自分で売ってみたい人が多いのね

今日の朝日新聞にこんな記事が載っていました。いま流行のシェア本棚ですね。各地に広がっていますが、通常の書店の中にできるのは珍しいのではないでしょうか。

それにしてもここ数十年、出版不況と言われていますが、実は細かく見ていくと活況を呈しているジャンルもあり、シェア本棚もその一つだと思います。

独立系書店が話題になるように、自分で本を選んで、それを他の人にも伝えたいという人が増えているのでしょうし、それを支持する人も確実に増えているのだと思います。

かく言うあたしは、シェア本棚にはさほど惹かれないのです。やってみたいと思わない(?)と聞かれても「別に……」「特に……」と答えて終わりです。たぶん自分自身がそこまで人と本について語り合いたいとかシェアしたいという気持ちを持っていないのだと思います。

そう言えば、かつて一世を風靡した(いまも続けている人は大勢いますよね?)読書会というのにもそれほど関心を持てませんでしたから。あたしという人間は内向的で、できればあまり人と関わりたくない、というタイプなんでしょうね。

ちょっと振り向いてみただけの……

あたしの勤務先は、プリンタとファクスとコピー機が一緒になった、いわゆる複合機というものを使っております。それぞれ別々なものを使うよりも一台で済ませた方が合理的ですし経済的なのだと思います。

その複合機が、昨日リニューアルいたしました。写真の機種が新しく導入された複合機です。これまではFujifilm(もともとFujixerox)製の複合機を使っていたのですが、昨日からはRicoh製の複合機になりました。

できることはほぼ同じです。プリンタドライバーやユーティリティーが異なるので、やはり使い勝手は異なりますので、慣れるまではちょっと面倒です。

機能がほぼ同じなので、複合機の大きさもほぼ変わりません。しかし今までのが白を基調とした筐体でしたが、今回は黒いところもあって、メカ感がましたような気がします。

一番の違いは、プリントされた用紙が機種のどちら側に排出されるのかが変更になりました。複合機なので、排出されるところがいくつかありますが、どこから出てくるのか慣れるまでは用紙を探してしまいます。まあ、何事も慣れですね。

話は変わって、今年最後に配本される3点の中の一冊は海外小説です。タイトルは『異邦人』です。

海外小説で「異邦人」と言えばカミュなのでしょう。でも、あたしの年齢ですと、カミュよりも断然、間違いなく久保田早紀です。知らない人は何のこと(?)という感じでしょうが、久保田早紀は歌手です。「異邦人」は彼女が歌った曲のタイトルです。大ヒットしました。

合法なのか違法なのかわかりませんが、YouTubeで検索すればすぐにヒットするでしょう。知らない方は是非一度は聞いていただきたい楽曲です。本書がどんな内容なのかはまだ読んでいないのでわかりませんが、間違いなく久保田早紀の楽曲とは関係ないでしょう。

ブレイクスルーとなるのでしょうか?

ここ数年でしょうか、独立系書店という言葉がすっかり定着したような気がします。この業界以外の人にも膾炙しているのではないでしょうか。

そんな独立系書店を巡る動きについて、昨日の日本経済新聞の夕刊にこんな記事が載っていました。

不景気と言われて十数年、否、数十年になるでしょうか。そんな閉塞感に満ちた書店・出版界に風穴を開けると期待されているのが独立系書店ということのようです。独立系書店が増えれば出版界の景気が回復するなどという単純な話ではないでしょうが、現在の業界において少しでも景気のよい話、将来に対する明るい話が欲しいという気持ちの表われでもあるのでしょう。

とはいえ、独立系書店というのは店主の趣味、好みを前面に押し出した選書が売りです。その店主が引退すると、その書店も閉店ということになるのだと思います。それでは近所の人たちは困ってしまいそうです。独立系書店は繁栄してほしいと思いますが、ごくごく普通の本屋が普通の品揃えで商売を継続できるような施策も考えないとならないですね。

紙媒体は賞味期限切れ?

雑誌が売れなくなった、新聞を購読している家庭が減っていると言われて久しいです。雑誌の退潮はこの業界にいれば誰でも知っていることでしょう。新聞も、わが家の近所で購読しているのは数軒だけだと思います。

本も売れなくなったとはいえ、まだ踏ん張っていますが、新聞・雑誌などの情報系はスマホなどで閲覧するネットに押され、先の見通しは相当厳しそうです。ネットでは得られない情報を提供できないとダメなのでしょう。

そんな中、数日前の新聞に「図書新聞」終刊のニュースが載っていました。来年の3月まで、年度末の区切りで幕を下ろすのでしょう。

そして本日の紙面には「日本古書通信」が年内で終わるというニュースが載っていました。どちらも業界紙的なもので世間一般的な広がりはないものの、それだからこそ業界内ではしっかり購読されていたと思うのです。それが終わってしまうとは……

売れる売れないとは別に、紙媒体で作り続けるための経費(紙代、印刷代、配達費など)が高騰し、採算が合わなくなってしまったのでしょう。しかしウェブ版もやめてしまうとは残念です。

そう言えば朝日新聞も、土曜の夕刊が先日からなくなりました。これだけの人口を抱える東京ですら夕刊をやめるというのは紙媒体全体がオワコン化していることの第一歩なのでしょう。この波が書籍にまで波及するのに、あとどれくらいの時間が残されているのでしょうか。

老兵は死なず、ただ消えゆくのみ?

本日は年に一度の人文会総会でした。今日から新しい期が始まります。

そしてあたしは、たぶん十数年務めてきた担当を退くことになりました。社内で強制されたわけではなく、むしろ逆で、あたしからそろそろ担当を代わりたいと申し出たのです。

十数年続けたと書きましたが、それはそれで悪いことではないと思いますが、やはり人文会の活動を社内の後継に渡していかなければならない、と思ったからです。

ではどうして今なのか。

別に去年でもよかった、来年でもよかった、と言われればそのとおりですので、今年である絶対的な必然性はありません。ただ、やはりそろそろというのは昨年くらいから考えていました。

あたしは来月誕生日を迎えますが、そうすると定年まで二年となります。定年延長をするか否かはまだ決めていませんが、ひとまず定年があと二年に迫っているということを考えると、いろいろなことを引き継いでいかないとなりません。

社内的なことであればまだしも、対外的なことは疎かにすると迷惑が多方面に及んでしまいます。そうなると十分な引き継ぎ期間を設けたいと思い、このタイミングで申し出たわけです。

あたしが人文会担当になった当初、YA出版会の担当も兼任していまして、どちらも研修旅行があり、しょっちゅうあちこちへ出かけていた印象があります。さすがに忙しすぎるという配慮が社内でも働き、数年後にはYA出版会の担当は別の同僚に引き継いでもらいましたが、人文会は十数年続けてしまいました。それもようやく終わり。

これであたしも余生に入るというわけです。

年を感じる……(涙)

今日は台風来襲の恐れもありましたが、なんとかやり過ごしつつ、勤務先の棚卸しでした。

真夏の暑さの中、冷房のない倉庫で在庫を数えるのは地獄ですが、毎年そんな作業です。でも今年は台風のお陰で気温の方はそこまででもなかったです。しかし湿度が尋常ではありませんでした。水筒に入れていたジャスミン茶も、あっという間に飲み干してしまいました。

ただ、そんな棚卸しを終えて自宅に帰り着くと体中が痛みます。若い頃は疲れたとしても、こういう体の痛みは感じませんでした。こんな風に腕や足腰が痛くなるなんて年ですね。そして、普段の運動不足がこういう時に影響するのでしょう。

いずれは語学書として?

昨日、このダイアリーで取り上げた「猫語」ですが、これはあくまで小説の話です。でも猫に限らず、仲間うちで音声によってコミュニケーションを取っている動物というのはたくさんいるそうです。

いま「音声によって」と書きましたが、これが「言葉によって」と言えるほどの知能を持った動物はいるのでしょうか。あるいは人間の科学が解明できていないだけなのでしょうか。

もし科学によって解明できたとして、それを語学書に仕立てることができるのであれば、《ニューエクスプレスプラス》シリーズに加えてみたいなあ、という密かな願望があります。既に「猫語」や「犬語」を謳った書籍は発売されていますが、言語学的、語学的なものではありませんから、ひとまず論外として、語学的なアプローチが可能な動物ってどれくらいいるのでしょう。カラスも鳴き方によってそれぞれ異なる意味を伝達していると言われていますし、イルカも超音波みたいなもので意思疎通を図っているとかいないとか。

あたしが死ぬまでには、そんな《エクスプレス》が発売されているでしょうか?

結局どうしたらよいのでしょう?

本日の朝日新聞、オピニオン欄に書店に関する記事がありました。

「書店のこれから」とあります。昔ながらの街の書店、大手チェーン店、そして独立系書店。あと十年もしたら日本の書店はどんな風になっているのでしょう。図書館との連繋についても書かれていますが、出版社や取次については触れられていませんね。

書店がこれからも続くか否かというのは、出版社が続くかどうかと密接にかかわる問題だと思うので、書店だけを考えていてもダメなのだろうと思います。

朝日の記事を読んでみても即効性のある解決策は書かれていません。各自が考えないとならない問題ということなのでしょう。回答の一つとして、本だけを扱うのではなくカフェなどを併設する、こだわりの選書でアピールするなどがあるようですが、つまりはこのままではやはり書店はなくなる運命なのでしょう。

さて年に三回発行している、人文会の『人文会ニュース』が今月末に発行されます。記事の一つが独立系書店についてです。これまでの独立系書店についての流れを振り返ったものになっています。

この『人文会ニュース』は主な書店の他、図書館にも送っています。ご興味のある方はお近くの図書館へどうぞ。あるいは人文会のウェブサイトでもバックナンバーをPDFで公開していますので、そちらもご利用ください

出版社、取次、書店

このところ、書店の廃業に関するニュースばかりが目に付くように感じます。もちろん業界としても由々しき事態ですので、手をこまねいているわけではないようです。

本屋が一軒もない自治体が全国でいくつもあるようですが、本屋以外にだって一件もない業種、小売店というのはたくさんあると思います。現在の世の流れから見れば、本屋の消滅だけを声高に叫んでもどうしようもないのではないか、そんな気がします。

取次としては、これだけ市場が縮んでしまうと、全国へ本を届ける配送網が維持できなくなるわけで、輸送費の値上げが喫緊の課題のようです。既に出版社も応分の負担をしていますが、さらに負担増になってくると、出版社も廃業ということになってしまうかもしれません。

ところで、ここ数年の夏の暑さは命の危険を感じると言われますが、そんな中でも会社に出社し、営業回りに出ているなんて、時代後れなんでしょうか? まさに昭和の遺物なのでしょうか? とはいえ、やはり現場を歩かないと何が求められているのか、肌感覚で理解できませんが、そんな感覚が昭和のなごりなのでしょうか。

そんなことを考えていたら、いっそのことすべて電子書籍になって、書店などを通さずにダイレクトに読者に提供すれば、書店が消滅したって問題ないし、取次の配送網の問題だって解決するし、われわれ出版社の人間が炎天下に営業回りをする必要もなくなります。これが近未来の出版界なのではないかと、そんな気がします。

そうなると取次と書店はなくなって、出版社だけが残り、ネットで電子書籍を販売する。読者は本屋に行く必要もなく、どこにいてもパソコンやスマホがあれば書籍(もちろん電子)を買って読むことができるわけです。こうなると書店がない自治体、といった問題提起自体が意味をなさなくなりそうです。

いや、本はやはり紙でしょ、という意見もあると思いますが、電子書籍ネイティブの子供たちが大人になったら、そういう感覚は薄れるどころか、持っていないかもしれません。そして紙の書籍は好事家が電子データをプリントして(もちろん用紙にも拘って)、自分の趣味に合った装丁を施し、自宅の書架に備える、そんな稀覯本ばかりになってしまうのではないでしょうか。

筑摩書房が厚い!

最近は気付くと筑摩書房の本を買っている気がします。それだけあたしの琴線に触れるタイトルが多いということなんでしょう。

そんな中、最近購入した『日中15年戦争』がかなり分厚い一冊でした。なんでもかつて他社で刊行されていた上中下の三巻本を一巻にまとめてしまっているのだとか。それでは厚くもなるはずです。

もともとちくま学芸文庫は分厚いタイトルが多い印象を持っていましたが、本書はその中でも一、二を争う厚さなのではないでしょうか。きちんと調べたことはありませんが、そんな気がするくらい分厚い一冊です。

ちくま学芸文庫に比べると薄いものが多いちくま新書ですが、こちらもここ数年は分厚いタイトルが増えているように感じます。最近ですと、『アッシリア』や『アフリカ哲学全史』などは、そもそも新書ではなく、単行本の上製で刊行すべきタイトルなのではないかと思います。

数日前の新聞記事にもありましたが、文庫が1000円の壁を突破して数年が経とうとしています。この間、読者の間にも文庫や新書が安くてお手軽という意識は薄くなり、厚みのあるものだったら、それなりの定価になるという新(?)常識が定着しつつあるようです。そうなると出版社も値段を上げやすくなりますし、それに応じて分厚いタイトルも作りやすくなっているのかも知れません。

そういう流れがよいことなのか否か、俄には判断できません。もちろん資材など諸々の価格が高騰しているので、書籍だって正当な対価をもらわなければ出版活動が成り立ちません。もともと本は安すぎた、という意見も聞かれます。その一方、文庫や新書の性格を考えるのであれば、1000円の壁突破はよいとしても、際限のない高価格化や頁数増加は一考すべきなのかも知れません。

と、他社のやり方に口を出す資格など、平気で500頁を優に超える上下本を毎月のように刊行している出版社勤務のあたしにはありませんが、分厚くなる文庫や新書に対して、筑摩書房の単行本は、ご覧のようにますます薄くなっているような気がします。

というわけで、本日のダイアリーのタイトルを見て「厚い」じゃなくて「熱い」じゃないの、と思われた方もいらっしゃると思いますが、あえて「厚い」で書いた次第です。