多言語混在の文章を……

昨日書いた温又柔さんのトークイベントに関するダイアリー

話題の一つにスイッチングがありました。文学用語としての使い方が正確なのかはわかりませんが、あたしの理解する限り、昨日のトークの中では英語とスペイン語が混在した文学作品のことを指しているように受け取りました。確かに、アメリカ文学などでは、ところどころ他の言語が混じっている作品があるようです。

ただ、それが翻訳になってしまうとすべて日本語になってしまうので(翻訳ですから当たり前ですが)、原文にある英語と他の言語の混在をうまいこと翻訳でも表現できないかと管さんも苦労されているようです。日本でそういう作品を和訳するときは、英語以外の部分をゴシック体の書体にする、関西弁など日本の方言を使う、といった方法が試みられているようですが、いまひとつしっくりこないようです。

さて、温さんのエッセイ『台湾生まれ 日本語育ち』の中には温さんの家族が使う中国語が織り交ぜられています。特にお母さんは生粋の台湾語を話しているようですが、残念ながら本書では日本語訳されています、これをなんとか原語のままで表現できないものか?

もちろん現在のPCは多言語混在がある程度は可能なので、文字としては多言語で表現することが可能です。でも日本語の文章の中に、簡単な英語ならまだしも、フランス語やドイツ語、あるいは中国語や韓国語が数行にわたって挿入されていたらどうでしょう? その後にポイントを少し小さくして和訳を載せておけば大丈夫でしょうか? それも一つの方法ではあると思います。

ただ、ウェブ(電子書籍)ならばもう少し面白いことができるのではないかなという気もします。たとえば、今回のエッセイで温さんのお母さんのセリフ部分、本文は日本語で書かれていますが、そこをクリックすると(カーソルをそこへ移動させると)、台湾語(中国語)の音声が流れるなんて面白い仕掛けだと思います。電子書籍ならそんな芸当は朝飯前でしょう。可能なら、温さんのお母さんに吹き込んでもらった音声でやれるなら面白いところです。

ふと、そんなことを考えたりしました。

中国の本をどうするか

ふと、自宅の書架に並んでいる本を眺めてしまいました。

あたしの自宅には、学生時代に買い揃えた本がいまだにそのまま置いてあります。主に中国で刊行された書籍で、「中文書(ちゅうぶんしょ)」と言います。洋書は欧米からの輸入書のことを言いますが、それの中国版です。学問的に言えば「原書」ということになるわけですが、やはり文系学部は本が多くなりがちです。

自宅通学だったので、大学からそれほど近いところに住んでいたわけではありません。気軽に大学の研究室や図書館に本を閲覧しに行くこともままならなかったので、よく使う本は自宅に持っていないと予習復習もできないからということで買い集めていたらかなりの量になっていたのです。

上の写真は中華書局の評点本二十四史です(薄かったり濃かったりする緑色の本)。あたしが学生のころに「清史稿」が刊行されたので二十五史という呼び方もされるようになりましたが、あたしが学生のころはもっぱら二十四史で通っていたものです。中国史を学ぶ人が一般的に使う中国の正史と言えばこれになります。スライド式本棚を使って、なんとかここに収めてあります。

後輩に聞くと、その後かなり値上がったようですが、あたしが学生のころは、『史記』全冊が数千円だったと記憶しています。古代史を専攻していたので最初は前四史と呼ばれる『史記』『漢書』『後漢書』『三国志』から買い揃え、最後にはすべて揃えてしまったというわけです。

ちなみに、中華書局からはこれに準拠した人名作品や地名作品も出ていまして、それも主だったところは持っています。二十四史の左手に少し黄色い本が見えると思いますが、それは『資治通鑑』です。『通鑑紀事本末』や『左傳紀事本末』などの史書も持っています。

上の写真は『二十五史補編』です。二十五史の足りない部分を後世の学者が補った著作を集めたものです。それだけでもこのくらいのボリュームになってしまうわけですが、中国の学者たちはそれでも足りずにまだまだ補います。そして完成したのが下の写真に写っている『二十五史三編』です。

上の写真では濃い青色の『二十五史三編』の下に『佩文韻府』が見えます。その左は『説郛三種』、さらにその左に見える灰色の本は『永楽大典』です。上段、『二十五史三編』の左には『四庫全書総目提要』など『四庫全書』に関する本です。さすがに『四庫全書』は持っていません!

中国史で一番使うのは最初に挙げた評点本の二十四史ですが、それとは別に故宮の中、武英殿に収められていた武英殿本二十四史というのもありまして、その影印本が学生時代に刊行されました。上の写真がそれです。これは評点本のように活字、句読点付きのものではなく、原書をそのままリプリントしたものです。文字の校勘などで武英殿本が引用されることもしばしばあるので、こちらも結局買ってしまいました。

四書から一転、上の写真は、上段は『説文解字詁林』です。『説文解字』の古今の注釈を集成したものです。下段は清人十三経注疏シリーズです。清朝考証学の成果、儒教の基本文献である十三経の注釈を活字、句読点付きで刊行したシリーズで、不定期に刊行されていたのですが、現在では完結しているのでしょうか? よくわかりません(汗)。

上の写真は、日本史にも名称くらいは出てくる中国の百科事典、『太平御覧』、その右は現代中国語訳の『史記』、そして一番右側にあるのが『通志堂経解』です。清代前の儒教の経典の注釈書です。

最後の写真はやはり中華書局の「新編諸子集成」というシリーズ。基本的には上の新人十三経注疏と同じく、清代の学者の、こちらは周秦諸子の著作への注釈書になります。儒教の注釈もあるので、清人十三経注疏とダブルものもあります。このシリーズも不定期刊行で、既に完結しているのか否か、今となってはわかりません。

とまあ、シリーズもの、叢書を中心にちょっと紹介しましたが、これ以外にも単行本がありますし、ここで挙げていないシリーズ・叢書もあるので、たぶん万近い冊数になっているのではないかと思います。これらの本、どうしましょ? どうしたらよいのでしょう? 中国の本ですから古本屋でも買ってくれないでしょうね。

2016年1月30日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

やどかり[寄居蟹]

昨晩は下北沢のB&Bで、『台湾生まれ 日本語育ち』の刊行を記念した、温又柔さんと管啓次郎さんのトークイベントでした。本書の後半は、温さんと管さんが台湾を訪れた旅行記がメインとなっていますので、既に本を読まれた方には特に興味深いイベントではなかったでしょうか?

 

さて冒頭、管さんは温さんの今回のエッセイや以前の小説『来福の家』について、一貫性を感じるとおっしゃると、温さんは自分はそれしか言えなくて、ずっと一つことだけを書いてきたと返していました。では温さんがずっと拘ってきたものは何か。それはやはり言葉です。自分が幼少のころに学んだのではなく自然と身につけた、話し言葉としての台湾語。おしゃべりが好きだった温さんが、自分のしゃべった言葉を書き留めておくことができると気づいた文字との出逢い。しかし、温さんが自分の言葉を書き記すために覚えたのは台湾の注韻字母ではなく、日本の平仮名であったこと。そんなところの葛藤が出発点になっているようでした。

温さんは成長するにつれ中国語は忘れ日本語話者となっていきます。5歳の時に来日した温さんは、その時点では中国語をしゃべっていたわけで、まだ不自由な日本語をテレビアニメ、特にドラえもんで覚えたそうです。そして自然とに身につけた日本語が温さんにとってはほぼ母語であるに対し、温さんのご両親にとっては紛れもなく外国語であったわけです。しかし、温さんの祖父母の世代になりますと、日本統治時代に日本語教育を受けた世代になりますので、時に温さんよりもはるかに流暢な日本語を話されるそうです。そんな多言語環境が温さんの家庭だそうです。

温さんは、日本で進学する中で改めて中国語を学ぶようになります。中国語を取り戻そうと意図したものの、温さん曰く「取り戻し損なった」そうです。それは学んだ中国語が自分の話していた中国語とは異なっていたからというのが大きな理由でもあるそうです。恐らく温さんの家庭では台湾語であるのに対し、日本の学校教育で教授される中国語は大陸の標準語ですが、津軽弁を取り戻そうと思って日本語教室にいったらNHKのアナウンサーが話すような標準語を教えられた、みたいなものでしょう。

大学進学後の温さんは、リービ英雄さんや管さんとの邂逅を経て、このような自分のおかれた言語環境に関する興味をますます深め、それを今回のエッセイなどのような文章にまとめています。今回のイベントでは対談相手が管さんなので、リービさんではなく管さんとの関わりを中心に話していましたが、管さんがアメリカ留学時代に、アメリカ文学にスペイン語を交える動きが流行りだし、管さんも自然とそういう文学に親しんだとのこと。日本語では、まだまだ文章の中に他の言語を交えて書くということが一般的になっていませんが、アメリカでは英語の中にスペイン語が混じる文学作品がどんどん生まれていったそうです。

そのような流れから、サンドラ・シスネロスや李良枝(イ・ヤンジ)鷺沢萠などの名前が挙がりました。こういう作家たちを知ることで温さんは自分の日本語の無邪気さに気づかされたと言います。そして言葉に対するこだわり、自分のアイデンティティに対する探求などが始まったようです。言葉に拘るというのは、アメリカにおけるヒスパニック系のようにマイノリティなればこその視点、気づきでしょう。

といった話題から一転、後半は、会場でもリーフレットを配布しましたが温さんの「台湾総統選挙を終えて」という文章をベースに、先ごろ行なわれた台湾総統選挙へ温さんが投票しに行ったことについて語られました。8年前に選挙の時に自分にも投票権があることを知った温さん。4年前の選挙では資格を満たさず(2年以内に台湾を訪れているか否か)選挙ができず、今回ようやく投票ができたそうです。

ニュースなどでも盛り上がり、かなり熱くなっていた台湾総統選挙。実際に投票してみて温さんは終わった後に寂しさを感じたそうです。資格を満たしているというだけで、自分にとってほとんど外国に近い台湾の選挙に参加できるという不思議、投票という権力を行使できるのに感じてしまう国籍のひずみ、なによりもこの総統選挙を伝えるニュースを日本語で読み、日本語で聴き、日本語で理解している自分はなぜ投票できるのかという自問。

いろいろ考えるところがあったようですが、それは上記のリンクからどうぞ。

さて、最後に『台湾生まれ 日本語育ち』のカバーにも使われているヤドカリの話題。他書のフィクションが混じっていますが、温さんの家庭でのエピソード。妹さんにこれは何かと問われ、「ヤドカリ」と答えた温さん。さらに「中国語では何と言うのか?」と問われるも答えられず、母に助けを求めます。お母さんは「ジージューシエ」と答えます。さらに妹に「どんな字を書くの?」と聞かれても答えられないお母さんに代わりお父さんが「寄居蟹」だと教えてくれます。そんなやりとりを通じ温さんは自分の言葉について考えているようでした。