたんだ」という新鮮な驚きだって数多かったのも事実です。見れば見るほど、こんな作品を作り出した当時の日本人の独創力に頭が下がります。
さて、そんな鳥獣戯画を見に行ったあたしのいでたちは上のようなものです。
わかりましたでしょうか? 鳥獣戯画のブラウス、鳥獣戯画のネクタイです!
そんなの売ってるの? と聞かれそうですが、売っているから買ったのであり、買ったから着ているのです。自分で手作りしたわけではなく、正真正銘の既製品です。
さすがに、こういう格好で見に来ている人はいなかったようです。やはりあたしって物事に関して形から入るタイプなんでしょうね(汗)。博物館のスタッフの人、何人かには気づかれてしまったようです。
もう少しアップにするとこんな感じです。そうそう、この絵を見てきたわけです!
好き? 嫌い?
先日、WOWOWで放送されていた「渇き。」を録画しておいたので視ました。
一時期、テレビCMも頻繁に流れていて、「衝撃の問題作」的な煽りもあったので、映画館に見に行こうとまでは思いませんでしたが、こういう機会に視聴したというわけです。CMなどの予告では、元刑事・役所広司の娘がある日突然失踪し、娘を探す父親が娘の本当の姿、驚愕の真実を知る、という感じでしたが……
さて、そういった予告から予想されるのは、娘には両親も知らない裏の顔があって犯罪に手を染めているのかな、ということです。ただ、学校一の美少女といった設定だったはずですから、何か事件に巻き込まれて、あくまで被害者側なのかな、という可能性も捨てきれません。
そういった先入観というか予想を持って見始めたのですが、かなり早い段階で「この娘はヤバイ」ということがわかります。わかってしまいます。カワイイ顔をして人を破滅に追い込む悪魔、そんな加奈子・小松菜奈の正体は割れます。ただ、それ以上にヤバイのが父親の役所広司の方で、「これじゃあ娘もおかしくなるよね、納得」という人物で同情も何もあったものではありません。もちろん娘を失った哀しい父親といった感情移入は微塵もできません。
中学時代に自殺した加奈子のボーイフレンドとの淡くてピュアな純情恋物語が底辺にあるのかな、という期待も、結局彼も彼女の毒牙にかかって身を滅ぼしただけだったようで、涼しい顔をして男を滅ぼしていく魔性の女という加奈子の素性が知れてきます。
が、あそこまで人が死ぬことになるような大きな犯罪が背後で起こっていたのか、そこが疑問です。少女買春や覚醒剤といったものが登場していますが、それにしては中高生相手に大の大人があそこまでムキになるのは滑稽で、加奈子の魔性ぶりを描こうとして、かえって卑小な人物に成り下がってしまっているような気がします。
そして過去のシーンでは加奈子は登場しますが、役所広司が暴れまくる現在のシーンでは加奈子は登場しません。「ゴドー」とか「桐島」のように、本人は登場させないパターンでしょうが、これがいまひとつ加奈子ってどんな人なのかを描き切れていない気もします。
まあ、ここまで暴力的なシーン、狂気しか感じられない役所広司、ヤクザと裏ではつるんでいる警察という、ハチャメチャのオンパレードではこの映画の好き嫌いもかなり分かれるのではないでしょうか? だから、たぶん評価もかなり差があるのではないかと思われます。
さて、あたしはこういう映画、好きか嫌いかと問われたら?
この手の暴力ばかりの映画、嫌いということはありません。暴力ばかりだからといって嫌うことはないのですが、ただ、もう少し暴力や狂気に理由が欲しいところです。いや、狂気に理由なんかあるわけないのかも知れませんが、あそこまで理不尽だとついていけなくなるのも事実です。また、あんな父親では誰も娘捜しに協力してあげようなんて気にはなれないと思います。
が、何よりも、主演の小松菜奈が、あたしに言わせると「そこまでの美少女か?」という点が一番引っかかりました。こればっかりはどういう美しさを魔性と呼ぶのかの個人差になるので、いかんともしようがないですね。
こういう子、カワイイわね!
今日の朝日新聞の天声人語にコミック「ひよっこ料理人」のことが載っていました。
あたし、この作品、好きなんです。最初から熱心に読んでいたわけではなく、時々拾い読み程度に読んでいたのですが、好きなコミックでした。それが少し前に連載終了してしまって、ちょっと残念でした。久しぶりに読んだとき、主人公の妃代子(ひよこ)が中年にさしかかっていて、あれよあれよという間におばあちゃんになってエンディングでした。
実は、妃代子がこども料理教室を開き始めたばかりでハム太と結婚する前のころの雰囲気が好きだったんです。別に料理がうまいから胃袋を捕まれた、というわけではなく、こういう感じの女の子、なんかカワイイなあ、と思ってコミックも読んでいたんです。ちなみに、知り合いの書店員さんで、この妃代子に似た感じの子がいて、あたしはとても気に入ってたんですが……(汗)
コミックというのは時々眺めると、自分がこどものころに見ていたマンガとはずいぶんと感じが違いますね。あたしがこどものころは「コミック」という言葉はほとんど使われていなくて、もっぱら「マンガ」でしたから。何が違うって、コマ割りというのでしょうか。あとはセリフやト書きの配置の仕方などもずいぶん違うなあと感じます。
もちろん昔ながらのスタイルの方も多いですが、「こういうコミックが今どきなのか」と思わせる作品も多いものです。コミックってストーリーの前に絵のタッチで読むか読まないかを決めるところがあるので、コマ割りなどでついていけないと思うともうダメですね。
新「東西冷戦」を避けるためにも『クリミア戦争』を読もう!
ロシアで行なわれた対独戦勝70周年の式典。ロシアのクリミア侵攻に抗議して西欧諸国は軒並み参加を見送り、中露の蜜月ぶりばかりがクローズアップされた今回の式典でした。新聞などの論調では新たな東西冷戦という表現も見れますが、新たなどころか、クリミア戦争以来の構図という思いがします。
自社本の宣伝で恐縮ですが、『クリミア戦争』を読んでいると、とにかくヨーロッパ諸国はロシアが嫌いなんだということがわかります。クリミア戦争の時代には、民主化の進んだ近代国民国家・西欧に対し、後れた封建体制の野蛮な国・帝政ロシアという意識が強かったわけですが、たぶん現在はプーチンを帝政ロシア時代のツァーリに重ね合わせ、やはりロシアは野蛮な後れた国だという意識になっているのだと思います。今も昔もロシアはヨーロッパではない、自分たちとは価値観を共有できない国、そんな根強い不信感があるようです。
今回は対独の式典に中国の習近平がロシアを訪問しましたが、恐らく夏には対日の式典が中国で行なわれ、それにプーチンが来るのではないでしょうか? 両国ともファシズム戦争に協力して戦い勝利した偉大な歴史を声高に訴えていますね。それはそれでよいとして、この数年来、中露両国ともトップの権力がますます強くなり、強権政治が復活していると言われています。マスコミや民主運動に対する締め付け、統制も厳しくなっているそうです。それに対抗するように日本もマスコミへの締め付けが厳しくなっているなんて、まるで「歴史は繰り返す」の言葉どおりです。
中露の会談で、多分に日本を意識しているのでしょうが、歴史を直視するようにという声明があったそうですが、先の大戦はともかくとして、その後の歴史、両国は自国民にきちんと知らしめているのでしょうか? 中国の文革とか天安門事件とか、マスコミが取り上げることさえタブーのような状態で歴史を直視しろと言われても片腹痛いと感じる日本人は多いのではないでしょうか?
と、そんな風に対立を煽るような感じになっていっては、人は何のために歴史から学ぶのかわかりません。ここは心を落ち着けて『クリミア戦争』でも読んでみてください。戦争をやりたがった政治家や、それを支持した国民の当時の熱狂ぶり、頭に血が上っているときの見境のなさはおくとして、戦地での悲惨さを知れば知るほど戦争は起こさない方がよいということがわかると思います。
本書から、戦争は悲惨だという教訓をくみ取るか、やはり一戦交えないと溜飲は下がらないと思うのか……
箱根
箱根山の地震活動、関東以外の地ではどのくらいの報道になっているのでしょうか? 少なくとも関東ローカルのニュース番組などではこのところトップニュースです。やはり東京の人にとって身近な観光地、泊まるもよし、日帰りもよしというところが人気なのでしょう。
あたし自身は、特に箱根にゆかりがあるわけでもなければ、特別な想い出や思い入れはありません。最後に訪れたのは、たぶん十数年前になると思います。上に身近と書いておきながら、あたしには、それほど行っていない地でもあります。が、身近と感じるのに嘘はありません。
いま、あたしの書店営業の担当の一つに小田急沿線があります。当然に月に何度も小田急線に乗るわけですが、ホームで電車を待っているときにしばしばロマンスカーを見かけます。町田などで停車しているのを見ることもあれば、通過していくロマンスカーを眺めることもあります。
あっ、ロマンスカーと何も断わらずに書いてしまいましたが、東京や神奈川在住でない方にはわからないでしょうか? 小田急の特急のことです。各駅停車、準急、急行といった種別としての特急ではなく、別料金を払って乗らなければならいものです。昨今の車両は荘でないものもありますが、ロマンスカーといえば運転席が二階にあって、だから先頭車両(と最後部車両)は大パノラマの見晴らし、それが売りの特急でした。
営業の途中にそんなロマンスカーを眺めると、「このままロマンスカーに乗って箱根にでも行って温泉につかりたいなあ」と思うこともしばしばです。特に週末の金曜日、書店回りも一段落して帰路に着こうかという時間帯、新宿から小田原・箱根方面へ向かうロマンスカーを目にしたときなど、特にその思いが強くなります。しかし、それを実行したことはありません。思い立って突然何かをする、というのが昔からできないたちで、きちんとあらかじめ計画を立て、旅館も予約して、そうして初めて出発できる、という人間なんです。
それはともかく箱根山の地震。箱根の人たちは風評被害を防ごうと必死です。東京や神奈川の人とか、箱根によく行っている人であれば大涌谷が箱根湯本駅からもそれなりに遠く、箱根と言っても広いのだということをよくわかっているので風評被害に振り回されることはないと思います。ただ、箱根というのは湯本あたりの旅館に泊まっていても、登山鉄道とケーブルカー、そしてロープウェーなどを使って芦ノ湖まで周遊するというのが一般的な楽しみ方です。小田急もそういう周遊パスを発売しています。ですから、その中のロープウェーが運休になっているということは、箱根での移動がかなり制限されてしまうのもやむを得ず、従って、箱根旅行をキャンセルする人が出てくるのも致し方ないと思います。(観光組合だけでなく、小田急電鉄も痛手でしょうね!)
地震活動や火山活動は人間の時間の尺度では気の遠くなるほどの長さで動いているものですから終息もいつになることやら……。仮にこのままはっきりしない状態が続いたとして、あるいは大きな噴火が起こったとしたら、年明けの箱根駅伝にも影響が出てくるのでしょうか?




