ギブスはしたことがありません

夕方、営業回りの帰路。まだ明るい時間ですが、この後は返さないといけないメールもあるので、早めに帰宅して、あとは在宅ワークだと思いながら、最寄り駅前からバスに乗り込みました。

自宅にいる母に「今から帰るよ」とメールを入れようとスマホを開くと、妹からの電話やLINEが複数入っています。あたしがバスに乗り込むちょっと前の時刻です。なんだろうと思って開いてみると、母がケガをしたらしいのです。

とにかくあたしもバスが早く家に着くことを念じながら帰心矢の如し。そして帰宅してみると母は不在です。隣家のおばさんに聞くと母が転んで額から血を流していた、とのこと。いつも足腰のリハビリに行っている整形外科へ行くとか行かないとか言ってたそうです。

その病院へ電話をしてみると、母がちょうど来院したとのこと。ひとまず一人でシャンシャンと歩いているそうで、一人で病院まで行けたのだから大事にはなっていないと安堵しつつ、あたしも病院へ向かいました。病院へ着くと母が椅子に座っています。

額の血が出ていた傷はテープというか絆創膏で止めてあり、そちらは特に大事ないようです。左手首から肘にかけてが腫れているのでレントゲンを撮ったところ、骨折はしていないもののひびが入っているというのでギブスを装着することになりました。母は右利きなので、左手にギブスをするのは不幸中の幸いでしたが、洗濯や洗い物、料理などしばらくはあたしがやってやらないとダメみたいです。

ひとまず、このくらいで済んでよかったと安堵しているところで、明日は在宅ワークにいたしました。ちなみに80になる母は、これが人生で初めてのギブスだそうです。あたしも未経験です。

さくたんではなく、さくちゃん!

女性アイドルの写真集というのは、やはりファンからすると水着や下着、セミヌードカットがどれだけあるか、というのがポイントなのでしょうか? ただ、あたしくらいの歳になりますと、もう若い子の水着や下着姿を求めるようなことはないので、特に清楚を売りにしている乃木坂46ですと、水着や下着よりも可愛らしい服を着ていたり、深窓の令嬢のような設定の写真の方がいいなあと思ってしまいます。

というわけで、前置きが長くなりましたが、乃木坂46の四期生、遠藤さくらの写真集『可憐』を落手しました。楽天限定カバーとセブンネット限定カバー、それに通常版のⅢ種類です。ファンの間では水着や下着カットが話題になっているようですが、やはり洋服を着て可愛らしい表情やポーズをとっているカットが微笑ましくて、いいなあと思いました。

そして、さくちゃんの写真集、これはこれでよいのですが、こうして眺めてみると、やはりもう少し早い段階で四期生全体の写真集を作って欲しかったなあと思います。もちろん水着も下着も要りません。メンバーがわちゃわちゃしている写真集が見たいのです。

似たような趣旨としての『乃木撮』がありますが、やはりプロのカメラマンに撮ってもらった作品で見たいとも思います。四期生は既にデビューからだいぶ時が経っているので、今であれば辛うじて五期生の期別写真集を出してもらいたいなあと切に願っています。

大事な何かをなくしてしまった?

先週まで、勤務先のノートPCのHDDの容量が足りないということで、この週末はネットでノートPCをいろいろと漁っておりました。勤務先のノートPCのHDDが256GBで、それがほぼいっぱい、空き容量が数百MB、金曜日には100MB代になったりもしていたので、これはもう新しく買わないと、最低でもHDDが526GB以上あるノートPCを探さねば、と半ば強迫観念のように思っておりました。

ただ、これというのが見つからずに週が明け、勤務先で画像ソフトを立ち上げました。これまでであれば空き容量が足りませんというメッセージが出て、絶対に起動しないので、PCの再起動が必要なケースです。ところが今日はすんなりと起動したのです。

そこでエクスプローラーでCドライブの容量を確認してみると、7GBと表示されているではありませんか。いったい何が起こったのでしょう。特にエラーチェックをした覚えもなければ、最適化をした覚えもありません。そもそも最適化やエラーチェック、要らないファイルの削除は、このところしょっちゅうやっているので、もう必要がない状態でしたから。

そして勤務先から帰宅後、リモートで繋いだ勤務先のノートPCの空き容量を改めて確認してみると、なんと12.7GBの空き容量があります。この週末で7GB近い空きが生まれたと思ったら、本日の数時間で更に5GBの空きが生まれています。

何か大事なファイルを捨ててしまったのでしょうか。いや、そんな数GBもあるようなファイルをそう簡単に捨てるわけがありません。アプリをアンインストールした覚えもありません。いまのところ勤務先のノートPCは何事もなく普通に動いています。しばらくはこのまま騙し騙し使うことにしてみます。

明日が休みだと夜更かししたくなる?

日向坂46の冠ラジオ番組「日向坂46の「ひ」」、通称「日向ひ」で、今日のMCを担当している東村芽依と森本茉莉が、次の日が休みだと夜更かししてしまう、明日休みだと遅くまで起きている、という話をしていました。

なので、当然のことながら翌日の休日は遅くまで寝ているということのようです。まあ、われわれサラリーマンとは違って、日々のスケジュールがかなり不規則な芸能人ですから、そもそもまいにち同じような時間に寝て、同じような時間に起きるという生活は難しいのでしょう。

ただ、次の日が休みだといつもより夜更かししがちというのは芸能人でもなくともありがちなことでしょう。でも、あたしはそういう考え方ができないのです。そりゃ、金曜の晩などはいつもよりちょっとは遅くまで起きていますが、言うほどではありません。

あたしの日常は、だいたい7時半から8時くらいに寝床に入り読書をしていて、しばらくすると眠ってしまう、という感じです。ぐっすり寝たと思って目覚めると、8時52分とか9時45分なんていうこともしょっちゅうあります。

そんなあたしですから、休みの前だからと言ってそんなに夜更かしはしません。せいぜい9時までです。どうしてそうなのかと言えば、金曜や土曜に夜更かしをすると日曜の夜に眠れなくなり、そうすると月曜の朝起きるのがつらくなるからです。いつもの生活リズムを崩さない、その習慣が休日にも及んでいるというわけです。

ですから、土曜も日曜も朝は4時過ぎには起きています。平日なら3時半前後に起きているので、休みの日は少しは朝のんびりしていますが、そんな感じです。

縁があるような、ないような……

昨夕放送されていた「人生の楽園」、後半部分だけチラッと見たのですが、岐阜・美濃加茂市が舞台でした。そこでカフェを開いている夫婦のストーリーだったようですが、うちの母が美濃加茂には知り合いがいた、と言うのです。

どういうことかと言いますと、母は兄弟姉妹が多いのですが、一番上の兄とは10以上離れているそうで、その兄(あたしにとっては伯父)の知り合いが美濃加茂に住んでいたそうです。母の田舎は新潟県上越市なのですが、伯父の知り合いはドイツ人の女性と結婚して、美濃加茂で暮らしていたそうです。

小学生のころの母は、その知り合いがドイツ人の奥さんを連れて家に遊びに来たことを覚えているそうです。美濃加茂の伊深というところに住んでいたそうです。そんな背景があった上で、最後の部分をチラッとだけ見た「人生の楽園」ですが、昨夕の放送については以下のように紹介されています。

『いぶカフェ』の自慢は、ジビエカレーや鹿肉ハンバーグなど、靖憲さんが作るジビエ料理です。またスイーツ担当の佐千子さんが作る「えんねパン」も人気です。「えんねパン」とは、戦時中に伊深村に疎開してきたドイツ出身の佐野えんねさんが、村の子供たちに振る舞っていたドイツの焼き菓子のこと。地元のお母さま方からレシピを教わった「えんねパン」には、「地元のみなさんに愛されるカフェでありたい」という靖憲さんと佐千子さんの思いが詰まっています。

おっと、ドイツ人が登場しているではありませんか! この番組紹介を母に伝えると、母が知っている、子供のころに逢ったことがあるというドイツ人の奥さんは「佐野えんね」さんだとのこと。伯父の知り合いはもちろん「佐野さん」だそうです。伯父の知り合いがどうしてこのドイツ人女性と知り会ったのか、ドイツ人のえんねさんはどうして日本にいたのか、いろいろ疑問は湧いてきますが、母も子供のころのことだったので、詳しいことは覚えていないようです。もちろん伯父も何年も前に他界しているので、母の故郷でこのあたりの事情を知っている人はもういないでしょう。

でも、何か機会があれば美濃加茂へ行ってみたいなあと思いました。

ひらがなとカタカナとで異なりますが……

新刊の『きつね』、昨日が配本日でしたので、都内の書店であれば今日あたり、全国の書店でも週明けには店頭に並び始めるのではないかと思います。著者はドゥブラヴカ・ウグレシッチ、クロアチア語の作家です。

タイトルだけ見ると、キツネの生態などを紹介した、書店では自然・動物といった棚に並びそうな一冊に思われるかも知れませんが、本書は小説です。文芸の棚に並ぶはずです。ただ「きつね」と聞くと思い出してしまう楽曲がありまして、それが日向坂46の「キツネ」です。

シングルではありませんが、ダンスもちょっと特徴的で、ファンの間でも人気のある楽曲の一つです。あたしもクルマの中でよく聴いています。そして気づかれたと思いますが、新刊はひらがなで「きつね」、日向坂46の楽曲はカタカナで「キツネ」と表記します。

今日の配本(23/09/29)

少女、女、ほか

バーナディン・エヴァリスト 著/渡辺佐智江 訳

子ども時代のレイプ、小さな町での差別、子どもを抱え必死に働いてきたこと、エリートとなった娘との不仲、実の両親を知らないことなど、みな人知れず心に傷を抱えている。大切なのは共にいること。人生、捨てたもんじゃない。笑って泣かせ心揺さぶる真実の物語。英国黒人女性たちが、乗り越えてきた苦難をウィットに富んだ斬新な文体で語り、共感を呼んだ傑作長篇。作家はナイジェリア人の父とイギリス人の母のもとロンドンで生まれ、本書が7作目の小説。

ニュルンベルク裁判1945-46(下)

ジョウ・J・ハイデッカー、ヨハネス・レープ 著/芝健介 監修/森篤史 訳

捜索、逮捕、尋問から裁判、判決、処刑まで、「平和に対する罪」、「戦争犯罪」、「人道に対する罪」に鉄槌を下す。写真多数収録。

きつね

ドゥブラヴカ・ウグレシッチ 著/奥彩子 訳

ノイシュタット国際文学賞受賞者であり、ロシア・アヴァンギャルドの研究者としても知られるクロアチア語作家ウグレシッチ。惜しくも最後の長篇となった本作は、いわゆるオートフィクションに分類されうるもので、作者を思わせる語り手は、1920年代から現代まで、ロシアからイタリア、クロアチア、イギリス、アメリカ、そして日本まで、トリックスターとしてのきつねさながらに、テクストの中を自在に駆けていく。

立法者・性・文明
境界の法哲学

谷口功一 著

著者は第一論集『ショッピングモールの法哲学』で、1970年代以降の政治理論、とりわけ正義論の枠組みを「郊外」という具体的な場で再考してみせた。社会の境界で考えるという基本姿勢は第二論集である本書でも変わらない。著者の大きな転換点となったのは2003年のいわゆる「性同一性障害」特例法の立法運動だ。そこで拓けた地平は、法を根幹から見つめ直すだけでなく、法と政治、法と社会の関係を問い直すものだった。

書店というか、出版業界は持続可能な業種なのでしょうか?

昨日のダイアリーで無人書店のことを書きましたが、今日の朝日新聞夕刊には、自民党の議連と業界が接近しすぎていないか、という記事が載っていました。なんとなく暗いニュースばかりの業界ですね。

この業界で取り上げられるようなよいニュースは、最近セレクト型の書店が流行っている、各地にたくさん出現している、といったニュースくらいな気がします。

ただ、このセレクト型書店、つまりは書店主、オーナーの個性に依存した書店なわけで、それってつまりオーナーが店を辞めたら続かなくなる、ということではありませんか。そうなると、今後も次々にセレクト型書店、提案型書店が各地に出来てこないと、そのうちそれらが次々に消えていく時代がやって来そうです。

それに書店がなくなると言われていますが、そもそも出版社が今後も存在できるのでしょうか。個人で、自分の好きな本だけを、こだわって年に一冊や二冊程度作っていくのであれば、そういうセレクト型出版社は今後も存在しうるでしょうが、それなりの人数の社員を抱え、多くの人を対象にした書籍を出すような出版社って、資本が潤沢な大手出版社以外は残らないのではないかと思います。

活字文化と言いますか、文字を媒介にしたものは、現在インターネットがそうであるように、これからも続くでしょうし、まだまだ伸びる余地は残っていると思うのですが、こと出版という業界で考えてみた場合、果たして100年後も残っている業界、業種なのか、不安を覚えます。

棚作りという概念が崩壊する?

業界では少し前から話題になっていましたが、ようやく開店ということでニュースなどでも大きく取り上げられていた無人書店。東京メトロの溜池山王駅の構内にオープンするそうです。

この業界に詳しくない人には「何のこと?」という話になりますが、この書店は大手取次の日販が始めたもので、もう一つの大手取次・トーハンが始めた無人書店は、夜間だけ無人になるということで、少し前に世田谷にオープンしています。二大取次が揃って無人書店をスタートさせたわけです。

世田谷の方は、昼間は書店員のいる山下書店ですから、それなりに本を選びもすれば、並べ方、読者の好みを考えて仕入もしていることでしょう。夜間の時間帯になって売れる本の傾向がどう変わるのか、いろいろ実験的なところもあるかと思います。

それに対して今回の溜池山王の書店は最初から最後まで書店員レスですので、どういう品揃えになったのでしょう。まずは日販のデータで売れ筋上位銘柄を並べているのでしょうね。売れた本のデータは取れるでしょうけど、どんな本を手に取っていたか、書店員に聞けないからデータを取りようもありませんが、どんな本を探しに来たのか、そういったデータを集めるのは至難でしょう。

そうなると無個性な書店にしかならないのではないか、そんな気もします。書店の醍醐味と言えば棚作りだと思います。書店員の拘りもあれば、お客さんからの声も反映されるでしょうし、われわれ出版社の営業との話の中から生まれるものもあるでしょう。無人書店ではそういうものが一切捨象されてしまうわけですよね。半年や一年経ったころ、唐書の棚とどれくらい変わっているのか、そしてそれがどのくらい利用者の支持を得ているのか、興味深いところです。

リアル書店であればお客さんのことを「読者」と呼んでもおかしくないですが、こういう無人書店だと「利用者」としか呼べない気がします。