電子書籍のこと

そんなこと社内で担当者に聞けばよいのでしょうけど、とりあえず書いてみます。

電子書籍は品切れにならない、とよく言われます。在庫を持たなくてもよい、とも言われます。

確かにその通りなのですが、果たして本当に品切れにならないのでしょうか?

あたしの勤務先の場合、海外の書籍の翻訳が多いです。そこには当然、翻訳権料がかかりますので、どうしても国内作家の本に比べると割高になってしまいますし、だから小回りの利いた重版などをして在庫を維持するというのも難しいものです。なおかつ、翻訳出版には期限がありますので、刊行後数年経って権利の更新をする時に、「もうこの本は売れないから更新はしないでおこう」となると、当然紙の書籍が品切れになったらそれで終わりですが、電子の方はどうなっているのでしょう?

紙の書籍の翻訳権は更新しないけど、電子の方は更新するということはありえるのでしょうか? でも、そうすれば紙では品切れになったとしても電子では購入ができるわけですから、出版社としては在庫を抱えなくてもよい、読者としては(とりあえず電子ではありますが)その本を手に入れることが可能になります。

勤務先を見ていると、紙の書籍が品切れになり、翻訳権の更新をしなかったら、そのまま電子も配信ストップになっているのか、あるいは電子だけは継続して配信しているのか、きちんと調べたことがないのでよくわかりませんが、他社の場合はどうなのでしょう?

新聞に電子書籍の記事が載っていたので、ちょっとそんなことを考えてしまいました。

やっぱりダメだ……

亜紀書房の『大都会の愛し方』読了。

韓国のクィア小説ということですね。こういう作品はボーイズラブ(BL)とは呼ばないのでしょうか? ボーイズラブの定義をよく理解していないので……

まあ、とにかく男性の同性愛の物語です。

と、ここまでの書きぶりから嫌悪感を抱いて読んだみたいな印象を持たれたでしょうか? 確かに、若干の嫌悪感を抱きました。ただし、それは同性愛の描写に対してではなく主人公の生き様についてです。

あたしって、やはりなんだかんだ言っても根は真面目なんですね。几帳面と言ってもよいかも知れません。いや、世間で言われるほどの潔癖なタイプではなく、意外といい加減なところもあるとは思います。ただ、生活習慣に関してはかなり保守的で、ちゃんと学校へ行き、出された課題はきちんと済ませるような学生時代、もちろん遅刻や欠席などもってのほか、といった学生でしたし、社会人になってからも9時までには出勤し、時間にルーズな人は許せないと感じてしまうタイプの人間です。

ですから、この主人公のように、なんとなく生きていて、その時の思いつきで後先考えずに行動し、それだけならまだしも周囲の人間を巻き込んでしまうタイプの人間はどうしても好きになれません。読んでいて感情移入しづらい主人公でした。こんな奴が身近にいたら嫌だなあ、と思いながら読んでいました。もちろんその「嫌だなあ」という感情は同性愛者に対する嫌悪ではなく、いい加減な生き方をしている態度に対する嫌悪なのですが。

とはいえ、物語は楽しく読めました。同性愛の世界は、もちろん知らないことだらけなので、この作品に描かれていることがすべてだとは思いませんが、なんとなく彼らなりの苦労もあれば楽しみもあるのだということがわかりました。韓国の小説ですが、これが日本だとどうなのでしょうね。

おぼろげな記憶

講談社現代新書の『土葬の村』を読み終わりました。

いま土葬されたいという人が少しずつ増えているという、そういう動きがあるということに驚きましたが、それも含めて全体として非常に興味深い一冊でした。

ところで、この本の中でも触れられているのですが、母の田舎では村の決まった場所で遺体を燃やしていたそうです。母が子供のころ、暗闇の中、遺体を燃やす炎が遠くにチラチラしているのを見た記憶があるそうです。そして時々は係の人がそこへ行って、ムラなく燃えるように火の具合などを見守っていたそうです。

もちろん現在はそんなことはやっていないようで、たぶん母もいま田舎へ帰ったとしても、かつて遺体を燃やしていた場所がどこだったのか、すぐには思い出せないことでしょう。しかし、少なくとも母が子供のころ、つまり戦後しばらくの間、母の田舎ではそんな火葬が行なわれていたようです。

ちなみに、母の田舎は新潟県です。新潟市の方ではなく、もっと富山県寄り、上越市です。ただ、上越市になったのは平成の市町村大合併の時で、それ以前は村でした。上越市から東へ、自動車でも30分から40分くらいの山の中です。

話は変わって、こんどは父方の田舎。場所は千葉県の外房。房総半島というところまでは行きません。白子町という九十九里海岸沿いの小さな町です。

小学生のころまでは夏になると遊びに行っていたのですが、その田舎の墓地であたしは籠のような形をしたものを見かけ、これは何かと聞くと、その中に仏さんが入っていると教えてもらった記憶があるのです。大きさや形としては、時代劇で罪人が入れられて市中引き回しされる時の籠のような感じですが、紙なのか布なのか何かが貼ってあったため中は見えないようになっていました。

いわゆる座棺だったのか、子供のころの記憶ですから上に書いたこともおぼろげで、全く自信はありません。その当時、田舎で身近に亡くなった人がいたわけでもなく、たまたま墓場で見かけたもので、本当にあの中に遺体が入っていたのか不明です。その当時のあたしの認識では、その中に入れて運んできた遺体は埋葬され、その籠だけが墓場に残されている、という印象だったのですが、もし棺であればそのまま埋葬するはずですよね。

となると、あたしは何を見たのでしょうか?

もうじき没後80年

写真は、紀伊國屋書店新宿本店の2階、海外文学コーナーの一角です。ヴァージニア・ウルフのミニコーナーが出来ています。

どうしてヴァージニア・ウルフなのかと言えば、今月下旬がウルフの没後80年に当たるからです。たぶん、それを意識してのコーナー作りだと思います。

もったいなくも、センターを占めているのは、あたしの勤務先から出ている『フラッシュ 或る伝記』です。あたしの勤務先から出ているウルフはこれ一点だけなので、読者の方にもウルフを出している出版社という印象は持たれていないと思いますが、ありがたいことです。

実は、先月のことですが、あたしの勤務先で画像のような注文書を作って全国の書店に案内していたのです。

どうしてこんな案内をしたかと言いますと、もちろん没後80年ということもあるのですが、幻戯書房から『フラッシュ ある犬の伝記』が刊行される予定だったので、そのタイミングでうちの『フラッシュ』も並べてもらいたいと考えたからです。ただ、上述のようにあたしの勤務先から出ているウルフは一点だけなので、チラシには幻戯書房の新刊と他社のウルフの翻訳を何点か列挙して、これでちょっとしたフェアをしていただければと目論んでおりました。

まあ、ちょっと考えれば誰にでも思いつく案内ではありますが、何点かでもリストアップしてあれば、書店の方が調べる手間を省けるかなという思いはあります。

今月のおすすめ本などなど

毎月恒例の今月のおすすめ本です。

2月の売れ行きベストテンの他に、近刊『ケイティ・ミッチェルの演出術』に絡めて演劇ジャンルで版を重ねている定番書を併せてご案内しています。また、さらにベストテンにこそランクインしていませんが、ロングセラーとなり着実に売れ続けている『14歳からの生物学』『手話通訳者になろう』も掲載しています。

この機会に棚の欠本チェックをよろしくお願いします。

もう一つのご案内は、こちらも近刊『対訳 フランス語で読む「失われた時を求めて」』に合わせ、既刊の「対訳フランス語で読む」シリーズの特集です。

新刊の刊行に合わせて、いまいちど対訳シリーズ全7冊を棚に揃えてみませんか? フェアならミニ看板もご用意します。

基本的には語学書コーナーの書籍ですが、海外文学の棚で展開してもいつもとは異なるお客さんの目に留まるかも知れませんので、よろしければ文芸書コーナーでのフェア展開も是非ご検討ください。

装いも新たに、というわけではありません

写真の左は、東日本大震災の当日に配本予定の新刊『光のない。』です。白水Uブックスとして刊行されます。

そして右が、単行本の『光のない。』です。

「なーんだ、単行本が新書になったのね、他社で言うところの文庫化でしょ?」という声が聞こえてきそうです。

ふだんなら「はい、そうです」と答えるところです。単行本をUブックスにした時に、あとがきを新しくしたりすることはありますが、中味をいじることはあまりありません。これは他社の文庫化の時も同じようなものではないでしょうか?

しかし、今回は単行本(実は現在品切れ)とUブックス版とでは中味が異なります。

単行本の方は表題作「光のない。」の他に「エピローグ?[光のないⅡ]」「雲。家。」「レヒニツ(皆殺しの天使)」という3作品が収録されていました。しかしUブックス版は「光のない。」の他に収録されているのは「エピローグ?」「プロローグ?」の2作品です。この3作で「三部作」になるというわけです。

映画は未見

映画『映像研には手を出すな!』のBlu-rayを落手しました。

ドラマはずっと見ていまして、当然のごとくドラマ版の『映像研には手を出すな!』Blu-rayも購入しました。

しかし、映画は見に行っていませんし、いまだWOWOWやCS放送などで放送されていないので未見です。どんなストーリーなのか楽しみですが、この作品にストーリーらしいストーリーが果たしてあるのか……(汗)

とはいえ、乃木坂46にとって一つのターニングポイントになった作品でもありますね。個人的には、ななみんの卒業が飛鳥を自立させ、まいやんの卒業が桃子を自立させ、そしてこの作品で飛鳥と美月の絆が深まった、そんな風に感じています。

得も言われぬ読後感?

《エクス・リブリス》の新刊『もう死んでいる十二人の女たちと』を読了しました。

この数年ブームの韓国文学? 確かにその通りです。ただ、この数年の日本における韓国文学ブームは「=フェミニズム」といった作品が多かったと思いますし、話題になるのもそういった作品ばかりだと思いますが、本作はそれとは一線を画しています。

あたしの少ない読書経験からしますと、韓国文学と言えば『こびとが打ち上げた小さなボール』に代表されるような辛くて重い歴史を踏まえたもの、『三美スーパースターズ 最後のファンクラブ』のような経済危機に打ちのめされたサラリーマンの悲哀を描いたもの、そして『82年生まれ、キム・ジヨン』に代表されるフェミニズムだと思ってきました。ところが、本作はそのどれにも当てはまりません。

それぞれの要素を少しずつ取り込んではいるものの、それらのどれとも異なり、幻想的なようでもあり、SF的な感じもしていて、得も言われぬ読後感、否、読中感を感じながら読んでいました。作品の世界にうまく入り込めないと「いったい何を描いているんだろう?」と感じてしまう作品もありますし、「いったい何にこだわっているのだろう」と感じられるものもあります。

たぶん光州事件とか、セウォル号沈没事故といった韓国国内の事件、事故をあたしも身近に感じられればより作者の気持ち、言わんとしていることが迫ってくるのでしょう。そのような意味では古里原発事故を踏まえた作品は福島の原発事故を体験している日本人には理解しやすい、感情移入しやすい作品ではないかと思います。

とはいえ、このような社会問題を踏まえて、それらを声高に非難したり告発したりする作品ではありません。どの作品にも共通して感じるのは、主人公や登場人物の中から何かがすっぽりと抜け落ちてしまっているような感覚です。これをどう表現したらよいのか難しいですが、最近のフェミニズム寄りの韓国文学に飽きてしまった方には是非一読をお薦めします。

一括りには出来ない三冊

昨日、2月27日は国際ホッキョクグマの日だったそうです。

あたしの勤務先も『ホッキョクグマ 北極の象徴の文化史』という本を出していますので、Twitterでは少し前からちょっと盛り上がっていたようです。

なにせ、地球温暖化といえば北極や南極の氷が溶ける、そうなるとそこに住む動物たちも絶滅の危機に瀕する、ということで、この数年、そういう文脈からもホッキョクグマが注目されているようです。

ところで日本人の多くは「ホッキョクグマ」ではなく「シロクマ」って呼んでいますよね。鹿児島の名物も確か「シロクマ」ではなかったでしょうか? あれ、正式には「しろくま」でしたっけ?

ところで、勤務先のTwitterが盛り上がっていると書きましたが、つい最近は『踊る熊たち 冷戦後の体制転換にもがく人々』という本を出したばかりです。

こちらは副題を見てもわかるように、決して動物の熊をテーマにした本ではありません。あくまでそれは象徴的なものであり、書籍の内容は冷戦下、東ヨーロッパの人々を追ったノンフィクションです。

とはいえ、副題を見落としてしまうと、クマの写真のカバーから熊の曲芸に関する文化史の本だと思ってしまう方もいそうです。確かに、本書にそういう一面がないわけではありませんが、少なくとも書店の「動物」の棚に並ぶような本でないでしょう。

むしろ「熊の文化史」というのであれば『熊 人類との「共存」の歴史』の方がドンピシャです。

人を襲うこともあれば、飼い慣らすこともでき、食料として捕獲されもしてきたクマの人類とのかかわりを描いた一冊です。

ところで、ホッキョクグマこそ住んでいないですが、日本人にとっても熊は比較的身近な存在です。ここ数年は民家の庭先に現われたというニュースをしばしば目にします。北極と深刻さの度合いは比較できませんが、熊の生息環境が脅かされているという意味では、どちらも共通のことだと思われます。