セルフレジ

最近はいろいろなお店でセルフレジが設置されるようになりました。コンビニなどでは必ずあると言ってもよいくらいです。気づくと本屋さんでもセルフレジを見かけるようになりました。

そこで気になるのはスリップです。セルフレジでスリップはどうしているのだろうか、と思ってしまうのです。

書籍にはスリップというものが挟まっているのをご存じでしょうか? 本屋さんで立ち読みをしているときに「邪魔だなあ」と思った経験はありませんか?

右の写真に写っている、本の上の部分から丸い頭を出しているのがスリップで、かつてはどの本にも挟まっていました。レジで会計の時に店員さんが抜き取ってしまうので、本を買ったときにももう挟まっていませんから、じっくり見る機会は少ないと思います。

最近はこのスリップが最初から挟まっていない書籍も増えてきましたので、セルフレジでスリップをどうしたらよいのかなんて悩む必要もないのかも知れません。でも本屋で見てみればわかるように、まだまだスリップが挟まっている書籍は多いです。セルフレジを使う場合、このスリップは抜き取らないといけないのでしょうか、それとも挟まったまま持ち帰ってよいのでしょうか?

このスリップについては抜き取ろうと抜き取るまいと、どちらでもそれほど大きな影響はないかも知れませんが、もう一種類、常備スリップが挟まっている書籍も本屋には置いてあります。この常備スリップって、本を買ったときにそのまま持ち帰られたらマズいと思うのですが、セルフレジを設置している本屋さんってどう対応しているのでしょうか?

今日の配本(22/05/17)

リネンの歴史とその関連産業

ジャック・ルール 著/香山学 監修/尾崎直子 訳

最古の繊維といわれるリネン。リネン産業は古代エジプトで花開き、紀元前4000年には頂点を迎えた。遺跡の壁には、リネンの花や当時の織機などが描き遺されている。プリニウスを驚嘆させたその植物から作られた布は、ミイラを包む包帯やキリスト聖骸布としても知られる。本書はリネンの歴史から特徴、栽培・繊維の準備・紡績・織布といった生地にするための一連の工程、亜麻仁油など関連する産業までを概説する。

今朝の朝日新聞より

予告どおり、朝日新聞読書欄で『一九三九年 誰も望まなかった戦争』が紹介されました。

揚げ足を取るつもりはありませんが、望んで始める戦争ってあるのですかね? 為政者にとっては自分の野望を実現するために戦争を起こす、ということはあるのでしょうけど、庶民から見たら、そんな人はいないのではないでしょうか?

でも、政府のプロパガンダに乗せられて「生意気なあの国を懲らしめろ」と国民が激昂するのは、日本でも数十年前にありましたから、やはり望んで始める戦争ってあるのかもしれません。

ロシアのウクライナ侵略に関して言えば、被害者を強調していますが、やはりプーチンが望んだ戦争なんでしょうね。そう感じます。

さて、今朝の朝日新聞にはもう一つご紹介したい、ご紹介しなければならないところがありまして、それが左の写真です。

斎藤幸平さんが登場していますね。そして、この記事の中にセルジュ・ラトゥーシュの名前が出て来ます。

ラトゥーシュと言えば、文庫クセジュの『脱成長』です。お陰様で、ベストセラーかつロングセラーになっている一冊です。斎藤幸平さんも刊行直後にご自身のTwitterで触れてくれました。

「脱成長」も昨年来、現代社会を分析する際のキーワードですね。本書の後にも脱成長をテーマとした書籍がたくさん刊行されていますから。こうして記事になっているところを見ると、一過性ではなく、いまも必須の話題、テーマなんですね。

今日の配本(22/05/06)

柔らかく搖れる

福名理穂 著

【第66回岸田國士戯曲賞受賞作品】川の音に誘われる、孤独と、後悔と、温もりと、広島に住む家族の物語。「家族の抱える症候群」を穏やかに紡ぐ、珠玉の現代口語演劇。

バナナの花は食べられる

山本卓卓 著

【第66回岸田國士戯曲賞受賞作品】僕は人を救いたいんだ……アルコール依存症の〈バナナ〉が冗舌に疾駆! アウトな奴らと咲かす、マッチングアプリじかけの探偵物語。

レーモン・クノー 〈与太郎〉的叡智

塩塚秀一郎 著

「世の中ついでに生きている」ような呑気な男たちが描かれるクノーの小説を通し、我々の通念を揺さぶる「知」や「真実」を問う。

2022年4月のご案内

2022年4月に送信した注文書をご案内いたします。

  

まずは毎月恒例の「今月のおすすめ本」です。今月は語学書篇もご案内しました。その次はロングセラーの語学書『ふだんのひとことフランス語』です。今回、新しく帯ができましたので、改めて面陳、平積みをお願いします。

  

続いては、書評後に注文が殺到して重版が決まった『日本でわたしも考えた』です。次に、新刊『オーケストラの音楽史』の刊行に合わせて重版した『指揮者は何を考えているか』です。そしていつの間にか注文が伸びていて在庫が少なくなってしまった『ニューエクスプレスプラス ウクライナ語』と『つばさ君のウクライナ語』の二点です。

  

ロシアのウクライナ侵略に関する朝日新聞の記事で、パウル・ツェランが取り上げられたので、『パウル・ツェラン詩文集』ご案内しました。また5月には沖縄の本土復帰50年を迎えるので『沖縄語の入門』『沖縄語をさかのぼる』もご案内しました。そして最後は今月も語学辞典のご案内をしました。

他者理解とは?

昨日の朝日新聞読書欄で『「その他の外国文学」の翻訳者』を取り上げていただきました。

お陰様で、同書は刊行前からSNSで話題になり、刊行後も非常に好調な売行きです。

知らない言語を知るというのは、その言葉や、その言葉を使う人たちに対する興味、関心、愛着があるということだと思います。外国語を学ぶということは異文化理解、他者理解の第一歩だと思います。

もちろん、その言語を自分では習得できなかったとしても、翻訳者によって邦訳された文学作品を読むことで理解が進むところはありますので、これはこれで大事なことだと思っています。

そんな考え方の延長にあるのだと思いますが、『ニューエクスプレスプラス ウクライナ語』も売れています。ロシアのウクライナ侵攻によって、ウクライナという国への関心が高まっているのでしょう。それはそのまま侵略側であるロシアに対する関心にも繋がっているようで、『ニューエクスプレスプラス ロシア語』も売れているのです。

というように、戦火を被っていない日本では素朴に両国に対する関心もあって語学書が売れているわけで、他者理解の第一歩なのだと考えられます。ただロシアとウクライナの現状を見ていますと、言葉を知ったからといって理解が進むのか、という疑問も湧いてきます。

親戚や家族が両国に別れて暮らしていた人も多かったように、そして侵略以前は両国の人々が素朴に感じていたように、ロシアとウクライナは兄弟のような国であり、お互いの言葉もほぼ理解できる間柄だったと思います。言葉を理解するのが相手を理解することの第一歩なのだとしたら、どうしてロシアとウクライナは戦争をしているのでしょう?

理解が進むと、こんどは近親憎悪が生まれるのでしょうか? あるいはあまりにも近くなると共通点ではなく相違点に目が向くようになるからでしょうか? 似ているからこそ、同じだと思い込みやすく、ちょっとした違いが許せなくなるのでしょうか?