8月 2015のアーカイブ
狂ってる? そうかもね!
紀伊國屋書店新宿本店でこんなフェアが始まっています。
【2階文学】昨日スタートのブックフェア『マッドブックス 怒りの書店ロード 〜お前のMADが目覚める本〜』本日はフェアの様子を公開!約80点のMADに振り切れた本たちが土煙をあげるそこはまさにデスロード!2階文芸書売場フェア台にて。KF pic.twitter.com/Z2ZGNHw6Ov
— 紀伊國屋書店新宿本店 (@KinoShinjuku) 2015, 8月 11
わかりますか? あたしも見てきました!
2階、文芸書コーナーでやってます。
もちろん、あたしの勤務先の刊行物も選書されています。
『2666』です。さあ、狂いましょう?
問い合わせ増加につき増刷決定
今日のネクタイ~壹佰拾肆本目。~[2015.8]
久しぶりに販売促進的なネクタイです(笑)。
『印刷という革命 ルネサンスの本と日常生活』が間もなく配本ですので、それに合わせて古書のページをデザインしたようなネクタイをしてみました。いかがでしょう? えっ、よくわからない?
では、拡大するとこんな柄です。何語が書いてあるのでしょうか? わかりますか? でもヨーロッパの古い図書館なんかに行くと置いてありそうな本のページですよね? というあたしは、ヨーロッパに行ったことはありませんが(爆)。
そんなことより、ブラウスが気になりますか? 風神雷神です。こんなブラウスを着ているか、このところの東京は天候が不順なのでしょうか? と、仲良しの書店員さんに言われました(汗)。
背中はこんな感じで、入れ墨のように全面に雷神です。
今日の配本(15/08/17)
こんな関連書籍はいかが?
本日の朝日新聞読書欄から。
新潮社から吉村昭の戦争作品集が刊行になったという記事。確かにこのところ書店を回っていても、文芸書コーナーで吉村昭の作品を良く目にします。吉村昭というと、このシリーズのように「戦争もの」というイメージを抱く方も多いでしょうが、『関東大震災』とか『三陸海岸大津波
』という作品で知っている方もいらっしゃるのではないでしょうか? 特に後者は東日本大震災以降よく売れていたという印象があります。
そんないくつかの顔を持つ吉村昭その人に興味を持たれた方にはこちら、『評伝 吉村昭』がお薦めです。吉村昭評伝の決定版と言ってよいでしょう。
続きましてこちら『ヴェール論争』です。同書は、あたしの勤務先の刊行物ではありませんが、たぶんこの本を理解するときのキーワードは「ライシテ」ではないかと思います。
ライシテと言えば、こちらの三冊が必読書です。たぶん、これ以外にライシテを扱った本はないでしょう。
『フランスにおける脱宗教性の歴史』『世界のなかのライシテ
』『ライシテ、道徳、宗教学
』です。またこの問題は、もう少し視点を変えると「シャルリ=エブド事件」とも関連してくるはずです。
あの事件も、今のところは一段落していますが、問題の本質が何ら解決されたわけではありませんので、『シャルリ・エブド事件を考える』『現代思想 2015年3月臨時増刊号
』などは、これからも必携、必読の資料になると思います。
明日から新刊続きます
今日で盆休みも終わり。
小学生や中学生はまだまだ夏休みが続くのでしょうが、最近は8月31日まで夏休みではないところも多いようですね。かくいう、あたしの姪っ子のところも、小学二年生ですが、25日だったか26日くらいから二学期が始まるそうです。そうなると、「さあ、夏休みの宿題、片づけなくちゃ!」という焦りも出てくるのでしょうか?
あたしの姪っ子が夏休みの宿題を既に終わらせているのか、まるで手つかずなのか、そのあたりは知りませんが、「サザエさん」のカツオのように、最後の二日くらいで親にも手伝ってもらって宿題を仕上げるというのは、半ばネタになっていて、実際にそんな子供がどれくらいいるのでしょうか?
あたしが子供のころは、夏休みの宿題に追われたという記憶はありません。前にも書いたように記憶がありますが、あたしは小さいころから計画的に物事を処理するタイプだったので、夏休みの宿題もきちんと計画を立てて、比較的に早めに終わらせていました。もちろん絵日記のように、毎日毎日最後までやらなければならない宿題は別ですが。
その最たるものが高校時代の夏休みの宿題で、高校時代というのは期末試験の後、終業式前の間に一週間くらいの試験休みというのがあり(←今も高校にはあるのかしら?)、あたしはその試験休み期間中に宿題を終わらせてしまうことが多かったです。終業式の日には終わった宿題を学校のロッカーに仕舞って、夏休みに突入です。もし終業式までに終わらなくても、7月中には終わらせてはいました。だいたい日々の宿題や課題も、休み時間や昼休みにやってしまって自宅には持ち帰らないというのが流儀でしたし……
閑話休題。
で、明日から仕事が始まりますが、長い休みの後にいきなり一週間まるまるというのは辛いですね。やはり肩慣らしも兼ねて、最初は3日くらいがベストです。ほら、子供のころも、夏休み明けは一週間か二週間、短縮授業だったじゃないですか! あの制度は今もあるのでしょうか?
おっと、また話がずれてしまいました。実はこの盆休み前に見本出しが続きました。3日連続でした。なので、明日から三日連続で新刊が配本になります。計6点です。新刊の刊行が集中するのは、書店での展開上あまりよくはないのですが、こればっかりは著者がいて編集という作業がある以上、営業の好き勝手になるわけではありません。やむを得ません。
ただ、今月の場合、どうなのでしょう? 皆さん、夏休みでさんざん遊んできて、体力だけでなくおサイフも相当お疲れモードではないでしょうか? そうなると、本にどれだけお金を使っていただけるのか、不安です。「良い本なら景気が悪くても売れる」というのは真実ですが、かつてほどの数字にはならないのもまた真実です。『火花』だけが本ではない、というところを見せたいものです。
THE AWAKENING
WOWOWで放送されたゴシック・ホラー「アウェイクニング」を視聴。やはりイギリスというのはこういう雰囲気が合いますね。
さて、ストーリーです。舞台は20世紀初めのイギリス。主人公のフローレンスは霊などの超常現象のインチキを暴く作家。つまりは科学的な考え方をする女性ということのようです。そんな彼女の元に、郊外の全寮制男子校の教師が、学校に幽霊が出るので調べて欲しいと依頼に来ます。そもそも幽霊などの存在を信じていない彼女は最初は断わるつもりでしたが、証拠とおぼしき写真を見せられ、結局調査に赴くことに。
その学校は、かつては資産家の屋敷だったもので、そこで男のが殺されるという事件があり、その男の子の幽霊が出ると噂されています。もちろんフローレンスはそんなことは信じず、生徒の誰かがいたずらをしているのだと推理し、いろいろな器具を校内に設置して、いたずらの証拠を見つけ、犯人を捕まえようとします。
という感じで進む前半。果たして誰か真犯人がいるのか、それとも本当に幽霊がいるのか、そこがなんとなく曖昧なまま、調査依頼に来た男性教師とフローレンスとのちょっとしたロマンスも絡め、話は進んでいきます。フローレンスがやってきてしばらくすると、学校が休暇になり生徒たちは一人を除いて皆自宅へ帰っていきます。学校に残るのはくだんの男性教師、寮母のローデ、自宅へ帰らず寮に残った生徒のトム。おかしなことがそれでも起こるので、フローレンスはトムの仕業と思い込みますが、銃を持った男性の姿を目撃したことから、しかしその男が写真に写っていなかったことで、封印していた自分の佳子を想いだしてきます。そしてストーリーは急転直下、事の真相が明かされます。
では、ここからネタバレ。この高校、元は金持ちの屋敷だったと書きましたが、実はフローレンスが生まれ育った屋敷です。住んでいた金持ちというのはフローレンス一家のことだったのです。しかし、父親が乳母と浮気をして男の子が生まれます。たぶん最初のうち、妻は乳母の子供が夫の浮気でできた子供だとは思いもしなかったのでしょうが、なにかのきっかけでそれを知ってしまい夫と大げんか。激昂した夫は銃を手に、ついに妻を撃ち殺してしまいます。それを見ていた幼いフローレンスも銃を持った父に追いかけられ、屋敷内を逃げ回ります。
隠し物置に隠れたところ、同じ物置の中に、たまたま遊んでいたのか浮気でできた男の子もいました。幼いフローレンスは、彼が腹違いの兄弟だと知らずに、幼なじみとして仲良くその屋敷で育ったようです。そんな二人が隠れていたところ、オルゴールの音が流れしまい、父親に隠れている場所が見つかってしまいます。「そこに隠れているのか」と銃を放つ父。次の瞬間、旨から血を流し、隠し物置の扉が開いて倒れ出てきたのは男の子の方でした。息子を撃ち殺してしまったことにショックを受けた父親は自分も銃で自殺。フローレンスはその後、幼女にもらわれていき、幼いころのショッキングなこの事件を記憶から消し去って生きてきたのです。
そして、寮母のローデが実は父の浮気相手であり、幼いフローレンスを可愛がってくれていた乳母だったことを思い出します。浮気は浮気として、乳母としてのローデは自分の息子と仕える主人の娘フローレンスを可愛がっていたようです。そして一人残った生徒のトムが、父親に殺された息子の幽霊だったのです。そしてトムの姿はローデとフローレンスにしか見えていなかったという次第。言われてみれば、他の生徒や教師はトムに気づいていなかったかしら?
ローデは一人ぼっちで彷徨っている息子トムに友達を作ってあげたかったと共に、息子を失い、娘のように可愛がっていたフローレンスとも引き離され、やはり抜け殻のようにその後の人生を生きてきたようです。そしてフローレンスを呼び戻し、記憶を呼び覚まして、幼いころのように、トムの友達にしようと図ったみたいです。結局、フローレンスはすべての記憶を取り戻し、トムは消え、ローデはフローレンスを道連れに服毒自殺を遂げます。フローレンスは間一髪、トムが解毒剤を飲ませてくれたので一命を取り留め、そしてジ・エンド。
ちょっと悲しい物語ですね。イギリスのちょっと昔を舞台にした、このようなゴシック・ホラーというのは、だいたいこういった悲しい物語が多い気がします。
戦後70年と言うより、アコーディオンの音
今年は戦後70年で、今日をピークにいろいろなことがありましたし、引き続きあります。たぶん、そんな中で一番の注目は戦後70年談話だったのではないでしょうか? 結果的にどうでしたでしょうか? 新聞やテレビで既にかなりの論評が出ていますが、「まあ、あんなものだろ」という予想の範囲内だったという意見が多いのではないかと思います。
個人的にいろいろ思うことはありますが、その中で気になったのは日露戦争の位置付け。談話では「日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。」とあります。確かに「あんな小さな島国の日本が超大国ロシアを破った」ということ、「日本もつい少し前に近代化を始めたばかりの後進国だったのに、やり方次第ではヨーロッパの先進国に負けない国力をつけられるんだ」という事実は、いずれも植民地支配に苦しむアジア各国の人びとに勇気を与えたのは事実でしょう。でもその後の日本の歩みが、果たしてアジアの人たちに勇気を与えるようなものだったのかは疑問です。そのあたりのことは『アジア再興』を読むとよくわかると思います。どれだけアジアの人たちが日本に裏切られたのか、ということが。
その他、戦争を語り継ごうという特集が多く見られますが、あたしにとって戦争は非常に遠い出来事です。もちろん直接知る世代ではないことはもちろんなのですが、父方・母方どちらにも戦争に行った人がいないし、誰も戦争で亡くなっていないのです。父は昭和10年生まれで、戦争当時は房総の方にある本家筋へ疎開していましたが、田舎でのんびり、のびのび育ったような話しか聞いたことがありません。母は昭和18年生まれで、新潟の山の中の農家でしたから、ほぼまったく戦争の記憶はないようです。せいぜい村に疎開してきていた人が大勢いたということくらいのようです。
というように、あたしにとって先の大戦は非常に遠いものなのです。さらに気持ちの上でも遠くしているのが、幼いころに見た傷痍軍人の姿です。これについては以前このダイアリーに書いたことがありますが、当時住んでいた巣鴨のとげぬき地蔵の地蔵通り、巣鴨駅川の入り口付近にはアコーディオンを弾く傷痍軍人の姿がありました。余談ですが、だから、あたしはアコーディオンも嫌いなのです。どうしても好きになれません。
この腕や足のない初老の男性たち、子供心には恐怖以外の何ものでもありませんでした。もちろん当時のあたしには傷痍軍人という言葉も存在も知るよしもないですし、あの人たちがどうしてああいう姿になってしまったのか、両親に尋ねるような勇気もありませんでした。ただただ怯えていただけです。幸いに、当時のわが家はとげ抜き地蔵の高岩寺を中心に考えると、巣鴨駅とは反対側にあったので、高岩寺を越えて駅の方まで歩かなければ傷痍軍人を見ないで済みましたので、滅多に駅の方まで行くことはありませんでしたが。
で、やはり一番思うのは、今年は戦後70年というけれど、多くの識者が指摘するように戦前回帰のような空気が感じられます。戦前の日本だって戦争なんてする気はなかった人がほとんどのはずです。政治家も陸軍の中にすら戦争を目論んでいたのは少数だったと思います。それでもちょっとしたことから戦争は起きてしまうのです。第一次世界大戦が良い例です。そうならないために法律とか憲法とかいろいろな歯止めをかけているわけですから、それを一つ一つ無効化しようとしている現在の政治は、やはり戦前回帰と呼ばれても仕方ないのではないかと思います。戦後70年が新たな戦前元年にならないことを祈ります。
またドイツの戦後の歩みと比較されることも多い日本の戦後ですが、そのドイツですら、昨今はネオ・ナチがまた勢力をつけてきているわけで、『過去の克服』はそう簡単なことではない、常に心を引き締めてかからないと、いつなんどき復活してくるかわからない、油断のならない過去、決して活動をやめることのない活火山みたいなものなのではないでしょうか?
談話では「私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。」とも言ってますね。これなど、「あんたら愚かな政治家が、バカな発言を繰り返すから、いつまでたっても謝罪を要求されているんじゃないの?」と言いたくなりましたが、いかがでしょう?
図らずもシンクロ!
ようやく読み終わった『第二次世界大戦1939-45』ですが、読んでいると、ヨーロッパ人のソ連嫌いが非常に強く感じられました。なぜにそれほど嫌いなのか、アジア人であるあたしには理解しづらいのですが、『クリミア戦争』を読んだときにもそれは感じられました。
とにかく西欧の人たちはロシア人が嫌い、チャーチルなどの言動を見ていると、ソ連がヨーロッパに寝室してくるくらいなら、まだナチス・ドイツの方がマシとでも言わんばかりです。それほど嫌っているロシアに対し、『第二次世界大戦1939-45』になると、反共産主義、反ボルシェヴィキという感情も加わってきます。この点ではむしろ英国はドイツと同盟が組めそうなくらいです。
それはさておき、第二次大戦末期、ソ連がドイツへ侵攻してくるくだりでは、ドイツのいろいろな地名が出てきます。そして同時並行的に読んでいる『ネオ・チャイナ』で著者が中国人のヨーロッパツアーに参加してヨーロッパを旅するシーンがあるのですが、そこにトリーアというドイツの地名が出てきます。トリーアはマルクスの生まれ故郷です。ツアコン曰く、中国人ならトリーアへ来たがるでしょう、という趣向のようです。中国もののノンフィクションですから、マルクスに言及があってもおかしくはないのですが、ちょうど読み始めた評伝『マルクス(上)
』が、まずはトリーアの話から始まるので、奇妙なシンクロです。
なんとなく、ここしばらく、あたしの心はドイツ国内をうろちょろしている感じです。トリーアってどんな街か全く知らないんですけど、ものすごく親近感がわいています(笑)。






