和洋折衷かしら?

最近、甘いものを食べていないなあ、と思って仕事帰りに国分寺の駅ビルを覗いてみました。何にしようかなと眺めていたら、銀座あけぼのの店頭に桜餅が並んでいました。

えーっ、もう桜餅が出ているの? 正直、春はまだ先だろうと思いつつ、ちょっと驚いてしまいました。むしろこれから本格的に寒くなる季節だというのに……

とはいえ、やはり見てしまったら食べたくなるのが人情というもの。夕食後のデザートとして、母の分とあたしの分、二つ買ってみました。

そして自宅に着く前に近所のセブンイレブンに立ち寄ったのですが、そこで見つけたのがこちら、「ふんわりココアシフォン」です。

半年くらい前に、たたのシフォンのスイーツ「ふんわりクリームシフォン」を買ったことがありますが、あたしとしては甘さが物足りず、シフォンなのでなんとなくもそもそとした食感だったので、その後はもっぱら、見た目が似ている「カップdeフレンチトースト メープル仕立て」を買っていました。

こんどはココアということなので、食感、そしてもちろん味も変わっているはずだろうと思い、再びショフォンにチャレンジしてみました。さあ、どんな味なのでしょうか?

何か出来そう?

本日の朝日新聞紙面に、今年の展覧会などの情報がまとめて載っていました。基本的には朝日新聞主催のものですよね。「行きたいなあ」と思うものや「初めて聞く名前だ」というもの、、いろいろ並んでいましたが、あたしの目を惹いたのはこの展覧会です。

国立西洋美術館で6月から8月にかけて行なわれる「内藤コレクション 写本-いとも優雅なる中世の小宇宙」です。

中世の写本と言えば、昨年末にあたしの勤務先から『中世の写本の隠れた作り手たち』という新刊を刊行したばかりですし、これまでも『中世の写本ができるまで』『写本の文化誌』といったヒット作を刊行しております。写本の美しさに負うところが多いですが、このジャンルは確実のファンがいるんですよね。この展覧会も人気の展覧会になるのではないでしょうか。

あたしの勤務先の書籍も、美術館のミュージアムショップに並べてもらえれば、そこそこ売れるのではないかなあ、と今から取らぬ狸の皮算用をしております。あとは、この三点で書店フェアを企画しますかね。

僕が見たかった青空

北京の大気が汚くて、青い空を見ることがほとんどないと言われているのは、日本のニュースでも取り上げられているので、ご存じの方も多いでしょう。あたしがかつて北京に行ったころは、オリンピック前だったので、街全体が工事中で、どこもかしこも非常に埃っぽかったのを覚えています。

昨日のダイアリーでご紹介した写真も、デジタルではなく数十年前のアナログ写真をスキャンしたものなので色褪せている部分もありますが、やはり北京の空はすっきり晴れることが少なかったなあ、といまさらながら思います。ただ、もちろん大気の状況が悪かったのは確かですが、非常によく晴れた日もあったことも事実です。

こちらこちらのページに掲載した写真を見ていただけるとわかるように、こんなにすっきりと晴れ渡った北京の空もあるのです。空模様に助けられ、われながら非常によく撮れた写真だと思います。

辰年からの連想で九龍壁が登場し、そこから懐かしい訪中時の写真に話題が移ってしまいましたが、もう一度「龍」に話を戻すと、2018年の暮れに横浜の中華街へ行ったとき、通りの上にこんな飾りがあったのを思い出しました。別に辰年でもないのに龍が飾られていたのでどうしてでしょう。やはり中華圏の縁起物と言えば龍なのでしょうか。

あと、あたしたち世代ですと、こんな映像を思い出す方も多いのではないでしょうか? アニメ「まんが日本昔ばなし」のオープニングです。このメロディーとアニメーション、懐かしいと思う方も多いのではないかと思います。少なくとも、あたしたちの世代なら誰もが子供のころに見ていた番組だったと思います。

辰年なんだから、地上波で再放送してもよいのではないでしょうか?

パノラマに写ルンです

昨日のダイアリーで書いたように、学生時代に語学研修で北京に行ったときの懐かしい写真を眺めていました。当時はスマホもデジカメもなかったので、あたしはフィルムカメラ(たぶんCanonかNikonのどちらか)に、36枚撮りフィルムを10本くらい持って訪中しました。そのアルバムが何冊もわが家の書架に並んでいて、その隣に、その後の訪中で撮った写真のアルバムを見つけました。

それをそのアルバムのページをめくっていましたら、なんと昨日のダイアリーでは撮っていなかったと書いた、北京故宮内の九龍壁、その全景写真が見つかりました。それが右の写真です。なんと、こちらのページに掲載していたのを完全に忘れておりました。1992年に北京を訪れたときに撮ったものです。

そのアルバムを眺めていたら懐かしくなってきましたので、ここで何枚か改めて披露したいと思います。まずは北京の天壇公園です。北京の旅行ガイドにもしばしば使われるので、見たことある方も多いのではないでしょうか。

北京に行くたびに、という程ではありませんが、それでも何度も訪れている場所です。確か釘を一本も使っていない建物だと聞いたような、読んだような記憶があるのですが、おぼろげな知識です。なお、この天壇公園の写真のみ1993年の暮れに訪中したときのものになります。

続いては北京飯店。当時も、西洋資本の新しくてきれいなホテルはたくさん建っていましたが、やはり北京のホテルと言えば北京飯店。東長安街、王府井の角に建つクラシックホテルで、落ち着いた雰囲気です。

それにしても、こうして見ると目の前の長安街に時代を感じますね。連結バスも古めかしいですし、街行く人の服装も、まだまだ垢抜けないところがあります。そしてまだまだ自転車が主力だった時代です。

次の写真は故宮内の宮殿前です。どの宮殿だったのかは忘れましたが、宮殿の基壇には流の彫刻が施されていて、確かこの写真の彫刻が故宮内で一番大きいものだと聞いたので撮った一枚だったと思います。

彫刻両脇の細い階段を籠担ぎの役人が歩き、皇帝は籠(輿)に乗ったまま、この彫刻の上を通ったのだそうです。最初に「皇帝はこの彫刻の上を通る」と知ったとき、こんな歩きにくいところを歩かされたのか、と疑問に思ったのですが、その後、輿に乗って上を通過すると聞いて納得したのも懐かしい記憶です。

故宮博物院に南から入場し北へ抜けると目の前には景山が聳えています。ちょっとした山で、頂上まで登ると息が切れます。でも、これまた多くのガイドブックに載っている、故宮の全景が眺められるので、北京に来たら登ってみたくなる場所です。

ただし、北京の北に聳えるので、故宮を撮ろうとすると逆光になります。写真が得意な人であればきれいに撮れるのでしょうが、あたしのような素人カメラマンにはなかなかうまい写真が撮れず、苦労する場所でもあります。それに北京はすっきり晴れることが少ないので。

そして最後に北京駅です。香港へ向かう特急列車は北京南駅から発車すると思いますが、この頃はまだそんな時代ではありません。当時も北京南駅はあったと思いますが、それほど大きな駅ではなかったのではないでしょうか。当時も現在も北京南駅に入ったことがないのでわかりませんが(汗)。

北京駅は、かつては前門のすぐわきにあったそうですが、現在は崇文門から程近い場所にあります。当時の北京旅行では、ほぼ毎回、崇文門に位置する新僑飯店に宿泊していたので、北京駅まで近いのでどんなところか見に行ったときに撮ったものです。このあたりもすべて変わってしまったのでしょう。

さて、ここまでの写真はご覧のようにワイドサイズになっています。当時発売された写ルンですのパノラマ版を持って行って撮ったものです。当時の北京は摩天楼はなく、横に長い建物や風景が多かったので重宝しました。

時には先の天壇のように縦に使って撮影することもありました。当時の北京の人は写ルンですを知らないからなのか、あたしが写ルンですを構えていると、こいつは何をしているんだろう、という顔をしてジロジロ見られた記憶があります。

ところで最後の一枚は、最初に載せた九龍壁ですが、アドビのPhotoshopの生成AIを使って、写真に写り込んだ人物を消去したものです。こんなことがいとも簡単にできるのですから、すごい時代になったものです。

色褪せた写真が見つかりました

昨日のダイアリーに書いた九龍壁。どうして写真を載せないの(?)と思われた方もいたのではないでしょうか? あたしも載せられるのであれば載せたかったのですが、あたしのPCの中に保存されていなかったので、テキストのみのダイアリーとなってしまいました。

学生時代に語学研修で北京へ行ったときに訪れたと書きましたが、それは1988年のこと。大学2年生から3年生になる春休みを利用して一ヶ月間、北京の外国語学院に滞在したときのことです。その時の北京滞在記のようなものはこちらに載せてありますので、お時間がありましたら読みください。

さて九龍壁ですが、まずは北京の故宮博物院の中にある九龍壁です。全体写真を何故か撮っていなかったので、九匹の龍のうち正面を向いているものをチョイスしてみました。こんな感じの龍が九体、浮き彫りになっているのです。

たぶん、これではわかりづらいと思いますので、次に同じく北京の北海公園内の九龍壁。こちらは全体の写真を撮っていたので、それを載せます。如何でしょう。九龍壁とはどんなものかおわかりいただけましたでしょうか。片面だけではなく、両面に龍がいますので、九龍壁とは言いながら両面で18体になります。

と書きながら、「あれっ、両面に龍がいたかなあ?」と不安になってきました。あたしの記憶では両面に龍がいたので、全部で18体の龍が浮き彫りになっていたはずなのですが、ちょっと不安になってきました。さて、あたしは残る人生で再び訪中して九龍壁を目睹することができるのでしょうか?

さて、最後に山西省大同の九龍壁です。昨日のダイアリーで大同の九龍壁は爪が四本と書きました。この写真でなんとかそれを確認していただけるのではないかと思います。そして北京の二つの九龍壁よりダイナミックだと思っているのですが、如何でしょう。

ところで大同と言いますと、中国三大石窟の一つ、雲崗石窟が有名かも知れませんが、週末の大同旅行は懸空寺、応県木塔なども見学しました。その見学先の一つに、この九龍壁があったのです。

これは大同の街中にあったので見学しやすいなあと思ったのを覚えています。でも大同の街の様子がどんなだったか、ほとんど記憶にありません。訪問から既に36年、大同もかなり変わったことでしょう。中国へ行ったのも最後が2007年、オリンピック前ですから、中国自体がまるで違ってしまったものになってしまったことでしょう。

最後に、今回載せた三枚の写真はすべて当時撮った写真をアルバムから探してきて、スキャンしたものです。あの頃はスマホはおろか、デジカメすらまだ一般的ではなかった時代です。

一発目はこんなところで紹介されました!

新年最初の書評情報、本日の朝日新聞読書欄には、残念ながらあたしの勤務先の刊行物は紹介されていませんでした。しかし思わぬところで登場していたので、ご紹介したいと思います。それがこちらです。

オピニオン欄に登場している粕谷祐子さん、そのプロフィール欄に載っている『アジアの脱植民地化と体制変動』があたしの勤務先の刊行物なのです。どんな本かと言いますと、

王国から共和国まで、権威主義体制から自由民主主義体制まで、多様なアジアの近現代史を統一的に描くことは果たして可能なのだろうか? 本書は、「脱植民化」、とりわけ第二次世界大戦前後の一九四〇年代から五〇年代に注目して、この問いに鮮やかに答えている。

というものです。アジア諸国の独立と近代化の歩みは様々で、国ごと、あるいは地域ごとに扱った書籍はこれまでにもあったと思います。しかしアジアという大きな枠組みで並べて論じたものはなかったのではないでしょうか。

九龍壁

今年は辰年ということで、日本の情報番組ではタツノオトシゴを飼育している水族館を紹介していることが多いです。しかし、辰と聞いてもタツノオトシゴはいまひとつピンと来ません。確かにタツノオトシゴという命名からして、龍との親和性は高いのでしょうが、「あれが龍なの?」というのが正直な感想です。

あたしが辰と聞いて思い出すのは、中国で見た九龍壁です。中国には著名な九龍壁は三つあります。一つは大同で、残りの二つは北京(故宮と北海)にあります。あたしはこの三つの九龍壁を学生時代の短期語学研修で北京に行ったときに見ています。大同も研修中の週末を使った旅行で訪問したので見ることができました。

本来、龍とは皇帝の象徴であるので、黄色の瓦と同じように皇帝以外は使用禁止、つまり九龍壁も作ってはいけなかったそうです。ですから北京にある二つは皇帝のお膝元として問題ないとして、大同は皇帝でもない領主(皇帝の弟だったはず)が作ったということで北京で問題になったそうです。大同側では申し開きとして、皇帝を象徴する龍は五本の指と爪を持っていますが、ここにあるのは4本の指と爪ですので(皇帝の象徴としての)龍ではありません、と詭弁に近い言い訳で、なんとか取り繕ったという話です。

大同の九龍壁、確かに指と爪は四本でした。ただ、あたしの印象では、この大同の九龍壁が一番迫力があって見応えがあったと思います。

身の程知らずとはこのことか?

年末年始のテレビでは、過去に放送された連続ドラマが一気放送(再放送)されていまして、あたしもちょこちょこ見ていました。

そんな中、フジテレビ系のドラマ「イチケイのカラス」も気に入って見ていた番組の一つです。本放送の時は見ていなかったのですが、映画を見てからハマってしまいました。

そして主人公の竹野内豊が素敵な髭を蓄えていたので、あたしもちょっと憧れて、この年末年始の休暇中、口ひげとあごひげを剃らずに伸ばしてみました。ところが、やはり年齢のせいですね、自分のひげ面を見てみたら、白髪があまりにも多いのに愕然としてしまいました。

嗚呼、あたしは竹野内豊のように黒々とした、ダンディでセクシーなひげ面になることはできないんだなあと改めて自覚した次第です。いや、その前に容姿がまるで違うだろう、というツッコミが入りますね。

というわけで、年末年始休暇はまだ一日ありますが、昨晩風呂に入ったときに髭はきれいさっぱり剃ってしまいました。

ただ、こういう長期休暇の時に髭を伸ばしっぱなしにするのは今回に限りません。たぶん毎回伸ばしています。剃るのが面倒というのもありますし、休み中に出かけることもないですし、誰かに会うこともないので「剃らなくてもいいや」と思ってしまうのです。

この手の話題に反応しがちです

年が明けてから非常に大きなニュースが飛び込んできていますが、昨日の朝日新聞にこんな投書が載っていたのが目に留まりました。

英会話と手話を勉強したい、というわけではありません。そんな気はさらさらございません(笑)。そうではなくて、この投書の最初の部分が、あたしの関心を惹いたのです。投稿主は49歳、その母親が85歳。ちょっと差はありますが、母一人子一人で暮らしているところは、あたしとそっくりです。

そして、あたしが一番反応してしまうのは

母がもし亡くなった場合、未婚の私は1人になる。国際結婚して海外で暮らす姉家族はいるが、距離の壁はどうにも埋めようがない。

という部分です。あたしの場合、妹家族は静岡に住んでいるので、この投稿主よりははるかに近いですが、ここに書かれている投稿主の漠たる不安はあたしにも理解できます。

未来の自分を独りぼっちにしないために、英語と手話を勉強中である。……(中略)……私にとって資格や技能の取得は、お金を稼ぐことよりも社会とのつながりを少しでも得ることが目的なのである。

この心意気、偉いなあと感心してしまいます。あたしなど近所づきあいもほぼなく、これといった趣味もないので、一人になったら本を読んでいるか、テレビを見ているかして、家から出ずに日がな一日を送りそうです。時々は妹が電話をかけてくることもあるでしょうが、孤独死、孤立死といった言葉が切実に感じられます。

年老いた母の介護に疲れ、未婚の息子(世間的にはもういい歳の)が暴力を振るう、あるいは殺してしまうといったニュースを見聞きすると、本当に他人事とは思えません。とはいえ、人との接するのが得意でもなければ、もともと好きでもないあたしとしては、いまさら友達を作ろうという気も起こりませんし、孤独死を受け入れる心構えが必要なのかも知れません。

向こう一週間は……

正月は穏やかに明けたと思っていたら夕方になって能登の方で大きな地震。相変わらず余震が続いていて、向こう一週間は同じくらいの余震が起きる可能性があるとのこと。

とはいえ、能登地方って、この数年ずっと揺れていませんか。向こう一週間なんて言う短期的なものではなく、もっと長いスパンで観測をしなければいけないのでしょうね。ただ、そうなると住民はあまりにも疲れてしまうでしょうし、常に緊張状態というのは身も心も持たないと思うので、ひとまず一週間で区切るのはアリなのでしょう。

そして2日。相変わらず地震の続報が続く中、テレビはようやく正月らしい番組が普通に放送されるようになりました。ホッとしたのも束の間、暗くなったころに羽田空港で大きな飛行機事故がありました。着陸から出荷までのあの映像、映画を見ているように感じました。

海保機では犠牲者が出てしまいましたが、日航機の方は乗客乗員全員が無事に避難できたということで、それが不幸中の幸いですね。身の回りのものもお土産も全部燃えてしまいましたが、命あっての物種ですから致し方ないところでしょう。

羽田の事故を横目に見ながら、北陸の地震の続報。なんとなく気の休まらない正月明けになってしまいました。北陸地方は今日から天気が悪くなるそうです。避難所生活を送っている人が少しでも安心できるようになればと思います。食料や暖房、停電や断水など課題山積ですが、まずは道路の分断を解消するのが一番ではないでしょうか。道路が復旧しないと食料なども運べません。断水や停電を修理する人も現地へ入れません。自衛隊が大型ヘリで輸送を行なっていますが、とても足りないですよね。

日航機事故のニュースを尻目に、スペシャルドラマ「義母と娘のブルース」では娘がパリへ旅立とうとしていました。もちろん飛行機で羽田から飛び立つのでしょう。そして乃木坂46四期生・柴田柚菜のラジオではオープニングトークのテーマがやはり航空機に関することでした。こういう話題が出たときに事故を思い出さなくても済むような日常であって欲しいと思います。