満開の桜の木の下で

毎年、この時季になるとこのダイアリーでもご紹介している、わが家の近所の桜のトンネル。都心の方とほとんどタイムラグもなく、あたしの見立てではたぶん満開になりました。

昨日の午後、ちょっと見に行った時には、絶好の天気にも恵まれ、スマホやカメラを持った多くの人が見に来ていましたし、シャッターを押していました。

そんな昨日は、人が多すぎたので、あたしは写真を撮りませんでした。でもそれでは寂しいので、今朝、まだ人が出ていない頃合いを見計らって、写真を撮りに行って来ました。

朝の七時前です。日は昇っていましたが、まだ朝の時間帯なので、昼間よりは青空の色もちょっと薄い感じがしました。でも、写真を取りに来ている人も数名だったので、朝の清々しい空気を感じられました。

肝心の咲き具合、先に満開と書きましたが、この写真を見ていただければ、満開と言って差し支えないですよね。しかし、この桜のトンネル、少し前にずいぶんと枝を伐採してしまったので、いつもより花が少ないような、隙間だらけのような気がするのは気のせいでしょうか。

枝だけでなく、根元のあたりから切ってしまった株もいくつかありまして。昨年までよりも数本減っているのは確かです。ちょっと寂しさを感じます。

桜を愛でる側としては、枝を伐採するにしても開花の時期が終わってから切ればよいのにと思います。でも、この時季に風の強い日があって、もし花を見に集まってきた人たちの頭上に倒れてきたらと考えると、シーズン前に老木は切り倒しておこうと行政側は考えたのでしょう。

致し方ないところですね。全部の桜が切り倒されたわけではなく、まだまだたくさんの株が残っていますので、このように今年も見ごろを迎えることができました。

しかし、今年は数本を切り倒し、ほとんどの株で枝の伐採を行なったわけですが、来年以降も切り倒しは続くのでしょうか。また一本切り倒したら、将来のために一本苗木を植えないといけないと思うのですが、特に植樹をしている場所はありません。

枝はいずれまた伸びてくるでしょうけど、根元から切ってしまった桜が復活するとは思えません。新しい苗木を植えないのかしら、と思いますが、切り倒した株の根っこが残っているんですよね。

根元と根っこは、たぶんそれを掘り返すと周辺広範囲にアスファルトを剥がすことになってしまうので、そのせいでできなかったのでしょう。

扱いが軽すぎるのでは

いまさらなのですが、WBCは残念な結果に終わってしまいましたね。決勝で敗れるなら「よく頑張った」と言いたくもなりますが、準々決勝敗退では不完全燃焼な日本人も多いことでしょう。

そして、やはりアメリカが勝てなかったので、またアメリカやメジャーが有利になるようなルール改正が行なわれるのでしょうか。アメリカってそういう国ですよね。スポーツの世界だけでなく、政治の世界でも独りよがりになっていますけど、これから国際社会はどうなってしまうのでしょうか。

それはともかく、この野球の話題を目にしたり耳にしたりする時に、ほぼ100パーセントの確率で出て来るのが大谷翔平です。もっと大事なニュースがあるだろうに、大谷が自主練習を始めた、大谷が初めてブルペンに入った、今日はキャンプインして初の休養日といった大谷のニュースを最初に持ってくる情報番組が多くてちょっと閉口します。

この現象、既に数年続いていて、この大谷の扱いに嫌気がさしている人も多いようです。あたしも若干そういう風に感じています。大谷がすることはすべて素晴らしい、大谷の語る言葉はすべて正論、そんな空気にあふれた報道は見ていて気持ち悪くなります。こんな風に大谷の話題が出て来るとイヤになってしまうことを、世間では「大谷鬱」と呼ぶそうです。

そして先の衆院選でピークを迎えたとような、高市早苗ブームにも同じような現象が起きていて、高市早苗がニュースなどで取り上げられると気分が下がる現象を「高市鬱」「早苗鬱」と呼ぶのだそうです。

こういう命名、巧いなあと感じるものの、「鬱」って言葉をそんな風に使ってよいのだろうか、という気持ちもあります。幸いにも、あたしも、そして周囲にも鬱を患っている人はいないようです。あたしが気づいていないだけかも知れませんが、後から噂で耳にしたこともないので、たぶんいないのではないかと思います。

ですから、問題の深刻さを本当に理解しているとは言えませんが、聞きかじりや読みかじりの知識で想像するに、鬱とは相当深刻な症状だと思います。当事者はもちろん、周囲の人もかなり疲弊することになるようです。とても冗談で語れるようなことではないと思います。

そんな「鬱」という言葉を、こういう風に使い捨てられる流行語のように消費してしまったよいのだろうか、いささか不安に感じております。もちろん大谷や高市を見て、本当に具合が悪くなっている人、鬱と呼ぶのが相応しい症状を発症している人もいらっしゃるのでしょうが……

今日じゃないですよね?

火曜から関西に来ています。仕事です。今日、帰京予定です。

四日間というのは、しっかり京阪神を回ろうとすると足りませんが、逆にコンパクトに、集中して回れるというメリットもあります。それに年齢のせいか、足腰に疲労がたまりやすくなっていると思います。

ところで、京阪神はそれなりの都会ですから街が賑やかなのは言わずもがなです。この時季はクリスマスの飾り付けも始まって、もう年末が近いんだなあと思わされます。そして、クリスマス以上に目立つのが、ブラックフライデーの広告です。

今日がブラックフライデーなのかと言わんばかりの勢いですが、本当のブラックフライデー当日は来週末なんですよね。Wikipediaによると「アメリカ合衆国の感謝祭(11月の第4木曜日)の翌日の金曜日」だそうですから、今年はやはり28日ですね。

とはいえ、ハロウィンもそうですが、こういうイベントが盛り上がるのは企業がそこに商機を見出すからであって、若者たちからの自然発生的なものではここまでの盛り上がりにはならないでしょう。バレンタインもそうですが、結局は企業に踊らされているわけですよね。

でも、企業でありながら、あたしの勤務先は踊らせることもできなければ、こういう商機に乗ることもできていません。出版界の不景気を脱するためには、こういう時に何かできなければダメなのではないかと思います。

ホームタウン

既に騒ぎは収まったと思いますが、日本の四つの町がアフリカのホームタウンになったというニュースが世間で注目されました。注目と言ってもよい意味ではなく、報道で見る限り、ほとんどが否定的な意見でしたね。

あたしのように語学の参考書や海外文学の邦訳を出している出版社で働いていると外国の人が周囲にいることに対する不安も恐怖もありません。むしろ異文化体験ができるとして楽しさを感じます。

もちろん中国人が購入したマンションを勝手に民泊として使っている、といった否定的なニュースを耳にすることもありますが、法律の整備などで対応できるのではないかと思うのです。バブルのころは日本人だって世界中を買い漁っていたわけですから、歴史は巡るとしか思えないです。

話は戻ってアフリカのホームタウンの件。これがもしアフリカではなく欧米諸国だったらどういう反応をしていたのでしょう。たぶん、ここまでの騒ぎにはならなかったのではないでしょうか。むしろ歓迎する声の方が大きくなっていたかもしれません。

このあたり、日本人ももう少し国際化しなければならないのではないかと思いますし、アフリカの将来性というものをもっと考えるべきではないでしょうか。

今日で最後!

わが家に配達された本日の朝日新聞夕刊。その一面にこんな記事が載っていました、否、これは記事ではないですね、お知らせですね。

少し前に既に告知されていましたけれど、土曜日の夕刊が来週からは発行されなくなるのだそうです。今日が最後の土曜夕刊ですか……

それでも平日の夕刊はこれまでどおりなので、それほど大きな影響があるようには思えませんが、来週からどんな感じになるのでしょう。

そもそも夕刊があるのは大都市圏だけなのですよね。出張や旅行で地方に行った時に、そもそも夕刊が発行されていないということを知って驚いた記憶があります。全国紙はともかく、地方紙では平日でも夕刊が発行されていないところは多いみたいです。

そう考えると、平日はまだ発行され続けるだけ、いい方ですよね。

チラ見?

この三連休にドラマのイッキ見をしたと、このダイアリーに書きました。その「イッキ見」という言葉で思い出したのは、どこぞの市長の学歴詐称疑惑で登場した「チラ見」という単語です。卒業証書をチラッと見せたとか、見えなかったとか話題になっていましたね。

実はあたしも、その話題の東洋大学出身ですので、大学の卒業証書は持っています。ちょっと縁が褪色してしまっていますが、ちゃんと保管してあります。本当に卒業しているのであれば、あの市長さんも同じものを持っているはずです。

そして見えたのか見えていなかったのか問題になっている中身ですが、それが二枚目の画像です。

あたしは文学の中国哲学文学科を卒業したのですが、その後の学部学科改編で、現在は東洋思想文化学科になっているようです。あたしがの学生時代は哲学科、インド哲学科、中国哲学文学科で「三哲」と呼ばれていたものです。どうやらインドと中国が合わさってしまったようですね。

ちなみに、あたしはそのまま大学院に進みまして、修士課程を終えています。当時は博士後期課程がなかったので、そのまま就職しましたが、もしあたしの学生時代に博士後期課程が存在していたらさらにその先へ進んでいたでしょうか。もちろん、あたしの実力不足で後期課程に進めない可能性もあったと思いますが。

そして修士課程の場合は卒業証書ではなか卯、修士の学位記を授与されています。それが三枚目の画像です。あたしの修士二年間の間に学長が替わっているのがわかります。神作光一先生は日本文学、菅沼晃先生は仏教学が専門だったと記憶しています。専門外なので授業を履修したことはありませんが、懐かしい名前です。

パンダが来た道、帰る道?

日本の動物園で飼育されているジャイアントパンダ、近くレンタル期限が来て中国に返還しなければならないそうです。ニュースでは日本の政治家の訪中団がパンダの再レンタル交渉をしていることを報じていますが、日中韓にはもっと大事な問題がたくさんあると思うのですが……

それはさておき、書店店頭でこんな小冊子を見つけました。国書刊行会の《アフリカ文学の愉楽》シリーズの小冊子です。昨今の海外文学は韓国文学がものすごい勢いで伸びていますが、それだけではなくいろいろな国や地域の作品も紹介されるようになってきて、海外文学ファンにとっては嬉しい悲鳴ではないでしょうか。

それにしてもちくま新書の『アフリカ哲学全史』がヒットしたり、グローバルサウスということでアフリカへの注目が集まっているのでしょうか。あたしの勤務先からも近々『アフリカの地政学』という本が刊行予定なので、やはりアフリカは要注目の地なのでしょう。

さて話は戻ってパンダ、ジャイアントパンダです。ゴールデンウィーク明けには新刊『中国パンダ旅』が刊行になります。上野のいくつかの店舗では既に先行販売が始まっていて、売行き好調なようです。

で、日本のパンダについてですが、あたし個人としては、あまりにもレンタル料が高いのであれば無理にパンダをレンタルする必要はないと考えています。また自治体の予算の問題はあるにしても、上野など大都会ではなく地方の動物園にパンダを連れてくる方が地域興しにもなると思います。

レンタル料が高い問題も、動物園の入場料やグッズ収入である程度はペイできると思いますが、施設の維持費、エサ代など日常的な経費もそれなりにかかりそうですね。だったら別のことにその予算を使うべきではないかと思います。それでも日本人はジャイアントパンダを呼びたいのでしょうかね。

桜は散り際が美しいものですが……

情報番組を見ていると各地からソメイヨシノ満開の便りが届きますが、東京はそろそろ終わり、どんどん散っています。花びらが散って葉っぱが目立つようになってきています。

桜は、今が盛りと咲いている時よりも、散り際の方がはるかに美しいというのは、少なからぬ人が同意してくださるのではないかと思います。盛りの時期が短くて、儚く散ってしまうところに日本人の、特に江戸時代の武士の美意識が表われているのでしょう。

もちろん、あたしも桜が咲いている時よりも散り際の方が美しいと感じますし、そんな桜が大好きです。でも東京のようにアスファルトばかりの土地ですと、そうも言ってられません。

画像は近所の横断歩道の写真です。白いラインにひび割れが入っているのは経年劣化ですが、落ちた花びらがラインの部分にシミのようにくっついているのは、ちょっと見苦しく感じますし、あまり好きではありません。まためしべが落ちて塊になっているのも、アスファルトの上ですとあまり見栄えがよいものだとは思えません。

これが土の地面であれば、こんなこともないのでしょうし、川沿いの桜であれば花筏がきれいに流れて、それはそれで見事なものですね。

もう終わりですね

今年はゆっくり、じっくり桜を愛でることもしていませんでしたが、これが最後のチャンスかなと思いつつ、近所の桜を撮っておきました。

ちょっと雲が多めで、青空が背景にならなかったのが至極残念ですが、満開の桜はきれいに撮れたのではないでしょうか。

それにしても、ニュースで話題になるソメイヨシノは江戸時代に生まれた品種ですから、秀吉や家康の時代はもちろん、日本の歴史上、ほとんどの時代の桜はソメイヨシノではなかったのですよね。それがいまや桜といえばソメイヨシノみたいに言われているのは、日本史好きな身からするとちょっと違和感を感じます。

われわれが上野公園や井の頭公園などで見ているような桜を、醍醐の花見や吉野の花見で秀吉が見ていたわけではないのですよね。そうすると、見ていたのはたぶん山桜だと思うのですが、ソメイヨシノよりももっとピンク色が濃かったのでしょうか。そんなことを考えながら、あたしは毎年ソメイヨシノを見上げています。

「業務の延長線上の性暴力」ってなんだ?

フジテレビ問題と言うべきか、中居正広問題と言うべきか、最初は中居正広個人の性癖的なものかと思っていましたが、もちろんそれもあるのでしょうが、テレビ報道などを見る限り、フジテレビ全体の問題でもあったわけですね。

そもそも若い女子アナや女子社員を接待の道具に使っていた、と言われていますが、この点については各局とも似たり寄ったりなのではないかという気もします。そもそもアナウンサー、特に女性の場合、見てくれで選ばれているのは誰が見ても明らかでしょう。

「そんなことはない、本人の能力や意欲を見て選んでいる」と反論されるかも知れませんが、ミスキャンパスなどの上位入賞者が軒並み女子アナになっている現状を見ますと、何を言ってんだか、と思ってしまいます。ただフジテレビは確かにそのあたりが露骨だったような気がします。他局であればもう少し一般常識なり、滑舌なり、基本的なアナウンサーとしての能力をそこそこ持っているように感じますが、フジテレビはとにかく見てくれだけで選んだと言われても仕方ないようなアナウンサーが多かったように感じます。

それにしても記者会見を伝える記事が取り上げている「業務の延長線上の性暴力」って何でしょう。ちょっと常軌を逸しています。昭和世代の価値観にどっぷり浸かっているあたしですらおかしいと感じます。辞めていった女子社員はともかく、フジテレビの男性社員は何も感じなかったのでしょうか?