歴史修正主義

少し前に中公新書の『歴史修正主義』を読みました。その著者、武井彩佳さんが今朝の朝日新聞に登場していました。

武井さんと言えば、あたしの勤務先の著者でもあります。これまでにも『ユダヤ人財産は誰のものか』『戦後ドイツのユダヤ人』といった著作や『ホロコースト・スタディーズ』といった訳書を刊行しています。

あたしには難しいことはわかりませんが、以前だったら誰も信じないようなこと、そんな声が大きく広がるようなことはなかっであろうに、ネット社会の現在だといとも簡単に嘘やデマが、さも真実であるかのように広まってしまうのは怖いことですね。

著者に会いたい

このところ朝日新聞の読書欄で、あたしの勤務先の書籍が取り上げられることがなくて、少し寂しい思いをしていましたが、今朝の紙面ではこんな記事が載っていました。

『日本新劇全史』第三巻が刊行されたばかりの大笹吉雄のインタビューです。記事の端っこに書かれている価格を見て驚かれた方もいらっしゃると思いますが、誤植ではありません。本体価格で言いますと、第一巻と第二巻がどちらも30000円、そしてこの第三巻が38000円なのです。

函入りの立派な本です。ですから書店店頭で見かける機会は少ないかもしれませんが、見かけたときには是非じっくりご覧いただければと思います。

そして、朝日新聞の読書欄と言えば、実はこのところ人文会会員社の書籍の紹介もやや少なくなっているような気がします。こちらも非常に残念、否、由々しきことだと思っています。

本日も、いわゆる書評欄には人文会会員社の書籍は取り上げられていませんでしたが、ページをめくったところに、ご覧のように創元社と晶文社の書籍が取り上げられていました。ちょっとホッとしております。

そんな土曜日ですが、このダイアリーでも何回か、そして何年もご紹介している近所の銀杏の木。四本あるうちの二本が先に黄葉し、あとの二本が遅れて黄葉するのは例年どおりですが、今朝はこんな様子です。

もう緑と言うよりは、すっかり黄色、まさに黄葉です。落葉もしていますので、黄金色の絨毯が敷き詰められているようで、とてもきれいです。空も雲一つなく澄み渡っています。これくらい日差しがあると、昼間は寒くなく、心地よく過ごせますね。

ところで黄葉で思い出したのですが、わが家の近所、欅が多くて、いまは落葉の真っ盛りなのですが、欅は茶色くなるだけで、紅葉としてはあまりきれいではありません。そして近所にはもみじや楓が見当たらず、きれいな紅葉を見ることができないのです。

ナナカマドの真っ赤も憧れますね。近場で見られるところはないものでしょうか? 小金井公園へ行けばよいのでしょうか?

本日も朝日新聞の片隅に

今朝の朝日新聞です。終戦記念日ということで、それっぽい記事が載っています。

今年は特に、ロシアのウクライナ侵攻が現在進行形ですので、より戦争というものを切実に考える記事が新聞だけ出なくテレビ番組でも目立つような気がします。

右の写真もそんな記事の一つですが、この記事の中に文庫クセジュの一冊、『ケアの倫理』が引かれていました。この本自体は、エミリー・ブロンテを特に取り上げた本ではなかったはずですが、筆者の小川公代さんがうまく関連付けて書いてくれました。

ところで、この『ケアの倫理』だけでなく、文庫クセジュでは、ケアとか心を扱ったものが、この数年数多く刊行されていまして、それらが思いのほかよく売れているのです。時代に合っているということでしょうか?

そんな動きを取り入れ、この秋の企画として右のようなフェアを準備しています。「ととのえる」というのも最近の流行後の一つですよね。いろいろと流行に乗ってみました(笑)。

今回の朝日新聞の記事は戦争とケアということがメインのようですが、これらの文庫クセジュがよく売れている背景には東日本大震災があります。10年が過ぎ、ようやく立ち直りかけていたところへ、ウクライナ侵攻という悲劇がまた起こったわけで、まだまだこういった書籍への需要は衰えないのではないでしょうか。

紙面で紹介?

本日の朝日新聞紙面です。

浅井晶子さんが本を紹介しているのですが、その浅井さんの紹介欄に、あたしの勤務先の刊行物が載っていました。

それが『行く、行った、行ってしまった』です。同書は、ドイツに大量に押し寄せた移民、難民とかかわることで少しずつ気持ちが変化していくドイツの大学教員の物語です。

日本でもコロナ前には移民に関する議論が盛り上がっていましたが、ヨーロッパではもっと切実な、身近な問題として移民問題が存在することがわかります。そして、移民や難民を大量に受けているドイツという国は非常に寛大な国だと思いがちですが、やはりドイツ国民の間にも感情の濃淡があることがわかります。

移民を受け入れよう、難民に手を差し伸べようというのも決して綺麗事では済まされないのだと言うことがよくわかる作品でした。

若干の関連がある記事です

今朝の朝日新聞読書欄で『カタルーニャ語小さなことば僕の人生』の田澤耕さんが紹介されていました。

カタルーニャ語ってどこで話されている言葉かわかりますか? 一昔前だと「わからない」という答えも多かったと思いますが、ここ数年、田澤さんが精力的にカタルーニャ語の本を刊行されているので、日本人にもかなり浸透しているのではないでしょうか?

ところで、この田澤さんは、あたしの勤務先からもカタルーニャ語の本を出していただいております。『ニューエクスプレスプラス カタルーニャ語』『詳しく学ぶカタルーニャ語文法』です。

語学が柱の出版社なので、カタルーニャの文化とか歴史、暮らしなどに関する本ではなく、純粋に語学の本ばかりですが、異国を知るにはまずは言葉だと思います。わが社はこれでよいのだと思いますし、こういった本の刊行も大事なことだと思っています。

さて、同じ朝日新聞で、今年秋に行なわれるサッカーW杯に関する記事がありました。10番という背番号にスポットが当たっています。

これで思い出すのが『背番号10 サッカーに魔法をかけた名選手たち』です。

王様か神様か? 悪童か怪物か? 伝説の名手から21世紀の新星まで、「背番号10」を背負ってピッチを支配する55人の偉大な選手たちの素顔と、彼らが魅せる「魔術」の秘密に迫る!

内容紹介は上記のとおりです。往年の名選手から現役の選手まで、55名もの選手が登場する一冊です。あたしはサッカーに疎いのですが、サッカー好きであれば、よーく知っている選手もいれば、あまりよく知らない選手も出て来ると思いますので、十二分に楽しめるのではないでしょうか。

ただ、その一方で、10番を付けていない(いなかった)名選手というのもいますよね? サッカーにおいて10番というのがそれほど重い番号であるならば、「背番号10を背負わなかった名選手たち」といった本があってもよいのではないでしょうか?

朝日の読書欄から三点ほど……

一日遅れになりますが、昨日の朝日新聞読書欄で、最近あたしが読んだ本が二点も紹介されていましたので……

まずは中公新書の『新疆ウイグル自治区』です。ウイグルを巡る記事、ウクライナの影に隠れて最近は少ないようですが、華なりひどい状況のようです。ジェノサイドという言葉でまとめてしまってよいのか、という著者の指摘は重要でしょう。

本書はタイトルどおり、中国の新疆ウイグル自治区を扱ったものではありますが、中国国内ではモンゴル族やチベット族に対する弾圧も厳しいものがあります。さらには同じ漢民族でも共産党に逆らえば弾圧されるということは香港の現状を見ていれば簡単に理解できることでしょう。習近平政権はいったいどこへ向かうのでしょうか?

ただ、中国問題は、それでも日本でも海外でも報道されやすい、比較的多く捧持されていると思いますが、ミャンマー情勢はこのところ全く報道されませんね。国内の弾圧は国際情勢に大きな影響を及ぼさない限り、それほど省みられないのは悲しいことです。

話は変わってもう一点はちくま新書の『ルネサンス 情報革命の時代』です。新しい視点でルネサンス時代を捉えた、とても読みやすい一冊でした。

ちなみに著者の桑木野幸司さんは、あたしの勤務先から『ルネサンス庭園の精神史』という一冊を刊行されています。これはサントリー学芸賞を受賞した作品です。

そして最後に、これは未読なのですが、あたしの勤務先の新刊が一冊、紹介されていました。『レーモン・クノー 〈与太郎〉的叡智』です。

レーモン・クノーと言えば、『地下鉄のザジ』など、日本でも数多くの作品が翻訳されているフランスの人気作家です。クノーの作品を「与太者」という視点から取られた評論です。クノー作品のファンであれば必読ですし、まだクノーを読んだことがない方にも、クノー作品の魅力を教えてくれる格好の一冊になっています。

受賞が続きますね

今朝の朝日新聞です。岡田利規さんのインタビュー記事が載っていました。

文中にある『三月の5日間』『未練の幽霊と怪物 挫波/敦賀』はあたしの勤務先から刊行されています。ご興味のある方は是非どうぞ。

今回、三島由紀夫賞を受賞した『ブロッコリー・レボリューション』は単行本未刊なのですね。

今朝の朝日新聞より

予告どおり、朝日新聞読書欄で『一九三九年 誰も望まなかった戦争』が紹介されました。

揚げ足を取るつもりはありませんが、望んで始める戦争ってあるのですかね? 為政者にとっては自分の野望を実現するために戦争を起こす、ということはあるのでしょうけど、庶民から見たら、そんな人はいないのではないでしょうか?

でも、政府のプロパガンダに乗せられて「生意気なあの国を懲らしめろ」と国民が激昂するのは、日本でも数十年前にありましたから、やはり望んで始める戦争ってあるのかもしれません。

ロシアのウクライナ侵略に関して言えば、被害者を強調していますが、やはりプーチンが望んだ戦争なんでしょうね。そう感じます。

さて、今朝の朝日新聞にはもう一つご紹介したい、ご紹介しなければならないところがありまして、それが左の写真です。

斎藤幸平さんが登場していますね。そして、この記事の中にセルジュ・ラトゥーシュの名前が出て来ます。

ラトゥーシュと言えば、文庫クセジュの『脱成長』です。お陰様で、ベストセラーかつロングセラーになっている一冊です。斎藤幸平さんも刊行直後にご自身のTwitterで触れてくれました。

「脱成長」も昨年来、現代社会を分析する際のキーワードですね。本書の後にも脱成長をテーマとした書籍がたくさん刊行されていますから。こうして記事になっているところを見ると、一過性ではなく、いまも必須の話題、テーマなんですね。

他者理解とは?

昨日の朝日新聞読書欄で『「その他の外国文学」の翻訳者』を取り上げていただきました。

お陰様で、同書は刊行前からSNSで話題になり、刊行後も非常に好調な売行きです。

知らない言語を知るというのは、その言葉や、その言葉を使う人たちに対する興味、関心、愛着があるということだと思います。外国語を学ぶということは異文化理解、他者理解の第一歩だと思います。

もちろん、その言語を自分では習得できなかったとしても、翻訳者によって邦訳された文学作品を読むことで理解が進むところはありますので、これはこれで大事なことだと思っています。

そんな考え方の延長にあるのだと思いますが、『ニューエクスプレスプラス ウクライナ語』も売れています。ロシアのウクライナ侵攻によって、ウクライナという国への関心が高まっているのでしょう。それはそのまま侵略側であるロシアに対する関心にも繋がっているようで、『ニューエクスプレスプラス ロシア語』も売れているのです。

というように、戦火を被っていない日本では素朴に両国に対する関心もあって語学書が売れているわけで、他者理解の第一歩なのだと考えられます。ただロシアとウクライナの現状を見ていますと、言葉を知ったからといって理解が進むのか、という疑問も湧いてきます。

親戚や家族が両国に別れて暮らしていた人も多かったように、そして侵略以前は両国の人々が素朴に感じていたように、ロシアとウクライナは兄弟のような国であり、お互いの言葉もほぼ理解できる間柄だったと思います。言葉を理解するのが相手を理解することの第一歩なのだとしたら、どうしてロシアとウクライナは戦争をしているのでしょう?

理解が進むと、こんどは近親憎悪が生まれるのでしょうか? あるいはあまりにも近くなると共通点ではなく相違点に目が向くようになるからでしょうか? 似ているからこそ、同じだと思い込みやすく、ちょっとした違いが許せなくなるのでしょうか?

読書欄もウクライナの影響を受けている

今朝の朝日新聞読書欄です。

トップの特集は、やはりウクライナ情勢関連です。核についての記事の中に『チェルノブイリ 「平和の原子力」の闇』が取り上げられていました。

本書は、ちょうどロシアのウクライナ侵略が始まったタイミングで刊行されたのですが、それは全くの偶然で、1986年ですから今から36年も前の原発事故を検証したノンフィクションがどれくらい日本で受け入れられるのか、正直なところ多少の不安を抱いていました。

ところが、この一か月、二か月でこそウクライナやクリミア半島の歴史、プーチンに関する書籍が奔流のように刊行されましたが、当初はこれといった関連書籍も少なく、本書が〈ウクライナ情勢を読み解く〉的な書店のフェア台で存在感を示していました。

それでもあたしなどは「今回のロシアによる侵略とチェルノブイリ事故は関係ないんだけど……」と思っていたのですが、ロシア軍によるチェルノブイリも含めた原発への攻撃が行なわれ、俄然注目の一冊となってしまったわけです。皮肉なものです。しかし、欧米というのは、数十年経っても、丹念に資料を博捜し、こうした骨太な検証本を刊行する姿勢が羨ましいです。日本人って、やはり熱しやすく冷めやすい国民性だと感じます。

さて、ここまで読書欄は全国の朝日新聞で同じ紙面だと思いますが、次の記事はどうでしょう、「多摩版」とあるので、たぶん「東京23区」の紙面にも載っていると思いますが、神奈川や埼玉、千葉の版だと載っていないのではないかと思います。

何かと言いますと、東京外国語大学がウクライナ語の講座をオンラインで開いたという記事です。日本にも多くの避難民がやって来ていますから、日本側でも少しはウクライナ語ができるようになると、来日した人も安心するのではないかと思います。

記事の中でコメントを述べている中澤英彦さんは、あたしの勤務先から出ている『ニューエクスプレスプラス ウクライナ語』の著者です。ウクライナ語の学習書は、それほど多くはないので、本書もこの数ヶ月注文が殺到しているところです。

こういう事態で本が売れるというのは、なんとも言えない気持ちになります。本が売れることは出版社の人間として嬉しいことですし、ウクライナ語に興味を持ってくれる人が増えることも、語学の出版社としては喜ばしいことではあります。しかしその一方、毎日毎日たくさんの人が亡くなっている現実を思うと心が重くなります。