今日の配本(22/06/27)

フランス革命史
自由か死か

ピーター・マクフィー 著/永見瑞木、安藤裕介 訳

1789年以降、フランスの革命家たちは人民主権、国民統合、そして市民的平等の諸原理に基づいて自分たちの世界を再建しようと努めた。それは、絶対王政と身分特権、地方特権に彩られた王国において、途轍もない挑戦だった。本書は、なぜ革命が起きたのか? また革命は誰にとってのものだったのか? そして革命が残した遺産はなにか? 世界的権威が描き切った「全史」である。

帰りたい

カミーラ・シャムジー 著/金原瑞人、安納令奈 訳

イスマ、アニーカ、パーヴェイズは、ロンドンで暮らすムスリム(イスラム教徒)の三人きょうだい。イスマは長女、下の二人は双子の姉弟。パキスタン系英国人の父親はイスマが幼い頃に家族を捨て、ジハードのためにボスニアに旅立ち、グアンタナモ収容所への搬送途中で病死した。3人に父親の記憶はほとんどない。母親も7年前に死んだ。長女のイスマは妹と弟を育てるために学業を中断して働いた。妹のアニーカは高校卒業後、奨学金を得て大学に。弟のパーヴェイズは音響関係のキャリアを目指す。イスマは渡米し、研究助手として大学院で勉強を続ける。そんなある日イスマは、カフェでエイモンという青年に出会う。エイモンもロンドン育ちだが、パキスタン系の父親は英国の国会議員で裕福な家庭だった。ロンドンに戻ったエイモンは、イスマの妹アニーカに会い、強く惹かれる。一方、ロンドンに残ったパーヴェイズはパキスタンの親戚に会いにいくと嘘をつき、旅に出た。行き先は、シリアのラッカ。ジハード戦士だった父に憧れ、イスラム国に参加していたのだ。

もし実際に証明できてしまったらどうなるのかしら?

WOWOWで放送された映画「死霊館 悪魔のせいなら、無罪。」を録画したので視聴。ちなみに、あたしはこの「死霊館」シリーズ、なんだかんだと言いながらも全部見ているのではないかと思います。怖いか否かと問われると、それほど怖いものではありませんが……

さて、今回はウォーレン夫妻が活躍する王道のストーリーで、なおかつアメリカで実際に起きた事件がベースになっています。SNSなどのレビューを見ていますと、邦題がダメという意見が多いようですね。確かにこのタイトルではホラーと言うよりも、面白おかしい、笑えるコメディー要素の強い作品をイメージしてしまいます。

でも実際にはそんなことはなく、悪魔と対峙するウォーレン夫妻、そして悪霊に取り憑かれた青年とその恋人という二つの愛と信頼の物語でもありました。そして物語の後半では、単に悪魔の話ではなく、悪魔を召喚した女性が登場し、そこにも若干悲しい物語がありました。

ところで、実際に悪魔に取り憑かれて人を殺してしまうことってあるのでしょうか? まあ日本で考えれば悪魔ではなく悪霊と呼んでもよいのですが、どうなのでしょう。ニュースを見ていると、人を殺してしまった事件はよく報じられていて、ニュースを見る限りそれなりに動機も理解できるのですが、時々それがよくわからない事件もあります。そういう時に、実は犯人は悪霊に取り憑かれていて、そのせいで人を殺してしまった、という事件は日本では皆無なのでしょうか?

犯人みずからが逮捕前に、あるいは逮捕後であっても弁護士が「悪霊に操られていただけだ」と声明を出したら、日本の司法はどういう判断をするのでしょう? 単に心神耗弱や心神喪失として処理されるのでしょうか? それはそれで合理的だと思いますし、その事件だけを考えるのであれば、それで一件落着でしょう。

でも、もし本当に悪霊の仕業だとして、事件後に悪霊は他の人に乗り移っていたら殺人事件はまだまだ続きますよね。心神喪失で立件できない殺人事件が永遠に続くことになるのでしょうか? さすがにそんな事件が数件続いたら警察だって悪霊犯人説を信じるのでしょうか?

おしかつ

このところ「おしかつ」ということが人口に膾炙しているようです。漢字を当てると「推し活」だそうで『推し、燃ゆ』なんていう小説もよく売れましたね。「推し」という言葉が市民権を得たようです。

ただ、あたしのPCで「おしかつ」と入力すると変換されるのは「押勝」、つまり「恵美押勝」です。まあ一定年齢以上の日本人であれば、むしろ「推し活」なんていう日本語は知らず、「おしかつ」と聞けば「恵美押勝」を連想するものでしょう。

さて、最近購入した雑誌三冊です。まもなく日向坂46を卒業する渡邉美穂が表紙の『blt graph.vol.80』、その日向坂46の二期生全員が表紙を飾っている『BRODY 2022年8月号』、そして一番右側は乃木坂46の五期生、川﨑桜が表紙の『B.L.T.2022年8月号』です。

渡邉美穂の記事、そして日向坂46二期生の記事はなかなか読み応えがありますね。みんな仲が良いのだなあと感じます。前向きな卒業なのが清々しいですね。

タイトルが似ているので紛らわしいですが、『blt graph.』『B.L.T.』の二冊は本文中に登場する乃木坂46メンバーが同じです。川﨑桜、柴田柚菜、矢久保美緒の三名です。柴田柚菜と矢久保美緒は四期生ですね。記事を見るとお互いの雑誌で流用している感じがします。

久々にこんなに雑誌を買ったのは、やはり渡邉美穂の卒業という日向坂46のターニングポイントでもあることも理由ですが、柴田柚菜が登場しているのも個人的にはポイントです。あたし、最近の乃木坂46で推しメンは柚菜ちゃんなんですよね。

どこがよいのと言われると、容姿が好みというのもありますが、歌声が好きです。今回のシングルから選抜入りし、ライブや歌番組ではボーカルメンとして重要なパートを任されるようになってきましたね。個人的にはとても嬉しいです。

でも、柴田柚菜を推している理由がもう一つありました。それは彼女の誕生日です。柴田柚菜の誕生日は3月3日で、あたしが高校時代に大好きだった乾さんと同じなのです。なんか、そんなところに縁というか、因果を感じているあたしです。

話はガラッと変わって、二枚目の写真はローソンで売っていたメロンパンです。買ってみました。

実はあたし、メロンパンって食べたことないんですよね。いや、正確に言えば、子供のころに一度だけ食べたことがあったのですが、回りがちょっと硬い、カサカサしたパンでして、その名称から、甘い果肉たっぷりの夕張メロンをイメージしていたあたしは「これのいったいどこがメロンなの?」と思い、「こんなのだったら二度と食べなくてもいいや」と心に決め、以来数十年、今に至るというわけです。

ところがそんなあたしが数十年ぶりにメロンパンを買ったのは、日向坂46のみーぱんこと佐々木美玲がラジオ番組でこのメロンパンを美味しいと言って大いに勧めていたからです。あたし、日向坂46では佐々木美玲が推しメンです。なので、みーぽんに勧められたのでホイホイと買ってしまったという次第。

これから食べてみます。果たして、数十年ぶりに、あたしのメロンパン嫌いは克服されるのでしょうか?

持続可能な恋ではなくて……

TBS系のドラマ「持続可能な恋ですか?」が終わりました。実は、このクールで唯一見ていたドラマです。なんとなく見始めて、そのまま見続けてしまったというのが実情ですが、そこそこ年齢が行ってからの恋愛、婚活ということで、若干の親近感を持って見てました。

ところで最近流行りの「持続可能」という言葉、「SDGs」とも言いますね。学校図書館でも蔵書を揃えるときのキーワードになっているくらい重要な言葉であり、考え方のようです。

「持続可能」な社会にするためにあたしたちは何をすべきか、どういう生活スタイルを目指すべきなのか、そんな話題がテレビや新聞、書籍にもあふれています。このまま進んだら人類は地球上で生きていけなくなる、という不安が多くの人に共有されているようです。

ただ、そんな議論を目にし耳にしていて、最近あたしは「人類は生き延びなければいけないのか?」と考えたりもしています。『生物はなぜ死ぬのか』という本がありますし、どうしてヒトや生物は死ぬのか、というテーマの本が目に付きます。SDGs的には、この先も人類は地球上で生きていきたい、人類以外の生物も滅びることなく生きていけるような地球にしなければ、という考えは理解できます。

ただ、その一方で、生き死にを繰り返すことで発展しているヒトや生物のことを考えると、人類自体が滅びる(死ぬ)のも当然のことではないかと思います。さらに言えば、この地球とか太陽系といったものも、いずれは死ぬ(爆発して消滅する?)のが当たり前なのではないかとも思います。

死んではまた生まれるという生物の流れを考えると、人類だけが滅びないというのはエゴなのではないか、むしろ大きな宇宙の摂理としては地球もろとも人類を滅ぼそうというのが既定の方針なのではないかと思うのです。こういう考え方も、世の中にはありますよね? 別にSDGsの取り組みに反対しているわけではないんです。ただ、こんな風にも思ってしまうのです。

年に一度のことなので

わが家の庭の家庭菜園で収穫した野菜たちです。

この暑さのせいなのでしょうか、大きさがまちまちです。傷もいっぱい付いていますし、果たして食べられるような代物なのでしょうか? 浅漬け、あるいは糠漬けですかね? 茄子はお味噌汁も美味しいでしょう。

以前にも書きましたが、地元の農協で買ってきた苗なのですが、母曰く、今年の苗はどうもよくないそうです。母の育て方がいけないのかも知れませんが、取り立てて昨年と育て方、世話の仕方を変えたわけもありませんから、やはり苗の問題なのでしょう、ということにしておきます。

そして二枚目の写真はお馴染み、ケンタッキーのフライドチキンです。高畑充希のCM「今夜ケンタッキーにしない?」に影響されたわけではありません。今日はあたしの誕生日なので、庶民のささやかな贅沢です。

ケンタッキーのフライドチキンを食べるのは、たぶん一年ぶり、否、それ以上の時間が空いているのではないかと思います。高いからなかなか庶民には手が出ない、というのもありますが、歩いて行ける範囲にケンタッキーがないので、気軽に買いに行けないというのが最大の理由なのです。

いや、それが最大ではないです。チキンであれば、実はセブンイレブンの揚げ鶏が意外とあたしの口に合っていまして、フライドチキン的なものが食べたいときはそれを買うことが多いからです。唐揚げが好きだけど生姜が苦手なので、市販の唐揚げは口に合わないことが多いと、このダイアリーでも書いたことがありますが、揚げ鶏は口に合うチキンの最右翼です。

というわけで、専らふだんは揚げ鶏を買って食べているあたしが、せっかくの誕生日なので奮発してケンタッキーのフライドチキンを買いに行って来たというわけです。

シュークリームのこだわり?

今日も書店回りです。今日は横浜の方へ行ってきました。

そんな書店回りの途次、ランドマークタワーにウルトラマンがいました。怪獣を倒した後なのでしょうか、いまにも飛び立とうとしています。

でも、このまま飛び立ったらランドマークタワーを壊してしまいますよね。どうするのでしょうか? でもウルトラマンって怪獣を倒すときに、怪獣のせいかもしれませんが、ウルトラマンも地球の建物を壊しまくりますよね。そこから考えれば、たぶんウルトラマンはランドマークがどうなるかなんて気にもせず、このまま飛び立ってしまうのではないでしょうか?

そんな書店回りの帰路、自宅のすぐ近くまで帰ってきて、近所のセブンイレブンに入りました。すると、ちょうどスイーツのフェアをやっていまして、一度に二つ買うと30円引きになるというので、この二品を買ってみました。

ちなみに右側はシュークリームです。あたしはシュークリームは、どちらかというとシューはパリッとしていて、クリームは生クリームが好みです。ただ、うちの母は生クリームはあまり好きではなく、カスタードクリームが好みのようです。つまりはコージーコーナーのシュークリームがドンピシャなのだと思います。

あたしもコージーコーナーのシュークリームは大好きですが、それよりもスワン型のシュークリーム、できれば生クリームのが大好きです。

今日はこれを買っていただきたい!

参議院選挙が公示されました。投票日は7月の10日だそうです。どうして倒れそうなくらいの暑さ厳しき日本の夏に選挙をやるのでしょうね? 候補者が熱中症に耐えられる体力のある人物か見極めるためでしょうか?

ところで、日本はたぶん世界的に見て、国民の政治への関心が低い国だと思います。関心もそうですが、政治家への信頼が決定的に足りていないと思います。それが投票率に表われているのだと思います。国によっては投票に行かないと罰走が設けられているところもあるとか。日本もそういう制度考えた方がよいと思います。

そもそも50%程度の投票率で決まってしまう国会議員が国民を代表していると言えるのでしょうか? なおかつ一票の格差も毎回言われていますが、その是正は遅々として進まず、多少の手直しも抜本的なものではなく周回遅れの感がします。個人的には国会議員の選挙もそうですが、憲法改正の国民投票にも最低投票率の規定がないことが問題だと思っています。せめて住民投票と同じように国政選挙や国民投票にも最低投票率を設けるべきだと思います。できれば有権者の7割以上が投票していないと、その選挙や投票は無効になる、それくらい厳しいものでよいと思います。

さて、そんな盛り上がりに欠ける選挙が始まりますが、今回はぜひこの本をお薦めします。『それでも選挙に行く理由』です。選挙とはいかなるものか、見も蓋もないことも書いてありますが、実に示唆に富む一書です。投票日までにぜひご一読を。

とても薄っぺらな理解、否、もしかしたら誤読しているのかもしれませんが……

朝夕の通勤や営業回りの電車の中で、ちくま新書の『ルネサンス 情報革命の時代』を読んでいます。この時代については専門でも何でもないのですが、とても面白く読んでいます。

さて、そんな本書の中に「コモンプレイス・ブック」なる言葉が出て来ました。古典名言などを集め分類した本のようなものなのかなと感じました。さも知ったかぶりをするためのアンチョコのような使われ方もしたのだとか。

この「コモンプレイス・ブック」の部分を読んでいて、あたしが思い出したのは中国古典の「類書」です。たぶん一般的には「類書」は「百科事典」と見なされがちですが、あたしの知識では、むしろこの「コモンプレイス・ブック」と非常に近いものではないかと感じた次第です。

また記憶術のための「劇場」なる装置も、本書で紹介されています。七つの縦軸と七つの横軸、合わせて四十九の交点で、この世界、森羅万象を極めるような装置らしいです。残念ながら現物は残っておらず、正確な記録もほとんど残っていないようです。

その装置はともかく、四十九個でこの世のすべてを網羅できるのか、と誰もがツッコミを入れたくなる点が気になりました。ただし、あたしの場合、「そんなの無理でしょ」というツッコミではなく、「西洋では四十九なのか」という思いが強いです。なぜなら中国古典の易では六十四卦でこの世界を網羅しているからです。

六十四ある方が、もう少し詳しく細かく世界を分析しているのかな、なんて想像を逞しくさせたくなります。「コモンプレイス・ブック」と中国の「類書」、劇場の「四十九」と易の「六十四」、なにやら比較検討したら面白そうだなあと読みながら思ったのはあたしだけでしょうか?