声は届くのでしょうか?

女優・竹内結子の死。

たぶん自殺だろうと言われています。三浦春馬、芦名星、藤木孝と、名前はすぐに出て来なくとも顔を見ればすぐにわかるような有名人の自殺が続いています。

みずから死を選んだ理由の詮索はいたしません。したってわかりっこないですから。

それよりも、この一連の報道で、多くの場合「悩んでいる方はこちらに電話を」をいうメッセージが出されるのが気になります。「いのちの電話」でしたっけ?

本当に自殺を考えるほど悩んでいる人が、こんな風にテレビを見たりラジオを聴いたりして「あっ、電話してみよう」なんて思うのでしょうか? そもそもテレビを見たりラジオを聴いたりしているのかもわかりません。

あるいは「周囲に悩んでいる人がいたら声をかけてあげましょう」というメッセージも言われていますが、そんなこと傍か見てわかるものでしょうか?

となると、テレビやラジオで伝えられるあのメッセージって、いったい誰に向けたものなのだろうかと考えてしまいます。もちろん、百人や千人に一人でも、このメッセージで自殺を思い留まったり、そこへ電話して相談したみたり、周囲の人に苦悩を吐露して救われる人がいれば御の字なのかも知れませんが。

かといって、自殺を考えるほど思い詰めている人に届く効果的な救いの手にどんなものがあるのか、あたしには到底思いつきませんが。

BLではなくて……

少し前に李琴峰さんの『星月夜』を読みました。台湾や中国にルーツを持ち、日本で暮らす女性の同性愛がテーマになっています。

異国で暮らす苦労や違和感、居心地の悪さと、同性愛者として暮らすことの居心地の悪さ、そんなことが丁寧に描かれていました。

李琴峰さんの作品は『独り舞』『五つ数えれば三日月が』も読んでいまして、やはり同性愛がテーマになっていたので、作品世界には抵抗なくすんなりと入り込めました。

いま、本書の感想はおくとして、個人的にはこういう同性愛の作品が普通に増えてくるのは嬉しい傾向だと思います。もっともっと増えてくれるとよいなあと思いますし、いろいろなタイプの作品を読んでみたいと思います。

が、女性作家が女性の同性愛を描く作品は、こうして少しずつ増えてきていると思うのですが、男性の同性愛作品ってあるのでしょうか? あたしが知らないだけなのでしょうか?

男性同性愛というと、森茉莉さんの作品などで読んだことがありますが、最近だとBLといったジャンルがあります。でもBLと言ってしまうとちょっと違う気がします。それに森茉莉さんの作品も同性愛をテーマにした作品なのかと言われるとどうなのでしょう? 少なくとも李琴峰③の作品の女性をそのまま男性に置き換えたようなものではないと思います。

女性作家が女性の同性愛や男性の同性愛を描くように、男性作家が描く男性の同性愛、女性の同棲の作品って何かあるのでしょうか? あったら読んでみたいものです。もちろんAVまがいの作品はお断わりですが。

着実に増えていく……

数日前にご紹介した、わが家の曼珠沙華。その時にはまだ蕾が残っていましたが、すべて咲きそろいました。

昔から「立てば芍薬」と言いますが、あたしはこの曼珠沙華の凛とした立ち姿が好きです。そして、なんといっても華奢な姿態、これがたまりません。

曼珠沙華は、墓地やあぜ道になどに群生しているイメージがありますが(特に赤い花の曼珠沙華は)、こんな風に植木鉢で一輪だけですと、その華奢さがより強調されてしまいますね。

そして、群生とまでは言えませんが、わが家の玄関先にはもう一輪、曼珠沙華が咲いています。

そちらも、ご覧のように満開です。お彼岸の訪れと共に咲き始め、お彼岸が終わるのと歩調を揃えるように散っていくようです。たぶん、あと数日の命でしょう。

そんな儚さが、染井吉野に通じていて、あたしが好きな理由かも知れません。パッと咲いて、パッと散る、その刹那の美しさ、なんとも言えません。来年は、もっと株を増やしたいですし、できることなら黄色い曼珠沙華も庭に咲かせてみたい者です。

さて、話はまるで変わってしまいますが、最後の写真はわが家の書架、その中でも韓国文学を主に並べている棚です。

気づくと各社から新刊が出ていますし、これからも出るようです。とても全部を追い切れませんが、それでも気になったのは購入して読んでいます。

さて、刊行されている韓国文学はブームの牽引役であるフェミニズム系の作品が多いようですが、もっといろいろなタイプの韓国文学が紹介されると、もっと裾野が広がると思うのですが、どうでしょう?

ところで、あたしの書架、気づくと並んでいる韓国文学が増えています。そろそろ別のスペースを準備しないと置ききれなくなりそうです。

やはり顔がない

『82年生まれ、キム・ジヨン』で一大ブームを巻き起こした韓国文学のチョ・ナムジュさんの新刊が同じく筑摩書房から刊行されました。

『彼女の名前は』です。

早速購入しました。これから読みたいと思います。

前作は思わず目を惹く印象的な装丁(カバー装画)でしたが、今回は前作に比べるとちょっと地味かなという感じがしますが、よーく見ると今回も顔がないんですね。

顔がない、という表現は正しくないでしょうか。もしかすると「表情がない」と言った方がよいかも知れませんし、その方が著訳者や担当編集者が狙ったものをつかめているのかも知れません。ただ、そんな装丁ですから内容もおおよそ伝わってきます。

オビ推薦に伊藤詩織さんの名前が見えますが、ちょうどTIME誌の「世界で最も影響力のある100人」に選ばれたタイミング、本書の販売には非常に強い追い風になりそうですね。

曼珠沙華の開花と共に

今日は秋分の日。お彼岸です。

この季節に咲くから「彼岸花」と呼ばれる曼珠沙華、わが家の玄関先でも咲き始めました、それも赤ではなく白い曼珠沙華が。ちなみに、あたしは彼岸花という呼び方よりも曼珠沙華と呼ぶ方が個人的に気に入っています。文字面が格好よいなあと、昔から思っているだけの理由ですが……

ところで、彼岸花と言うとたいていは赤い花をイメージするのではないでしょうか? この時季に墓参りに行くと墓地で真っ赤な彼岸花が咲き誇っているので、縁起が悪いと思う方もいるようですが、あの花の姿はとてもきれいだと思います。

で、そんな赤い花のイメージが強い彼岸花ですが、赤だけでなく白や黄色の彼岸花もあるのは以前から知っていました。そしてわが家にはご覧のように白い彼岸花がありまして、それが今年も細々とではありますが、秋分の日にようやく花開いたというわけです。本当は一輪ではなく群生しているともっと美しいのでしょうが、狭い個人宅では仕方ありません。

そんな秋分の日、曼珠沙華の開花と共に届いたのが、日向坂46のファーストアルバム「ひなたざか」です。

Type-A、Type-B、そして通常盤の3タイプでの発売となり、もちろん全タイプ購入です。収録されている新譜も既にラジオなどでオンエアされていますが、改めて聞き込みたいと思います。

そして最大の愉しみは、Type-AとType-Bの特典ディスク、Blu-rayに収録されたデビューカウントダウンライブの模様です。けやき坂46時台から知っているとはいえ、日向坂46のスタートはこのライブです。スカパー!などでもオンエアされていなかった映像ですので、非常に楽しみです。今となっては、ずいぶんと初々しい日向坂46のメンバーが見られるのではないでしょうか?

ちなみに、パソコンのモニターの前で撮ったので、壁紙の模様と重なって見にくいかもしれませんが、手前が通常盤、後列左がType-B、後列右がType-Aになります。Type-Aだけ通常のCDのサイズではなく、ちょっと大きめのケースになっています。

文庫本が刊行されていると親しみやすい?

前のダイアリーで、今日がショーペンハウアーの没後160年にあたると書きました。そして架蔵している『ショーペンハウアー全集』をご紹介しました。

でも、あたしが最初にショーペンハウアーと出会ったのは学生時代に岩波文庫です。『読書について 他二篇』『自殺について 他四篇』『知性について 他四篇』の、比較的薄めの岩波文庫を買って読んだのが最初です。薄いので取っ付きやすいと思ったのも理由の一つですが、この三冊のタイトルに惹かれたのが一番の理由です。その伝記と言いますか、生涯についても実はほとんど知りません。

当時、すべてを読んで理解できたかと問われると自信を持って「はい」とは言えません。いや、いまだに理解できているとは思えませんし、そもそもショーペンハウアーの思想がどんなものなのか、思想史・哲学史での位置もわかっていません。

多くの人が、あたしと同じように思っているわけではないと思いますが、ショーペンハウアーってそれなりに人気があるのでしょうか? 岩波文庫と比べると比較的最近になって古典新訳文庫から『読書について』『幸福について』が刊行されました。

やはり薄めですので、手に取りやすく読みやすい分量だと思います。難解な哲学の本と思われていても、比較的分量が少なければ「読んでみよう」と思う人がそれなりにいるはずです。短ければ簡単で長ければ難しいというものではありませんが、それでも最初のハードルが低いのは普及には重要なポイントだと思います。

何はともあれ、手に取ってもらわなくては読んでもらうこともできません。読んでもらえなければ、その思想がどんなものなのかも理解されません。こういう分量で文庫が出せるというのは、ショーペンハウアーのアドバンテージではないでしょうか?

キリ番ゲットは難しい

日向坂46のファーストアルバムのリード曲「アザトカワイイ」のMVが公開中です。

最初にMVが公開されてしばらく経ってから、こんどはリハーサル映像が「ひなリハ」として公開されました。定点カメラでフルコーラス踊るメンバーの様子がわかり、これはこれでファンの間では非常に人気が高い動画となりました。

YouTubeにアップされているこういった動画、PCで作業をしながらBGMっぽく聞いているのですが、今朝も見に行きましたら、何と再生数がもうすぐ200万回に届きそうな数字でした。「これは、なんとか200万回目ぴったりをゲットしたい!」と思い。ひとしきりPCで作業を続けていました。

そして、20分か30分ほど後に改めて「ひなリハ」を見に行ったのですが、なんと200万回を少しだけ超えていました。

いや~、惜しい。本当にもうちょっとだったのに、200万のキリ番をゲットできませんでしてた。

しかし、この短時間でこれだけ再生数が伸びるとは驚きです。夜中だと多くの人がネットに接続していそうですが、朝の早い時間にも見ている人っているのですね。そちらにも驚きでした。

日向坂46の人気が恐るべしです。

いろいろと複雑なようです

『LGBTとハラスメント』を読みました。好奇心もありますが、やはりできるだけ正確な情報を知っておきたいという思いもあって手に取ったわけですが、あたしの場合、「知っているけど理解できていない」という状態だと思いました。

こういう書き方は不謹慎と言いますか、かえって差別やハラスメントを助長させることになるのかも知れませんが、やはり考えてしまうのは同性愛者の人に告白されたら、という下世話なことです。森茉莉の作品ではありませんが、男性の同性愛の場合、文学作品などでは美少年が登場することが多いですが、実際にはそうとは限らないでしょう。やはり現実問題として、わが身に置き換えて考えてみた場合、自分はどう対応するだろうかを考えてしまいます。

ただ、よくよく考えれば、異性から告白されようが、異性を好きになるときだって、やはり好みというのはあるわけで、異性だからといって誰でもよいわけではないのは万人共通のことだと思います。そう考えると、異性か同性かを問わず自分の好みのタイプであるか否かを基準にすればよいだけのことなのかも知れません。

でも、あたしは、自覚的には異性愛者だと思うので、同性を好きになることはないですし、告白されたとしても断わるしかないと思います。そう思っていたのですが、この本を読みながらふとこんなことも考えました。

乃木坂46の白石麻衣のような子がトランスジェンダー、つまり性自認が実は男性で、なおかつ同性愛者であった場合です。ついでに服装は異性装だとします。つまり、見た目は頭の先から足の先までテレビや雑誌で目にする白石麻衣です。特に性別適合手術を受けるわけでもなければ、まるっきりテレビで見ているそのまま、美人の中の美人と呼ばれる白石麻衣その人です。

こうなると、「あたしは異性愛なので…」という気持ちも揺らがないとは限りません。だって、相手が白石麻衣なんですから。

ちょっとくだらない横道にそれすぎました。しかし、LGBTって、この四文字で代表されていますけど実に複雑なんだということは知っています。第三者から見たら理想的なカップルに見える男女が、性自認や性対象を確認してみると実は同性愛者だったという場合もあるかも知れないのです。結局、読み通してみて、マイノリティーの人たちの生きづらさや苦労などについては、どうしてあげられるのかわかりませんが、少なくとも誰が好きだって(誰を好きになったって)いいじゃないか、という気持ちにはなりました、それが異性だろうと同性だろうと。

 

存亡の秋

少し前の朝日新聞に「外国語検定に存続の危機」という記事が載りました。

外国語の検定試験というのは、その多くが春と秋の年に二回試験を実施しています。しかし、今年はコロナ禍で春季試験を実施できなかったところが多かったようです。英検の模様がニュースになっていましたが、試験会場や入り口が密になりすぎて、感染を恐れ受験せずに帰宅した人もいるとニュースでやっていましたが、恐らく英検の事務局には相当数の避難が寄せられたのではないでしょうか?

漢検や英検はかなり大規模な検定試験ですから、受験者数も多く、それなりに財政的な体力もあると思いますが、それ以外の外国語の検定試験は小さな運営団体のところが多いと思いますので、試験を実施できないことはそのまま収入減、存続の危機へと繋がります。文科省には支援をしてもらいたいところです。

そして、この秋の試験も実施できるのか否か、予断を許さない状況だと思います。ワクチンの準備や感染の広がりによっては、今秋はおろか来春の試験だってどうなるかわかりません。そうなると本当に潰れてしまう事務局もあるかもしれません。そうなると試験を受けようと感得ている受験生や学習者はどうなってしまうのでしょう。

さて、試験が実施できないと事務局もそうですが、検定対策本を刊行している出版社も大変です。なにせ、検定対策本というのは、決まった数が定期的に売れるコンテンツであるからです。この売り上げが、試験の中止で飛んでしまったら出版社も相当苦しくなります。

もちろん検定対策本は、受験生だけでなく、受けないけれど自分の力試しにやってみる、という目的で購入している人いるので、まるっきり売れなくなるわけではありませんが、それでも試験の中止が続くようだと、影響はボディーブローのように効いてくるでしょう。

ちなみに、タイトルの「秋」は「とき」と読みます。

名前が変わったのか、元からそうだったのか?

このところずーっと、朝日新聞の夕刊で連載されている「人見街道」。《マダニャイ とことこ散歩旅》というコーナーで取り上げられています。

この人見街道、杉並の中心よりちょっと南寄りを突っ切るような感じで延びていて、井の頭通りと合流します。あたしが小学校から大学生のころまで住んでいた高井戸は、ちょうどこの人見街道が通っている場所で、あたしは小学校へ通うときに、毎日この人見街道を渡っていました。比較的車の量が多かったので、渡る信号機の処には毎朝「緑のおばさん」と呼ばれる交通整理の人が立って、子どもたちを誘導してくれていました。

そんな人見街道、朝日新聞の連載では「人見街道」と書かれ、その由来も語られていましたが、あたしが子供のころには、この通りはそんな呼ばれ方はしていませんでした。では何と呼ばれていたのか?

正解は「久我山街道」です。「久我山通り」と呼ぶこともありましたが、その理由はこの通りがちょうど井の頭線の久我山駅の処を通っていたからです。この名称が正しかったのか否か、行政的な意味での正確さはわかりません、しかし、当時あたしたち小学生は、この通り界隈に住んでいる者なら誰もがそう呼んでいたのです。

では、あたしは今でも「久我山街道」を強く主張するのかと問われると、別にそこまで拘りがあるわけではありません。通りとか川とかって同じものでも地域によって呼び名が変わることはよくあることですので、久我山を通っているという杉並区民には非常にわかりやすい理由から久我山街道、久我山通りと呼ばれていただけでしたし、子供のことですからそこに正確さを求めていたわけではありません。

ただ、杉並に在住のころ、中学生だったか高校生だったか忘れましたが、こういった広くもない通りにも街路名の看板が立てられるようになり、そのとき久我山街道に「人見街道」という看板が立っているのを見て非常に違和感を感じたのを鮮明に覚えています。「なんで久我山街道じゃないの? 人見街道って何?」というものです。

たぶん、大人はいざ知らず、その当時、あの地域で育った人の多くはそういう感想を持ったのではないでしょうか? しかし、しばらくすると「ずーっと西の方では人見街道って呼ばれているらしくく、そのまま人見街道の名前で看板を立ててきたので、そうなった」という噂を耳にしました。三鷹だか府中だか、そっちでは人見街道と呼ばれているのはよいとして、どうして通り全体の名前までそれに従わなければならないのか、というちょっとした憤りは感じました。久我山街道の名前を府中まで延ばしたってよかったはずです。

そんな当時の記憶が蘇ってくる朝日新聞夕刊の連載です。