誰是被害者

大河ドラマ「べらぼう」は相変わらず見続けております。そろそろ最終盤に近づいているはずなのに、いまだ写楽が出て来ないのが気になります。この後、どんな風に大団円を迎えるのか、12月初旬で最終回だと思うので、今から楽しみにしております。

それはさておき、この秋のシーズンに見ているドラマ。10月スタートですからだいたい3回くらい放送されたところですね。見ているドラマは以下のとおりです。

まずはたぶん巷の関心ナンバーワンではないかと思われる、TBS系の「じゃあ、あんたが作ってみろよ」です。海老フライならぬ海老カツ、かつおちゃんがハマリ役ですね。特に、あたしも昭和の価値観ど真ん中ですので、共感どころか、まるであたしのことをドラマにされているような気がします。

続いて、こちらも同じくTBS系の「フェイクマミー」です。主役の二人、波瑠と川栄李奈って好きな女優さんなので見始めました。川栄の娘がもっと生意気なタイプかと思いきや、母の立場も理解しているし、波瑠にも打ち解けているし、予想外にいい子なのがあたし的には加点ポイントです。

そしてもう一つ、テレビ東京系の「コーチ」です。これも主演・唐沢寿明の飄々として、とぼけた演技がいい味出していて楽しいです。刑事モノなので一話完結なので見やすいかなと思って見てみたらハマってしまいました。

最後に、今季のドラマではありませんが、この一週間くらいハマってしまったのが、NETFLIXで配信中の台湾ドラマ「誰是被害者」、邦題は「次の被害者」です。もう数年前にシーズン1が、そして二年ほど前にシーズン2が配信されていたらしいのですが、いまさら知って一気に見てしまいました。

各シーズン8話なので決して長いドラマではありません。それでもしっかりと登場人物が作り込まれていて、引き込まれました。シーズン1は自殺がテーマで、そこに主人公の娘が絡んでいるのではないかという疑惑がストーリーのテーマになっています。当然主人公の娘ですから事件の真犯人のわけはないのですが、だからといって全くの潔白というわけではないのが、むしろよい感じでした。

シーズン2は猟奇性がさらに増した連続殺人事件です。ただ親子のすれ違いや誤解が背景になっているので、なかなか切ないものがあります。日本ではこのシーズン2にディーン・フジオカが出ているということが話題になっていたようですが、真犯人はすぐ身近にいたというのが鍵でしょう。

それにしても復讐のためにあそこまでするものなのか、という気がする反面、登場人物の多くが自分の子供や自分を理解してくれる人のために、却って疑心暗鬼になってしまうのが見ていてもツラいところです。

シーズン2のラストシーンは、さらに大きな謎、疑惑があることを示唆して終了します。ただ、いまのところシーズン3が制作中という話はネット上では見つけられません。あのままで終わりということはないと思いますし、制作費が集まらないということもないと思うのですが、どうなのでしょう。

シーズン2のラストもものすごく気になったのですが、シーズン2の真犯人は15年前の家で青年たち、そしてその家での時に友達を殺して自殺したとされた少女の母親でした。この母親が整形手術をして鑑識官になりすますわけですが、あれだけの殺戮方法を駆使するような医療技術や知識はどこで手に入れたものなのでしょう。途中で医者だったというシーンがチラッと出てきましたが、どのくらいの経験者なのか、外科医なのか内科医なのか、それがよくわかりませんでした。

 

イッキ見!

しばしば芸能人などが休みの日にドラマをイッキ見したと言っているのを聞いても、そんなに見続けられるものだろうか、と思っていました。特に海外ドラマですと、数十回にも及ぶドラマが多いですので、一日に果たして何話見られるのか、そうなると全部見終わるのに何日かかるのか、などと計算してしまいがちです。

そんなあたしがこの土日でイッキ見をしてしまいました。それは昨年放送されていた「全領域異常解決室」です。実際に放送されていた当時は見ていませんし、そんなタイトルのドラマがあったような、くらいのおぼろげな記憶しかなかったのです。ただネット配信で暑気払いに背筋も凍えるようなホラー映画を見ようと探していた時にふと目に留まったので第一話を見てみたらはまってしまったという次第です。

もう少しホラーテイストの作品かと思っていましたが、神々の闘いでした。これまでも「SPEC」など異能者を主人公にしたドラマは数多くありました。たいていはいわゆる超能力者の闘いでしたが、このドラマは異なります。上に書いたような神の闘いなのです。

神というのは、日本の八百万の神々のことで、それら神様の魂がいつの時代にも生き続け、人間の姿で人間社会のなかで暮らしている、そうして人間を見守っているという背景があります。そんな現代社会で堕落した人間を葬り去り、新しい世の中を作り直すのだという「ヒルコ」によるテロが始まり、主人公をはじめとする神々が人間とこの社会を守ろうとするわけです。

異能者を日本古来の神に設定したところは面白いと思いましたし、その一方でAIを駆使した情報戦も面白いものでした。続編か映画化がありそうなエンディングでしたが、果たしてそんな話は進んでいるのでしょうか。

個人的に思うことは、天照大神は出て来ないのかなあ、ということや伊勢を中心とした天皇系の神と出雲などをごっちゃにしているのはどうなのだろうか、ということです。それに神々の機関であるならば、国の機関ではなく皇室直属の機関である方がふさわしいと思いますが、さすがにそんな設定はいろいろなところからクレームが入りそうですね。

あと、あたしがイッキ見できたのは、全10回という回数もちょうどよかったのかもしれません。

名前を明かさないのは呪いをかけられないためなのか?

Netflixでホラー映画でも見ようかなと思って探していたところ、橋本環奈主演のコメディー映画「赤ずきん、旅の途中で死体と出会う。」を見つけたので見てしまいました。

ホラー映画とは真逆の方向ですが、これが見たいなあという作品を見つけられなかったので「まあ、いいか」という感じで視聴を始めました。これって配信映画ですよね。さすがにこれを劇場公開したとしても大ヒットになるとは思えないので(汗)。監督からキャストまで、終始一貫いつものテイストです。

ところで、本来見たかったホラー映画のことなのですが、殺人鬼や悪魔、悪霊目線の作品ってあるのでしょうか。もちろん犯人が主人公などの標的を狙って追いかけてくるようなシーンでは犯人の目線のカメラワークもありますが、作品全体が殺す側の視点の作品という意味です。

まあ、ホラー映画というのは「怖い、怖い」と言いながら、思いながら鑑賞するものですから、殺す側視点だと単なる悪趣味なものになってしまうのでしょうか。でも、悪霊でもどうして自分が悪霊になったのか、どうして見ず知らずの人を手当たり次第に襲ってしまうのか、そういう葛藤とかジレンマとか抱えていないのでしょうか。そういう作品を見てみたいなあと思うのですけど、そんなのあたしだけなのでしょうか。

話は最初に戻って「赤ずきん」です。この作品、主人公の赤ずきんは赤ずきんであって名前が無いのですね。シンデレラにはお姉さんも含めて名前が与えられているし、途中で登場する魔法使いにも名前がありました。よくよく考えると非常に違和感があります。そう言えば、王様も王子様も名前はありませんでしたね。

今にして思うと、赤ずきんが来ているのはフード付のマントであって、あれは頭巾という名前でイメージするものとはずいぶん違う気もします。原作の童話では、森に住むお婆ちゃんも「赤ずきん」と読んでいたはずで、孫の名前を呼んであげないのですね。何が棲んでいるかわからない森の中でうっかり名前を口にするのは悪霊などに取り憑かれかねないから避けているのでしょうか。

あのコはだぁれ? サユリだよ!

録画しておいた映画「サユリ」、「あのコはだぁれ?」と視聴しました。どちらもジャパニーズホラーですね。まずは「サユリ」から。

この作品はホラーとは言いますが、後半からの婆ちゃん覚醒以後はコメディータッチの作品で、楽しく視聴できました。そして主人公のサユリですが、引きこもりになった理由は父親からの性的虐待、そしてそれを見て見ぬふりをする母親。これでは引き籠もりたくもなるし、むしろかわいそうな少女です。

だからといって、何の関係もない住人を呪い殺すことが許されるとは思えませんし、肝心の家族は別の土地でのうのうと暮らしてるのを許しているなんて、「なんだかなあ」という気がしました。サユリの呪力があの家(あの土地?)からは出られないというのがもう少し説明があってもよいかなあと思いました。

続いて「あのコはだぁれ?」です。これは「ミンナのウタ」の続編と言うか姉妹編のような作品で、少し前に「ミンナのウタ」も視聴しましたが、その謎が解けるのかなと期待していました。

確かにこちらの作品を見ると、謎のカセットテープが誕生した経緯が描かれましたが、ややわかりにくいところもありました。親世代の事件の当事者である少女が、普通に現在の補習クラスにいるのに、周りの生徒が疑問も持たずに受け入れているのが疑問でした。補習なので他のクラスの生徒も交じっているから気にしなかったのかな、という気もしましたが、やや不完全燃焼でした。

それに主人公の渋谷凪咲が結局は死んでしまっているのですよね。ただ、それで数十年にわたる呪いが解けたような気もしませんし、そのようにスッキリと描かれているようにも感じません。監督は更に続編を作ろうとしているのかも知れないと感じました。

使い古された言い回しですが、本当に怖いのは怨霊よりも生きている人間でした

このところ、休みの日には録画しておいたホラー映画を見ています。最近見たのは韓国系のこの三本、「タロット 呪札の暗示」「タロット 愚者の運命」「怪談晩餐」です。いずれも三つ、四つくらいの短篇で構成されています。

前二者はタロット二部作で、主人公の元にどこからともなくタロットカードが届き、主人公は特に興味も関心も示しませんが、そのカードのメッセージに導かれるような運命をたどることになります。

タロットカードの摩訶不思議な力が作用しているのかも知れませんが、見ている限りは幽霊とかその怨念が出て来るというわけでもなく、人間の嫉妬心、妬みや嫉み、そういったものが引き起こした結果ではないかと思われます。特に「呪札の暗示」よりも「愚者の運命」の方がその傾向がより一層強くなっています。

そして「怪談晩餐」も怪談とは言いつつも、怖いのは人間です。怨霊的なものが出て来る作品もありましたが、やはり怖いのは生きている人間です。そして共通する怖さというのは、収入や学歴、職業などで形成される人のランクのようなものに支配されている韓国社会の歪みです。日本にもこういった格差はありますが、韓国映画を見ていると格差などという生易しいものではなく、階級社会と呼べるほどのものではないでしょうか。

そして感情が爆発したときの激しさも、日本人とはちょっと違うなあと感じます。そしてたまに邦画でもこういうものはありますが、韓国映画の場合、子供だからといって純粋で、被害を受けるだけの立場ではない、ということです。なめてかかると痛い目を見そうです。

続編は未見ですが、ひとまず……

WOWWで放送された「タロット 呪札の暗示」を視聴。ネットで誰かが書いていたように、日本のテレビでやっている「世にも奇妙な物語」のような作品でした。ただ、もうちょっとホラーに寄せたオムニバスでした。

作品は「シングル収納ロッカー」「フィッシング」「サンタの訪問」「捨ててください」の四つ。

まず最初の「シングル収納ロッカー」は、人と馴染めないイケメンの主人公がパラレルワールドと繋がっているロッカーを通じて向こうの世界の女性とささやかな交流を結ぶという物語。ただ、向こうの世界がどうなっているのか、左右が反転しているということ以外はわかりません。向こうの世界にも人は済んでいるのか、左右が逆なだけで普通に生活できるのか、一切が謎のままです。

そして、向こうの世界の女性に騙されて向こうの世界に引きずり込まれた主人公の運命はどうなるのでしょうか。元の世界に戻ってくるには、自分の代わりとなる人を引っ張り込まないとダメなようです。

次の「フィッシング」は、他人を騙して、引っかけて、その模様を動画配信して人気を得ている女性YouTuberです。からかった男性に逆に狙われ、命を落とすことになります。これなどは自業自得と思えるので、主人公を殺した男性に同情してしまいます。

三つめの「サンタの訪問」は、幼い娘がいる母親ジウがクリスマスから新たなパートの仕事をスタートさせるのですが、娘を一人留守番させていることが不安でたまらず、仕事も上の空な様子。その挙げ句、マネージャーに叱責され、自宅へ戻ると娘はいなくなっている、というお話。

何か犯罪に巻き込まれたのかとジウは狂ったように部屋中を探しまわりますが、実は娘はとうの昔に死んでいて、ジウがその事実を受け入れられずにいるというオチ。実は子供は既に亡くなっていて、ストーリーの前半に映っている子供は母親の妄想であったというのは映画などではよくある設定ですね。

最後の「捨ててください」は、フードデリバリー業者ドンインが配達した女性に執着され、ついには囚われ監禁されてしまうというストーリー。粘着質な女性の生態がとても恐ろしいです。

ところで、この四つの作品、主人公が冒頭で一枚のタロットカードを披露という共通項はありますが、タロットをやらないあたしにはそれがストーリーとどう繋がっていくるのか、いまひとつわかりにくかったです。そして、四つの作品に共通して現われるストーリーテラーのような人物がいるわけでもありません。

さてWOWOWでは本作の続編「タロット 愚者の運命」も放送されました。録画してありますが、まだ見ていません。今回見たのとまるっきり繋がりはないのでしょう。そしてオムニバス作品なのでしょう・映画というよりも、テレビ放送されたものではないでしょうか?

USBのHDDがどこかへ行ってしまいました!

気付いたのは、まだ一週間かせいぜい二週間前なのですが、スカパー!チューナーに繋いでいるUSBのHDDが行方不明です。ゆっくりと調べる時間がなかなか取れなかったので、年末年始の休みになってしまいました。

スカパー!チューナーには、これまでずっとハブを使って二台のHDDを繋いでいました。一台が中国ドラマなどを録りだめるため、もう一台は邦画やドキュメンタリーなど非中国系の番組を録るためと使い分けていました。ずっと問題なく何年も使えていたのですが、最初に書いたように、そのうちの一台、非中国系を録画していたHDDがチューナーから見えなくなってしまったのです。

チューナーから録画一覧を選択すると、二つのHDDが見えていて、選択することができたのです。それがここ最近、一つだけしか見えなくなっていたのです。さて、どうしましょうか? まずはこの手の機器の定番である、一度外してもう一度繋ぎ直す、です。しかし、変化はありません。USBハブの端子に不具合があるのかと思い、二つのHDDを指している端子を入れ替えてみましたが、こちらも効果ありませんでした。

次に、認識されなくなったHDDを直接チューナーと繋いでみると、こちらは認識されます。ということはHDDの異常ということではなさそうです。次に、別のハブを用意して、こちらにHDDを繋いでみましたが、HDDは二台とも認識されません。これはハブに原因があるのか否か、なんとも判断がつきかねますが、でもそれ以外に理由は考えられません。

念のため、第三のHDDをもともとのハブに繋いでみました。新しいHDDを繋ぐとチューナーが認識して登録するよう聞いてくるはずですが、それがありません。となるとHDDが悪いのか、ハブに問題があるのか、どちらなのでしょう。とはいえ、最初から認識できているHDDは差し込む端子を変えても認識されているので、ハブに問題があるようには思えません。

最終的に考えられるのは、HDDの電源なのではないかと思っています。認識できているHDDは電源のあるものです。ところが最近認識できなくなったHDDは電源ケーブルがなく、USBケーブルから電源供給を受けるタイプです。録画用のHDDの場合、それなりの電源が必要になるので、セルフパワーのHDDが推奨されています。それが問題なのではないだろうか、と思うのです。ただ、だとすると少し前まで何の問題もなくバスパワーのHDDが認識され、普通に使用できていたのはなぜでしょう。そしてなぜ突然使用できなくなってしまったのでしょう。

この問題、現在に至るも解決できずにいます。年越しは必至です。年を越したからと言って解決するとも思えません。原因がわからないでは、対処のしようもない、というのが現状です。こんなことに頭を悩ませている大晦日です。

神の仕業か、悪魔の仕業か

WOWOWで放送されていた映画「オファリング 悪魔の生贄」を視聴しました。

ヨーロッパを中心に広く知られているという子殺しの悪魔「アビズー」を題材にした作品でした。そして、ユダヤ教徒やその儀式がおどろおどろしく描かれていました。アメリカのホラー映画でありがちな神対悪魔という、いかにもキリスト教的雰囲気もありつつ、でも神にすがるような感じは出て来ませんでした。

作品の感想はあえて書きませんが、この作品に出て来た子殺しの悪魔というのは、乳幼児の死亡率が高かったころ、それを悪魔の仕業だと信じていた時代の名残なのでしょう。そういう風に思うことで、子を亡くした親は自分を納得させていたのでしょう、そして、ますます信仰心を高めるという教会の思惑にもかなうものだったと思います。

学問的に正しい解釈なのかはわかりませんが、こうした乳幼児死亡率の高さをたぶん背景にしていると思われる言葉に「七つまでは神のうち」というのがあります。同じタイトルの映画「七つまでは神のうち」も作られています。これはなかなか救いのないエンディングが印象的な映画でした。WOWOWなどで放送されたという記憶はありませんし、配信サイトで見られるところはあるのでしょうか。

それはともかく、日本では子供が幼いうちに亡くなってしまうことを、子殺しの悪魔の仕業だと解釈するのではなく、子供は神さまからの預かりもので、七歳まで生きてようやく人間の世界に仲間入りするのだと考えたところに、文化の違いが感じられます。日本的に考えれば、子殺しではなく神さまの元へ帰ったということなのでしょう。

意外とグロい?

以前からタイトルだけは知っていて、チャンスがあれば見て見たいなあと思っていた映画がWOWOWで放送されたので見ました。「プー あくまのくまさん」と「マッド・ハイジ」です。

まずは「プー」から。そもそも原作である「くまのプーさん」を読んだことがないですし、ディズニー映画だって見たことがないので、ストーリーを知りません。蜂蜜の入った壷を持ったくまのプーさんのイラストくらいしか思い浮かばない状態なので、映画がどこまで原作をオマージュしているのかわかりません。

プーさんって、森の中に住んでいたミュータントだったのですか? 主人公のクリストファーが去ってしまったために食べるものに困って仲間を殺して食べ、更には森へやって来た人を襲うようになったというストーリーですが、そもそもクリストファーと出会わなかったら、彼らはどうやって生きていけたのでしょう。野生で生きていくための術を身につける前に、クリストファーに餌付けされてしまったのがいけなかったのでしょうか。となると、人に飼われた動物を野生には戻せないということと同じ理屈ですね。

それはともかく、そんな残虐な殺人鬼プーさんが住む森に女の子たちがやって来て次々に襲われます。もちろんクリストファーも久しぶりに懐かしの森へ戻ってきます。しかしプーはそんな感傷に浸ることもなく、彼らを一人一人血祭りに上げていきます。思いのほか残虐です。グロいシーンもたくさん出て来ます。一番の驚きは、女の子たちが誰一人助からなかったことです。ヒロインっぽい女の子が最後には助かるのかな、クリストファーが自分の命と引き換えに彼女を助けるのかなと思ったら、女の子はあっさりやられてしまい、クリストファーは逃げてしまうというエンディング。最後まで情けないクリストファーでした。

そしてプーさんは不死身のような肉体で、最後もやられずに終わりましたから、パート2、パート3へと繋がっていくのでしょう、現時点で既にパート2は出来ているようですし。

続いては「ハイジ」の方です。プーさんが身も蓋もないストーリーだったのに対し、こちらは極悪非道な独裁者に立ち向かう正義のヒロインとしてのハイジを描いているので、荒唐無稽な作品ではありますが、一応は勧善懲悪になっています。

羊飼いのペーターが黒人で、さっさとコロされてしまうし、ハイジの両親も実は若きころに独裁者に殺されていた、そして優しいはずのおじいさんはそんな独裁者に立ち向かうレジスタンス運動の闘士だったなんて、平和でのどかなアルプスを舞台にした作品とは思えません。

そしてそんな両親と恋人の復讐に立ち上がるハイジは、カンフー映画のような修行の末に戦闘能力を開花させ、おじいさんたちレジスタンスと共に独裁者を倒すという内容です。クララの出番が少なめなのと扱い方に、往年のアニメ版ファンは不満を抱くかも知れませんが、ラストシーンではハイジと共に闘う少女としなっています。たぶん、こちらも二人が主人公として活躍するパート2が作られることでしょう。

ゴジラとキングコングもいいけれど……

映画「ゴジラ×コング」がヒットしているのかどうか、あたしにはわかりませんが、キングコングとtゴジラがコラボした映画って、これまでにも何回かありましたよね。こういった怪獣ものはコラボしやすいのでしょうか。

そう言えば、以前には「貞子vs伽椰子」という、ホラー界の二大スターがコラボした映画もありました。これはホラーとホラーの相乗効果でコメディー映画になってしまったような記憶があります。ホラー系ではアメリカでも、三大殺人鬼の二人がコラボした「フレディVSジェイソン」という作品もありました。これもやはりコメディーな作品でしたね。

こういったコラボ作品、決して嫌いではないのですが、あたしとしては「どうしてこういうコラボをやらないの?」と思う作品があります。たとえば、数日前にこのダイアリーにも書いた「The Witch 魔女」ですけど、こういう超能力系の映画に、貞子とか「呪怨」の伽椰子などを出して、両者を闘わせたらどうなるのだろう、と思います。

遺伝子操作で作り出された「魔女」が呪いのビデオを見てしまったらどうなるのか、果たして貞子の呪いにどう立ち向かうのか、非常に興味があります。逆に貞子や伽椰子も、魔女が相手だと簡単にやられてしまうのでしょうか。

あるいは「テキサス・チェーンソー」のような、殺人鬼に旅の若者が次々に襲われ、血祭りに上げられていくような作品。こういう作品に登場する被害者グループは軽いノリの若者が多いですが、そうではなく、ジャッキー・チェン、ユン・ピョウ、サモ・ハン・キンポーのような腕の立つカンフーの達人たちが通りかかったらどうなるでしょう。殺人鬼一家が逆にやられてしまうのでしょうか。ジャッキー・チェンでなくとも、水戸黄門主従でもいいです。助さん、格さん、そして弥七が揃えば、そう簡単にはやられないでしょう。

どこかの映画会社、こういう作品作ってくれないですかね。あるいはゴジラとキングコングではなく、ゴジラと巨大ザメMEGのコラボでもいいです。巨大ザメと言ってもゴジラの方が大きそうなので、一瞬で勝負は付きそうな気がしますね。