自分再発見?

《エクス・リブリス》の最新刊『人類対自然』読了。

なんとも言えない読後感です。

すっきりするとか、明るい気持ちになるとか、そんなありきたりな読書感想を求めたら思いっきり裏切られます。

ただ、あたし的にはとても面白かったですし、非常に親近感を覚えました。

この短篇集、どの作品も、イヤな感じの人ばかりが登場します。よく「登場人物全員よい人」的な小説もありますが、むしろその逆です。ただ、そのイヤさ加減が絶妙で、「どこにでもいるよね、こういう人!」という感じなのです。

だから、どの作品の主人公や登場人物も、決して友達にはなりたくないし、身近にいたら警戒してしまいそうです。そして、そんなところに親近感を覚えます。たぶん、自分に通じるものを感じてしまうからでしょう。

自分のことが大嫌い、という人は、読んだらきっと短篇のどれかで自分を発見するのではないでしょうか、そんな作品です。

何度目の失敗か……

しばしば「アップグレードしませんか」というメッセージが出るものですから、日曜日に自宅のPCをWindows11へアップグレードしてみました。

現在の使用環境はWindows10で、PCの環境をあらかじめチェックするとWindos11へのアップグレードは可能であるという診断結果が出たので、やってみることにしたのです。

アップグレードを始めると、まずは二枚目の写真のようにダウンロードが始まります。回線が速くなったからなのか、比較的スムーズにダウンロード作業は進みました。

かつてのアップグレードはもっと大変な、それこそ一日がかりの作業だったようなイメージがありますが、現在はこんなに楽チンなんですね。

しばらくするとダウンロードは終了します。ここまで特に問題はなく、滞ることもありませんでした。もちろんパーセンテージの表示がスムーズに進むときと、ずーっと止まったままのようなときはありましたが、しばらく待っていれば数字が動き出します。

ダウンロードが終わると、こんどはインストール作業に移ります。とはいっても、ここまでマウスをクリックすることもなければ、キーボードのキーを押すこともないままです。パソコンが勝手にやってくれています。こちらはパソコンの前でのんびりお茶でも啜りながら待っているだけです。

インストールも無事に終わると、ピンク色の画面に切り替わり、更新作業が内部で始まったようです。

グルグル回る表示が、時々たどたどしい動きをしますが、作業自体は順調に進んでいるようです。

これもしばらく待っていると、100%まで進んで、作業は終了です。再起動されれば、めでたくWindows11にアップグレードされているというわけです。

ところが、その再起動が行なわれ、こちらは「さあ、Windows11だ!」と待っていると、画面は突然の青色。この色の画面になったときは、ほとんどの場合、何かしらトラブルが起きたことを表わします。

書いてある文章の意味はわかりますが、具体的にパソコンの内部で何が起こっているのか、いったいにどんな問題なのかはさっぱりですが、ここに至ってもマウスやキーボードで操作することはなく、パソコンが勝手にやっているだけです。

そして、パソコンが再起動すると左のような画面が現われ、「元に戻す」、つまりアップグレード作業前のWindows10に戻す作業を行なっているのです。

そして再起動されると、一時間ほどを費やしたアップグレード作業はなかったかのように、それまでと同じWindows10が立ちあがったのです。

うーん、どこが、何が問題だったのでしょう? 実は、Windows11へのアップグレード、これまでにも3回くらい試みておりまして、3回とも今回と全く同じ現象が起きています。ダウンロードはともかく、インストールの途中でエラーが出てアップグレードできないというのであればまだしも、インストールも滞りなく終わり、更新も問題なくされたと思われるのに、最後の最後にどんでん返しです。

いい加減、もうこのパソコンでのアップグレードは諦めた方がよいみたいですね。

申し訳ないことですが、同一人物に見えませんでした

『掃除婦のための手引き書』が大ヒット(?)したルシア・ベルリンの新刊が刊行されました。

今回も「ルシア・ベルリン作品集」という副題が付いていて、同じ装丁で揃っていますね。いい感じです。

あたしが『掃除婦のための手引き書』を読んだときは、なんとなく勤務先から出ていたサンドラ・シスネロスの作品にちょっと似ているなあと思いながら読みました。著者の力強い生き様に共通するものを感じたのだと思います。

そんなルシア・ベルリンですが、『掃除婦のための手引き書』が文庫になり、書店の方から「もうじき新刊も出るらしい」と聞いていたので楽しみにしておりました、それがこちら、『すべての月、すべての年』です。

最初にも書きましたが、装丁の雰囲気は揃っていますし、著者本人の写真を印象的に使っているところは同じ路線ですね。ただ、この写真の二人、よーく見ると理解できるのですが、パッと見たときには同じ人だとは思えませんでした。

写真って、写り方(撮られ方)で全然違った印象になりますが、これはずいぶんと違いませんかね? 印象的な目元、意志の強そうな表情がルシア・ベルリンの魅力なのでしょう。ほぼ自分のことを書いているとおぼしき作品世界の主人公に相応しい顔であり、雰囲気をまとっていますね。

目に青葉、山ホトトギス、初鰹

昨秋、近所のイチョウの黄葉をご紹介いたしました。東京では神宮外苑などが有名ですが、秋になると黄金色に輝くイチョウですが、この時季はこんな感じなんです。

新緑が瑞々しいです。これから夏に向けて太陽の光と熱を浴び、秋には真っ黄色に色づくのでしょう。イチョウと言えば黄葉ですが、たぶん植物としてはいま、そしてこれからが盛りなのでと思います。

あたしも秋の黄葉は見上げて堪能することはありますが、この時季のイチョウに注目したことはなかったのですが、ふと青空に緑の葉が映えていたので、つい写真を撮ってしまった次第です。

姪っ子に推薦する予定?

営業回りの移動の電車の中で『親王殿下のパティシエール』を読み始めました。もともとは姪っ子に買ってあげようと思って選んだ本なのですが、舞台が清朝の親王邸ということもあり、まずは自分で読み始めてしまいました。

ちなみに、あたしに妹のところには娘(つまりあたしから見たら姪っ子)が二人いまして、一人(上、今年中三)は犬が大好きで、将来は獣医か、それがダメでも犬に関わる仕事がしたいらしいです。なので、犬に関するエッセイや小説を見つけると買ってあげています。

そしてもう一人(下、今年小六)はお菓子が好きで、将来はパティシエになりたいと、いまのところは言っているので、パティシエとかお菓子に関する小説などを買ってあげています。ただ、犬の小説はそれなりにありますが、お菓子やパティシエがテーマの小説はやや少ないですね。そんななか見つけたのがこの作品でした。

そして、この作品の参考文献として挙がっていたのが、あたしの勤務先の刊行物『王のパティシエ』でした。こんなところで見覚えのある本が出てくるとは、なんとも不思議な気分です。ただ、現在この本は品切れなんです。

さて、まだ読み始めたばかりなのですが、本書は母親が漢族であるフランス人の少女が、フランスに来ていた清朝の親王と共に中国へやって来て、その屋敷の調理場でお菓子作りをするという話のようです。

まだお菓子を作るところまでは行っていませんが、そんなストーリー展開らしいです。お菓子作りはともかくとして、清朝の皇族の暮らしや当時の中国の様子がどのように描かれるのかが非常に興味深いです。既に文庫本が数冊刊行されているようなので、面白ければ、続巻も買って読んでみたいと思いますし、小六の姪っ子でも楽しめる内容か否か、判断したいと思いながら読んでいます。

短篇の名手?

『郊外のフェアリーテール』を購入しました。

亜紀書房の《ブックスならんですわる》シリーズの第二弾です。第一弾は『青と緑』で、副題にもあるとおり、ヴァージニア・ウルフの短篇集で、今回の第二弾はキャサリン・マンスフィールドの短篇集です。

亜紀書房のこのシリーズは、女流短篇集で行くのですかね? 第三弾も楽しみです。

ところで、キャサリン・マンスフィールドと言いますと、あたしの勤務先からも『不機嫌な女たち』という一冊を出しております。非常に面白い短篇が集められていました。

そして新潮文庫にもそのものズバリ、『マンスフィールド短編集』という一冊があります。あたしも自宅の書架に備えておりました。

ちなみに、マンスフィールドは来年、2023年の1月9日が没後100年にあたります。それまでに各社から何冊か作品集が刊行されるのでしょうか?

これぞ八重の桜?

長篇の『ケンジントン公園』もようやく半分ほど読み終わりました。まだ先が長いです。《エクス・リブリス》シリーズは既に次の『人類対自然』も刊行されているので早いこと読み終えないと!

そんな風に読みたい本がどんどん溜まっていく今日この頃ですが、書店でこんな本が目に留まり、ついつい買ってしまいました。『読書セラピスト』と『編集者とタブレット』です。タイトルからも想像がつくとおり、どちらも本をテーマにした作品ですよね。やはり本好きとしては気になってしまいます。

ところで、少し前に近所の桜のトンネルを写真と共にご紹介しましたが、そちらは既に葉桜になっています。地面には桜の花びらも減り、おしべとめしべがゴミのように堆積しています。

しかし、そんな桜のトンネルの入り口付近に一本だけ時季を外して咲く桜があります。それが左の写真です。いまが盛りと咲き誇っています。

写真でわかっていただけるかなんとも言えませんが、実はこの桜は八重桜です。八重桜という明正が正しいものなのか俗称なのか、正確なところはわかりません。ただ、素人が見えてもソメイヨシノとは違うことははっきりしています。一つ一つの花がこんもりとしていて、色もソメイヨシノが白に近いのに対し、こちらはまさにピンク色です。

それなりに交通量のある交差点に面しているので、なかなかシャッターチャンスがなかったのですが、なんとか二枚撮ってみました。ほとんど同じ構図なのはお許しください。同じ場所から撮ったものですから。

もう少し撮影場所を変えてもよかったのですが、時間的に逆光になってしまい、桜全体も暗い感じの写真になってしまいそうだったので諦めました。

先に満開と書きましたが、根本付近には既に花びらが散っているのが見て取れます。この桜の見頃もあと数日と言ったところでしょうか。しかし、少しタイミングをずらして二種類の桜を、自宅の近所で楽しめるなんて、なかなか贅沢なことではないでしょうか。

雪隠る處

本日は午後から会合、人文会の例会でした。

神保町にある、貸し会議室で開かれるのですが、そこのトイレに写真のようなメッセージが書かれています。

誰が創作したのでしょう? なかなか味わい深い一句です。

しかし、トイレのことを雪隠と呼ぶことを、令和の時代にどれだけの人が知っているのでしょう? そもそも「雪隠」を「せっちん」と読めるのでしょうか?

例会時にトイレに入ってこのメッセージを見るたびに、毎回そんなことを考えてしまいます。もともとは仏教から来た言葉ですよね。

トイレのことを単刀直入に口にするのを憚るのは、世界各国にある習慣なのでしょうか? 学生時代に中国語を学んでいたときに、中国語でもトイレのことを「一号」と呼ぶと聞いたことがあります。日本語でも「トイレに行く」ことを「ちょっとはばかり」と言うことありますよね。

寒いのか? 暑いのか?

今日は寒いですね。

昨日から気温は何度下がったのでしょう? ただ今日の最高気温も日付が変わったころに記録しているはずなので、昼間は10数度は下がったことでしょう。

そんな冬に逆戻りしたような本日は在宅ワークでした。

でも、ここ最近の通例どおり、昼間は外回りに出ました。うまい具合に雨に降られず、傘を使わずにすみました。書店も駅から濡れずに行けるところばかりを選びましたので。

明日も寒くて、更に今日よりも雨になるみたいなので、イヤですね。

八重の桜ではなく、八重のチューリップ

わが家の玄関先のチューリップ、くどいくらいの登場率ですがご寛恕ください。

奥のチューリップがそろそろ終わりにさしかかりましたが、少し後れて手前の八重咲きのチューリップが咲きそろいました。

濃い赤、紫と呼んだ方がよいでしょうか、それにピンク、そして白。色とりどりですね。

それにしても、こうしてみると、手前の八重咲きのチューリップって、チューリップっぽくないような感じがしませんか。葉っぱを見ればチューリップなんですが、花を見ると、以下にもチューリップ、典型的なチューリップが横で咲いているので、あまりチューリップらしさを感じられないと言いますか、そんな感じです。