ことばとジェンダー

昨日と今日は神保町ブックフェスティバルです。かつては古本祭りと呼ばれていたような気がしますが、名称変更になったのでしょうか。フェスの方は、出版社などが屋台を出すイベントだけを指すのでしょうか。そのあたりの事情や区分け、よくわかっておりません(汗)。

話は変わって、最近ちくまプリマー新書の『翻訳をジェンダーする』を買いました。筑摩書房の公式ページには

翻訳小説の女性達は原文以上に「女らしい」言葉で訳されている。翻訳と社会と私達の密接な関係を読みとき、社会に抗する翻訳、フェミニスト翻訳の可能性を探る。

と書いてあります。翻訳だと性別が強調されるというのは、以前にも何かで読んだことがあるような気がします。別に翻訳ではなくとも、日本の小説でもそういう傾向があるようなことも読んだ覚えがあります。つまり、小説の登場人物のセリフって実際には使われていないような表現が多い、といったことです。

何で読んだのだろうかと思って、わが家の書架を漁って見つけたのが写真の本です。ちくまプリマー新書の『「自分らしさ」と日本語』、河出新書の『女ことばってなんなのかしら?』『自称詞〈僕〉の歴史』、岩波新書の『ジェンダー史10講』などなど。

これらのどこに探している内容が載っているのか、相変わらず思い出せませんが、ことばとジェンダーをテーマとした本ってこれら以外にもたくさん発売されていますね。まあ、あたしも日常的な言葉遣いは、いわゆる女言葉ですので、翻訳などで使われている女性のセリフに近い話し方をしていると思います。

どこが変わったのでしょうか?

韓国の作家ハン・ガンがノーベル文学賞を受賞して以降、ハン・ガン以外の作家、そして韓国文学にも注目が集まっているようです。まあ、書店に行っても肝心のハン・ガン作品が売り切れで並んでいないので、それ以外の韓国文学を並べるしかないという事情もあるかもしれません。

ハン・ガン作品は、月末までには書店に並び始めると思いますが、あたしの勤務先の事情で言えば、注文があまりにも多くて、すべての注文には応えられず、一冊も入ってこないという書店も多数出て来ると思います。申し訳ありません。

さて、そんな韓国文学ですが、『フィフティ・ピープル』が新しくなって再登場しました。もともとは2018年に刊行された作品で、あたしも読みましたがとても面白くて読みやすい作品でした。それがこのたび「新版」として再び発売されたのです。

手に取るまでよくわかっていなかったのですが、これは訳者が旧訳に手を入れて新しく出し直したのではないのですね。原書が新しくなって韓国で発売されたので、それを底本にして新たに日本語訳も出したものだそうです。訳者のあとがきによれば、原書では八割以上のページに何かしらの手が入っているそうで、表現にもかなりの変更が加えられているそうです。

そうなると、読後感は変わってくるのでしょうか。たぶんあたしなら、いますぐに新版を読んだとしても、旧版の読後感を鮮明に覚えているわけではないので、違いに気付かないと思いますが(汗)。

タイムマシーンが出来たら……

このところ、裁判の再審請求とか、それで無罪を勝ち取ったとか、その手のニュースを目にする機会が何度かありました。冤罪はあってはならないことだと思いますし、無実の人の疑惑が晴れるのは喜ばしいことだと思います。

ただ、被害者側、遺族側からすると「じゃあ、真犯人は誰? いまどこで、何をしているの?」という感情が生まれると思います。怒りや怨み、悲しみの感情を誰に、どこにぶつけたらよいのか、わからなくなると思います。

再審で無罪になったからと言って、その犯罪が無かったことになるわけではありません。必ずどこかに真犯人がいるはずです。それを改めて見つけ出すことは可能なのでしょうか。そこでふと思ったのは、タイムマシーンが出来たら、事件の当時へ行って、真犯人が誰なのかを確認したい、ということです。

でも、その場に居合わせたとしたら、犯人が誰なのかを見ている場合ではなく、その犯罪を止めるべきではないかとも思います。目の前で人が殺されようとしているのを指をくわえて見ているだけでよいのでしょうか。

しかし、そこで自分が手を出して、犯罪を未然に防いだとしたら未来を変えてしまうことになります。それは果たして許されることなのでしょうか。もちろん、犯人が誰かを確認して警察通報したとしても(信じてもらえるのかはひとまずおくとして)、未来を変えてしまうことになります。

いわゆる歴史上の事件や謎を、タイムマシーンで確認しに行くのは夢や浪漫があって楽しそうですが、なまじ近い時代になると出来事に関わってしまいそうなので怖いですね。

併売希望がいろいろあります

本日は店頭で展開するときに、一緒に並べてほしい商品をいくつかご紹介いたします。まずはこちら。

中公新書から『女たちの平安後期』という新刊が刊行されました。少し前には同じ中公新書から『謎の平安前期』が刊行されていましたので、やや焦点は異なるようですが、平安時代の前期と後期が揃ったことになりますね。これは同じ中公新書ですから、書店でもそれほど遠くない場所に並ぶことでしょう。

併売と言えば、法政大学出版局から『ロベスピエール 創られた怪物』が8月に刊行されました。この隣には、あたしの勤務先から2017年に刊行された『ロベスピエール』を是非とも並べてほしいものです。

そしてもう一つ、明石書店から6月に『黒人法典』、9月に『アメリカ奴隷主国家の興亡』という本が相継いで刊行されました。この二冊は同じ明石書店の刊行物ですから近いところに並んでいると思いますが、その近くには新書サイズの小さい本ですが、文庫クセジュの『奴隷制廃止の世紀1793-1888』を並べていただけると嬉しいです。

最後に、これは海外文学です。

青い野を歩く』のクレア・キーガンの新刊『ほんのささやかなこと』が早川書房から刊行されました。『青い野を歩く』は《エクス・リブリス》の棚に並んでいるかも知れませんが、そこからちょっと持って来て、早川の新刊と並べてみてくださいませ。

これは合っているのでしょうか?

宮崎空港で、マンゴゼリーを買ってきた、ということは既に書いたと思います。このゼリー、ゼリーではあるのですが、非常にマンゴーの味が濃厚に感じられます。

お高い、本物のマンゴーは、たぶんあたしは(自覚しては)食べたことがありませんが、たぶんマンゴーってこういう味なんだろうなあ、と思わせてくれます。

そして、国分寺マルイの小平フェスで、エグーのプリンを買ってきたことも書いたと思います。もしこの二つを一時に食べたなら、口の中で中華デザートで有名なマンゴープリンになってしまうのでしょうか(笑)。ちょっとそんなことを想像してしまいました。

それにしても、美味しいものを美味しく食べられるって、嬉しいことですね。

「和」ではなく「初」でした

少し前に自宅用にお線香を買ったと書きました。

お試し用のお線香のセットを買ったと書いたのですが、そのメーカーの名前を間違えてしまいました。

函には右のようなロゴが書いてありました。あたしはこれを「玉和堂」と読んでいて、同社のウェブサイトにもリンクを貼っていたのです。

ところが、よくよくサイトを見ていたら「玉和堂」ではなく、「玉初堂」でした。なんという失態、いくらなんでも恥ずかしすぎます、自分のバカさ加減が情けないです。

ちなみに購入したお線香、とてもよい香りです。