見当たらない!

講談社学術文庫の新刊『台湾の歴史』を購入しました。

この本は、かつてちくま新書で刊行された『台湾 変容し躊躇するアイデンティティ』を大幅に増補し、タイトルも改めて文庫化したものだそうです。そうなるとタイトルも異なるわけですから、別の本と言っても差し支えないでしょう。

では、どのくらい変わっているのか? そう思って、わが家の書架を探してみたのですが、ちくま新書版が見つかりません。2001年刊行の書籍です。手に入らないような古い本、というわけではありません。当然、その当時に買っていてしかるべき一冊の筈です。

ところが、わが家のちくま新書が並んでいる書架をいくら探しても見つからないのです。ちくま新書だし、著者は若林さんだし、あたしが買っていないわけはないのですが、どういうわけか見当たりません。

台湾を扱った新書もたくさん刊行されていますので、別の本と勘違いして、既に買っているはず、所蔵しているはずと思い込んでしまい、買い洩らしたのかも知れません。

自分で自分を褒めてあげたい?

本を読むスピードもそれほど速くはないですし、読んでいるジャンルもかなり偏っていると思います。ただ仕事柄、海外文学は比較的多く読んでいるかなあとは思うものの、他社作品まではなかなか手が出ていないのが実情です。

また、通勤電車や営業回りの途次の電車内で読むのは文庫や新書が多く、単行本はもっぱら寝床で読んでいます。ですので、勤務先の海外文学シリーズ《エクス・リブリス》読むのも自宅の寝床ばかりです。

12月には《エクス・リブリス》の新刊刊行はありませんので、24日に配本された『大仏ホテルの幽霊』が今年のラストです。そして写真の9点10冊が、今年刊行された《エクス・リブリス》になります。

全部読んでます。実は《エクス・リブリス》は、初期のころの数点を除いてすべて読んでいます。これはちょっとは自慢してよいことでしょうか。ちなみにUブックスの《永遠の本棚》も全点読了しています。これもちょっとした自慢です。

この場所の「秘密」とは?

本日配本の『大仏ホテルの幽霊』を読みおわりましたが、その中にまるであたしのことを言っているのではないかと思われる一節があったので下記に引用します。

あなたたちはみな、笑いたがっています。幸せを求めているんです。でも、お互いが信じられません。信じるつもりがありません。信じれば、裏切られると思っているからです。だから自分自身さえ、信じられないのです。あなたたちの人生がそうだったからでしょう。ああ、それは私の人生でもあります。ええ、そうです。なぜこんなに難しいのでしょうね。不安でいっぱいになるんでしょう。他の人にはたやすいことが、私たちにはなぜ、これほどまでに苦痛なのでしょう。私たちにとって、愛はあてにならない記憶、不幸は長く残り続ける物語なのです。(P.187)

なんか人間関係の本質だなあ、と思った次第です。少なくともあたしにとっては。

韓流が改めて面白い!

韓流と言っても、K-POPのことではありません。音楽番組に出演してパフォーマンスする韓流グループの楽曲くらいは眺めますが、坂道グループ好きのあたしとしては特にK-POPには惹かれません。ですので、ここで言う韓流とは韓国文学のことです。明日、《エクル・リブリス》の新刊が配本になります。

韓国の作家カン・ファギルの作品です。《エクス・リブリス》では既に『大丈夫な人』が刊行されていますので、本作が二作目になります。それが『大仏ホテルの幽霊』です。

この作品、今年あたしが読んだ海外文学の中でも五本、否、三本指に入るのではないかと思える面白さでした。その点については既にこのダイアリーに書きましたので贅言はしませんが、たぶん多くの方が読み始めたら止まらなくなると思います。特に『大丈夫な人』と繋がるところがあるので、『大丈夫な人』を読んでいる方ならなおさらだと思います。

さて、カン・ファギルは、これはあたしの勤務先からではありませんが、『別の人』という作品も邦訳が刊行されています。こちらもとてもよいという感想を知り合いから聞いているので、読んでみたいと思います。

在僅本はどれくらい僅少なのか

ジュンク堂書店藤沢店のフェアの模様をご紹介しましたが、同店では河出書房新社の在庫僅少本フェアも開催されていました。

で、ついつい買ってしまったのが右の三冊です。

カルヴィーノは今年生誕100年だったので各地の書店でフェアをやってもらいましたが、準備の段階で調べてみると、各社から翻訳が出ていたのに現在では品切れになっているものが多いのに驚きました。

河出書房新社や筑摩書房の文庫にもカルヴィーノ作品はあるはずですが、いずれも品切れや在庫僅少だったと思います。まあ海外文学はきっかけがあると売り上げも跳ねるのですが、もともともは読者も限られますし、重犯の判断も難しいですから、品切れになったままなのも致し方ないところでしょう。

店頭で見つけた新刊などなど

ネットの情報も追ってはいますが、やはり書店に行った方が新刊に限らず、気になる本を見つけやすいですね。そう思ってしまうのは、ネットリテラシーが足りないからでしょうか。

そんな店頭で見つけた本の一つが、翻訳家・岸本佐知子さんのエッセイ『ひみつのしつもん』です。このたび文庫になりました。ちくま文庫ではこれで三冊目ですね。

こうして並べてみると、単行本を踏襲しているわけですが、ずいぶんあっさりとした装丁だなあという印象です。改めて感じてしまいました。

続きましてもう一冊。書店の店頭で『毒と薬の蒐集譚』という本を見つけました。なんか似たタイトルの新書があったなあと思い出したのが、中公新書の『毒と薬の世界史』です。実は検索してみると、タイトルに「毒と薬」を含むものって意外とあるのですね。

それにしても「薬と毒」ではなく、「毒と薬」なんですね。毒の方が先に置かれるとは、やはりその方がキャッチーなのでしょうか。あるいは単純に声に出したときのリズムが「薬と毒」よりも「毒と薬」の方が滑らかだからでしょうか。

それにしても、自然界にある多くのものは、薬にもなれば毒にもなるものですね。どちらになるかは使う人次第ということなのでしょう。

「待ってました!」の次は「待っています!」

あたしは子供のころから、それほどマンガを読むようなこともではありませんでした。毛嫌いしていたわけでもなければ、マンガを読むクラスメートをバカにしていたわけでもありません。そこまで本の虫ではありませんでした。

ただ単純に、少年サンデーとか少年マガジンとか、そういった少年マンガ誌を買うことがなかったというだけ、マンガが嫌いなわけではありません。もちろんテレビのアニメだってたくさん見てきました。ですから、大人になってからも、ちょっと気になるコミックなどは買うことがありました。

そして今回買ってみたのがこちら、『神聖ローマ帝国 三十年戦争』です。そもそもコミックで神聖ローマ帝国が読めるなんて驚きです。こんな連載があったことも知らなければ、著者のこともまるで知らないのですが、ついつい買ってしまいました。

考えてみますと、ここ十数年、コミックもしっかり歴史を踏まえたものが増えましたね。専門家から見ても十分鑑賞に堪えるような作品が多くなっていると思います。学習まんがのバリエーションとして考えてよいかも知れません。

コミック売り場で探してみたことはありませんが、思わぬ時代や人物を描いたコミックが結構出ているものです。そのうち、こういう作品ばかりを集めただけでも、十分に書店の世界史の棚を埋められるようになったりするかも知れません。

それが果たして人文書の棚と言えるのか、異見のある方もいらっしゃるかと思いますが、それくらい時代考証もしっかりしていて、コミックだからといって侮れない作品が増えているということでしょう。専門書に挑むにはハードルが高すぎるから、まずは新書で肩慣らし、という方も多いと思いますし、あたしもそうなんですけど、これからはコミックから専門書に進んでくる人も多くなるのではないでしょうか。

ところでこの『神聖ローマ帝国』なんですが、今回発売されたのがコミックの第一巻です。そして巻末に「次巻予告」とあるのですが、発売はなんと2024年10月頃とあります。これってほぼ一年後のことですよね。全何巻になるのかわかりませんが、完結まで何年かかることやら……

待ってました!

ずいぶん前に注文していた書籍が届きました。忘れたころに注文品が届くというのは、書籍に限らず、これまでもよくあったことですし、届いたときに「あれっ、こんな本、注文していたっけ?」と思うこともしばしばです(汗)。

今回届いたのはちくま新書『人類5000年史』の第五巻です。著者である出口治明さんの体調不良などもあって予定より刊行がかなり遅くなりましたが、無事に刊行されてなによりです。

この第五巻で1900年まで来ました。1901年から現在までを第六巻に収録して、それで完結なのでしょうか。それももちろんよいですが、個人的な願望を書かせてもらうなら、別巻あるいは第七巻として、出口さんに未来を語っていただきたいなあと思います。

未来の世界はこうなるのではないか、という予想でもよいですが、出口さんなりに「未来はこうなっていて欲しい」という願望でもよいです。未来を担う若者への提言、メッセージとして「こういう未来を作って欲しい」という宿題、課題でもよいです。そんなのをぜひ読んでみたいと思います。

重なりがち?

今月のちくま新書の新刊、3冊を購入しました。それが写真の三点です。

現代フランス哲学』『ガンディーの真実』『問いを問う』です。今月のちくま新書は6点刊行されているわけですが、そのうちの三点ですから、半分買ったということになります。

毎月そういうわけではありません。これはちくま新書に限らないのですが、どういうわけか新書で欲しいタイトルって、ある月に集中しがちなのです。ですから、全く一冊も買わない月もあれば、今回のように刊行されたタイトルの半分も買ってしまう月もあるのです。

どうしてなのでしょう。時事的なテーマのものですと、やはり世間で今それが話題になっているから、どこの新書レーベルでも著者を探して書き下ろしてもらおうと考えるのでしょう。ある数ヶ月に何冊も刊行されることがあります。ここ最近ですとウクライナやロシア関係のものとか、北条氏や鎌倉幕府に関連するタイトルが、それこそ数え切れないほど刊行されていたと思います。

あたしの場合、一番追っているのは中国ものなので、現在の時事的なものから歴史、思想、文学と中国に関するものであれば、ひとまずチェックします。さすがに全部買うわけではありませんが、そこそこは買っています。ずいぶん前にも嫌中本が増えたことがありましたが、また最近も日本の嫌中感情に背中を押されてなのか、感情的に中国を非難するような書籍が増えているようにも感じます。もちろんそういう本は買いません。

しおり、栞、久保史緒里

タイトルはふざけてしまいましたが、本に挟むしおりの話です。乃木坂46の三期生、久保史緒里の話ではありません(笑)。

さて、自宅では寝床で単行本を読みますが、通勤電車の中、営業回りの途次には、荷物になるので単行本ではなく、文庫本や新書を読むことが多いです。カバンには新書が入っていることが多いのですが、その新書、この数年、しおりがないレーベルが増えてきましたね。もとからなかったのか、この数年でしおりを廃止したのか、正確なところはわかりませんが、確かにしおりのある新書は少ないです。

ですので、電車を降りる際に読みかけのページにしおりを挟もうと思って困ることがしばしばです、書店のレジのところには、かつてはしおりやカードサイズのカレンダーが所狭しと並んでいたのですが、最近はそれも見かけなくなりました。ああいったものは、書店が独自に作っているものもありますが、多くは出版社提供するもので、出版社もこの不景気のため、そういうところの経費を削っているのでしょう。

あたしは自宅に、かつて店頭でもらったしおりを少なからず所持しているので、それらを使い回しております。ただし、やや大きなサイズのしおりですと文庫本の縦の彩図からは見だしてしまうことがあったりして、たぶんそれは単行本用のしおりだったのでしょうね。