今朝の朝日新聞に田村隆さんの訃報が載っていました。
田村さんと言えば、つきぢ田村、そしてあたしの勤務先から出ている『返し包丁』『隠し包丁
』『つきぢ田村の隠し味365日
』の著者でもあります。
まだ60代前半とのこと。こんなに早く逝ってしまうとは……
合掌。
出版業界に関する話題
今朝の朝日新聞に田村隆さんの訃報が載っていました。
田村さんと言えば、つきぢ田村、そしてあたしの勤務先から出ている『返し包丁』『隠し包丁
』『つきぢ田村の隠し味365日
』の著者でもあります。
まだ60代前半とのこと。こんなに早く逝ってしまうとは……
合掌。
まずは昨日の紙面から、書籍の価格が総額表示になるという件です。
現在、一部を除いて、書籍の値段はカバーや帯に「本体1800円+税」といった風に書かれています。これを4月以降は「定価1980円」といった書き方にしましょう、ということらしいです。この方がいくら払うべきなのかがお客さんにわかりやすいということなのでしょう。スーパーなどは既に総額表示になっていると思うので、むしろ出版界(書店)だけが違っていた、という方が正しいのでしょう。
リアル書店はともかく、ネット書店は既に総額表示しているところが目立ちますので、リアル書店が変わるのも時間の問題だったのでしょう。法律的にはこれまでが特例で本体+税という表記を認めてくれていたわけで、それが4月からは特例措置は終わり、もう総額表示にしてくださいね、ということなわけです。
しかし、一日や二日で長くても一か月もあればほぼ入れ替わるスーパーなどの商品に比べ、書籍というのは何年経っても置かれている、売られ続けているものです。そしてその間に税率が上がったりする可能性があります。そうなると値段の部分のためにカバーなどを作り直すのか、あるいはシールを貼るのかしないとならなくなります。これはあまりにも手間と経費がかかってしまい、経営規模の小さな出版社にとってはバカにならない経費増です。
4月まで、まだまだ紆余曲折がありそうで、すんなり4月から総額表示スタートとなるのでしょうか?
東京の世田谷区にフェミニズム専門の書店がオープンするらしいです。
出版界でも韓流ブームがあって、その作品はフェミニズムがテーマのものが多く、そういった時流に乗ったお店だと思います。
あたしは不勉強で、記事中にある雑誌の『エトセトラ』って知らないのですが、その雑誌をベースにした書店のようですね。客層はやはり女性が多いのでしょうか。男女半々くらいになったら、もうフェミニズムなんて言葉も不要な世の中になっているのでしょうか?
本日の朝日新聞の読書欄です。そこにこんな記事が載っていました。
みすず書房、東京大学出版会、そして白水社の三社が、それぞれで出している自社のPR新聞「パブリッシャーズ・レビュー」がこの年末年始ですべて休刊になるという記事です。既に東京大学出版会は最終号が出ていて、みすず書房も今月発行のもので最後、年明け1月に出る白水社のものが殿ということになります。
三社とも無料で、書店店頭などのラックに入っているのを見たことある人、貰って帰ったことがある人、大勢いらっしゃると思いますが、それももう出来なくなるのですね。
東京大学出版会とみすず書房は、それぞれPR誌を発行していますので、そちらに統合されるのようなものですが、白水社に関してはそういったPR誌がないので、果たして今後はどうなのでしょうか? 近々アナウンスがあるのではないでしょうか?
そう言えば、この秋は全国の書店で「レビュー合戦」という、三社共同のフェアをやっていました。そういう枠組みは、パブレビが休刊になっても維持したいですね。無料の紙媒体の配布物は、今の時代、なかなか厳しいのでしょうか?
この半年くらい、社内の会議はZoomを使うようになりました。
勤務先でZoomに参加する場合、全員が全員自宅にいるというわけではないので、勤務先のデスクに座りながら、隣の同僚とZoomを使ってやりとりするのは不思議な感覚でした。隣に座っているんだから、Zoomを使うなんて面倒でしょ、というのが正直な感想でした。
一方、自宅からZoomに参加する場合、会議用の資料を持ち帰るのを忘れて、うろ覚えで会議に参加することが何度かありました。Zoom会議を何度かやるうちに、社内の書類・資料はほとんどPDF化され、勤務先にいようが自宅にいようが滞りなく会議が進められるようになりました。こんなところにも、「新しい働き方」の一端を感じられました。
ところが、最近になって、在宅勤務が減り、会議参加メンバーが勤務先で全員揃うようになりました。なので先日、久々にZoomではなく対面での会議となりました。が、そこで問題勃発です。
いざ会議テーブルに参集したのはよいのですが、その前に、事前に配布されていた資料をプリントアウトしなければいけないことに気づきました。この半年、電子化された資料をPCの画面で見ながら会議するのが常態化していたので、いまさらプリントアウトするなんて……
あたしの勤務先のPCは、ほぼ全員デスクトップPCを使っています。しかし、今後、Zoom会議と対面会議が併用されるようになるのであれば、会議テーブルに持って行けるノートPCをメインにした方がよいかも知れませんね。社内の無線LAN環境は一応整っているので、ノートPCに変わっても問題はありませんし、ノートPCを持って移動しながら仕事をするなんて、ちょっと格好よくないでしょうか?
今日、11月1日は本の日です。国際的な記念日というのではなく、あくまで日本ローカルな記念日です。本の日の公式サイトによりますと
本棚に並ぶ本を見立てて(111)11月1日に指定いたしました。全国の本屋さんそれぞれが、お客様に喜んでいただけるような企画を考え行いながら本屋に足を運んでいただこうという活動です。
とあります。確かに本が並んでいる感じに見えなくもないです。「だったら、11月11日の方がよくない?」というツッコミは置くとして、11月1日ですから、書棚に本が三冊並んでいることになります。そこで本を三冊送ろうという「ギフトブックキャンペーン」を全国各地の本屋さんが行なっています。
というわけで、あたしも三冊、選んでみました。選んだのはすべて中国古典の現代語訳『韓非子』『荀子
』『孫子
』です。『韓非子』は全四冊、『荀子』は上下本なので、正確には三冊ではありませんが、ひとまず第一巻を並べています。あたしが学生時代に中国古典にのめり込むきっかけとなった書籍です。
一般の方にお薦めするのであれば、岩波文庫よりもKADOKAWAの「ビギナーズ・クラシックス 中国の古典」がよいのかも知れませんが、シリーズに『荀子』がないので、岩浪文庫にしました、あしからず。『韓非子』と『孫子
』だけなら、KADOKAWAでもよいと思います。
ただ、あたしの人生を決定付けたというのであれば、本当は岩浪文庫ではなく、徳間書店の「中国の思想」シリーズなのです。高校時代に出会いました。
写真のように、このシリーズは第一巻が『韓非子』です。おぼろげに中国古典に興味を持っていたあたしは、このシリーズを全巻購入し最初から読み始めました。ですから、まずは韓非子の洗礼を浴びたわけです。
小学生のころからクラスに馴染めず、イジメとまではいきませんが、どちらかと言えばクラスの嫌われ者だったあたしは、他人なんて信用できないという考えに凝り固まっていて、もちろん友達と呼べるような存在もいませんでした。そんなあたしが『韓非子』を読んだわけですから、他人を信じないことは正しいことだ、信じてはいけないんだ、という気持ちにお墨付きを与えられたような気持ちがしたものです。そして今に至るのです。
文芸作品でお薦めの三冊は、ちょうど「我々の祖先」三部作が完結したカルヴィーノです。すなわち『不在の騎士』『木のぼり男爵
』『まっぷたつの子爵
』の三冊です。
海外文学というと読む前から難しいと思って敬遠される方も多いですが、こちらは分量もそれほど多くはなく、内容も読みやすい作品ですので、海外文学一年生でも読みやすい作品だと思います。
本日もテレワークです。
テレワークも数ヶ月が過ぎ、会議は専らZOOMで開くというのが常態化しました。
となると、自宅(あるいはどこぞのスペース)で仕事をするときに必要なものがあります。ニュースなどでもしばしば取り上げられますが、会社によって対応に差があるようですね。金銭的な補助にしろ、ハード面でのサポートにしろ、しばらくやってみないと必要なものが見えてこない部分もあります。
あたしの場合、自宅にパソコンがありますが、業務で使うのに自宅の、個人所有のパソコンを使うというのはどうなのでしょうね? セキュリティーという面もありますが、そもそも論としてパソコンを持っていない人の場合、会社が買ってくれる(レンタルしてくれる)のでしょうか? スマホしか持っていないという人も多いのではないでしょうか? さすがにテレワークがスマホだけというのは厳しいでしょう。
かといって、会社でパソコンを買ってくれる(レンタルしてくれる)となると、既に所有していて、自分のパソコンを使っている人との差が出きてしまいます。既に持っている人には買って(レンタルして)もらえないのでしょうか? 人によっては自分のパソコンを仕事には使いたくないと思う人だっているはずです。
それに、テレワークですから通信しないといけませんが、その通信費って誰が負担するのでしょう? 自宅にパソコンがある人は、ほぼ間違いなくどこかしらのプロバイダーと契約しているでしょう。定額制であれば、仕事で使っても追加料金が発生することは少ないかも知れません。しかし、スマホしか持っていない人で、一番安い料金プランを使っている場合、テレワークで一気に通信量が増えた場合、追加料金が発生する可能性が高いのではないでしょうか? このあたりの追加分を会社が負担してくれるのか……
とまあ、巷間言われている、上記のような問題もあり、正直なところ、パソコンや通信費に多少の補助をしてもらいたいとは思います。会社側に要求するのは正当な権利だと思います。ただ、今はしばらくおくとして、この数ヶ月テレワークをやってみて気づいたのは、会社の書類が電子化されていない不便さです。
リモート会議に自宅から参加する場合にせよ、自宅で会社の業務を行なうにせよ、「あっ、あの書類、会社の引き出しに入れたままだ」「この前配られた書類、ファイルに綴じて机に置いてある」といったことが過半でした。これでは、仕事をするには会社へ行かなければなりません。何のためのリモートワークはわかりません。
最近でこそ、配布物がPDF化され、メール添付で配布されるようになりましたが、まだまだPDFになっておらず、紙で配付されているものがあります。これらをすべて電子化し、自宅からで取り出せる(閲覧できる)ようにしないと、本当のリモートワークはできませんね。そして、そんな環境が整ったころには、コロナも収まって、ワクチンや治療薬もできて、テレワークの必要性がなくなっているのではないかと思います。
まあ、あたしの勤務先の場合、編集部などは今後もテレワーク併用で構わないと思いますけど。
本日は、あたしの勤務先の棚卸し、早稲田にある倉庫へ朝から出かけておりました。
倉庫だから、と言ってしまってよいのか、今どきの倉庫会社の最先端の倉庫を知らないので何とも言えませんが、あたしの勤務先の倉庫には冷暖房なんてものはなく、真夏のこの日、ただただ扇風機だけを頼りに、在庫する書籍の数を数えておりました。
いや~、とにかく暑かったです。毎年この時季なんですが、ここ二年くらいは曇りがちで、意外としのぎやすい棚卸しだったのですが、今年は違いました。「もろに夏!」という暑さが容赦なく襲ってきました。半日でTシャツはびしょびしょ、保温ポットに入れておいたスポーツドリンクもあっという間に空になってしまいました。
昼休みにドリンクを買い足して、午後はそれでなんとか生き延びました。棚卸しの時期、もう少し季節がよい自分に変更できないものかしらと、毎年思うのですが、こればっかりは如何ともしがたいようです。
学術書の専門出版社がなくなり、その出版社が出していた商品を東京大学出版会と講談社が引き取って、今後も刊行を続けるといういことです。読者からすると、刊行が続くというのは嬉しいことですし、引き受けた出版社の英断に拍手を送ります。
ただ、創文社が刊行していた書籍すべてを、この両社が引き受けてくれたわけではないですよね。もちろん今後も刊行を続けていくべき商品か否かは、一点一点しっかり吟味しないとならないと思いますが。
しかし現実問題として、この出版不況で経営が厳しい専門書出版社は創文社だけではないはずです。これからも出版社の解散や倒産といったニュースはあると思います。もちろんニュースにもならず、ひっそりと静かに幕を下ろすところも多々あるだろうと思います。
それに対して、その遺産を引き継いでくれる出版社はどれくらいあるのでしょう? 採算割れはしないとはいえ、学術書ですから一定数の読者はあるとしても売り上げはたかが知れていると思います。売れて売れて大儲けなんてことはないでしょう。そもそもそれくらい売れるのであれば、元の出版社がなくなることもないでしょうし……
函入りの《東洋学叢書》は、やや高価ということもあり、専ら図書館や研修室の蔵書を借りるばかりでしたが、こちらの写真に写っている《中国学芸叢書》は出るたびに購入していました。
写真には10冊ほど映っていますが、他の書架に3冊あるので、全部で13冊所蔵しています。不定期刊行だったので、全部で何冊刊行されたのか、果たしてあたしはすべてを所持しているのか、まるっきり不明ですが、とりあえず刊行が始まったころのものは所持・架蔵していると思います。
刊行当初のラインナップ(刊行予定)を見ると、なかなかに興味深いタイトルが揃っていたという記憶があるのですが、結局この叢書は完結したのでしょうか、あるいは刊行されずに終わったタイトルは他社から刊行されたりしたのでしょうか?
ちくま新書の『世界哲学史』が紹介されていました。
新書の中にシリーズを作るというのは岩波新書などにもしばしばありますので珍しいことではありませんが、個人的に「おやっ」と思ったのは、シリーズの途中で紹介されたことです。
この手のものはスタート直後か完結したときに紹介されるものではないかと勝手に思っていたので、まだ完結していない刊行途中の状態で紹介されたということは、この『世界哲学史』がよほど売れているのでしょう。羨ましいかぎりです。
記事には、西洋だけでなく東洋も含んでいるところが売れている鍵のように書いていますね。確かに、世に「哲学史」と名の付く書物は多いですが、ほとんどが西洋のみを扱ったものです。なかなか洋の東西を問わない哲学史は少ないなあというのが気になっていました。
しかし、そんなことを気にしていた高校生のあたしが見つけたのが、『世界の思想史』上下巻(白水社刊)でした。これはタイトルどおり西洋に限らない「世界」を扱った思想史の本でした。
神奈川県を中心にチェーンの展開する書店、有隣堂の記事が載っていました。
この手の、本を中心としないお店がこれからの書店のスタンダードになっていくのでしょうか?
しかし、物販とか飲食とか、そういった方面で利益を上げられるのであれば、あえて書店である必要ってどこにあるのでしょう? だから記事にもあるように「少しあるだけ、むしろ飾りに近い」というのでは、ちょっと寂しい気もしますね。
でも本屋がこれから先も生き残るためには、本屋で収益を上げられない以上、他の方法を模索するのは企業としては当然のことで、こういうスタイルで成功すれば本屋も続けられると考えた方がよいのかも知れません。
しかし、本来であれば、本屋という本業で収益を上げられる方法を業界全体で考えないといけないんでしょうね?