坊主丸儲け?

昨日のダイアリーで姪っ子に御守をもらったと書きました。姪っ子が奈良・京都へ修学旅行へ行ったお土産です。

その御守が入っていたのが、この紙袋です。京都の清水寺です。あたしは早速、通勤カバンに入れております。

さて、この紙袋の文面、ちょっと気になりました。「一年お持ちになった御守は、御守護いただいた感謝の気持をもって、当時お納め下さい」と書いてあります。

つまり御守の有効期限って一年間ということなのでしょうか。そして一年経ったらまた買い直せということなのでしょうか。近所の神社仏閣ならまだしも、こういう地方の社寺では一年後に納めに行くなんて現実的ではありません。

それでもそんなことをやれというのでしょうか。神様、仏様ってもっと心の広いお方ではないのでしょうか。そんな一年しか効力のないものを庶民に買わせているのでしょうか。

否、そんなことはないでしょう。要は神様、仏様ではなく、社寺側の都合、ハッキリ言ってしまえば金儲けのためなのではないでしょうか。もちろん、あたしはそのことを一概に非難しようとは思いません。

神社仏閣は由緒ある建築や彫刻、そして伝統文化を守ってくれているわけですから、その維持費と考えれば安いものです。本当にそれで伝統が守られていればの話ですが。

もう諦めろということか……

妹のところの、今年中学三年生の姪っ子が先週、修学旅行に行って来たそうです。二泊三日で奈良と京都を駆け足で回ったみたいです。その姪っ子がお土産を買ってきてくれました。

それがこちら、京都一の観光名所と言ってもよい、清水寺の御守です。黄色とは金運上昇になりそうな御守だなあと思いました。

御守にはいろいろな種類がありますが、清水寺って主たるご利益はなんでしたっけ。あたしもよく知らないのですが、姪っ子がわざわざ買ってきてくれたので、カバンにでも付けておこうと思います。

そして御守の表面を見ますと、健康御守と書いてあります。やはり、あたしの年齢を姪っ子なりに考えて選んでくれたのでしょう。ちなみに、八十過ぎの母には長寿御守でした。

実はあたし、母の御守が長寿だったので、あたしの御守は良縁祈願かなと、密かに期待していたのです。しかし、姪っ子にもわかっていたのでしょう、この歳まで浮いた話一つない奴がいまさら結婚などできるわけないと。

もしここで良縁祈願の御守がお土産だったら、それはそれでイヤミや皮肉と取られてしまうのではないかと考えたのかも知れません。とにかくせっかくのお土産です、大事にしようと思います。

のぞみじゃないよ、ひかりだよ!

来月初めに関西ツアーで出る予定です。もう一か月ないので、新幹線のチケットを準備しなければと思い、ネット予約をしました。

一か月前だというのに、既に座席は埋まり始めていました。やはり混雑する時間帯の東海道新幹線ですね。とはいえ一か月前ですから、なんなく座席予約を済ますことができました。

そして往復の新幹線の予約が済んだと思って確認したところ、往路がのぞみではなく、ひかりを予約していたのです。どうしたことでしょう。間違いました。すぐに予約変更を行ない、事なきを得ました。

ところで、のぞみとひかりって東京から大阪まで所要時間はどれくらい異なるのでしょう。のぞみは停車駅が決まっていますが、のぞみが走り出して以降、ひかりは停車駅がずいぶんとランダムになりましたね。それほど停まらないひかりもあれば、停車駅が多めなひかりもあります。

あたしが間違えて予約してしまったひかりがどれくらい停車するひかりなのかは調べていませんが、のぞみよりはずいぶんと時間がかかっていたはずです。まあ機会があって時間に余裕があれば、たまにはひかりに乗っていますかね。こだまはちょっと嫌ですが。

寧夏へ逃避行?

Leminoで配信されている「乃木坂逃避行」のSeason2、その最終回前後編が公開されました。今回の旅行者はキャプテンの梅澤美波と五期生の小川彩の二人、行き先は台湾でした。

台湾は台北だけですが、あたしも行ったことがあります。ずいぶん昔の話になりますが、それでも行ったことがある土地というのは、こういう風に眺めると懐かしい気分を感じさせてくれます。

一泊二日の二人の逃避行、初日の晩に二人が向かった台湾名物の夜市は寧夏街夜市でした。台北の夜市と言えば士林が有名ですし、規模もでかいのですが、人の多さに閉口した記憶があります。そんなあたしの台湾旅行記はこちらです。そこでも同じようなことを書いています。そして寧夏街の夜市はこぢんまりとしていて、とても居心地のよい夜市でした、乃木坂逃避行の映像を見ると、当時よりもずいぶんと賑やかになっている気がしました。

そんな当時の、2005年のことですが、台北で撮った写真はこちらになります。寧夏街夜市の写真もちょっとだけあります。そして九份の份が表示されないことを危惧して「九フン」と表示されているところがご愛嬌でしょう。

ちなみに、乃木坂46の二人は九份ならぬ十分へ行っていましたね。十と九があるなら八や七もあるのでしょうか。そんなことをついつい考えてしまいました。それにしても、火鍋を食べるときは長い髪を縛ってほしかったと思います。

初体験の港のヨーコ、横浜、横須賀

これだけ毎日のように書店営業に出かけていますが、決まった書店を回っているので、実はある土地にはしょっちゅう行くのに、すぐ近くの場所には全く行くことがない、という地域が結構あります。しかし、先週初めて行ったところがあったので、ちょっとしたご報告をしたいと思います。

鎌倉です。とは言っても、鎌倉は書店営業で二か月に一度くらいは行っていますので珍しくもなんともありません、ただ鎌倉へ営業に行くときは横須賀線で鎌倉駅へ行き、営業を済ませるとまた横須賀線に乗って大船方面へ向かってしまいます。大船や戸塚、あるいは横浜まで戻ってさらに一軒、二軒営業して帰宅するというのが定番でした。

ところが、先週鎌倉へ行ったのですが、その後は大船方面ではなく久里浜方面へ向かったのです。鎌倉以遠の横須賀線は初めての体験です。処女地です、処女航海です。

鎌倉の次の逗子行きの電車が多く、その日も逗子までまずは一駅移動しまして、同じホームの向かい側で待っている久里浜行きに乗り換えました。数分の待ち合わせで発車です。

その次は東逗子だったのですが、意外と大勢の高校生男女が乗り込んできたのに驚きました。近隣に高校があるのでしょう。地理不案内ですから、そのあたりの事情はさっぱりわかりません。そしてさらに移動して横須賀で下車しました。

横須賀駅に来たのはこれが生まれて初めてです。「港のヨーコ、横浜、横須賀」のメロディーが頭の中で流れていましたが、改札口を出るとそんなメロディーは鳴り止んでしまいました。もう少し賑やかな駅前を予想していたのですが、なんともひなびた駅ですね。否、そういうことを言ったら失礼ですね。でも、これまた営業回りで何度も行っている京急の横須賀中央駅と比べると月とスッポンなんです。

地元の人からすれば驚くにはあたらないのでしょうが、初めて訪れた身としては横須賀中央と横須賀でこれほどの違いがあるとは思いしませんでした。横須賀中央という駅名からしてこっちが中心地というのは理解できるとしても、横須賀だってもう少し賑やかでもよさそうなものではないでしょうか。

あと、おまけですが、先週は中央線のグリーン車、いまはまだ無料なので、乗ってみました。

腰を下ろせば鹿のフン

奈良旅行の二日目です。昨日は郊外を中心に観光したので、今日は市街の名所を回りました。奈良駅前からバスで春日大社まで向かい、参道を本殿に向かいました。

昨年の大河ドラマが藤原氏の全盛期を描いていたので、京都が舞台とはいえ、ここ春日大社も大勢の観光客であふれているかなと思ったのですが、朝イチだったので比較的空いていました。凛とした空気が心地よかったです。

そんな春日大社や奈良公園の朝は、観光客よりも鹿の方が多いくらいでした。気付くとあちこちに鹿がいます。こちらは鹿せんべいを持っていないし、特にカバンの中に食べ物も入っていなかったので、しかもそれを察知したのか、あまり近寄ってくることはありませんでした。
そして林の中だけでなく、参道や石畳、そこらじゅうに鹿のフンが落ちていました。きっと数え切れないほどのフンを踏んでいることでしょう。甥っ子がこれから高校受験なので、フンを踏むのも「運が付く」ということで縁起がよいのではないかと思います。

春日大社の本殿は周囲を見て回っただけですが、藤の花の季節にはもっときれいなんだろうなあと感じました。やはり藤原氏なので藤の花なのですね。

春日大社を出て来る頃には、参拝客も増えてきました。春節の休みだからでしょう、中国からの団体客が多いようです。大型観光バスが駐車場に次々に入ってきました。

そんな駐車場の脇を通って向かったのは二月堂です。若草山の麓というか中腹を、ずいぶんアップダウンしながら歩きました。ところどころで母の休憩タイムを挟みながらです。

時間はかかりましたが、なんとか辿り着いたのが法華堂、つまり三月堂です。そしてその先に二月堂がありました。高校の修学旅行では大仏殿は見ていますが、ここまでは来ていなかったので、あたしも初の訪問です。

ここはやはり大仏殿から離れているからなのか、それほど観光客も多くはありませんでした。お水取りで有名な二月堂も、あたしのイメージはもう少し大きなものを想像していたのですが、意外とこぢんまりとした御堂でした。

その二月堂、三月堂と向かい合うように四月堂がありました。二月と三月は知っていましたが、まさか四月もあるなんて、なんか洒落が効いていますね。まさか当時は十二か月が揃っていたなんてことはないですよね。

そして今回の奈良旅行のメイン、母が一度は見てみたいと言っていた大仏です。このあたりまで来ると、観光客も一気に増えます。京都の有名寺社と遜色ないほどの人数です。中国人が過半を占める感じですが、韓国人も見かけましたし、欧米の方をはじめ世界各国からの観光客で賑わっています。もちろん日本人もたくさんいました。

ようやく賑わっている観光地へ来たという感じを受けながら大仏殿に入りました。母は鎌倉と同じように露天に大仏さんが座っていると思っていたようで、「あの中に大仏さんがいるの?」と驚いていました。

大仏殿の中はもちろん混雑していました。写真を撮っても構わないので、多くの観光客が大仏を背景に記念写真を撮っていました。堂内が広いので、人の多さの割りに混み合っている感じはなかったです。

大仏を中心に大仏殿を一回りして、外へ出ると観光客はますます増えているようです。大仏殿前の中門の外はさらに大勢の観光客です。これぞ世界遺産の観光地という感じです。

大仏殿を出るとそのまま南下、南大門をくぐり抜けて春日大社の参道まで行き西へ向かいました。次に向かったのは興福寺です。

興福寺に近づくと大きなビル工事のような建築現場が目に入りました。興福寺の境内のはずなのに何だろうと思って向かうと、五重塔が修繕中だったのです。ここまできて五重塔を見ることができず、ちょっと残念でした。

五重塔の北にある東金堂を眺めつつ、中金堂を参拝。一巡りしたら北円堂を右手に眺めつつ南円堂へ。そのまま猿沢池の方へ下っていきました。

興福寺は近鉄奈良駅からも近く、東大寺と同じくらいの賑わいでした。ただ五重塔が修繕中で、中金堂は真新しくて興醒めな感じでした。せめて国宝の阿修羅像くらいは見てくればよかったのかも知れませんが、母もだいぶ疲れているようだったので、ちょっと早いですがお昼にしようということにして興福寺を後にしました。

高校以来40年ぶり?

法隆寺参拝からJR奈良駅へ戻り、まだ時間が早いのでホテルには帰らずに、駅前からタクシーで薬師寺へ向かいました。

薬師寺は、高校の修学旅行が奈良でしたので来たことがあります。高校の修学旅行は高校二年の時でしたので、実に40年ぶりの再訪です。

のどかな風景の中にポツンとあったような印象でしたが、それほど記憶が鮮明に残っているわけでもありません。ただ奈良の中心部に比べると田舎だなあと感じられる風情はそのままのような気がします。

駅前からのタクシーは、唐招提寺の前を通り過ぎ、薬師寺の北側、與楽門の前に着きました。高校時代もここから参拝したのか全く覚えていませんが、とにかく境内に入ります。

ぐるっと回り込んで南が側の中門から入りますと、まずは左右に東塔と西塔が聳えています。そして正面には金堂がどっしりと構えています。先に参拝した法隆寺とまるで異なる伽藍の配置です。

薬師寺と言えば、ファンも多いことで知られる薬師如来。もちろんご尊顔を拝してきましたが、以前見たときとは印象が異なるような気がしました。もちろん、その以前見たときに記憶も限りなくおぼろげなのですが。

あたしの記憶の薬師如来はもっと黒々としていたはずなのですが、今回拝んだ薬師如来は意外と金色でした。塗り直したはずもないですし、修復したというわけでもないですから、たぶんあたしの記憶違いなのでしょう。

その後、金堂の北にある大講堂を参観したのですが、ここに鎮座する弥勒如来が、今度は逆に黒々としてて、あたしの記憶の薬師如来そのままでした。たぶん、あたしの記憶がゴチャゴチャになっているのでしょう。

ところで薬師寺は、法隆寺よりは参観者が多かったですが、それでもこの程度の人数かと思わせるようなものでした。法隆寺に比べたら奈良の中心部からそれほど遠いわけではないですし、近鉄の駅からもすぐです。近くには唐招提寺もあって、まとめて巡りやすい立地です。

それでもこの程度なのですから、奈良県、もっと頑張らないといけませんね。むしろ京都に比べて混雑していないというのを売りにしたらどうでしょう。そんなことを考えながら薬師寺を後にしました。

入ってきた北側の與楽門を出て、そのままトボトボと唐招提寺へ向かいました。年老いた母にはちょっと歩くことになりますが、タクシーを拾えるわけでもなければ、バスが来るわけでもありませんので、致し方ないでしょう。

さて、唐招提寺と言えば、日本人ならほぼ誰もが日本史の教科書で馴染んでいる鑑真です。知らない日本人がどれくらいいるのだろうかと思います。

入り口から入ると正面には、屋根が特徴的な金堂が現われます。唐招提寺と言えばこの構図の写真が使われますね。金堂を巡って境内を参観し、最後に戒壇をのぞきました。確か、このために鑑真を唐から招いたのではなかったでしたっけ。

鑑真は、ここでどんな風に授戒していたのでしょうね。かつてはあったと思われる建物がないので寒々とした戒壇でしたが、往時はどんな感じだったのでしょうか。

唐招提寺を参観し終わり、バスもタクシーも見つかりません。南大門から出て来て東へ向かい、しばらく歩くとバス停が見えました。バスを待っている地元の人もいたので「すぐにバスが来るのかな」と思ったら5分も待たずにバスがやって来て、そのまま奈良駅へ戻りました。駅ビル内のショップでお土産を物色し、買い物は翌日するとしてホテルへ戻りました。

さらに処女航海

一泊二日奈良旅行の旅行記です。

週の後半、木金で母と二人で奈良へ向かいました。京都へは何度か行っている母ですが、奈良には行ったことないとのこと。奈良の大仏を見てみたいと前から言っていたので、元気なうちに連れて行くかと思い立った次第です。

というわけで、朝早くに自宅を出発し、新幹線で一路京都へ向かい、JRの奈良線に乗り換え、奈良へ向かいました。宿泊先は駅近のホテルなので、奈良駅で下車して、着替えなどが入ったキャリーケースをホテルのフロントに預け、法隆寺へ出発です。

法隆寺は、奈良が初めての母だけでなく、あたしも訪れたことがありませんでした。高校時代の修学旅行が奈良でしたが、奈良市街が中心で法隆寺には足を延ばせず、それから40年。あたしもようやく参拝することができました。

奈良駅からJRで数駅、放る氏がこんなに近いとは予想外でした。いや、事前に調べてありましたが、拍子抜けするほど奈良市街から近かったです。

ただJRの法隆寺駅から法隆寺までは若干の距離があります。若者であれば歩くのでしょうが、地理不案内の処女地、80過ぎの母を連れているので路線バスに乗車しました。

バスはそれほど本数が多くはないようですが、JRの列車の到着に合わせているのか、それほど待たずに乗ることができました。乗車時間も10分から15分程度であっという間に到着しました。

門(南大門?)を入って遠くに見える入り口前をトボトボ歩きますが、参拝している人はほとんどいません。日本が誇る世界遺産、法隆寺がこんなに寂しくてよいのでしょうか。そんな気にさせられます。

五重塔と金堂、そして大講堂と、日本史の教科書で見た建物が目の前にあるのはなんとも言えない気分です。こういう伽藍の配置はなんとか式と言うのですよね。本で読んだことがあります。

そして大法蔵院で法隆寺に伝わる名宝を鑑賞しましたが、あたし世代には一万円札でお馴染みの聖徳太子像が非常に親しみを覚えます。並んでいるもののほとんどが国宝や重要文化財というすばらしい展示です。

その後は東大門を抜けて夢殿へ。これが夢殿か、という感激もさることながら、この参拝者の少なさは寂しさよりも哀しみを覚えます。もちろん京都の有名寺社の混雑具合には閉口しますが、ここまで人が少ないのもどうなのでしょう。

もちろん多少の参拝客は見かけましたが、京都でよく見かける外国の人(洋の東西を問わず)はいなかったのではないか、そんな感じでした。

東大門から夢殿へ向かう長い通路の両側は法隆寺の塔頭が並んでいるのではないかと思うのですが、その入り口の瓦屋根がとてもステキでした。ご覧のように鬼瓦が鬼というよりも迦楼羅面のように見えました。

そして、その脇にはちょこんと桃が乗っかっています。これがとても可愛らしくて、気に入ってしまいました。

とまあ、小一時間ほど参観は終了しました。じっくり見て回ればもっと時間がかかるのでしょうし、周辺のゆかりある寺院にも足を延ばせば一日はかかってしまうでしょう。ただ母をあまり歩かせていけないので、これくらいで切り上げることにしました。

まだホテルに戻るには早いのでどうしましょうと思いまして、法隆寺の前から薬師寺へ向かおうと思いましたが、しばらくバスがないので素直にバスでJR法隆寺駅へ戻り、奈良駅へ戻りました。

国宝と重要文化財の違いは?

ここ数年、壁に貼る一枚もののカレンダーをビックカメラでもらってきています。日本地図が描かれていて、余白の部分に主要都市の鉄道路線図が描かれているところは毎年変わりませんが、それ以外にちょっとした情報が載っているのですが、これが年によって異なります。

今年はご覧のとおり、国内の現存天守の紹介でした。ここ十年くらいお城の人気が上がっていて、各地の城巡りをしている若い人も多いようです。お城に関する本もたくさん刊行されています。あたしも昔からお城は大好きだったので、こういう風潮は嬉しく思います。

それにしても、現在の日本に残っている天守ってこんなにあるのですね。あたしはもっと少ないと思っていました。この中であたしが訪れたことがあるのは、松本城、彦根城、姫路城、松江城、丸亀城、松山城、高知城です。

弘前は出張で何回か訪れていますが、駆け足で書店を回って次の都市へ向かうので、弘前城は訪れる機会がありませんでした。ただ弘前城って、あれは天守閣だったのですね。あたしはなんとなく櫓だと思っていました。江戸城の富士見櫓と同じで、そこそこ立派な櫓を天守の代用としているのだと思っていました。

この天守一覧を見ていて気付いたのですが、和歌山城って現存天守ではないのですね。あとは熊本城や岡山城も。なんとなくイメージで江戸時代以来の天守閣だと思っていました。名古屋城も、確か戦前までは江戸時代以来の天守が残っていたけれど空襲で焼け落ちたという話を聞いたことがあります。あの無謀な戦争を起こさなければ、あるいは満洲事変の後うまい具合に終息させていれば、現存天守の数はもっと多かったのでしょう。

奈良は人気ないのかしら?

年明けに母を連れて奈良へ行くことになっています。その件は既に、このダイアリーで書いていますが、そろそろ具体的な工程を考えないと、と思い始めています。

いまの時代、情報はほぼネットで集められるわけですが、あたしのような世代、そして母の世代はやはり本で情報を得たいと思ってしまいます。そこで、書店営業の途次に、書店の旅行ガイドの棚で奈良に関するガイドブックを探してみました。

するとどうでしょう。「ことりっぷ」には奈良編が見つかったのですが、それ以外のガイドには奈良編が見つからないのです。京都は腐るほど並んでいるのに、どうして奈良のガイドブックがこれほど見当たらないのでしょう。

奈良で見つけたのは南紀白浜とか、熊野古道とか、そのあたりをメインで扱ったものが一つ、二つありました。それなのに、いわゆる奈良市、東大寺とか春日大社とか、誰もが奈良と聞いて思い出すような場所を扱ったガイドがほとんどありません。

昨今、奈良県はそんなに人気がないのでしょうか。そんなことはないと思いますし、奈良公園にたくさん外国の観光客が来ているニュース映像も見たことあるのですけどね。

この春先というか冬に京都へ行ったのは、あたしが木曜日まで関西出張へ行っていて、夕方に東京からやって来た母と京都駅で待ち合わせ、金曜日の一日を観光に使いましたが、今回のなら旅行は完全な一泊二日で行こうと考えています。法隆寺、東大寺、春日大社、興福寺、このくらいは母の足でも回れるのではないかと予想しています。