やはり、ちょっと寂しいですね

書原高井戸店が来年の1月10日で閉店になるそうです。

と言われても、地元の人でないとわからないかも知れませんね。東京は杉並区にある本屋さんのことです。緒言と言えば『書店ほどたのしい商売はない』という本を出版している社長の下、東京の主に西部、多摩地区に数店舗を構えていたチェーンで、ずいぶん前に閉店した阿佐ヶ谷店が特に有名でした。

いまでこそバリアフリーなどと言われていますが、書原は通路も狭く、書棚にもすき間がないくらいビッシリと本が差し込まれているお店で、レジ前の一等地に積んであるから新刊だと思ったら、ずいぶん前に出ている本で、スタッフの方が個人的に推しているからそこに置いてあるような、とにかく個性的なお店でした。

そんな書原の店舗の一つが高井戸店で、高架になっている井の頭線高井戸駅の下にちょっとした商店街があり、そこに入っていた書店です。そしてなぜかこのお店は書原ではなく広和書店という屋号で営業していました。

あたしが高井戸に住んでいたのは小学校に上がる時から大学4年生まで、いわゆる一番多感な時です。本が欲しい時は、まずはこの本屋に来て本を探すのが決まりでした。子供心には、とにかくどっちを見ても本だらけ、子供にはとても難しくて歯が立たない本もあれば、子供向けの絵本や学習参考書も所狭しと並んでいて、あたしの人生最初の本屋体験のお店でした。

その後、何の因果か出版社の営業となり、中央・京王沿線を担当になってからは、仕事として何度も足を運んだお店です。書店の規模の大小に関係なく、多くの書店が廃業、閉店しているこのご時世、慣れているようでいて、自分にとって思い出の書店の閉店というのはやはり寂しいものですね。

まだまだ廃れないで欲しいと思います

本日の朝日新聞「声」欄です。こんな投書が目に留まりました。

漢和辞典に関する投書です。年代としては、漢文など受験科目からもなくなっていたでしょうし、ひととおり学校で習うとはいえ、さほど漢字や漢和辞典に興味、関心を抱く世代だとは思えません。

にもかかわらず、こんなに熱く漢和辞典について語ってくれています。嬉しいですね。小学校や中学校だと漢和辞典ではなく漢字辞典を使うのですかね? 高校生になって漢文の授業がありようやく初めて漢和辞典に接するというのが多くの学生のパターンだと思います。自分の漢和辞典を購入する学生は少数で、たいていは学校にあるものを使って済ませていたのではないでしょうか。

ところで、漢和辞典に限らず、こんな風に辞書を読み物として楽しめるのは電子よりも紙版だと思います。こういった楽しみに目覚めてしまえば、重くてかさばる紙の辞典でなくとも楽しめるでしょうが、最初のきっかけを与えてくれるのは、やはり紙の辞書ではないでしょうか?

まだまだ紙の辞書、そして漢和辞典が必要とされる社会であればよいと思います。

本の日だったのよね

昨日、11月1日は本の日。

皆さん、知っていましたでしょうか? 一応、ウェブサイトもあります。

本が並んでいる形と11月1日の数字の並びを引っかけたものです。

だったら11月11日の方がいいんじゃない?

という意見ももっともだと思いますが、根っからの本好きならいざ知らず、ふだんあまり本を読まない方にとって本の冊数が多いのは負担に感じられるかも知れません。かといって、1月1日では少なすぎるし寂しすぎるということで、11月1日なのでしょう。

もちろん、だったら1月11日でも構わないでしょう?

でも11月1日にしたのは、読書の秋にも引っかけているのだと思います。

ネット書店の近刊情報

とある書籍をネット書店で見つけました。

まだ刊行されていない書籍です。もう少しで刊行されるようなので、予約を募っているところです。

そこで、あたしはその出版社のウェブサイトで、その本についてもう少し詳しいことを知ろうと思いました。ところが、その出版社のサイトでは、その本は見つかるのですが、判型、頁数、価格くらいしか情報がありません。どんな内容の本なのかわかりませんでした。

そこで、改めてネット書店でその本を見てみますと、そこにはちゃんとその本の内容紹介が載っています。

それで疑問に思ったのですが、その本に関する情報が出版社のサイトには載っていないのに、ネット書店では載っているというのはどういうことなんでしょう? おかしくないでしょうか?

でも、これは今回の本に限らず、しばしばあることです。とてもおかしな業界だと思います。

自宅がオフィスになる

とある、取引先の大企業へ電話をしました。

ところが、あたしが用事のある方はその日は在宅ワークの日でした。

「日を改めて電話して下さい」と言われるか、「代わりに用件を伺います」と言われるか、どうなるのかと固唾を呑んで待っていると、「電話を回しますので少々お待ちください」と言われました。

なんと、その会社、各自にケータイを持たせているみたいなのですが、それが内線電話としても使えるようなのです。そんなことができる、ということは知っていましたが、現実に体験するのは初めてだったのでちょっとした驚きでした。いやー、時代はどんどん進んでいるのですね。

あたしの勤務先は、ケータイやスマホも特に社員に支給されているわけではないので、在宅ワークの日に取り次がないとならない場合はメールなどを使っています。

ただ、メールを見るといっても、それは社員個人のスマホや自宅のパソコンを使うわけで、このあたり仕事とプライベートの境界が難しいところです。自宅で仕事をするためにPCやソフトウェアを会社が買ってくれればありがたいと思うものの、ノートPCだと営業回りの時もカバンに入れて持ち歩かないといけなくなるのでしょうか? それはちょっと……

今年度版が出来ました

何でもネットで調べられる時代ではありますが、本好きな方はまだまだ実際に手に取って、肌触り(指触り)やインクの匂いを感じたいという方が多いようです。

そんな本好きの方のためのカタログ、「人文三目録」の2021-2022版が完成しました。三目録というくらいですから三種類ありまして、『哲学・思想図書総目録』『心理図書総目録』『社会図書総目録』です。

お近くの書店で見かけましたら、ぜひ手に取ってご覧ください。もちろん無料ですので、気に入ったら、そのままお持ちいただいて構いません。

さて明日からは……

ゴールデンウィークって今日までなのでしょうか? 明日と明後日も休暇を取っている、あるいは会社自体を休業にしている企業もあるのではないかと思います。そうなるとゴールデンウィークは9日までですかね?

あたしの勤務先はカレンダーどおりなので、明日と明後日は仕事です。在宅勤務も推奨されていますのですが、休み明けなのでほとんど全員が出社になるのではないでしょうか? 休みが続くとそうなりがちですよね。

あたしは、行ってやらないといけない仕事があるので出勤しますが、金曜は在宅にしようと考えています。来週もどうしましょうかね? やはり出勤しないとできない業務っていうのがありますから、全部を在宅勤務にするわけにはいきません。しかし、感染力が強く重症化しやすいと言われる変異ウイルスが増えてきているようなので、できることなら在宅を増やしたいところです。

いっそのこと、勤務先が「出社できるのは四名まで」といった基準を出してくれるとありがたいのですが、国や都から強い指示が出ないと率先して動こうとしないのが日本の企業の体質ですから、そんなことを期待するだけ野暮というものでしょう。

番線印

この数年、御朱印集めが流行しているみたいですね。

実は、あたしも高校生のころにハマっていたのですが、社会人になってからはとんとご無沙汰しております。そうこうしているうちに世間で御朱印が流行りだしたので、ちょっと冷めてしまいました。天の邪鬼なんです。

寺社の朱印は昔からあるものですが、あたしが集めていた数十年前、既にすべてがハンコで構成された朱印もあって、興醒めした思い出があります。昨今は御朱印集めがブームになっているので、参観するとまず御朱印を頼んで、境内をひとまわりして帰り際に出来上がっている朱印をもらう、というスタイルが一般的になっているのでしょうか? あたしが集めていたころは、朱印を集めている人もまだ多くなく、その場で書いてくれたものでした。

そんな御朱印も最近はどんどん他の分野にも広がって、お城の印、城印というのでしょうか、そういうものも収集の対象になっているそうです。そもそもお城に印なんてなかったのに、折からのお城ブームに乗っかって、それに御朱印集めを組み合わせて、誰かが思いついたのでしょう。商魂逞しいものです。

そうしたところ、こんどは「護守印」なるものを知りました。海上自衛隊が艦船ごとに朱印を作ったみたいです。戦車とか艦船にもミリタリーファンが昔から根強くいますし、最近はゲームでしたっけ、艦船などを擬人化したものが流行っていたと思います。そんな風潮に乗っかったのでしょう。これも流行るのでしょうか?

というわけで、あたしもちょっと思いついたのですが、書店の「番線印」集めってどうでしょう? たぶん一般の方は「番線印」と聞いても何のことかわからないと思います。本屋さんが出版社に注文を出す時に、自分の書店を表わす住所というか記号のようなもので、どの書店にも必ず一つはあるものです。「番線印」と言うくらいですからもちろんハンコ、スタンプ状のもので、あたしたち出版社の営業が書店に行って注文をもらった時には注文書にその番線印を捺してもらうのです。

この番線印を一般の人が集めたらどうでしょう? そのお店で何か一冊買ったら番線印を捺してもらうというシステムです。都会の大型書店から離島の小さな書店まで、見てくれにそれほど個性はないかも知れませんが、いろいろな書店の名前が書いてあって、それなりに興味深いと思います。

紀伊國屋書店の国内全店の番線印を制覇するとか、何かスタンプラリーっぽい企画を絡めたら、それなりに集めようと思う人が出てくるのではないかと思うのですが、どうでしょう?

電子書籍、と言うよりも電子テキスト?

昨日このダイアリーに書いた電子書籍について、その続きです。

続きと言うよりも、全然別のことかも知れませんが、あたしの頭の中では一連のことなのでお付き合いください。

現在の電子書籍って、基本的には紙の本がそのままスマホやタブレット、パソコンのディスプレイなどでも読める、という形になっています。レイアウトも紙の本のまんまのようです。文字を拡大すると、画面上に収まりきらなくなるので、スクロールしないとならなくなります。

電子書籍って、購入したことがないので、上記のことはすべて聞きかじりなので、間違っていたらすみません。でも、たぶん合っているのではないかと思います。

こういった電子書籍は、場所を取らないから置き場所に苦労しない、何冊持っていてもスマホやタブレットの重さしかないから相対的に軽くて持ち運びやすい、といったメリットがあります。そういったことに文句を言うつもりはないのですが、当初、電子書籍が誕生するころって、電子書籍と言うよりは電書テキストみたいなものが配布されるものだと、あたしは思っていました。

「電子テキストが配布されても、それをどうするの?」と聞かれそうですが、当初あたしがイメージしていたのはこういうものです。

たとえば、あたしが好きな中国古典、例として『論語』を挙げてみますると、邦訳はたくさんの種類があります。訳者によって解釈も異なりますし、それに応じて訓読も異なる場合がままあります。あたしはそんな各種『論語』の現代日本語訳電子テキストを同じ章句ごとに並べた、自分だけの『論語』を作りたいなあ、と思っていたのです。そんなにたくさんは並べられませんので、代表的な四つくらいを並べ、それを四六判かA5判くらいの大きさでレイアウトしようと思っていたのです。

レイアウトした、自分だけの『論語』をどうするかと言えば、プリントして製本し、世界に一冊だけの『論語』日本語訳対照本を作りたいなあと考えていたのです。オンデマンド製本機もあったようですので、そういう自分だけの書籍の製本サービスを、書店店頭で受け付けてくれないかあ、などと思っていました。書店の多くは文具を扱っていますので、表紙カバーの用紙なども選べるようにして、お客さんが持ち込んで電子書籍(電子テキスト)の製本サービスをやったらよいのに、と思っていました。

丸善のように洋書を扱っている書店なら、洋書とその日本語訳の電子テキストを販売(配信)し、それを左右でも上下でも自分で好きなようにレイアウトし、自分なりの対訳本を作れるようになったら楽しいだろうなあと夢想していました。

大手チェーン、丸善ジュンク堂にしろ紀伊國屋書店にしろ、電子書籍を販売していますが、こうした電子テキストは販売していませんよね? もちろん出版社が提供してくれないとテキストとして販売することはできないのでしょうが……。でも、こういうサービスというか販売形態、これから伸びないものでしょうか?

電子書籍のこと

そんなこと社内で担当者に聞けばよいのでしょうけど、とりあえず書いてみます。

電子書籍は品切れにならない、とよく言われます。在庫を持たなくてもよい、とも言われます。

確かにその通りなのですが、果たして本当に品切れにならないのでしょうか?

あたしの勤務先の場合、海外の書籍の翻訳が多いです。そこには当然、翻訳権料がかかりますので、どうしても国内作家の本に比べると割高になってしまいますし、だから小回りの利いた重版などをして在庫を維持するというのも難しいものです。なおかつ、翻訳出版には期限がありますので、刊行後数年経って権利の更新をする時に、「もうこの本は売れないから更新はしないでおこう」となると、当然紙の書籍が品切れになったらそれで終わりですが、電子の方はどうなっているのでしょう?

紙の書籍の翻訳権は更新しないけど、電子の方は更新するということはありえるのでしょうか? でも、そうすれば紙では品切れになったとしても電子では購入ができるわけですから、出版社としては在庫を抱えなくてもよい、読者としては(とりあえず電子ではありますが)その本を手に入れることが可能になります。

勤務先を見ていると、紙の書籍が品切れになり、翻訳権の更新をしなかったら、そのまま電子も配信ストップになっているのか、あるいは電子だけは継続して配信しているのか、きちんと調べたことがないのでよくわかりませんが、他社の場合はどうなのでしょう?

新聞に電子書籍の記事が載っていたので、ちょっとそんなことを考えてしまいました。