今日の配本(23/10/11)

まいにちふれるフランス語手帳2024

トリコロル・パリ 監修/ふらんす編集部 編

まいにちフランスを感じることのできる手帳。月ごとにフランスにまつわるエッセイを掲載。単語集付きなのでフランス語学習にも最適。

まいにちふれるドイツ語手帳2024

マライ・メントライン 監修/白水社編集部 編

まいにちドイツを感じることのできる手帳。月ごとにドイツにまつわるエッセイを掲載。単語集付きなのでドイツ語学習にも最適。

まいにちふれるスペイン語手帳2024

スペイン語教室ADELANTE 監修/白水社編集部 編

まいにちスペインを感じることのできる手帳。月ごとにスペインにまつわるエッセイを掲載。単語集付きなのでスペイン語学習にも最適。

まいにちふれる中国語手帳2024

李軼倫、原田夏季 監修/白水社編集部 編

まいにち中国語にふれることのできる手帳。月ごとに中国にまつわるエッセイを掲載。単語集付きなので中国語学習にも最適。

極右の台頭?

今日は祝日なので、そして生憎の雨なので自宅でのんびり過ごしています。そして昼時にテレビ朝日系の情報番組を見ていたところ、池上彰氏が「極右勢力が急速に支持を拡大しているドイツの状況」を解説していました。

やはりメルケル前首相の移民政策に対する不満が国民の中に一定数は存在するようです。景気のよいときであれば他人を思いやる余裕も持てるのでしょうが、不景気になると自分の生活で精一杯、それなのに働かないで支援だけ受けている移民たちはなんなんだ、と考えてしますのでしょう。そんなドイツ国民と移民との距離感や空気感を知るには、小説ではありますが『行く、行った、行ってしまった』が最適だと思います。報道では知り得ない、もっと庶民レベルの声が聞こえると思います。

ところで、「池上解説」ではドイツだけでなく、欧州各国で極右に分類される政党が躍進しているということも紹介されていました。

極右と一括りに言っても国によってその主張や政策には違いあるようですが、そんな欧州の政党政治について知りたい方には、文庫クセジュの一冊、『ポピュリズムに揺れる欧州政党政治』の一読をお薦めします。

ポピュリズムがイコール極右というわけではありませんが、著者はフランスの右派政党・国民戦線(FN)研究の第一人者なので、やはり極右政党に関する考察が主となるでしょう。こういった極右やポピュリズムだけでなく、現在の世界は権威主義も勢いを増しているように感じます。戦火がやまず、戦争という言葉がこの十数年で一気に身近になりましたね。

歴史に向き合う

本日の朝日新聞です。歴史に向き合う、というテーマの記事です。

歴史に向き合うというと、いろいろな立場があると思いますが、最近ですと岩波書店の『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』が話題になりました。歴史を正しく認識するという性格の本だと思いますが、これも歴史との向き合い方の一つだと思います。

今日の記事では岩波の本が引用されているわけではありませんが、その代わりと言っては何ですが、あたしの勤務先の書籍が登場していました。それが『過去の克服』です。

同書しばらく品切れになっていたのですが、先月に新装版を刊行したばかりです。過去との向き合い方で、しばしば日本と比較されるドイツがどのように戦後を歩んできたのかを取り上げた本ですが、ドイツも紆余曲折があったことがわかります。

その取り組みは順調なものではなく、過去にたいする反省を「自虐的だ」とする声がドイツでも再三沸き上がり、道のりは必ずしも平坦ではなかった。しかしドイツでは、「過去の克服」を促す力と、これを押しとどめようとするふたつの力がせめぎ合いながらも、少しずつ着実に前進していくことが本書のなかで明らかとなる。日本の取り組みを考えるうえでも必読の1冊。

公式サイトの内容紹介には上記のように書かれています。価格はかなり違いますが、この機会に岩波の『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』とこの『過去の克服』を併読してみるのは如何でしょう。

2023年9月のご案内

2023年9月に送信した注文書をご案内いたします。

  

まずは毎月恒例、「今月のおすすめ本」、そして「今月のおすすめ本[語学書篇]」です。そして下旬になって、3刷が決まった『同調圧力』のご案内を送信しました。

ただ、9月はご案内が非常に少ない一か月でした。

ノーベル賞とともに

今年もノーベル賞が発表されました。

あたしに限らず、出版界としては文学賞に注目が集まりがちですが、ここ数年は物理学賞や生理学賞など、理系分野で日本人の受賞が続き、世間的にはそちらが盛り上がっているように感じます。またそれに関連する書籍もあったりして、「ノーベル賞=文学賞」的な印象が薄れた感があります。

そんな中、今年のノーベル賞ではその理系ジャンルでは日本人の受賞はならず、やや盛り上がりかけたまま推移して、平和賞はイランの人権活動家に贈られることが発表されました。これでは書店でフェア展開ができないと思っている業界人も多いかも知れませんが、イランの女性と言えば、この本を忘れるわけにはいきません、『テヘランでロリータを読む』です。

あたしの勤務先から刊行されていた単行本は現在品切れですが、河出文庫版が入手可能です。タイトルだけですと「なんのこっちゃ?」と思う方も多いと思いますが、抑圧されたイランで、西側の文化の象徴的な作品である『ロリータ』を読むことがどれほど危険な行為なのか、本書を読めばよくわかると思います。

単行本は品切れと書きましたが、同著者によるノンフィクション『語れなかった物語 ある家族のイラン現代史』はまだ在庫がありますので、是非『テヘロリ』と併読していただければ幸いです。

同じくイランに活きる家族の歴史を描いた作品に『スモモの木の啓示』があります。この作品は、イラン・イスラム革命に翻弄された家族の物語で、現在のイランに続く苦悩を少女の目線で描いた作品です。ただ、その少女の正体というのが初めの方で明かされますが、ちょっと衝撃的です。

本作を読むと、かつてはここまで抑圧的でなく、平和に暮らすことができたイランがあったのだなあということがわかります。だからこそ革命後のイランの体制がより過酷なのでしょう。この状況はいつまで続くのか。ウクライナにばかり世界の目が集まっていますが、イランも、あるいはミャンマーなど、もちろん中国や北朝鮮だって、国内で弾圧が行なわれている国は、むしろ最近増えているのではないかという気がします。

今日の配本(23/09/29)

少女、女、ほか

バーナディン・エヴァリスト 著/渡辺佐智江 訳

子ども時代のレイプ、小さな町での差別、子どもを抱え必死に働いてきたこと、エリートとなった娘との不仲、実の両親を知らないことなど、みな人知れず心に傷を抱えている。大切なのは共にいること。人生、捨てたもんじゃない。笑って泣かせ心揺さぶる真実の物語。英国黒人女性たちが、乗り越えてきた苦難をウィットに富んだ斬新な文体で語り、共感を呼んだ傑作長篇。作家はナイジェリア人の父とイギリス人の母のもとロンドンで生まれ、本書が7作目の小説。

ニュルンベルク裁判1945-46(下)

ジョウ・J・ハイデッカー、ヨハネス・レープ 著/芝健介 監修/森篤史 訳

捜索、逮捕、尋問から裁判、判決、処刑まで、「平和に対する罪」、「戦争犯罪」、「人道に対する罪」に鉄槌を下す。写真多数収録。

きつね

ドゥブラヴカ・ウグレシッチ 著/奥彩子 訳

ノイシュタット国際文学賞受賞者であり、ロシア・アヴァンギャルドの研究者としても知られるクロアチア語作家ウグレシッチ。惜しくも最後の長篇となった本作は、いわゆるオートフィクションに分類されうるもので、作者を思わせる語り手は、1920年代から現代まで、ロシアからイタリア、クロアチア、イギリス、アメリカ、そして日本まで、トリックスターとしてのきつねさながらに、テクストの中を自在に駆けていく。

立法者・性・文明
境界の法哲学

谷口功一 著

著者は第一論集『ショッピングモールの法哲学』で、1970年代以降の政治理論、とりわけ正義論の枠組みを「郊外」という具体的な場で再考してみせた。社会の境界で考えるという基本姿勢は第二論集である本書でも変わらない。著者の大きな転換点となったのは2003年のいわゆる「性同一性障害」特例法の立法運動だ。そこで拓けた地平は、法を根幹から見つめ直すだけでなく、法と政治、法と社会の関係を問い直すものだった。

書店というか、出版業界は持続可能な業種なのでしょうか?

昨日のダイアリーで無人書店のことを書きましたが、今日の朝日新聞夕刊には、自民党の議連と業界が接近しすぎていないか、という記事が載っていました。なんとなく暗いニュースばかりの業界ですね。

この業界で取り上げられるようなよいニュースは、最近セレクト型の書店が流行っている、各地にたくさん出現している、といったニュースくらいな気がします。

ただ、このセレクト型書店、つまりは書店主、オーナーの個性に依存した書店なわけで、それってつまりオーナーが店を辞めたら続かなくなる、ということではありませんか。そうなると、今後も次々にセレクト型書店、提案型書店が各地に出来てこないと、そのうちそれらが次々に消えていく時代がやって来そうです。

それに書店がなくなると言われていますが、そもそも出版社が今後も存在できるのでしょうか。個人で、自分の好きな本だけを、こだわって年に一冊や二冊程度作っていくのであれば、そういうセレクト型出版社は今後も存在しうるでしょうが、それなりの人数の社員を抱え、多くの人を対象にした書籍を出すような出版社って、資本が潤沢な大手出版社以外は残らないのではないかと思います。

活字文化と言いますか、文字を媒介にしたものは、現在インターネットがそうであるように、これからも続くでしょうし、まだまだ伸びる余地は残っていると思うのですが、こと出版という業界で考えてみた場合、果たして100年後も残っている業界、業種なのか、不安を覚えます。

棚作りという概念が崩壊する?

業界では少し前から話題になっていましたが、ようやく開店ということでニュースなどでも大きく取り上げられていた無人書店。東京メトロの溜池山王駅の構内にオープンするそうです。

この業界に詳しくない人には「何のこと?」という話になりますが、この書店は大手取次の日販が始めたもので、もう一つの大手取次・トーハンが始めた無人書店は、夜間だけ無人になるということで、少し前に世田谷にオープンしています。二大取次が揃って無人書店をスタートさせたわけです。

世田谷の方は、昼間は書店員のいる山下書店ですから、それなりに本を選びもすれば、並べ方、読者の好みを考えて仕入もしていることでしょう。夜間の時間帯になって売れる本の傾向がどう変わるのか、いろいろ実験的なところもあるかと思います。

それに対して今回の溜池山王の書店は最初から最後まで書店員レスですので、どういう品揃えになったのでしょう。まずは日販のデータで売れ筋上位銘柄を並べているのでしょうね。売れた本のデータは取れるでしょうけど、どんな本を手に取っていたか、書店員に聞けないからデータを取りようもありませんが、どんな本を探しに来たのか、そういったデータを集めるのは至難でしょう。

そうなると無個性な書店にしかならないのではないか、そんな気もします。書店の醍醐味と言えば棚作りだと思います。書店員の拘りもあれば、お客さんからの声も反映されるでしょうし、われわれ出版社の営業との話の中から生まれるものもあるでしょう。無人書店ではそういうものが一切捨象されてしまうわけですよね。半年や一年経ったころ、唐書の棚とどれくらい変わっているのか、そしてそれがどのくらい利用者の支持を得ているのか、興味深いところです。

リアル書店であればお客さんのことを「読者」と呼んでもおかしくないですが、こういう無人書店だと「利用者」としか呼べない気がします。