野望、慾望、絶望

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2015年8月26日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

東アジア文学はこれを読め![続]

感想は改めて書くと宣言したまま放置プレイなってしまっていましたが……

東アジア文学、具体的には中国・台湾・韓国・チベット文学を今回「読んとも」で取り上げたのは、豊﨑さん自身の興味が最大の理由でしょうが、ここへ来て、これらの文学の翻訳でヒット作、話題作が続けざまに刊行されたという事情もあったと思います。

が、そうやって東アジア文学にスポットが当たるというのは、逆に言えば、これまでどれほど日の目を見なかったかということでもあります。このことは今回の演者の皆さんが口を揃えておっしゃっていたことです。では、なぜに東アジア文学は売れなかったのか。いや、東アジアと限定しなくてもよいです。アジア全般、売れてませんでした。海外文学といえば、まずは英米、その次にヨーロッパ、フランス、イタリア、ドイツ、ロシアといったところ、そして南米やスペインのラテン文学が主流であり、それ以外の地域の文学は、文芸の棚の中で肩身の狭い海外文学の中でも更に肩身の狭い位置に置かれているのが一般的です。

売れない理由、それは冒頭に豊﨑さんが指摘したように、日本人のアジア諸国に対する蔑視があると思います。これは間違いないでしょう。そもそも海外の作品を読むというのは、その国、そしてその国の文化や生活スタイルに対する憧れがあって、小説の中だけでもそれに浸っているような気分を味わいたい、という気持ちがあるから読むのだと思います。もちろん、そんなオシャレなものではなく、単純にその国に対する興味でも構いませんが、そこにもやはり憧れ、少なくとも敬意は含まれていると思います。

それに対して、敬意や憧れを抱くなんてことはおろか、むしろ見下し、バカにしている国々に興味を持ち、そこの作品を読みたいと思うでしょうか? いや、大東亜共栄圏を標榜していた戦前ならいざしらず、現在の日本人がアジアの国々や人びとをそんなにもバカにしているなんてことはない、と反論する方は多いと思います。もちろん戦前のような見下し方はないでしょうが、欧米とアジアを比べた場合、やはりヨーロッパの方を上に見る日本人はまだまだ多いと思います。

その証拠というつもりはありませんが、中国文学でも史記や三国志などの古典作品は人気があります。それこそ欧米の海外文学など太刀打ちできないほどの数の翻訳書が刊行されています。それは現在の中国ではなく、古代の中国であれば日本人の憧れ、少なくとも尊敬の対象であるからだと思います。昔の中国はすごかったけど、今の中国は……という意識、知らず知らずのうちに多くの日本人に根付いているのではないかと思います。(話は逸れますが、韓流というのも、特殊な現象ですね)

ところで、あたしはアジア文学が売れない理由はもう一つあるのではないかと思います。それは当日登壇された方々には申し訳ありませんが、翻訳者の問題です。別に訳文が悪いとか熟れていないとか、そういうことを言いたいのではありません。そもそも翻訳しようとする作品の選び方に問題があるのではないかと思うのです。

中国や韓国の作品となると、少し前まではどうしても自国の苦難の歴史を描いたものが翻訳されることが多かったように思います。それは翻訳者である研究者の方が、翻訳作品を通じてその国のことを知ってもらいたいという気持ちがあるからだと思います。それはそれで理解できますし、海外文学を読む醍醐味でもあります。

でも、栄光の歴史、輝かしい一大叙事詩なものであれば読んでいて愉しいでしょうが、苦難の歴史では読んで楽しいものでしょうか? それにこれらの国々の歴史とは、つまりは日本によって侵略されていた歴史です。必然的に日本は悪玉として描かれます。そんなものを日本人があえて読みたいと思うでしょうか? あたしは、そういう作品ばかりを選んでいたとは言いませんが、どうしてもそういう作品が多くなっていたことがアジア文学が売れなかった理由だと思います。

しかし、今回のイベントで紹介された作品はどうでしょう? 確かに苦難の歴史を踏まえたものもありますが、そういうしがらみから抜け出して、ごくごく普通の娯楽作品として読める、読んで純粋に面白いと思える、そんな作品が増えてきているのを感じました。たぶん翻訳をする研究者の世代交代が進み、歴史を引きずることなく、愉しく読める作品を紹介しようという気運が盛り上がってきているのではないでしょうか? そんな研究者、翻訳家の方々の数年来の努力、活動がここへ来て花を開かせているのかな、そんな風に感じたトークイベントでした。

うーん、ちょっと生意気なことを書いてしまったでしょうか? すみません。

演技指導書のこんな売れ方!

近々、こんな本が出ます。

イヴァナ・チャバックの演技術』といいます。

イヴァナ・チャバックって誰? というのが多くの日本人の感想だと思いますが、あたしもそれとほとんど変わりません。で、聞くところによると、この方、ハリウッドではチョー有名な演技指導者なんだそうです。

そのチャバックさんが初来日し、ワークショップを開催するそうです。上掲の新刊も、その来日のタイミングに合わせての刊行となります。

さて、この本、「俳優力で勝つための12段階式メソッド」というサブタイトルもあるように、メインの読者は俳優さんだと思います。役者と言ってもよいでしょう。既に一線で活躍しているバリバリの現役の方から、これから飛躍する卵の方まで、あるいは自分が演じるのではなく演出をする方にも有用な本だと思います。

でも、このジャンルの本、それだけではあまりにも市場が狭すぎます。もちろん、日本中で役者を名乗る方全員が一冊買ってくださるのであればかなりの冊数になりますが、そんなことはないでしょう。それなのに、実は出版社の予想を裏切って、こういう本、思った以上に売れるのです。

あたしの勤務先の刊行物ですと『発声と身体のレッスン 増補新版』と『演技と演出のレッスン』がそれです。どちらも大ロングセラーです。

 

では、どういう人が買うのか? 正確なところは言えませんが、創造的な仕事に就いている人、たとえばミュージシャンとか、そういった方も買ってくださっているようです。つまりは、自分の肉体を使った表現者ということです。

しかし、されだけではまだまだ足りません。市場調査していきますと、つまりは書店の方から聞いたりした結果なのですが、就職活動中の学生も買っている、営業職のビジネスマンが買っている、そんな声が聞こえてきます。

そうです。自分の声と体を使って表現するのは何も役者や歌手だけとは限りません。自分の将来がかかった就職活動、その大切な面接で自分をいかにアピールするか、そんな学生にとってこういう本がバイブルになっているようなのです。そして、外へ出て厳しいビジネスの現場をくぐり抜けている営業マンも、やはり発声や表情、姿勢はとても大事な要素です。とても疎かにはできません。そういう人たちにとって、プロの指導者がプロへ教えるこの手の本はまさにうってつけというわけなのです。

そう言えば、既に品切れですが、以前『クリエイティブな習慣』という本が出ていまして、やはりこれもそういう感じで売れました。となると、この手の本は、書店の芸術コーナーではなく、ビジネスや自己啓発のコーナーに置いた方がよいのかも知れませんね。

チェーン全体で推してくれてます?

先日のダイアリーで、ブックファースト新宿店の戦後70年フェアについて書きました。

実はこのフェア、新宿店のみのフェアではなく、ブックファーストのチェーンを挙げて展開しているフェアのようです。とりあえず、あたしはその後ルミネ新宿のブックファーストでも目睹しました。

そんな中、田園都市線の青葉台にあるブックファーストへ営業に行ったところ、やはりフェアを展開していたのですが、このブックファーストが入っているテナントビルの入り口脇にあるディスプレイでもフェアの宣伝をしていました。

上の写真がそれです。勘違いしないでください。ブックファーストの入り口ではなく、テナントビルの入り口です。デカデカと宣伝しているポスターの下、なんとあたしの勤務先の本が3冊並べていただいているではないですか!

  

並んでいるのはもちろん『第二次世界大戦1939-45(上)』『第二次世界大戦1939-45(中)』『第二次世界大戦1939-45(下)』の三冊です。

別にこのフェアは、これを中心に据えたフェアでもなければ、あたしの勤務先がメインとなっているフェアでもありません。前に書いたように、とにかく平積みや面陳を極力廃し、たくさんのアイテムを並べる、見せるということに注力したフェアです。そんなチェーンを挙げて強力にプッシュしているフェアの見本として、あたしの勤務先の本を出してくださるなんて、ありがたいことです!

深謝、深謝です。

今日のネクタイ~壹佰拾伍本目。~サルがいる![2015.8]

今日は新刊の配本日です。その新刊とは動物園の人気者、サル。はい、『サル その歴史・文化・生態』のことです。今日が配本日ですから、都内の大型店ですと今日の夕方、それ以外の都内近郊のお店なら明日くらいから、書店店頭に並び始めると思います。

で、手に持っているのが、それです。表紙はなんというサルでしょうね? 孫悟空のモデルと言われる金絲猴でしょうか? たぶん、本をめくればわかるのでしょうけど……(汗)

あれ、でも新刊をお目にかけることにばかり気がいっていて、肝心のネクタイが写っていませんね。申し訳ない。では改めて、こちらです。

わかりますか? 日光の彫刻でも有名な、聞か猿、見猿、言わ猿です。

いやいや、一匹多いではないですか? でも、フツーにあたしたちが知っているのは、「聞かざる・見ざる・言わざる」で、お猿さんは3匹ですよね? 4匹なんて聞いたことありますか?

で、調べてみたんですよね。そうすると、あまりにも日光の彫刻で有名になってしまったので3匹と思われがちなのですが、実は「四猿」なんですね。もう一匹は「せざる」、つまり「何々しない」ということで、手をぶらんと下に下ろしているポーズをしているようです。

 

まあ、三猿も世界的にいろいろあるようなので、四猿も含め、上掲のような本も出ていますので、調べてみると面白いかも知れませんね。ちょうどよい、夏休みの自由研究のテーマではないでしょうか?

増刷と重版

どんな業界にも、その業界特有の用語というものがあると思います。自分たちは常識のように使っているけれど、業界外の人にはチンプンカンプン、日本語を話しているとすら思ってもらえない時もあるのではないでしょうか? そんな中、出版業界は比較的意味不明の専門用語、業界用語は少ないのではないかと思うのですがいかがでしょう?

で、今回は「重版」と「増刷」です。とりあえず読み方はそれぞれ「じゅうはん」「ぞうさつ」です。この両者、ほぼ同じ意味ですが、使い分けている出版社があるのか、それはわかりませんが、この二つの単語でググってみるといくつかヒットしますので、この二つの単語の意味が同じなのか異なるのか、気になっている人はそれなりにいるということですね。

違いについてはググった結果を参照していただくとして、基本的には、どちらも本が売れて在庫が少なくなり(あるいは無くなり)、さらに追加印刷することを指します。新聞などの広告にも「重版出来」なんて言葉を見かけることがあると思いますが、それは追加印刷されたものが出来上がってきました、という意味です。

さて、業界の人間は増刷だろうと重版だろうと同じ意味だとわかって使っていますが、問題は受け手です。読者の方に「増刷」という言葉と「重版」という言葉はどちらの方が「売れている感」が伝わるかということです。

なんだよ、同じ意味だろ、と言われれば、その通りです、と答えるしかありませんし、意味が同じだということを知っている読者には愚問でしょう。しかし、それでもまだ多くの人がこの両者の意味が同じだとわかっていない、あるいは「何か違いがあるのでは?」と思っている現状からすれば、たぶん受ける印象も異なっているのではないかと思います。

そして出版社としてはできるだけ「売れています」ということを伝えたい、訴えたいわけですから、「重版」と「増刷」とで受け手である読者への伝わり方に差があるのだとすれば、それは広告などにおいても重視しないとならないだろうなあと思うのです。

で、実際のところ、どっちの方が売れている感を感じるのでしょうか?

目録の役割

出版社はどこもたいていは自社の出版図書目録を作っています。その出版社で出している本がすべて載っているカタログなわけですが、あたしの勤務先も毎年作っています。そしてウェブサイトなどで「今年の目録できました」などと告知をすると、営業部には読者の方から「目録が欲しいのですが…」とか、「カタログ送ってもらえますか?」といった電話が増えるようになります。

基本、目録は無料ですから、住所氏名を教えていただければ、そこへ送っていますが、昨今はこういった出版目録を紙媒体では作らなくなっている出版社が増えているようです。確かに、書籍の場合は「売るもの」ですから、何部作って何部売れればどれくらいの儲けになるか計算できます。でも、無料で配布する目録は、どのくらい作ろうと一円の儲けにもなりません。むしろ送料がかかるし、そもそも制作費がかかっていますから、手にした読者の方が何冊も本を買ってくれないと、とても見合うものではありません。ですから、インターネットが発達した現在、同じ情報ならネットを検索すれば手に入るわけですから、紙媒体では作るのをやめるという出版社が増えるのも十二分に理解できることです。

そこであたしの勤務先ですが、いまのところ紙媒体の制作をやめるという予定はありません。もちろん、こういうご時世ですから未来永劫、紙媒体の目録を作り続けるのかどうか、それはわかりません。が、当面は作り続ける予定です。なにせ、それなりに欲しいという読者の方いらっしゃるのが最大の理由です。

現在は、確かに上述のようにネットでほぼ同じ情報は手に入ります。カバー画像(装丁)などは、紙媒体の目録だと白黒になってしまうところ、ネット(ウェブサイト)ではカラーで見せることができますし、本によっては数ページのサンプルを見せている場合もあります。目次やまえがき、あとがきの一部を公開している場合だってありますから、むしろウェブの方が情報量としては多いと言えます。少なくとも紙媒体の方が情報量が多いということは、一点ごとで見ればありえません。

が、こういう目録を欲しがる人、勝手な推測ですが、電話をかけてくる方の話しぶりなどを聞いていると、ほぼネットはやっていない感じです。自宅にパソコンはあるけれど、家族が使っているだけで自分は使い方もわからない、という感じが電話越しに伝わってきます。ケータイすら持っていないような気がします。自宅の固定電話からかけてくる方が多いです。いずれも統計的な結論ではなく、あくまであたしの体験から来る推論ですが……

で、そういう方は、当然ネットで調べられるということを伝えたって意味がありません。紙の目録じゃないと調べられない、仕えないという人たちです。たぶん、コミックとか雑誌とかの目録であれば、ネットを使いこなしている人も多いのでしょうが、あたしの勤務先から出しているような本の主たる読者の方は、まだまだネットよりも紙、パソコンよりも紙、そういう方が多そうです。読者カードなどからうかがえる年齢も非常に高いですし……。そういう読者の方々に支えられている限り、そう簡単に紙の目録をやめるわけにはいきません!

さて、あたしですが、自分の勤務先はともかく、他社の目録は配布されていたらもらいますか、と聞かれたら、「最近はめっきりもらわなくなった」と答えてしまいます。こうしてネットを使っていますので、紙でなくとも調べられるからです。ですから、これほどネットが普及する以前は、目録は見つけるともらって帰るくらい、よく集めていました。

ところで、こうした目録、なぜそうなのか、もちろん理由は納得できるのですが、個人的には「どうして品切・絶版のものは載っていないのだろうか」と思います。納得できると書いた理由は言わずもがな、創業数年の出版社ならいざ知らず、ある程度の歴史を持つ出版社の場合、品切れや絶版の本まで載せていたらページ数があまりに分厚くなり制作費がかさんでしまうからです。それでもなくとも無料配布が基本の目録ですから、作り続けるとは言ってもできるだけ経費は少なく抑えたいのが出版社側の本音です。

とはいえ、文庫や新書などの目録の中には巻末に「品切れ・絶版書目一覧」などが載っているものもありましたし、それはそれで重宝していました。あたし個人としては、この品切れ、絶版のリストが役に立ったものです。でも、紙の目録の延長だからなのか、各出版社のウェブサイトで品切れや絶版の書籍まで検索できるところはほとんどありませんよね。なんででしょう?

紙ならページ数がかさむという理由でしょうけど、ウェブサイトの場合、ウェブサーバーの容量の問題さえなければ、品切れや絶版を載せるのに問題はないと思うのですが、なぜでしょう? 以前、勤務先の先輩から「品切れや絶版を載せてしまうと、それを注文してくる読者がいるから」という理由を聞いたことがありますが、それは「品切れ」とか「絶版」と表示すればよい話で、読者はそこまでバカじゃないと思います。もちろん、数百人に一人くらいは「とはいえ、一冊くらいは残っているのではないか」と思って電話をかけてくる人もいるかも知れませんが、それは「もう残っていません」と応対すればよいだけのことです。

むしろ本好きにとっては、品切れや絶版も検索できるの方がありがたいです。なぜなら「その本が確かにその出版社から出ていた」ということがはっきりすると共に、正確な書名、著者名、刊行年などがわかるので、古書を当たるにしても格段に精度が高まるというものです。それが本好きには非常にありがたいわけで、紙媒体では無理でも、ウェブサイトでは対応してくれる出版社が増えるといいなあと思います。

あたしのこの意見、あたしの独りよがりではない証拠に、このたびネット書店のいくつかで、あたしの勤務先の創業以来の出版物総目録を配信したところ非常な反響がありました。やはりこういうの需要があるのですね。

『白水社 百年のあゆみ』
紀伊國屋書店
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上記にリンクを貼っておきますので、ご興味をお持ちの方は是非どうぞ!