40枚目の感想をば少々

先日の「乃木坂工事中」で節目となる40枚目シングルの選抜メンバーが発表されました。ネット上では発表前からさまざまな予想が飛び交っていましたし、発表後もたくさんの意見がつぶやかれています。そして先週はアンダーメンバーのフォーメンションも発表になりましたので、あたしの感想などを少々書き連ねてみたいと思います。

まずは人数についてです。選抜が16名で、アンダーが14名。選抜の方が二名多いです。ファンの間では16名は少なすぎるという意見も聞かれますが、テレビの歌番組などを見る限り、あたしは16名、せいぜい18名が限界だと思っています。

やはり自分の推しが選抜に入れないと、選抜の人数を絞りすぎだという意見が出て来るのは理解できますし、乃木坂46全体の人数に占める選抜の人数を考えたらもう少し多い方がよい、という意見もわからなくはないですが、歌番組や各種メディアでの披露メンバーという性格を考えると16名がよいところだと思います。

そして今回の選抜メンバーです。六期生が選抜に入ってくるか否か、あたしは半々だと思っていたので、そこまでの驚きはありませんでした。Wセンターと発表された時点で察したファンも多いのではないでしょうか。

むしろ、あたしが一番疑問に思ったのは、それ以前に卒業を発表していた三期生・久保史緒里が選ばれていることです。このシングルの発売ごろには卒業を迎えるのがわかっているわけですから、あたしは久保ちゃんは今回のシングルには参加しないのだろうと思っていました。カップリングと言いますか、シングル収録曲の一つで、三期生全員が参加する期別曲を久保ちゃんの卒業ソングにするのではないかと予想していたのです。みずから参加を辞退するのではないかと思ったのですが、見事に外れました。

そして、アンダーのフォーメーションです。瀬戸口心月、矢田萌華の六期生二人が選抜に入ったことから、残りの六期生もアンダーに合流するのかと思いましたが、まだ別行動なのですね。ここは意外でした。

五百城茉央がアンダーとわかった時点で、アンダーセンターは五百城茉央だろうという予想は出ていましたが、選抜と合わせ、まおなおでWセンターにするのかなと頭の片隅で考えましたが、同じく卒業を発表している矢久保、松尾で五百城茉央を挟むというフォーメーション。ファンの中には卒業なんだから選抜に入れてやれ、という意見もあるようですが、これがせめてもの恩情なのでしょう。だったら、矢久保と松尾のWセンターでもよかったのではないでしょうか?

それにしても、次からは残りの六期生も選抜やアンダーに加わることになるのでしょう。今回のメンバーから三名が卒業ですから、選抜も少し人数が増えるのかもしれませんね、あたしは反対ですが。一度、両A面のようなシングルを出して、選抜を二つ作るのもアリかもしれません。六期生の小津ちゃんが休業のままであれば、全部で35名、18名と17名のW選抜も面白いかもしれないですね。

そしてなによりも、もういい加減、秋元康の作詞は御役御免にしてもらいたいです。

令和のルリユール

ルリユールという言葉をご存じでしょうか。本に興味をお持ちの方であれば知名度は高いと思いますが、一般的な世間の知名度はそれほど高い言葉ではないと思います。どこかのマンションの名前かと思ってしまった人も多いのではないでしょうか。

辞書などで調べれば簡単に答えは見つかりますが、ルリユールとはフランス語で、装丁家とか装丁という意味です。写真などで見たことある人も多いと思いますが、海外の図書館や美術館に所蔵されている本を見ると革張りで豪華な装飾の付いた本があります。ああいう本は所蔵者が調度品として、自分の趣味に合った装丁を施しているのです。

日本では、装丁とはちょっと違いますが、きれいな紙を用意して、能書家に筆写してもらう歌集や物語を所蔵することが貴族の間でも流行っていたと思います。意識としては共通するのではないでしょうか。最近ですと、平凡社から『その本はまだルリユールされていない』という小説が出ていますので、造本、装丁の世界を少し覗いてみることができます。

そんな本を読んだからでしょうか。ちょっときれいな、美しい本を見かけると手に取ってしまいます。もともと本が好きな人というのは内容だけでなく、タイトルや造本にも関心があり、それだけで買ってしまうという衝動は理解してもらえるのではないかと思います。

で、こんな本を見つけました。二子玉川にあるSprout Books and Artで買いました。かけてもらったブックカバーを外すと二枚目の画像のような本です。写真だと見づらいですが、金箔を使った美しい表紙です。手作り感が感じられる装丁です。

上記の『その本はまだ……』を読むとわかりますが、傷んだ本、古くなった本を修理するのに、自分なりの趣味を加えたものにするべく装丁家にお願いするのが多いのでしょう。愛着の本がボロボロになっていたらやはり哀しいものです。

もちろん、もともとの装丁が気に入っている場合もあるでしょうが、そういう機会に思い切って自分なりの装丁にしてしまうのもアリではないでしょうか。ただ個人的には、購入(ダウンロード)した電子書籍を自分なりの紙に出力し、凝りに凝った装丁で製本するようなことも、これからのルリユールとして流行するのではないかなあ、などと考えています。

100冊まであと一歩?

書店でちくま文庫のフェアをやっているのを見かけました。そしてそこに置いてあったのがこの小冊子です。この12月でちくま文庫は創刊40周年なのですね。

「わたしだけの、とっておき。100人100冊のちくま文庫」というタイトルで、ちくま文庫がズラリと並んでいました。

あたしのしばしばちくま文庫は買っていますが、さすがに100冊はないだろうと思って、自宅の書架を確認してみました。

筑摩書房は、ちくま文庫の他にちくま学芸文庫というレーベルも出していまして、あたしの書架にはちくま学芸文庫がたくさん並んでいました。

二枚目の写真は上と下には別のレーベルが並んでいますが、真ん中に見えるのがちくま学芸文庫です。自分では、ちくま文庫だと思っていたのですが、今回改めて見たところ、ちくま文庫ではなく、ちくま学芸文庫でした。

そして、これも別の書架ですが、並んでいるのはちくま学芸文庫ばかりです。ちくま学芸文庫は、岩波文庫と並んで、たくさんの中国古典の現代日本語訳を出しているレーベルではないかと思われます。かつて刊行していた全集を文庫化したものかも知れませんが、中国学専攻の学生には外せないレーベルでしょう。

左の写真は、ずいぶんと初期のちくま学芸文庫ではないかと思います。かなり以前、たぶん学生時代か、社会人になってもまだ駆け出しのころに飼ったものだと思われます。

ちくま文庫とちくま学芸文庫の差は何か、他社の人間である自分にはよくわかりませんが、古典作品や学術よりのものが学芸文庫にラインナップされているのかなと思います。

と思っていましたら、ついにちくま文庫を見つけました。それが右の「魯迅文集」です。今の時代からすれば、魯迅はもう古典だと思いますし、魯迅を読むなんて、やはりちょっと学術よりだと思うのですが、これはちくま文庫なのですね。

カバーの色が白いのがちくま学芸文庫、クリーム色のがちくま文庫なのかなと思いきや、必ずしもそうではないようです。

「魯迅文集」を確認した後に、「あっ、あれは学芸文庫だったかな」と思って確認したのが、左の写真です。

「韓非子」や「史記」といった中国古典作品、それも思想や歴史ジャンルの作品ですから、これらは言うまでもなくちくま学芸文庫でした。

ちくま文庫とちくま学芸文庫、両方を足すと100冊くらいになりそうです。フェアのタイトルに引っかけて言えば。「100人100冊」ではなく「1人100冊」です。

ちなみに、フェアの小冊子の最後に「ちくま文庫6つのウラ話」というのが載っています。なんとなく気づいていたような、でもそういう意味だったのかと改めて教えてもらいました。

アトウッドの恐れ

この十数年、あたしが学生時代に学んだ世界情勢やそれに関わる知識がどんどん更新されているように感じます。そもそも中国共産党の一党支配はとうの昔に終焉を迎えているはずではなかったのか、もっと平和な、それこそ自衛隊も最小限に縮小し、災害救助隊のような組織に換骨奪胎されているはずだと無邪気に未来を予想していました。

ソ連(←この単語も死語か?)の共産党支配が崩壊し、東西の対立はなくなったはずなのに、ソ連時代よりもさらに強権的な現在のロシア、そしてますます権力の集中が進む中国。それに倣うかのような発展途上国の開発独裁的な国々。そういう流れのトドメがアメリカのトランプ大統領の再登場なのではないかと感じます。

そんな情勢が影響しているのでしょう。これまでであればなんとなく気にはなっても、そこまで関心を抱かなかったものに再び関心が集まっているようです。書籍で言えば「民主主義」とか「権威主義」とか、本来であれば改めて新刊を出すまでもないようなテーマやタイトルが目に付きます。「アナキズム」などもここ数年のトレンドの一つではないでしょうか。

この中公新書『福音派』も、そんな流れの中の一冊ではないでしょうか。「福音派」という言葉は知っている人、聞いたことがある人も多かったかと思いますが、わざわざ新書を出すほどのものでもなかったかもしれません。それがトランプ政権の登場でにわかに脚光を浴びて刊行され、あれよあれよと言う間にベストセラーになっています。

そんな『福音派』の中にこんな箇所を見つけました。見出しは「アトウッドの恐れ」です、もちろん作家マーガレット・アトウッドのことです。どうして「福音派」を語る本の中にアトウッドが出て来るのか。

『福音派』が取り上げているのは、もちろん彼女の代表作と言ってよい『侍女の物語』です。そこに描かれている世界が福音派や原理主義的な立場が強くなった世界を暗示していると解釈できるからなのでしょう。そして数十ページ読み進めていくと

本章の冒頭で見た『侍女の物語』でのアトウッドの恐れも、ラッシュドゥーニーに代表されるような過激な主張を念頭においていたのかもしれない。

と書かれています。

アトウッドの凄さは、最近復刊された『ダンシング・ガールズ』でも読み取ることができます。『侍女の物語』よりも前に刊行された本書は、30年近くも前の作品だとは思えないほど今を描いています。今を先取りしていると言った方がよいかも知れません。

この作品から、作家はさらに当時のアメリカの情勢を観察して『侍女の物語』を生み出したのではないかと思えます。そして『ダンシング・ガールズ』は短篇集なので、どこからでも読み始められます。『侍女の物語』ともども、是非よろしくお願いいたします。

話はころっと変わりますが、アトウッドは1939年生まれで今年86歳(誕生日は11月18日)で、来月邦訳が刊行予定のミルハウザーは1943年生まれの82歳。どちらもお元気で、まだまだたくさんの作品を残して欲しいものです。ちなみに来月刊行のミルハウザーの邦訳は『高校のカフカ、一九五九』という作品です。

今日の配本(25/10/24)

移民/難民の法哲学
ナショナリズムに向き合う

横濱竜也 著

ここにきて移民/難民に関する議論が本格化しつつある。今夏の参院選では移民規制が大きな争点となった。
ところが、日本での従来の議論はグローバル化や経済的要請にもとづくもので、どうしても皮相なものになりがちだ。政治的・社会的な背景が考慮されないままに話が進んでしまっているのである。これでは、「ポピュリズムの仕掛人」によって足元をすくわれる危険もある。こうした懸念を払拭すべく、移民論の哲学的・社会科学的な基礎を構築するのが本書である。

しばしお待ちを!

あたしの勤務先のSNSでは、新刊の見本が到着すると写真入りでポストしておりますが、その時の反響も大きく、さらにはその前の情報解禁でも大反響だった『ヘーゲル読解入門』がまもなく配本になります。ちょうど見本出しをしたところですので、いましばらくお待ちください。

新書版の上下巻、二冊揃っての発売となりますが、カバーはご覧のような感じに仕上がっております。落ち着いた色合いですね。

ただ、あたしの印象としては、和食などの定食で最後に出て来るデザートのごまアイスが思い出されました。写真では伝わりにくいかもしれませんので、ぜひ実際に書店で手に取っていただきたいと思います。

ところでこの『ヘーゲル読解入門』も含まれるシリーズ《思想の地平線》も刊行点数が八冊になりました。並べてみると二枚目の画像のような感じです。

カバーは全体として渋めの色使いで、あたしは好きですが、読者の方の印象や感想はどんなものなのでしょう。気に入ってもらえると嬉しいです。

さて『ヘーゲル読解入門』は30日配本ですから、都内の大型店などでは31日には店頭に並び始めるのではないかと思います。東京以外の書店ですと店頭に並ぶのは11月に入ってからになると思いますが、楽しみにお待ちください。

それにしても21世紀のこの時代に、ベルジャーエフやコジェーヴを刊行するなんて、きわめて珍しい出版社なのではないでしょうか。われながらそんな風に思います。

スガモプリズンの思い出

スガモプリズンについて語る前に、昨日の営業回りの途次、書店の方とお茶をした時に食べたスイーツをご紹介。あたしはプリンが好きなので、こちらをチョイスしました。

幼少のころから、決して裕福な家庭ではなかったので、プリンにクリームやフルーツが追加されたプリンアラモードという言葉に、得も言われぬ憧れがありました。

そう簡単に食べられるものでもなく、そもそもそういうメニューを出しているお店(フルーツパーラー?)などに入ることも稀な幼少期でしたので、こういうきらびやかなスイーツは垂涎の的でした。そんな思いが、還暦までのカウントダウンが始まったこの歳まで持続しております。

さて本題に戻ってスガモプリズンです。岩波新書で最近刊行された『スガモプリズン』を読みました。ただ、あたしの親戚に先の大戦に従軍した人はいなくて、スガモプリズンに収監された親戚はおりません。それでもスガモプリズンは気になってしまうのです。

それは何故かと言いますと、理由はあたしの幼稚園時代に遡ります。当時のあたしは巣鴨、駅で言いますと都営三田線の西巣鴨駅から徒歩数分のところに住んでいました。お婆ちゃんの原宿として知られる巣鴨地蔵通りに近い場所でした。そしてそこから池袋駅の南の方にある幼稚園に通っていたのです。もちろん通園バスが近所まで来ていましたのでそれに乗って通園していました。

普段は、三コースくらいあった幼稚園の通園バスで通っていましたが、週に一回、幼稚園のクラブ活動的なものがある日は全コースまとめて一台のバスで帰るのでした。そのバスが帰路の途中で大きなフェンスで囲まれた工事現場の横を通っていたのです。

幼心に、ここは何だろう、と思いつつ、バスに揺られて車酔いと闘っていたのが幼稚園時代の思い出です。そして時は流れ、まだあたしは子供時代でしたが、池袋に日本一の高層ビル(当時)であるサンシャイン60が出来上がりました。親から聞いたら、あの工事現場だったところにできたのがサンシャインだとのこと。幼き日の乗り物酔いが蘇ってきました(笑)。

そんなことからサンシャインを見ると工事現場のフェンスを思い出していましたが、ある時そこがもともとは刑務所だったということを知りました。それがスガモプリズン、戦犯が収監されていたところだと、徐々に知識も増えていきました。スガモプリズンというと工事現場のフェンスと乗り物酔いを思い出すのです。

そして、幼心にもうひとつ、池袋にあったのにどうして巣鴨プリズンと呼ばれていたのだろうということも大きな疑問でした。イケブクロプリズンではいけなかったのだろうかと。

こういうのもシノワズリ?

まずは温又柔さんの『真ん中の子どもたち』が新書版、Uブックスになって登場します。配本までいましばらくお待ちください。ちなみに、単行本に増補がありますので、単行本をお持ちの方もぜひ!

あたしは単行本の時に既に読んでいて、主人公が上海へ語学留学に行くのですが、あたしが初めて中国へ語学研修へ行ったのと、それほど年代が変わらないようなので、非常に親近感を覚えながら読んだことを覚えています。

続いては、華語文学シリーズ「サイノフォン」の第二巻、『南洋人民共和国備忘録』がまもなく発売になります。第一巻の『華語文学の新しい風』の刊行から少しインターバルが空いてしまったので、本当に「お待たせしました」という気持ちです。

第一巻も360ページというなかなか分量でしたが、この第二巻は550ページ超のボリューム、そこに24編が収録されています。どれから読んでも、それはタイトルの眺めながらのお好み次第です。

というわけで、今回は中華風(?)新刊のご紹介でした。

2025年10月21日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー