あこがれの古典語

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今日のネクタイ~壹佰拾陸本目。~こんどはネコがいる![2015.9]

こん**は、染井吉野ナンシーです。

朝晩はめっきり涼しくなってきた今日この頃です。こういう時季はオフィスにしろ電車の中にしろ、そして書店の中にしろ、クーラーを付けるか付けないか、付けるなら温度は何度に設定するか、難しくありませんか? 付けないとまだまだ暑いし、でも付けると、こんどはちょっと寒い。かといって温度を高くすると、外気温よりも高くなってしまって、冷房なんだか暖房なんだかわからなくなってしまいます。

脱いだり羽織ったりしやすい恰好で調節を、なんてお天気キャスターが毎朝アドバイスしてくれますが、ビジネスの世界ではあまりラフな恰好もどうかと思いますし、やはりチョイスが難しいですね。

そんな本日のいでたちはこちら!

無地の真っ赤なブラウスに花柄のジレ、そして朱色地に線画のネコ。うーん、オシャレ?

ネクタイのアップはこんな感じ。実はあまりアップにするとネコには見えなくなってくるような気がするのですが、如何でしょう?

でもね、あたしはネコじゃなくてイヌ派なのよ。キティラーじゃないかって突っ込みが入りそうだけど、キティちゃんはキティちゃんであって、ネコとは違うと認識しているので別なのよ。それに、あたしはイヌ派とは言っても室内で飼う小型犬はあまり好きではなくて、もし飼うことがあるとしたら、シェパードやコリー、秋田犬といった庭で飼う大型犬がいいのよね!

じゃあ、今度はイヌのネクタイを探しておくわ!

日本語修行

今日の朝日新聞夕刊にこんな記事がありました。

ドナルド・キーンさんが講演をされたという記事です。この中に「かつて米海軍の日本語学校で学び」とあります。このあたりの事情については『ドナルド・キーン わたしの日本語修行』に詳しいです。

興味を持たれた方は、是非お近くの本屋さんでお求めくださいませ。

どうしたら「独立」は認められるのか?

スペインのカタルーニャ地方が独立できるのか否か、ニュースでも報じられています。

カタルーニャと言われても「どこ、それ?」という日本人も多いかも知れませんが、バルセロナと言われれば、なんとなくわかる方も多いのではないでしょうか?

さて、カタルーニャ州の独立についてスペイン政府はすぐさま「認めない」という声明を出していますが、こういうのってどうしたら認められるのでしょうか?

たとえば近いところでは中国のチベットや新疆。独立運動がずーっと続いていますし、もちろん北京の中央政府は認めようとしません。むしろ弾圧姿勢で臨んでいます。統一国家として、その領土の一部が独立を宣言するのは国家転覆になるのでしょうか? そこまで過激な言葉を使わなくとも、いったいどうやったら独立は認められるのでしょうか? そう言えば、最近、こんな本が出ていましたね。

現代新書の『独立国家のつくりかた』です。この本を読めば独立の仕方ってわかるのでしょうか? 例えば、日本で考えた場合、北海道が独立するとか沖縄が独立するといった(確かに琉球時代の沖縄は独立国だったような……)住民投票が現地で可決されたり、その地域の議会が可決したら、日本国政府はもちろん認めないでしょうが、それって法律的には何を根拠に認めないと言えるのでしょうか? 逆にどういう手続きを踏めば独立できるのでしょうか?

などといろいろ考えてしまいますが、とりあえず話題のカタルーニャについてはこんな本がお薦めです。

 

ニューエクスプレス カタルーニャ語』と『カタルーニャの歴史と文化』です。

 

他社のものでは『物語カタルーニャの歴史』や『カタルーニャを知る事典』などがお手頃だと思います。

ちなみにスペインではカタルーニャ州だけでなく、バスク地方も独立の機運がありますよね。そのバスクについてはこんな本があります。

  

バスク人』『バスクとバスク人』『バスク語のしくみ』などなど。

うーん、これ、この問題が更に大きなニュースになるようだったら、コンパクトなフェアが出来そう?

「新潮クレスト・ブックス」はウィキペディアに立項されているのに「エクス・リブリス」はされていない件

ちょっとどんな書目があるのか調べようと思って、「クレストブックス」でググってみたら、ウィペディアがヒットしたので見てみました。なんとウィキペディアには「新潮クレスト・ブックス」という項目がちゃんと立項されているのですね。「主なラインナップ」としてずらずら並んでいますが、結局のところ、トータルで何冊出ているのでしょう?

が、たまに書店の方と話をしていると、「もう品切れになっちゃったんだよね」ということを言われます。たぶん自分で選書してフェアをやろうと思ったら、自分の選んだものが版元品切れだったのでしょう。そういうセリフの後には「まあ、もう新潮文庫になっているから仕方ないけどね」という言葉が続くことが多いです。

そう、クレスト・ブックスもよくよく調べてみると既に文庫になってしまって、クレスト・ブックスという形では入手できないものもあるのですよね。あの装丁が好きだったのに、というファンの方には残念至極ではありましょうが、広く海外文学ファンを増やすという意味では文庫化もやむを得ないと思います。

そこで、書店の文庫担当の方に聞いてみたいのは、「クレスト・ブックス出身の新潮文庫フェア」ってやったことはありますか、ということです。自分で企画しなくても、新潮社の営業の人からそういうフェアを提案されたことがある、というのでもよいのです。もし考えたことがないのであれば、そういうフェアは如何でしょうか?

あるいは、考えたことはあるけど、売れなさそうだから諦めた、という声でもよいので聞かせてもらえると嬉しいです。

毎年のように新潮社のクレスト・ブックスのフェアは書店店頭で見かけますが、文庫と絡めてやっているのは見たことがありません。もちろん文庫の売り場と単行本(海外文学)の売り場は異なるし客層も違うから、という理由も理解できますが、一緒にやってみても面白いのではないかと思います。

たぶん、「エクス・リブリス」と絡めてフェアをやるよりもお客さんの目を惹くのではないかという気もします(爆)。そんなことないでしょうか?

いや、そう言えば、ずいぶん前にどこかの書店で「新潮文庫&新潮クレスト・ブックスvs白水Uブックス&エクス・リブリス」というフェアをやったことあったような気がするのですが、あれば夢だったのでしょうか?

この夏は満洲が熱かった?

ちょっと前にこんな本を買いました。まだ読んでいないのですが……(汗)

満洲国を動かした謎の人脈』です。文庫本なので気軽に読めそうです。

が、書店回りをしていたら、こんな本が目に入りました。

満洲怪物伝』です。こちらはソフトカバーですが、一応は単行本です。

どちらも戦前・戦中の満洲で活躍・暗躍した人々を列伝風に取り上げています。前者の方が10人と取り上げている人物は少ないですが、そのぶん一人一人は読みごたえのある分量になっているようです。それに対し後者は一人一人の記述は少なめですが、いろいろな人物が取り上げられています。

目次によると「里見甫」なんて名前も見えていますし、巻末の「巻末企画 満洲人物伝82」を見ると「橘樸」の名前も見えていました。これはこれで案外面白い本ではないかな、そんな風に思います。

それにしても、この夏は満洲関係の書籍がよく出ますね。この二点だって8月や9月の刊行ですから、夏に売ろうという点ではかなり遅い刊行だと思いますが、それでもまだ出るというのは、それだけ戦後70年が大きな節目だと考えられているからなのでしょうか?

2015年9月28日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

ヒットの論理とは?

下の写真は、今朝の朝日新聞読書欄。「売れてる本」コーナーで、ちくま文庫の『命売ります』を取り上げていました。

あたしもこの本は書店で見かけ、注目というか気になっていたのですが、案の定、売れているのですね。19万部ですか? すごいものです。記事中では、売れた理由は「本そのもの」にあると読めます。確かにそうなのでしょうね。この記事を読むまでもなく、三島のこの作品、オビの惹句を読むだけで、あたしのような三島を読んでいない人間でも気になりましたから。

ただ、果たして「本そのもの」というだけで売れるのか、そんな素朴な疑問が頭をもたげます。たぶん、同じ内容の本が同じオビの惹句で置かれていたとしても、著者が三島由紀夫でなければ売れなかったのではないか、そんな風に思ってしまいます。いや、著者が三島でない時点で「三島」と入っているオビは成立しなくなってしまいますが……(汗)

しかし、いくら三島とはいえ、未発表の原稿が見つかって出版されたとでもいうのならともかく、決して知られていなかったわけではない作品ですから、ここへ来てこれだけ売れるというのはやはりすごい、「著者が三島」というだけでは成り立たないと思います。そうなると、記事の最後に書いてある「費用対効果」、つまり安いということが大きな理由になっているのでしょうか?

単行本の文庫化など、権利などの面倒な話はひとまずおいて、もしこの本を筑摩書房が単行本の形で出していたら、このオビが付いていたとしてもここまで売れたのか? たぶん単行本だと1000円台後半、もしかすると2000円を超えそうな値段になる可能性がありますが、その場合でも19万部も売れるのでしょうか? いや、そこまでは行かないとしても半分の10万部は売れたでしょうか?

確かに文庫本の安さは大きなアドバンテージでしょう。でも又吉の『火花』を見てもわかるように、一概に単行本だから売れないとは言えないようです。もちろん『火花』はまだ文庫になっていませんし、そもそも本体1200円という、最近の文庫と変わらない、むしろそれよりも安い価格ですから比較のしようもありませんが……

と、このように売れる本が現われると、そんなことを考えてしまうのが、同じ業界人としてのサガなのかも知れません。そして同じ業界人だからこそ気になるのは、「筑摩書房が売るために何をしたのか」ということです。

どの出版社だって、自分のところで出している本について、「これはよい本だ」と思っているはずです。ですから、それなりに宣伝もすれば、書店での営業もするわけです。もちろんオビの惹句だって工夫を凝らしていないわけではありません。

なら、刊行後何年もたった本を、「この本は名著なんだから」というだけで、オビを作り替えてもう一度販売促進をしようという営業をどれだけの出版社ができるでしょうか、否、やるでしょうか? 三島由紀夫生誕90年程度のアニヴァーサリーでは、いかな三島とて、書店や読者の盛り上がりを生むには弱いでしょう。

「今年は生誕90周年なんで、これまであまり知られていませんでしたけど、こんな怪作が実はありまして、ちょっとオビも新しくしたので、目立つところに並べてもらえませんか?」と筑摩書房が営業したとして、たぶん乗ってくる書店は全国でも数えるほどだと思います。ここまではやってやれなくはないと思えるのですが、問題はここからです。(ちなみに、本書がどんな書店展開、営業販促をしたのか詳しいことは知りません。上に書いたのはあくまでもあたしの邪推です。)

全国で数店舗とはいえ、その本を少し置いてもらったとして、その後一週間や二週間で結果が出るのか? 書店も新刊がどんどん入ってきますから、この本のためにスペースを作ってくれるのはせいぜい一ヶ月が関の山だと思います。それまでに「うん? なんか売れてきたぞ」という結果が出ないと、すべてが返品となって返ってきてしまいます。

はい、その一ヶ月の間に筑摩書房は何をしたのか? いや、書店と協力してどういう展開をしていったのか、そこのところが同じ業界の人間として非常に気になるところです。もちろん、同じことをやればどの本も同じように売れると考えるほど、あたしもバカではありませんが……

これを酒縁と呼ばずして何とする?

少し前、勤務先の社員旅行で秋田へ行きまして、そこでお土産に秋田の酒を買ってきたことを書きました。下の写真がそれで、秋田駅からほど近い県産品プラザで買ってきました。ただし、後列の「乳頭の雫」は田沢湖畔で泊まったプラザホテル山麓荘の売店で買ったものです。

このうち前列の右端「白神のめぐみ」、同じく真ん中「雪の茅舎」は飲み終わりました。特に「白神のめぐみ」はフルーティーで飲みやすく、ハーブでも入っているかのような香りがありました。

さて昨晩、こんどは秋田市内の新政酒造のお酒「亜麻猫」をいただきました。こちらは甘いお酒です。キレのある辛口好きな方にはお薦めしませんが、口当たりがよく飲みやすいお酒を探している方にはお薦めです。

ところで、この新政。それなりに歴史のある酒蔵のようですが、少量生産にこだわっているようで、市場に大量に出回っているわけではないようです。ただ、あたしはなぜか「新政」という名前には覚えがあると言いますか、どこかで聞いたことがあるという印象を持っていました。

そんな感じを抱きつつ昨晩の晩酌でこのお酒を出していたら、母が「今度はどこのお酒飲んでるの?」と聞くので、「この前秋田へ行ったときに買ってきた新政のお酒だよ」と答えました。すると母は「ああ、新政」と言うのです。母はお酒は一滴も飲みませんが、亡夫(つまり、あたしの父)やあたしが飲むので、酒の種類などはそれなりに知っています。その母が、いかにもよく知ってそうな言い方をしたのです。

もちろん、あたしはこの時、新政の酒は初めて飲みました、いや正確に言うと秋田で飲んでいたので二度目になりますが、自宅で飲むのは初めてです。ですから、自宅に新政の酒が存在するというのも今宵が初めてのはずなのです。母は新潟出身ですから新潟の酒ならば多少の覚えもあるかもしれませんが、親戚がいるわけでもなく住んだことがあるわけでもない秋田の酒など知る由もないはずです。

それなのによく知っているような言い方だったので、「新政って知ってるの?」とあたしは聞きました。すると母が「お父さんがよく飲んでいたのよ」と言うではありませんか。少なくとも、あたしが物心ついてからの父が新政を飲んでいたような記憶はありません。更に母に聞いてみると、あたしが幼いころ、それも一歳になるかならないかというころまで住んでいたアパート、そこの大家さんは酒屋さんだったのですが、その酒屋さんが新政を扱っていたそうで、父はよく新政を飲んでいたということらしいです。

さてウェブサイトを見ますと、新政はこの数年、いや十数年、新しく生まれ変わったようです。ですから父が飲んでいたのは昨今の新政ではなく、先代のころの新政だと思います。味がどのくらい異なるのか、それとも変わらないのか、父亡き今、今回の亜麻猫を味わってもらって感想を聞くことは叶いませんが、母から思いがけずこんな話を聞き、「血は争えない」と言いますか、今回の秋田旅行で新政の見学をさせてもらったのも何かの縁、いや「酒の縁」を感じないわけにはいきません。

 

営業部に遷って10年を超えたというのに、あたしはいまだに出版社営業として一人前とは見做されていないのでしょうか?

最近の話です。

郊外の、とある書店に営業へ行きました。バックルームで入店証をもらい売り場へ行くというスタイルのその書店、バックルーム前の廊下にはお店の人でもなければ、出版社の営業マンでもない人が何人かいました。見るからに学生という感じ。何だろうと思ってみていましたが、すぐに理由がわかりました。

その書店はチェーン店の一つなのですが、そのチェーンで近々新規店がオープンするので、新店のバイト面接をその店でやっていたわけです。あたしが見たのはそれに応募して面接を受けに来た人ということです。

あたしの方はいつものように営業を終え、再びバックルームへ戻ってきて入店証を返し辞去しようと思っていたのですが、その廊下の壁に新店の完成予想イラストが何枚か貼ってあったので、つい眺めてしまいました。「ふーん、こんどはこういうお店ができるのか。あたしの担当エリアだからオープンしたら行かないと」などと思いながら見ていたところ、面接担当の社員の人から、「面接にいらした方ですか? ではこちらの用紙に必要事項を……」と声をかけられてしまいました。

「いや、違います。出版社の営業です」と答えたものの、あたしゃ今さっきバックルームから出てきたところですよ、それにバイトに応募するにはいささか年を食っていませんでしょうか、と心の中で思いました。

そもそもバイトの応募資格、特に年齢制限がどれくらいなのか知りませんが、あたしって意外と若く見られたのでしょうか? それでも、あたしが目撃した「いかにも学生」という若さあふれる連中とは一見して違うのがわかるはずです。あたしだって底まで若く見えるだなんて図々しいことは思っていません。

それなら、あたしはどう見えたのでしょうか? あの場所は、あたし以外にも営業に来た出版社の人間が入れ替わり立ち替わり訪れる場所ですから、お店のスタッフでなければ出版社の人間というのが相場だと思うのです。でも、あたしが声をかけられたということは、少なくとも出版社の営業には見られなかったということですよね。

うーん、情けない。

あたしって、別に営業としての貫禄が欲しいとまでは思いませんが、出入りの業者に見えないほど冴えない人間なのでしょうか? いや、確かに自分でも自覚していますが、あたしは見た目は貧相で、第一印象もよくない、否、悪いタイプですから、営業には向いていないことはわかっていますけど、それでももうかれこれ十年は営業をやっているのですが……

あえて言い訳をするならば、声をかけてきたスタッフの人はチェーンの本部から来ていた人のようで、これがもしそのお店のスタッフの方だったら何度も通っているあたしの顔に見覚えがあって、「ああ、出版社の営業さん」と認識してくれていたのではないか、とは思います。

でもでも、別に出版社の営業だと思われなくても構いません。それよりもバイトの面接に来た人間に思われたということは、あたしが、よい歳をして無職の人間に見えたということですよね? それがちょっとショックです。