中華圏も頑張っている!

書店でこんな小冊子が配布されていました。

表紙からわかるように台湾の書籍の紹介冊子です。台湾文化センターが製作したもののようです。

世は挙げて韓国文学のブームだと盛り上がっていますが、実は中国関係の翻訳も最近はじわじわと増えています。

もちろん中国と言っても、中国大陸の作品、台湾の作品、香港の作品、そして東南アジア華僑の作品といったいくつかの種類があります。欧米で執筆している作家もいますが、ひとまず中国語で書いているという前提で中国の作品と呼んでいますが、それが確実に増えているのです。

『三体』の大ブームに見られるように、韓国のフェミニズムに対して、中国はSFといった印象が強いと思います。それはそれで間違いではありませんし、日本で紹介される作品もSFがそれなりのウェイトを占めています。

どうしてでしょうかね? 政治批判にならないために科学的なもの、空想的なものをテーマとせざるを得ないのでしょうか? そういう面も確かに一理あるとは思いますが、たぶんそれだけではないのでしょう。

そして、そんな中国語文学(という呼び方がよいのかわかりませんが……)、あたしも知らず知らずに買っていまして、わが家の書架の上に、ご覧のように並んでいるのがそれです。

台湾も大陸もごちゃ混ぜに並んでいるのはご容赦ください。あと、李琴峰さんのが数冊並んでいるのはご愛嬌ということで……

いずれにせよ、中国と言えば古典ばかりが受容されてきた日本で、魯迅以来、ようやくオンタイムの作品が普通に紹介されるようになったのは嬉しいことです。

2021年11月18日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

これらは類書と呼べるのでしょうか?

このところ、書店の店頭でちょいちょい見かける本に『ケアの倫理とエンパワメント』があります。

自己と他者の関係性としての〈ケア〉とは何か。強さと弱さ、理性と共感、自立する自己と依存する自己……、二項対立ではなく、そのあいだに見出しうるもの。ヴァージニア・ウルフ、ジョン・キーツ、トーマス・マン、オスカー・ワイルド、三島由紀夫、多和田葉子、温又柔、平野啓一郎などの作品をふまえ、〈ケアすること〉の意味を新たな文脈で探る画期的な論考。

というのが梗概ですが、「ケアの倫理」と聞くと真っ先に頭に思い浮かべるのは文庫クセジュの『ケアの倫理』です。

本書の内容紹介は以下のとおりです。

現代のネオリベラリズムの社会とは、自律した個人が競争しあう社会である。しかしそれだけで、社会は成り立つのだろうか。人間は、実は傷つきやすく、ひとりでは生きていくことができないため人との関係、他人への依存を必要としているのだ。「ケア」とは、人の傷つきやすさに関わることであるが、その活動はこれまで私的なこととされ隠されてきた。自律した個人が競争できるのは「ケア」する人が存在するからであり、「世話をすること」の概念を見つめ直す。その倫理は社会関係の中枢に位置づけられるものであり、配慮しあう世界をめざす。本書はアメリカで始まった議論をフランスの哲学的背景からいっそう深めた解説書となっている。

この両書、タイトルは似ていますが類書と呼べるのでしょうか? ただ、書店店頭を見ていますと、「ケアの倫理」をタイトルに含む書籍というのは決して少なくはないようです。

一番新しいところでは、『ケアの倫理と共感』というものがあります。

感情主義的な徳倫理学の提唱によって現代倫理学に新たな道を拓いたスロートが、本書では「成熟した共感」という観点を掘り下げることでケアの倫理を義務論や功利主義と並び立つ規範倫理学として展開。発達心理学に依拠しつつ共感概念を洗練させ、人間の情緒や関係性に根ざした道徳理解から行為や制度の正/不正、自律と尊重を論じる。

この本の梗概は上記の通りです。このあたりの分野にはからっきし疎いので、これら三冊を一緒に並べて売ってもらうべきなのか、何の関連も脈絡もない、似て非なる三冊なのか、あたしには判断できません。

やはり営業部員としてはもっと勉強しなければなりませんね。

Cコードは気にするものなのでしょうか?

ヒュパティア 後期ローマ帝国の女性知識人』が配本になりました。既に書店店頭に並び始めていることと思います。

ところで、この本は書店ではどこに並んでいるでしょう? 哲学思想の棚でしょうか? それとも歴史の棚でしょうか? 一つの鍵となるのが書籍に付いているCコードです。

本書の場合は「0022」、つまり「外国歴史」、書店の棚で言うなら「歴史(世界史)」の棚になります。

ところで、以前にこのダイアリーで取り上げtら『哲学の女王たち もうひとつの思想史入門』のCコードは「0010」なので「哲学」になります。書店でも「哲学」あるいは「哲学・思想」の棚になるでしょう。

以前のダイアリーでは、この『哲学の女王たち』の中に取り上げられている女性の一人がヒュパティアであると書いたわけです。そうなると、この両書は書店では隣同士で並んでいてくれると嬉しいのですが、Cコードに従うと別の棚に置かれてしまいます。

難しいところですね。『哲学の女王たち』に登場する女性に関する本が残念ながら日本ではそれほど出版されているとは思えません。すぐに見つかりそうなのは、エリオット、アーレント、ボーヴォワールくらいでしょうか。これらを一堂に会してフェアなんて企画しても面白そうですが如何でしょう?

そう言えば、ヒュパティアについて調べていましたら、こんな映画に行き当たりました。10年ほど前のスペイン映画です。この映画の主人公がヒュパティアです。残念ながらあたしは未見の作品です。スカパー!などで放送されたら是非見たいと思います。

今日の配本(21/11/15)

ニューエクスプレス・スペシャル
日本語の隣人たち Ⅰ+Ⅱ[合本]

中川裕 監修/小野智香子 編

通常のニューエクスプレスプラス・シリーズとは異なり、東アジアの端に位置する日本列島を取り巻く16の言語をそれぞれ「言語の概要+3章の会話と文法解説」というコンパクトな形で紹介します。どんなところで、どんな言葉が話されているのか、興味は尽きません。本書は2009年刊行『日本語の隣人たち』と2014年刊行『日本語の隣人たちⅡ』を内容はそのままに合本にしたものです。音声はウェブで聴く形に変更になりました。

こんどはBluetoothが……

先日、自宅のブルーレイレコーダーの調子がおかしくなったと書きました。

そちらは結局何の解決もしていないのですが、こんどは自宅PCでトラブル発生です。

昨年、勤務先がリモートワークを導入するようになってから、自宅のPCでエクセルに数字を入力することが多くなりました。もちろんキーボードにはテンキーが付いていますが、ちょっと使いづらいの、作業効率という意味でもう少し何とかしたいなあと考え、テンキーを別に購入したのです。それがBluetooth接続のテンキーです。

PCのUSB端子にBluetoothの発信器を付け、それとテンキーが通信しているタイプです。たぶん、最も一般的なものだと思います。テンキーを打つ感触も悪くなく、コロナ禍で活躍してくれていました。あえて難点を挙げるとすればテンキーに乾電池を入れないとならないことでしょうか。電池の寿命がどのくらいもつのかわからなかったので、充電池を購入してそれを使うようにしています。

そんなテンキーですが、一昨日、動きと言いますか、反応が悪くなり、液晶表示部を見ると電池切れのサインが出ていました。そこで電池を入れ替えたのですが、それ以来、PCに繋がらなくなりました。コネクトボタンを押しても電波を拾おうとしてはいるのですが繋がりません。これまではそんなことはなく、コネクトボタンを押せばすぐに接続できていたのに……

原因が全くわかりません。Bluetoothって一年半くらい使っていると寿命になるものなのでしょうか? もちろんUSB端子の発信器のそばにテンキーを持っていてコネクトキーを押してみたりしましたが、そこに発信器がないかのごとく無反応です。発信器をUSB端子から抜き差しするとPCが反応するので発信器自体は動いているみたいなのですが……

とりあえず現在は、再びキーボードのテンキーを使っています。

70歳が多すぎます?

今朝の朝日新聞読書欄の情報フォルダーです。文庫クセジュ創刊70周年の記事が載っていました。

今年は文庫クセジュ創刊70周年にあたります。ちなみにフランスにおける原書クセジュの刊行は1941年だそうです。

ところで、今年は『ライ麦畑でつかまえて』の原書刊行70年でもあり、ユルスナールの名著『ハドリアヌス帝の回想』の原書刊行70年でもあるのです。今年は70歳になる本が多いですね!

さて、情報フォルダーでは書き切れていませんが、今年の文庫クセジュ70周年で記念復刊した書目は以下のとおりです。

マルクス主義』『現象学』『テンプル騎士団』『ファシズム』『薔薇十字団』『バスク人

ここしばらく書店を探し見ても見つけられなかった、古本屋で見つけたけどちょっと汚かった、ネットで見つけたけど高かった、などの理由で買いそびれていた方、この機会に是非どうぞ。

似て非なるもの

あたしの勤務先の、売れ行き良好な語学参考書の一つに『今日からはじめる台湾華語』というのがあります。中国語の語学書はカラフルで安いものがたくさんある中、本書は決して安いものではありません。しかし、売れているのです。

ところが、最近書店の店頭でこんな本を見かけました。

今日から話せる台湾華語』です。正式には『小飛さんの今日から話せる台湾華語』というらしいのですが、パッと見には「小飛さんの」が目立たないので、非常によく似たタイトルの語学書です。

どちらも台湾華語の本ですから、書店ではすぐそばに置いてあります。装丁も異なると言えば異なりますが、赤系の色合いですから、うろ覚えで買いに来たら迷ってしまいそうですね。

今日の配本(21/11/12)

外国語の水曜日再入門

黒田龍之助 著

外国語は楽しい。水曜日の夕方、著者の研究室に学生がだんだんと集まりはじめる。そこでは誰もが外国語の学習をしている。発音練習をするユーラ、辞書を引くサーシャ、新たな文字を嬉しそうに書くスラーヴァ、練習問題を黙々と解く者などなど。この研究室には言語を学ぶ魅力があふれている。この本は、さまざまな言語と取り組んだ著者みずからの学習体験も交えながら、外国語学習の醍醐味を伝える、にぎやかで愉快な一冊。やっぱり外国語は楽しい。巻末に「ラテン語通信」を増補。

ロシア語の余白の余白

黒田龍之助 著

ロシア語は楽しい。でも、思うように勉強がはかどらないときもある。学習者の先輩でもある先生は学習者の気持ちがわかるからこそ、授業中に挟み込む脱線や雑談をとおして、外国語学習の魅力に改めて気づかせてくれる。効率とはほど遠い「余計な話」はなぜだか忘れられない。著者自身が学習のなかで気づいた点や体験したこと、教えながら感じたエピソードの数々を惜しげもなくまとめたエッセイ集。やっぱりロシア語は楽しい。巻末に「ベラルーシ語の余白、あるいは白学事始」を掲載。

ヒュパティア
後期ローマ帝国の女性知識人

エドワード・J・ワッツ 著/中西恭子 訳

ヒュパティアは4世紀後半~5世紀初頭、ローマ帝国のアレクサンドリアで、優れた数学者・哲学者として弟子から政界と宗教界に要人を輩出しつつも、キリスト教徒の政治的対立に巻き込まれて415年に非業の死を遂げた。本書はその生涯に加えて、死後まもなくから21世紀にいたるまでの伝説と受容の長い歴史を紹介するとともに、ともすればそれらに埋もれがちな、彼女が実際に成し遂げたこと、その時代において達成したことは何なのかを考察する。

追悼、哀悼、惜別

瀬戸内寂聴さんが亡くなりました。来年は100歳だと、ご自身も楽しみにされていたことと思いますが、残念です。

実はあたしの勤務先では、寂聴さんの評伝を出しているんですよね。

まずは『寂聴伝 良夜玲瓏』です。寂聴さんの信頼厚い齋藤愼爾さんが、まだお元気なころの寂聴さんに取材してまとめられたもので、寂聴さんもこの評伝をたいそう気に入ってくださっていました。

そして、もちろんまだまだ寂聴さんはお元気で、数年後に斎藤さんは、その続編とも言うべき評伝をまとめられ、それが『続・寂聴伝 拈華微笑』です。

こちらの刊行が2017年でしたので、もう4年前のことになります。当時の寂聴さんはまだまだ矍鑠とされていましたが、その後は体調を崩されたりといったニュースが飛び込んでくることが多くなりました。それでも世の中に対する辛辣な批評眼は健在で、老いてますます意気盛ん、と感じていました。

寂聴さんが亡くなられた今、改めて繙いていただきたい一冊、否、二冊です。