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Rockfield's Diary
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近刊情報(21/12/09)

もう少しこのままで?

わが家のWindowsPCにこんなメッセージが出ています。Windows Updateです。
いま現在はWindows10ですが、バージョンアップができるということのようです。
こんな風にメッセージを送ってくれているわけですから、ハード的にもソフト的にも、あたしのPCには問題はなく、無事にWindows11にバージョンアップできるということですよね?
でも、Windows3.1からパソコンを使っている身からしますと、この手のバージョンアップはまず間違いなく失敗すると相場が決まっているものです。そして現在の環境にも戻せなくなって、一切のデータがパーになって、いちからクリーンインストールする羽目になるものです。
いや、そんな心配する必要はなく、何事もなかったようにバージョンアップは終わるのでしょうか? こればっかりはわかりません。少なくとも平日の晩に試みるのは危険です。やるなら休日に限りますね。
80年たっても?

真珠湾攻撃から80年ということで、朝日新聞に「日米開戦80年 日系人の記憶」という記事が載っていました。日米開戦を受けて米国の日系人が強制収容されたという史実を丹念に掘り起こしている人のルポです。
日系人の来歴はそれぞれでしょうが、帝国日本の先兵になっていたつもりなど皆無でしょうし、どうして自分たちが収容されなければならないのか理解できてもいなかったのではないかと思います。戦争の犠牲者ですね。
そんな記事から思い出されるのは、『アメリカの汚名 第二次世界大戦下の日系人強制収容所』です。
太平洋戦争中、敵国日本にルーツを持つというだけの理由で、12万人もの日系アメリカ人が劣悪な環境の収容所に隔離された。本書は、アメリカ人ジャーナリストが、自国の戦時ヒステリーが引き起こした「醜態」の一部始終を描いたノンフィクションである。マイノリティー問題の一つとして謝罪と賠償だけで片づけるのではなく、国家としてのアメリカが自国民に対してどのような仕打ちをし、それを追認・黙認してきたのか、自分たちの歴史として意識し続ける必要があるというのが著者のスタンスだ。突然、日常から切り離され、収容所へと送られていく悲惨さや、収容所内における一世と二世との確執など、生存者へのインタビューのほか、私信や回想録、公的資料から積み重ねられるエピソードの数々は、微に入り細をうがち圧倒的である。人種差別、排外主義、恐怖と表裏をなす報復感情……アメリカ史に連綿としてある暗部を暴きながら、冷静に事実を見据え、アメリカ社会の光と影を浮かび上がらせた力作。そこには当然、アフリカ系をはじめ、イスラーム教徒らマイノリティーに対して同じ行為を繰り返しはしないかと自問する姿勢が見て取れる。
本書の内容は上掲のようなものです。そう、日系人ってアメリカ人なんですよね。つまりは自国民なわけです。しかし、日本も国内で朝鮮人や中国人に対して同じことをしていなかったのだろうか、と考えさせられます。
時差があるので

日本では12月8日でしたが、現地ではまだ前日の7日であったという真珠湾攻撃。
というわけで、あえて12月7日の内に『パール・ハーバー(上)』『パール・ハーバー(下)』をご紹介いたします。
果たして日本の奇襲をアメリカ軍は事前に知っていたのか否か、知っていたのなら、あえてハワイの艦船には伝えなかったのか、などなどいろいろと議論があるようですが、結果的に奇襲が成功してしまったのが日本にとっては仇となったような気がします。
長駆ハワイを攻撃できるような能力を持っていなければ、最低限アメリカと先端を開くようなことはせずに済んだのではないか、という気もしますが、そういうことが言えるのも後世の人間だからなのでしょう。
ただ、どうなのでしょうね。当時の多くの日本人にとって、ソ連が北からやって来るという恐怖はあったかもしれませんが、アメリカに対する恐怖とか敵愾心って、どのくらい持っていたのでしょう? そのあたりは疑問を感じます。
それにしても「失敗の本質」ではありませんが、戦前の日本はどこで間違えてしまったのでしょうか。そしてそんな戦前の日本は素晴らしかったと語る政治家が多いことに薄気味の悪さを感じます。
まだまだ廃れないで欲しいと思います

漢和辞典に関する投書です。年代としては、漢文など受験科目からもなくなっていたでしょうし、ひととおり学校で習うとはいえ、さほど漢字や漢和辞典に興味、関心を抱く世代だとは思えません。
にもかかわらず、こんなに熱く漢和辞典について語ってくれています。嬉しいですね。小学校や中学校だと漢和辞典ではなく漢字辞典を使うのですかね? 高校生になって漢文の授業がありようやく初めて漢和辞典に接するというのが多くの学生のパターンだと思います。自分の漢和辞典を購入する学生は少数で、たいていは学校にあるものを使って済ませていたのではないでしょうか。
ところで、漢和辞典に限らず、こんな風に辞書を読み物として楽しめるのは電子よりも紙版だと思います。こういった楽しみに目覚めてしまえば、重くてかさばる紙の辞典でなくとも楽しめるでしょうが、最初のきっかけを与えてくれるのは、やはり紙の辞書ではないでしょうか?
まだまだ紙の辞書、そして漢和辞典が必要とされる社会であればよいと思います。
