現代日本語に翻訳されている古典は洋の東西を問わず数多くありますが、その中でも『論語』は他の追随を許さないほどの現代語訳が刊行されているのではないでしょうか。日本に『論語』が請来されて以来、多くの学者、文人が注釈を施し、和訳したりしてきましたが、明治以降に限ってみても断トツだと思います。わが家にもいったい何冊の『論語』が書架に並んでいることでしょう。
そんな『論語』にまた一つ邦訳が加わりました。光文社古典新訳文庫の新刊です。『論語』が出たからには、古典新訳文庫で『孟子』『老子』『荘子』なども続いて刊行されるのでしょうか。ちょっと期待しています。
ずいぶん前に祥伝社新書で『高校生が感動した「論語」』という本が刊行されていましたが、『論語』は大人から子どもまで、どの世代にも受け入れられる古典ということなのでしょう。ただ、こんな質問は愚問なのでしょうが、『論語』はどの世代が読むのが一番よいのでしょう。高校の時に読むべきなのか、サラリーマンが読むべきなのか。
中国古典を学んでいた立場の独断と偏見で言わせてもらいますと、高校生は『韓非子』を読め、サラリーマンは『老子』がお薦め、『論語』を読むなら老後がよいのではないか、と思っています。受験競争やイジメ問題など何かと人間関係で悩みがちな学生時代は『韓非子』のドライな考え方に救われると思います。何かとストレスの多いビジネス社会を生きるには『老子』の生き方が参考になるはずです。
そんな山あり谷ありの人生がようやく終盤にさしかかったころ、『論語』の言葉が心にしみるのではないかと思います。まあ、興味を持ったら、その時に読んでみるのが一番なのであり、繰り返し読んでいると受け止め方も変わってくると思います。