いよいよ刊行スタート!

鶴屋南北未刊作品集』の第一巻が月末に刊行になります。函入りの、こんな本です。

この第一巻、「勝俵蔵篇」とありますが、これは鶴屋南北襲名前の名義で「かつひょうぞう」と読むのだそうです。

ちなみに全三巻のうち、第二巻は「鶴屋南北篇」、第三巻は「鶴屋南北・直江重兵衛篇」となります。

あと二巻とはいえ、これだけ大部の書ですので、まだまだ先は長いです。ゆるゆるとお付き合いいただければ幸いです。

ぜひ一緒に並べて欲しいのよ

改訂新版が刊行になった、文庫クセジュの『スピノザ入門』と、講談社現代新書の『はじめてのスピノザ』です。

『はじめてのスピノザ』は昨年の11月刊行ですから、大型店の店頭でも在庫一冊くらいになってしまっているでしょうか? あるいはもう棚から消えてしまっていますか? もしまだ在庫をお持ちであれば、ぜひ『スピノザ入門』と一緒に並べていただけると幸いです。スピノザに興味を持っている方であれば、きっと二冊とも購入してくれるはずです。

ちなみに、現代新書にはかつて『スピノザの世界』という一冊がありましたね。そちらも在庫していれば、三冊ご一緒に!

「親の心子知らず」ならぬ「版元の心書店知らず」だったのかしら?

書店の人文コーナーでこんな本を目にしました。

お葬式の言葉と風習 柳田國男『葬送習俗語彙』の絵解き事典』です。昨年の10月に刊行された書籍です。

柳田國男の『葬送習俗語彙』という書名と本書の著者・高橋繁行の名前にピンと来ました。講談社現代新書の『土葬の村』です。タイトルに惹かれて先日買って読んだばかりの一冊です。この『土葬の村』の著者が高橋繁行で、同書の中で盛んに『葬送習俗語彙』が引用されていたのです。

ちなみに『土葬の村』は今年の2月刊行の書籍ですから、著者としては二冊同時並行で作っていたのではないでしょうか。どちらを先に手がけていたのかはわかりませんが……

それはともかく、先に出た『お葬式の言葉と風習』が人文書コーナーに置かれているのは理解できます。単行本ですから、内容に合わせてふさわしいジャンルに置かれていたことになります。

ところが、今年になって現代新書で『土葬の村』が出たのですから、一緒に並べるくらいのことをしてもよかったのではないでしょうか? 現代新書のコーナーには現代新書のみならず、各社の新書が所狭しと並んでいるでしょうから、そこに創元社の『お葬式の言葉と風習』を並べるのは厳しいかも知れません。であれば、人文書コーナーに『土葬の村』を持ってきて一緒に並べることもできたはずではないでしょうか? たぶん出版社としては、そういう並べ方を期待していると思います。

こういう時に、文庫や新書、単行本といった形状にこだわらず、テーマに沿って本を並べている一部の書店や図書館は優れているなあと感じるところです。もちろん、こういった気づきを書店の方にそれとなく伝えるのも書店営業の大事な仕事ではありますが、今回はちょっと書店の方が忙しいところだったので、余計な雑談は憚られました。

しかし、こういうサジェスチョンは余計な雑談なのか、あるいは大事な営業トークなのでしょうか? 多少の自省も感じているので、ここに書いて罪滅ぼしとさせてください。いや、お前に言われなくても、とっくに気づいて一緒に並べているよ、という書店員さんも多いのだと思いますが……

外回りしてますが……

緊急事態宣言が解除されてから、書店訪問営業を再開しています。

密を避けるとか、人流を減らすとか、感染拡大防止の観点から見て、あたしの行動は問題ないのか、なんとも言えませんが、ただ、少なくとも外回りをしている限り、ほぼみんながマスクをしていることを除けば、コロナ以前と変わらない街の風景が見られます。いや、いろいろな商業施設の入り口に消毒液が置いてあるのが以前とは異なるところでしょうか。

でも、それを除くと街の人出に大きな変化は感じられません。確かに電車は少し空いているのかな、という気もします。出勤時間はそれほど変わっていないので、混雑具合はコロナ前よりも楽であるとは言えます。ただ、日中に関してはこんなものだと思いますし、時差通勤なので午後は早めに上がるので、夕方のラッシュには引っかかりませんから、その時間帯がどうなのかは判断しかねます。

こういう風に営業に回っているのが感染を拡大する一因となっているのでしょうか。あたし自身が無症状でもウイルスを運んでいるかも知れません。そうなると書店の方にうつしてしまっているのか、あるいは自宅に持ち帰って老齢の母に感染させてしまっているのか、そんな不安もあります。

幸いにも母も今のところは元気ですが、なにぶん七十代後半、今月には78歳になるので、ちょっとしたことが命取りになりかねません。怖がりすぎでしょうか?

お気づきでしょうか?

最近の文庫クセジュです。

それがどうした、と言われそうですが、何かお気づきになりませんか?

と言われても、この画像ではわかりにくいと思います。

ですので、二枚目の画像をご覧ください。これならわかっていただけるのではないかと思います。

実は、文庫クセジュが今年で創刊70周年を迎えまして、帯のところにひっそりとそのことが書いてあったのです。

えーっ、気づかなかった!

という方がほとんどだと思います、実は社内でも知っている人はごくごく少数で、あたしも実はつい最近知ったのです(汗)。営業部員にあるまじき失態です。

しかし、そういうわけで文庫クセジュ70周年なので、夏から秋、そして冬にかけてフェアを開催予定です。いま、仕込みの最中です。これから書店にも案内していきます。

これからも是非ご贔屓に、よろしくお願いいたします。

最後に、これはクセジュとは関係ありませんが、新刊の『対訳 フランス語で読む「失われた時を求めて」』は、既刊の『プルーストへの扉』と併売していただけると大変嬉しいです。

前者は語学書、後者は文芸書のコーナーに置かれているかも知れませんが、できましたら一緒に文芸書コーナーで展開していただけると相乗効果を生むのではないかと期待してお選ります。

始めは処女の如く

深夜零時をもって東京を始めとする一都三県の非常事態宣言が解除になりました。

既に先週末から解除ムードで飲み食いしている人たちもいるのかと思いますが、確かに今日の街の人出はコロナに対して気を張っている雰囲気は感じられません。ほぼ全員がマスクをしていることを除けば、コロナ以前の様子と変わらない気がします。

もちろん、さまざまなお店の人に聞けば、人出はまだ何割しか戻っていない、といった感想も聞かれるのでしょうけど、あたしの目には以前と変わらなく映りました。

そういうわけで、あたしも今日からは在宅ワークをやめて、週五日の勤務に戻しました。

もちろん、わが家には七十代後半の母がおりますので、都内の感染状況を見ながら、やはり在宅ワークを継続するか判断したいと思いますが、ひとまずは毎日会社へ行って、そして書店営業も復活です。

早速今日も少し回ってみました。久しぶりの書店営業でちょっとドキドキします。

ある意味、新人のころの初々しさを取り戻したと言ったら、あまりにも図々しい物言いかも知れませんが、でも正直な話、多少の緊張感はありました。

あとは、回った分だけ注文が取れるとよいのですが……

併売希望が二つ

フランス語というイメージの強い、あたしの勤務先ですが、実は隠れたベストセラーが『今日からはじめる台湾華語』です。

書店に行くと、中国語コーナーの端っこの方に、上海語や広東語などと一緒に置かれていることが多い台湾語のあたりに並んでいることが多いです。ただし、これはなかなか書店の方に理解してもらえないのですが、「台湾華語」は「台湾語」ではありません。

大雑把に言ってしまうと、台湾語は中国語の台湾方言で対岸の福建語とも非常に近いものです。ですから台湾語であれば上海語や広東語などの近くに並んでいてもおかしくはありません。それに対して台湾華語は台湾の中国語、それも標準語のことですから、本屋に並んでいる「中国語」とほぼ同じものです。

ただ、台湾では、大陸で使っているローマ字表記のピンインとは異なる符号を使っていたりしますし、文字も大陸の簡体字に対して繁体字、いわゆる旧字体を使っているという違いがあります。なので中国語ではなく、あえて台湾華語と呼んで違うものだとアピールしているのです。

そして、これが折からの台湾ブームも相俟って非常によく売れているのです。なんとなく大陸中国に対する嫌悪感の高まりが親台湾的な意識を高め、旅行先や留学先でも台湾を選ぶ人が増え、台湾の中国語に対する注目が伸びているのだと思います。書店に行けば「台湾華語」を書名にした参考書が増えていますが、そんな中、トップセラーと呼んでもよいのが『今日からはじめる台湾華語』なのです。

そしてこのたび、その続編として刊行しますのが『もっと知りたい台湾華語』になります。二冊揃えて展開していただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

続きましてはドイツ史です。

先月に『ドイツ史 1800-1866(上)』を刊行しました。ドイツ史を名乗っているものの、タイトルどおり1800年から1866年までを扱う断代史的な歴史書です。

こちらの下巻である『ドイツ史 1800-1866(下)』がまもなく刊行になります。この両者は通常の単行本よりも一回り大きなA5判です。なかなかのボリュームですが、是非とも上下揃えて展開していただきたいものです。オレンジが上巻、緑が下巻です。

さすがにこの二冊を並べている書店はないですよね?

毎日の通勤電車の中で読んでいる、岩波新書の『ヒンドゥー教10講』です。

あたしはインド哲学にも、ましてやヒンドゥー教にも詳しくはないですが興味はあります。なので、こういった新書ならば取っ付きやすいだろうと思って読み始めたのですが、なかなかに歯応えのある一冊です。少し前に読んだ同著者の前著『インド哲学10講』もほとんど頭の中から抜け落ちてしまっていて、最初から学び直すと言いますか、学び始めるような気持ちで読んでいます(汗)。

そんな『ヒンドゥー教10講』ですが、読んでいますとサンスクリット語がかなり頻繁に登場します。もちろんパーリ語など古代インドの言葉の宝庫です。本文中ではアルファベット表記なので取っ付きやすいですが、どんな感じの言葉なのか、そういったものが肌感覚で身についていないので、なかなか頭の中に知識として定着しません。情けない限りです。

しかし、ほとんど同じようなタイミングで『ニューエクスプレスプラス サンスクリット語』が刊行されました。こちらはCDも付いていますが、音声アプリにも対応していて、簡単気軽にサンスクリットの音を楽しむことができます。

とはいえ、この両書を一緒に並べている書店はほぼないでしょうね。かたや岩波新書、かたや語学書ですから、通常の書店の棚構成で決して出会うことのない二人、ではなくて二書です。もし出会うとしたら人文書のコーナー(宗教とかインド哲学とかの棚)ではないでしょうか?

装いも新たに、というわけではありません

写真の左は、東日本大震災の当日に配本予定の新刊『光のない。』です。白水Uブックスとして刊行されます。

そして右が、単行本の『光のない。』です。

「なーんだ、単行本が新書になったのね、他社で言うところの文庫化でしょ?」という声が聞こえてきそうです。

ふだんなら「はい、そうです」と答えるところです。単行本をUブックスにした時に、あとがきを新しくしたりすることはありますが、中味をいじることはあまりありません。これは他社の文庫化の時も同じようなものではないでしょうか?

しかし、今回は単行本(実は現在品切れ)とUブックス版とでは中味が異なります。

単行本の方は表題作「光のない。」の他に「エピローグ?[光のないⅡ]」「雲。家。」「レヒニツ(皆殺しの天使)」という3作品が収録されていました。しかしUブックス版は「光のない。」の他に収録されているのは「エピローグ?」「プロローグ?」の2作品です。この3作で「三部作」になるというわけです。

一括りには出来ない三冊

昨日、2月27日は国際ホッキョクグマの日だったそうです。

あたしの勤務先も『ホッキョクグマ 北極の象徴の文化史』という本を出していますので、Twitterでは少し前からちょっと盛り上がっていたようです。

なにせ、地球温暖化といえば北極や南極の氷が溶ける、そうなるとそこに住む動物たちも絶滅の危機に瀕する、ということで、この数年、そういう文脈からもホッキョクグマが注目されているようです。

ところで日本人の多くは「ホッキョクグマ」ではなく「シロクマ」って呼んでいますよね。鹿児島の名物も確か「シロクマ」ではなかったでしょうか? あれ、正式には「しろくま」でしたっけ?

ところで、勤務先のTwitterが盛り上がっていると書きましたが、つい最近は『踊る熊たち 冷戦後の体制転換にもがく人々』という本を出したばかりです。

こちらは副題を見てもわかるように、決して動物の熊をテーマにした本ではありません。あくまでそれは象徴的なものであり、書籍の内容は冷戦下、東ヨーロッパの人々を追ったノンフィクションです。

とはいえ、副題を見落としてしまうと、クマの写真のカバーから熊の曲芸に関する文化史の本だと思ってしまう方もいそうです。確かに、本書にそういう一面がないわけではありませんが、少なくとも書店の「動物」の棚に並ぶような本でないでしょう。

むしろ「熊の文化史」というのであれば『熊 人類との「共存」の歴史』の方がドンピシャです。

人を襲うこともあれば、飼い慣らすこともでき、食料として捕獲されもしてきたクマの人類とのかかわりを描いた一冊です。

ところで、ホッキョクグマこそ住んでいないですが、日本人にとっても熊は比較的身近な存在です。ここ数年は民家の庭先に現われたというニュースをしばしば目にします。北極と深刻さの度合いは比較できませんが、熊の生息環境が脅かされているという意味では、どちらも共通のことだと思われます。