指導者としては有能? 無能?

戦後70年だからというわけではありませんが、いや、そういうわけだからなのでしょうが、このところ第二次世界大戦関係の本を続けざまに読んでるなあ、という気がします。

  

やはり主役の一人であるヒトラーは関心を持たざるを得ないのですが、『第二次世界大戦1939-45』にせよ、『ヒトラーとナチ・ドイツ』にせよ、読んでいると、ヒトラーって有能な指導者だったのだろうかという疑問がわいてきます。

もちろんカリスマ的な存在で、歴史上の重要人物であるということは間違いないと思います。良くも悪くも(「良くも」は無い?)歴史を作った人ではあるでしょう。しかし、上記のような本を読んでいると、戦争指導者としても政治家としても、どれだけの手腕を持っていたのか、そこに疑問を持たざるを得ません。

確かに第一次世界大戦後の疲弊したドイツを立て直し、失業率を改善したという実績はありますが、それも上掲の本を読んでいると必ずしもヒトラーの功績ではなく、前任者たちがまいた種がヒトラー政権の時になってようやく花開いたらしいのです。ヒトラー自身に明確な政策というものがあったのか、はなはだ疑問です。

いや、政策というのであれば、反ユダヤ主義をはじめいくつか挙げられますが、それがドイツという国舵取り役として正しい政策だったのか。歴史のその後を知っているわれわれには「間違っていた」ということは簡単ですが、確かに当時のドイツ人の欲するところではあったわけで、それをうまくすくい取り、言葉にし、明確な目標・政策とした手腕は並々ならぬものがあったでしょう。そこまでは認めざるを得ません。ただ、それ以外の政策となると、彼は何をしたのでしょう?

ドイツの生存のために東欧へ勢力圏を広げるという方針は、当時としてはまだ「アリ」だったと思います。特に反ロシア、反ボルシェヴィキという点では英仏の支持や協力も十分得られたのではないかと思います。にもかかわらず西の方、フランスへ兵を進めるということもやってしまう点において、深謀遠慮と言いますか、先の先を見通す目を持っていなかったのかな、と思います。

ナチ政権は閣議というものを開かなかったようで、すべてはヒトラーの一存、ひらめき、思いつきで決められていったようで、途中からはほとんど「狂気の沙汰」の連続、とても兵法のいろはがわかっているとは思えないような指示ばかりになりますので、彼が軍事指導者としては二流、三流であったことは間違いないと思います。なので、せめて政治家としてはどうであったのかと考えても、めぼしい成果を挙げられないのです。

いや、数冊の本を読んだだけの付け焼き刃な知識ですから、これくらいでナチを語ってはいけないのかも知れませんが……

女の子だけがかかる呪い

WOWOWで放送された「劇場版 零」を視ました。元はゲームだそうですが、ゲームの方を知らないので、ゲームと比べてどうなのかということはわかりません。

 

で、ストーリーです。舞台は田舎というか地方都市の郊外、森の中にあるミッション系の全寮制女子高校です。クラスにあやという美少女がいるのですが、ある日突然自室に籠もり出てこなくなります。それ以来、クラスメートの女子が一人、また一人と失踪してしまい、クラスメートはあやの呪いだと噂し合います。

そういう噂が流れるには原因があって、この女子校には言い伝えがあり、それはかつて好き合っていた女の子同士が大人に引き裂かれそうになり心中事件を起こし、一人は死んだのですが、もう一人は生き残ってしまったという事件で、それ以来、死んでしまった少女の幽霊がこの町を彷徨し、女の子に呪いをかけ続けている、というものです。そして、好きな女の子の写真に、夜中の12時にキスをするとその呪いにかかってしまうというものです。

で、失踪した少女たちは全員あやの写真にキスをして、その後失踪していることから、部屋に引き籠もっているあやが密かに呪いをかけているのだという噂が広がったのです。が、クラスメートの一人、みちが部屋から出てきたあやと話をすると、その写真はあやのものではないと言います。あやそっくりの写真の少女は誰なのか? そして失踪した少女たちの行方は、という謎をはらんで後半へ突入です。

まずは失踪した少女たちの水死体が相次いで見つかります。ここからは一気にエンディングへ行ってしまうのですが、つまりは中村ゆり扮するシスターの犯行だったというのがオチ。なんでシスターがそんなことをしたかというと、彼女には知的障害活身体障害の弟がいるのですが、彼が毎日のように学園の貯水池のようなところへ花を投げ込んでいて、底に少女の死体が沈められているのに気づきます。この姉シスターはてっきり弟が犯した殺人だと思い込み、貯水池へ近づこうとする少女たちを殺していたというわけ。

なんで少女たちが貯水池に近づいたかと言えば、ここはやはり呪いなんでしょうね、貯水池に沈められた少女の霊に呼ばれていたからでしょう。たぶん、人知れずここに沈められ供養もしてもらえていないため、誰かに救い出して欲しかったのだと思います。なんか、ちょっと哀れです。

この少女があやとそっくりなのも最後に謎解きがあります。かつて一人が死に、もう一人生き残ったという心中事件、生き残ったのが園長シスターだったのです。園長はその後死んでしまった少女の霊に苦しめられ、誰かを生け贄として差し出せば救われると思い込み、幼いあやとその双子の姉を学園に引き取り、姉の方を貯水池に突き落として殺したのです。それを目の前で視ていたあやも一連の事件の中で過去の忌まわしい記憶を取り戻し、最後はあやと再び巡り会った姉もようやく成仏します。

結局、呪いはあったようですが、現実に起こっていたのは生身の人間による殺人でした。まあ、この手のホラーは多かれ少なかれそんなオチになるのが常道ですが。

さて、本作はどんな人が見るのでしょう? 原作となったゲームファンは、たぶんブーイングの嵐ではないでしょうか? だとすると美少女好きな男子が視るのか? それとも百合的なストーリーに憧れる女子が視るのか? 人里離れた全寮制女子高校が舞台というのは、ちょっとそそるものがあるのは確かです。それに出てくる少女たちもなかなかカワイイ女優さんが多かったです。全員がとは言いませんが、数年後には映画やテレビドラマでよく見かけるような女優さんになっているのではないでしょうか?

が、しかし、主演の中条あやみがいいですね。少女たちの中でひときわ目立つ神々しさ。前半は呪いの主人公としての存在ですが、その非生物的な魅力というのでしょうか、いわゆる「この世のものとは思えない」美しさがあります。後半の謎解きをしていく展開では、芯の強い血の通った女のを好演していると思います。ハーフだそうですが、いわゆる「ザ・美少女」という感じです。実は以前視た「渇き。」も、主演の女の子が美少女という触れ込みでしたが、演じた小松菜奈にはそれほど美少女を感じなかったので、本作はどうなのだろうと思っていたのですが、こちらはアタリでした。(小松菜奈も「渇き。」では「美少女」ではなく「魔性の少女」という設定でしたっけ?)

あと、弟想いが昂じておかしくなってしまう犯人のシスターを演じた中村ゆりもかわいくて好きな女優さんです。

モニュメンツ・メン

今朝の情報番組で、映画「ミケランジェロ・プロジェクト」が、11月にいよいよ日本公開と報じていました。

ミケランジェロ・プロジェクトって聞いても、たいていの日本人は知りませんよね? ウキペディアにも映画作品として立項されていますが、歴史事実についても書かれていますので、詳しく知りたい方はそちらをご覧ください。

で、簡単に言ってしまいますと、第二次世界大戦でナチ・ドイツによって強奪された各国に美術品を取り戻す活動のことで、そのために作られたのが「モニュメンツ・メン」というチームです。

まあ、戦争において略奪はつきものですから、ナチがそういうことを行なったというのも決して不思議ではありません。まして、ヒトラーはそれなりに芸術に関心を持っていた人物だったようですから、ヨーロッパの名品を自身の手元に置いておきたいと思ったとしても不思議ではないでしょう。しかし、盗られた方としてはたまったものではありませんし、ナチ・ドイツ崩壊の過程で、それらの芸術作品がどうなってしまうのか、非常に不安だったと思います。ヒトラーみたいなタイプの人は、自分と道連れに芸術品も葬り去ろうと考えがちで、事実、そのような歴史上の人物はたくさんいるわけですから。

ところで、個人的にはこの映画、ようやく公開になるのか、という思いが強いです。なぜなら、本当に日本で公開されるのか、ずいぶんと危ぶまれた時期もあったからです。リンクを貼ったページに、そのあたりの事情やこの作品の解説が載っていますので、興味がおありの方はどうぞ。

さて本題と言いますか、大切なお知らせですが、この映画の原作は『ナチ略奪美術品を救え』です。はい、あたしの勤務先の刊行物です。なかなかよいお値段ですが、そもそもがこんな大作映画になるというような娯楽作品ではなく、モニュメンツ・メンの活動を丹念に追った歴史ノンフィクションなのです。

 

ナチ・ドイツと略奪美術品と言いますと、先日このダイアリーでもご紹介した『ナチスの財宝』がありますが、同書は戦後から現在に至る、ドイツのトレジャーハンターのお話で、モニュメンツ・メンの活動を追ったものではありません。それでもナチスと略奪美術品について大まかなところは理解できると思います。またこれ以外にも、ナチと略奪美術品についてはいくつか書籍も出ていますので、書店でフェアをするのも可能だと思います。

 

ちなみにあたしの勤務先からですと、『ユダヤ人財産はだれのものか』『ヨーロッパの略奪』といった書籍がございます。

毎年この時季になると自分が結婚できない理由を深く自覚させられるのです

お盆休みです。サービス業など、休みでない社会人も数多いと思いますが、この時季に働いている人と働いていない人、実際はどのくらいの割合なのでしょうね? 大企業などでも、一斉休暇はなくて各自がそれぞれの予定に合わせて取る、というところも多いのではないでしょうか?

さて、それでも盆暮れは日本人の大移動シーズン。テレビのニュースでは(関東の場合)、東名高速をはじめとした各高速道路の渋滞情報、東京駅発着の新幹線の混雑情報、羽田発着の飛行機の搭乗率など、ほぼ必ずトップで取り上げられています。高速の場合は、局の車に乗ってリポーターが渋滞中の高速を進む車の中やサービスエリアから中継、東京駅のホームで列を作っている家族連れにインタビュー、羽田や成田からもインタビュー映像が届きます。

そういうインタビューを見るたびに、「ああ、あたしはやっぱり結婚できないよなぁ」と感じます。

まず、両親の田舎というものがほぼないので、盆暮れに渋滞を乗り越え帰省するという習慣がありません。だから、あんなに混雑した中、荷物を持ち、もみくちゃにされながら電車や飛行機に乗るなんて、考えただけでもゾッとします。あたしにはとてもできないと思います。

もちろん、結婚相手が東京の人であれば、帰省などと大げさに考える必要はないわけですが、そんな都合よく相手が見つかるのでしょうか? それにたとえ東京や近郊に実家があっても、この数十年「帰省する」という行為自体と無縁に生きてきたわけですから、距離の遠さや近さもあまり関係ない気がします。はい、他人の家へ行くのが好きではないのです。

さらにテレビのインタビューなどを見ていて思うのは、しばしば親が口にする「ずっと仕事が忙しかったので、少しは家族サービスをしないと…」とか、「子供に夏休みの想い出を作ってやらないと…」といったセリフの多さです。いや、テレビ局としてはいかにも円満な仲良し家族を演出するためにもそう言わせている、そういう答えだけをオンエアしている面はあるかと思いますが、忙しい仕事の合間のささやかな夏休みに、体を休めることもできず、ラッシュと同じような満員電車に揺られて帰省しなければならないお父さん、お母さん、気の毒だなと思います。

「子供のため」という気持ちはわかります。あたしだって子供は好きですから、そういう気持ちはよーくわかります。でも気持ちはわかっても体がついていかない。悲しいかな、それが現実です。もちろん、財布の中身だって、ついていかないどころか、とうの昔に落伍しています(汗)。

盆暮れに、テレビでこういう報道を見るたびに、「羨ましいなぁ」という気持ちよりも、「あたしには無理だ」という諦めの気持ちの方が強く感じられるこの数年です。

乃木T

8月はまなったんの誕生日です。

「まなったん、って誰?」というのが大方のご意見かと思います。それもごもっともです。まなったんとは乃木坂46のメンバーの一人、秋元真夏のことです。そのまなったんは8月が誕生月で、生誕Tシャツが公式ウェブショップで発売され、ついつい買ってしまいました(汗)。

それが上の写真です。正面には「あざとくないもん」という言葉と共にハートを射貫く矢が描かれています。乃木坂一の釣り師と呼ばれるまなったんらしい柄です。

上の写真は後ろです。「MANATSU AKIMOTO」という名前に、「22」は今年の誕生日で22歳になることを表わし、その下に「1993.8.20」と誕生日がプリントされています。色は鮮やかなピンク、これもまなったんらしいです。

ちなみに、まなったんの好敵手、まいやんこと白石麻衣も同じく8月20日が誕生日なんですよね、一年違いですが。

乃木ホラー

午後には突然の土砂降りになった東京ですが、今日からの盆休み、初日は自宅でのんびりと映画鑑賞です。視たのは「死の実況中継 劇場版」「デスブログ 劇場版」「杉沢村都市伝説 劇場版」の三作品。いずれも乃木坂46のメンバーが主演のホラー映画です。ただし、三つ目の伊藤寧々は既に卒業していますので、現時点ではメンバーではありませんが。

  

まずは「死の実況中継」から。

能條愛未扮する主人公は大学出映画サークルに入り、ホラー映画を撮ることになりました。が、彼女は乗り気ではありません。そもそもサークルに入ったのも高校以来思いを寄せている先輩と近づきたかったからという、かなりうぶな設定です。その一方、彼女は高校時代にイジメに遭っていて、そんな中、ただ一人味方になってくれた友達が自分の代わりにイジメの標的とされ自殺未遂を起こしたことがトラウマとなっていて、今もその友達と一緒に暮らしている(ルームシェア?)という状況。

そんな中、赤い服を着て、貞子のように長い髪に顔を隠した女性が包丁を持って襲ってくるという死の実況中継サイトに自分が映っているの発見します。ところがそれは最近大学の友達との時間が増えて、自分との時間が少なくなったことに嫉妬した、例の自殺未遂のルームメイトの悪ふざけだったのです。

が、悪ふざけだと思った刹那、もう一人、赤い服を着て包丁を握りしめる女が現われます。助けに来てくれた憧れの先輩もその女の手にかかり、やはり助けに駆けつけた大学のサークルの友人、ルームメイト、そして主人公の三人で逃げまくり、最後はその女をビルの屋上から突き落としてジ・エンド。

が、いまひとつストーリーが飲み込めません。あたしは最後まで嫉妬に駆られたルームメイトの気持ちが赤い服の女となって現われた、つまり生き霊という設定なのかと思っていました。だからこそ、最後のシーンで赤い女が突き落とされるのとほぼ同時にルームメイトも命を亡くすのだと思っていたのです。二人がそれほどの依存関係にあったことは作品中でも触れられていましたから。ところがルームメイトの抱きしめて泣いている主人公の背後に、突き落とされた死んだはずの赤い服の女が映ります。それでエンディングです。やはり赤い服の女は実在(?)していて、ルームメイトの嫉妬心などとは無関係の存在だったのでしょうか? だったら、なんで執拗に主人公を狙うのか?

続きまして「デスブログ」です。主演は中田花奈です。

ちょっとオクテではありますが平凡な高校生活を送っていた主人公ですが、密かに憧れていた先輩から告白され有頂天に。そんな日常を綴っていたブログに、田中と名乗る人物がコメントつけてくれました。最初は喜んでいた主人公ですが、ブログに登場した人物が次々と通り魔に襲われ、重症を負ったり死亡したりします。もちろんブログ上では姓名などは出さず、イニシャルで書いているのに、です。そして田中と名乗る人物のコメントは、さも自分が犯人であるかのような書きぶり。

さあ、ここから後半戦。主人公は自分がストーカーされていると思い込み、だんだんと精神の均衡を失っていき、体調もボロボロになっていきます。心配してくれる友達のことも信じられなくなり、そんな思いをブログに書いてしまうと、案の定、その友達が通り魔に襲われます。そして最後は、妹まで襲われ(ただし、妹はブログには登場させていません)、主人公は無残にも殺された妹を抱きしめ泣きじゃくり、茫然自失の体で街を彷徨いへたり込んだところでジ・エンド。

この作品は、突っ込みどころが満載です。まずは妹と二人暮らしなのか、両親が死んだのか海外赴任中なのかわかりませんが、とにかく主人公と妹が住む部屋に両親の影がまるで見えない不自然さ。次に、そりゃ得体の知れないストーカーの恐怖でしょうが、だったらなおさら警察などしかるべきところへ相談に行くべきなのに、主人公はそれもしない。もちろん精神が崩壊しているのに、精神科へ行くようなこともないです。あくまで自分が正常で、周囲がおかしいと思い込んでいる始末。最後に妹が惨殺されたのに、そして殺された直後だということはわかる状況なのに、救急車を呼ぼうとしないでただ泣くだけ。確かに愛する家族を奪われたら気が動転してしまうのは理解できますが、発見した時点ですぐに救急車を呼んでいたら一命を取り留めることは可能だったのではないかと思われます。

以上のような、常識で考えておかしなところが満載の作品ですが、結局、コメントを残していた田中という人物は誰なのか、足して田中が通り魔なのか、そういった謎は謎のまま残る作品で、これは反則ではないでしょうか? 「死の実況中継」の方も謎が残っていると書きましたが、屋上から突き落とされても死なないようですから、これは完全な化け物と見なしてよいでしょう。それに対して、こちらの作品の通り魔はまるでわからないままです。あるいは主人公が二重人格的な存在で、もう一人の自分が犯罪を犯しているというのであれば、やたらと主人公の周囲の人間関係に詳しいことも納得できますが、作品中にそういう可能性を見いだすことはできません。消化不良感ばかりが残る作品です。

そして最後は「杉沢村都市伝説」です。主演は上述の伊藤寧々です。

主人公の兄が友人二人と杉沢村伝説を追いかけていて、三人でそんなウェブサイトも作ったりしています。そしていつもようにな取材旅行に行っていたはずが、仲間の一人が突然主人公のところへ現われ、兄が待っていると告げ、姿を消してしまいます。主人公と兄の恋人の二人は、その仲間が残していったリュックの中の資料を頼りに、兄たちが向かったと思われる杉沢村へと向かいます。途中、今は使われてなさそうなトンネルに入っていくと襲われてしまい、気づくと二人は手足を縛られて、とある民家の座敷にいました。縄をほどき、ここがどこなのか思案していると押し入れの中に隠れていた兄と再会。そして三人で逃げようとするのですが、何者かに襲われ、兄の恋人は絶命。何とか妹だけでも助けようと兄は必死に村の外れまで妹を連れて行きます。妹が村の境となっている鳥居をくぐり振り向くと兄の姿はなく、妹は途方に暮れてジ・エンド。

三作品の中ではこの作品が一番よくできていると思います。つまりは異界、迷宮に入り込んでしまったわけですよね。サイレントヒルのよう、と言えばわかるでしょうか?

 

その異界の村(ここが杉沢村なのか否かは最後まで不明)では、毎夜殺人鬼が村人を殺し回っているらしいのですが、その殺人鬼、まるで「八つ墓村」の三十二人殺しの犯人のようです。これは怖いというよりも笑ってしまいます。

ついつい手が伸びる小冊子

書店でのフェアではしばしば小冊子が置かれていることがあります。出版社が作ったものものあれば、書店さんが作ったもの、かなりお金のかかっていそうなものから、手作り感あふれるものまでさまざまです。こういった小冊子がよくはけるフェアはフェア自体もそれなりに盛り上がるものです。

「でも、小冊子って、結局もらっても、その後、見るの?」という疑問がわくのももっともです。確かに、持ち帰ったはいいけれど、どっかに行ってしまったチラシや小冊子も数え切れないほどありますが、自分の勤務先のフェアの参考にしたり、興味のあるフェアの場合、フェアが終わった後に、小冊子を参考に本を購入したりすることもあります。

そうです。小冊子にフェアの書目が載っていると、フェアが終わった後でも「あのフェアで見かけた本、どこの出版社の何ていう本だったっけ?」という疑問にもすぐに答えが出るので重宝します。

多くの書店の方曰く、フェアを終了すると「この前まであそこに並んでいた本、もうないの?」というお客様からの問い合わせが必ず数件はある。そういう時でも、小冊子があれば、お客ならフェアが終わっても本屋で探す手掛かりになりますし、問い合わせを受けた書店の方も探しやすくなるというものです。

そんな小冊子、最近手に入れたものはこちらです。

まずは、紀伊國屋書店新宿南店5Fでやっていた、『本を読むときに何が起きているのか』フェアです。あたしの勤務先の『テヘランでロリータを読む』も選書されていました。

 

山本貴光さんによる小冊子がVol.1からVol.3まで置いてありました。これは非常に手作り感のあふれる冊子です。新宿南店以外の書店でもやっているのではないでしょうか?

続きましては、小冊子ではなくチラシです。こちらは出版社がきちんと印刷したものですね。佐藤優さん選書による、文春新書の「戦後70年」フェアのチラシです。

このチラシの工夫している点は、単に佐藤さんが選んだ文春新書だけを並べたのでは宣伝物に堕してしまうので(←いや、フェアの冊子やチラシはすべからく宣伝物ですが……汗)、中を開くと関連年表になっているところです。もちろん年表の事項に関連する文春新書があれば、ちゃんと書いてあるところはさすがです。

でも、こういう感じですと、たとえば歴史の順番に読んでいこうと思うときの手掛かりにもなりますし、「ああ、これについても本が出ていたんだ」と新しく発見するところもあるでしょう。

やはりお客様に持って帰ってもらえるチラシや冊子、これからも工夫して作っていきたいと思います。

それぞれの海外文学入門フェア

苦手という人が多い海外文学。ファンタジーや推理・ミステリーはコンスタントに売れるのに、いわゆる純文学と言いますか、いわゆる海外文学はなかなか手が伸びないのが実情のようです。そんな状況を少しでも改善しようと、この夏提案している海外文学のフェアですが、今回は二店ほどご紹介します。

上の写真は紀伊國屋書店新宿本店です。二階の海外文学コーナの平台で展開中ですが、既にガタついていて数冊売れているようです。こちらのお店の場合、今回のような<入門>的な海外文学ではなく、本格的なものが日常的に売れているわけですが、夏休みになると、そういうコアなお客様だけでなく、たまたま来たから覗いてみた、という海外文学初心者の方も増えるでしょう。こういう手に取りやすい作品を目立つところに置いてみるのは、新しい読者開拓になるのではないかと思います。

続いては、あえてBOXではなく、棚で展開しているフェアです。新百合ヶ丘エルミロードにある有隣堂です。こちらは紀伊國屋書店とは異なり、日常的に売れるのは日本人の作家の作品のようです。だからこそ、時にこういう風に海外文学のフェアを織り交ぜで、お客様に新しい提案をしていくことが必要なのだと思います。ただ、そういう時に、いきなり分厚くて読みごたえのある海外文学では手も伸びないでしょうから、こういう作品でまずはウォーミングアップをしていただくのも一つの方法だと思います。

さて、両店の海外文学フェア、この夏、一人でも二人でも海外文学のファンを増やすのに貢献できれば嬉しい限りです。

広島と長崎、そして杉並

昨日のダイアリーで長崎の平和像について書きました。ここで一つ、あたしは正直に申し上げなければならないことがあります。それは小さいころの気持ちについてです。

小さいころと言っても小学生のころの気持ちなのですが、当時のあたしは広島が嫌いでした。別に悲惨な被爆の展示を見て嫌悪を覚えたというのではありません。ちなみに、最近はそういう理由で展示内容を見直すという動きもあるようですね。

確かに子供には衝撃的で、刺激がきつすぎるかも知れませんが、だからといって目を背けてよいものか、子供だからこそ見せた方がよいのではないか、という気もします。少なくとも、子供にも耐えられるように展示物を改竄するようなことだけはやめてもらいたいところです。

閑話休題。

はい、あたしはそういう展示物を嫌いになったわけではありません。ただ単に、広島に対して虫が好かない、という感情を抱いていたのです。その依って来たるところは、その当時のあたしには、広島が被爆したことを自慢しているように感じられたからです。「どうだ、すごいだろ」と他の都市に対して声高に訴えているように小学生だったあたしには感じられました。

なんでそんな風に感じたのか? 小学生ですから、政治的にどうだ、思想的にどうだ、といった背景があったわけはありません。家庭環境が原因かと問われても、取り立てて政治活動に熱心な家庭ではありませんでし、そういった話題が食卓に上ることもない環境でしたので、これも違うと思います。

子供心にそう感じたというのは、どこかに、当時の広島の核廃絶、原水爆禁止の運動にそういった鼻持ちならないところがあったからなのでしょうか? ですから、当時のあたしには、そういうことをこれ見よがしに訴えない長崎が非常に好ましく感じられたのです。

もちろん、「(当時の幼い気持ちのままに表現するなら)広島って、むかつく」という気持ちはあっても、だからといって核兵器の存在を認めたりしたわけではありませんし、核兵器なんてなくなればよいとは思いますが、当時のあたしがそんなことまでわかっていたのかは疑問です。

そう言えば、中学のころでしたでしょうか、学校で(東京の杉並区立の中学校です)原水爆禁止の署名活動がありました。学校や先生主導ではなく、親にたきつけられた生徒数名が中心になってクラスメートから集めていたと記憶しています。後になって原水爆禁止の運動が杉並から始まったと聞きましたが、そういう運動と関連があったのか、それはわかりません。ただ、当時のあたしは、そういう活動に胡散臭さを感じ、書名を断わったことを覚えています。

やはり、あたしがズレていたのでしょうか?