いろいろと届きません!

わが家がスカパー!を契約しているのは、このダイアリーでも何度か触れたと思います。映画やドラマなどを楽しんでおります。ちなみに、わが家は光ケーブルでテレビを見ているので、スカパー!も契約しているのはいわゆるスカパー!ではなく、スカパー!光です。

そのスカパー!光のガイド誌も講読しています。毎月20日過ぎには届きますが、今月はいまだに届きません。二日前の金曜日にカスタマーセンターへ連絡したところ、例の大雪の影響なのか、各地で配達が遅れているようで、電話に出た方曰く、もう二日ほどお待ちいただけますでしょうか、とのこと。

二日たった日曜日の正午を過ぎても届きません。今日の夕方まで待つ必要があるのでしょうか。あるいはその前にもう一度カスタマーセンターへ連絡するべきでしょうか。

そしてもう一つ、ネットで注文した商品がなかなか届きません。これは別に急ぐわけでもなければ、配達日を指定したわけでもないので、遅れている、届かないと文句を言うことではありませんが、発送済の連絡が届いてから、いつもよりも時間がかかっているような気がします。こちらも恐らくは大雪の影響で物流が混乱しているからなのでしょう。

スカパー!のガイド誌の場合は、来月の番組をチェックするので今月中には手に入れたいところですが、ネットで購入した商品については気長に待つとします。発送はされているので、今日か明日には届くでしょう。

うーむ、ちょっと……

録画しておいた映画2本を視聴。どちらもJホラーに分類される作品です。

まずは「きさらぎ駅」です。

これは以前からネットでは語られていた、いわゆる都市伝説だそうですね。あたしはまるっきり知りませんでした。

主人公は大学で民俗学を専攻していて、謎の失踪事件に興味を覚え、七年たって戻ってきた女性に取材に来て、きさらぎ駅のことを知るわけです。そして自分もその女性と同じ段取りで電車に乗り、同じように異世界へ紛れ込んでしまうというストーリーです。

ネットの感想サイトでは、佐藤江梨子演じる生還した女性が、同じく異世界に閉じ込められている女子高生を助けたくて、いろいろな人を唆せて異世界に送り込んでいるのではないか、という考察がありました。確かにそれはありえると思います。その結果、無事に生還した女子高生と入れ替わるように主人公が異世界に取り残されてしまいましたね。

佐藤江梨子がその女子高生の高校で教師をしているのに女子高生が佐藤江梨子を知らないというのは、女子高生が佐藤江梨子の赴任前に在学していたのだと思われます。この女子高生はいったい何年くらい異世界に閉じ込められていたのでしょう。

異世界への入る手順とか、サバイバルゲームっぽい展開など、いかにもネットの都市伝説発の映画だなあと感じました。

続いては「N号棟」です。こちらは都市伝説ではなく、実話を基にした作品だそうですが、こんな団地の話、あたしは聞いたこともありませんでした。

ネットでは「考察系」と言われているようです。確かに、ストーリーをはじめとして理解できないところが散見していて、それを見る人それぞれが考えるように仕向けられている感じがします。

最大の疑問は、あの団地に住む人々は全員幽霊なのか、それとも生身の人間でちゃんと生きている人なのか、というところです。ちゃんと住んでいるのであれば住民登録だってされているでしょうし、地域との関わりもありそうですが、そんな感じはしませんね。会食の用意をしたりスマホを持っていたりするので、いわゆる世間を捨てて自分たちだけで自給自足しているグループではなさそうです。

しかし、この作品に付いていけない最大の理由は主人公の自分勝手さではないでしょうか。いくら死恐怖症とはいえ、あの気まぐれな感じ、自分勝手な言動、ヒステリックな態度、どれを取っても友達はおろか知り合いにすらなりたくはありません。

紅衣小女孩

WOWOWで放送された台湾映画「紅い服の少女 第一章 神隠し」「紅い服の少女 第二章 真実」の2本を視聴しました。

第一章は、祖母と暮らす青年とその恋人(ラジオDJ)が主人公で、近所に住む人も含め次から次へと失踪し、一人が戻ってくると別の一人がいなくなるというパターンでした。こういったホラーの常道で、恋人の男性がいなくなり、それを助けるために女性が奮闘するというストーリーでした。

全体の設定、物語の背景がややわかりにくいということと、台湾土着の魔神仔に関する知識や思い入れが薄いので、怖さもあまり感じられませんでした。何らかの悪霊に愛する人が連れて行かれてしまうというのはホラーではよくあるパターンですから。

続いて第二章。第一章では主人公家族は再び平穏な日々を取り戻し、ちょっと壊れかけていたような恋人同士の仲もいい感じに収まって大団円、ハッピーエンドでした。ところが、何の説明もなく第一章の家族の悲劇が描かれています。何がどうなったのかわからない、つまり第一章では大団円に見えたけど、結局、悪霊(というか魔神仔)からは逃れられなかったということなのでしょうか?

そして第二章のタイトルは「真実」、「紅い服の少女」とは何者なのかが明かされます。とはいえ、これもそれほど特異なことではなく、悲しい事故の犠牲者です。そこまではよいのですが、ペットセメタリーよろしく、死者復活の儀式なんかを母親がやってしまったがために娘はおぞましい悪霊(魔神仔)になってしまったようです。このあたりの進み方、台湾の人であればすんなり飲み込めるし、恐怖を感じるのでしょうけど、外国人であるあたしにはやはり少々ピンと来ないです。

かといって、外国人向けに説明的な場面を多くしたら映画自体が白けてしまうでしょうし、難しいところですね。ところで、こんどこそ魔神仔のいたずら(というか、呪いというか、何と言ったらよいのでしょう?)はこれで終わったのでしょうか? もし魔神仔の本体が別にいて、たまたま事故で亡くなった少女を利用しただけであれば、きっと終わりませんよね? 台湾では第三章が作られたのでしょうか?

なんとなく見てしまいましたが……

ネット配信されていた映画「あん」を鑑賞しました。

樹木希林の主演で、あたしはてっきり和菓子のお話かと思って見始めました。「日々是好日」という、やはり樹木希林主演の茶道の映画がありましたから、そう思ってしまったのだと思います。でも、違いました。

確かに和菓子、どら焼きがメインではあるのですが、そこは河瀬直美監督作品です。そんな甘いテーマではありませんでした。ポプラ社刊の原作がこんなに重い作品だったなんて驚きでした。

ハンセン病、もっと俗っぽく言ってしまうと、映画の中のセリフにもありましたが、らい病がもう一つのと言いますか、そこから生じる静かな差別、偏見が本当に描きたかったテーマの作品だと思われます。

別に永瀬正敏がやっているどら焼き屋に露骨な嫌がらせが行なわれるわけでもなければ、嫌味や悪口がセリフとして発せられるわけではありませんが、だからこそ根深いものを感じます。

店長さん(永瀬正敏)とワカナちゃん(内田伽羅)の二人が徳江さん(樹木希林)を施設に訪ねたシーン、出されたお茶やお汁粉を口にするのは、ハンセン病に理解がなければできないことだと思いますし、そもそもそんな施設を訪れることすら、人にはあまり言えないことだったのではないでしょうか。

この映画が公開されてから何年も経っていますが、世間の偏見やむ理解はどこまで改善されたのでしょうか?

心霊ものとしても友情ドラマとしても中途半端かしら?

WOWOWで放送された「降霊会-血塗られた女子寮-」を視聴。

タイトルとオープニングから察するに、イジメで死んだ女子高生の霊が次々と級友たちを死に追いやっているような内容かと思いきや、まるで違いました。

ただし、いじめっ子たちが次々に殺されていく中、主人公が犯人というのはありえないので、誰が犯人なのかが謎でした。画面も暗かったので、いじめっ子グループのうち誰が殺されて、誰が生き残っているのかもわかりにくかったです。

こうなると、主人公に優しくしてくれた女の子、用務員の青年、そのくらいしか犯人候補がいなくなります。やはり悪霊の仕業と思いきや、結局は用務員の青年が、一番地味な女子高生との共犯でした。そして主人公の役割はと言えば、最初に自殺した女子生徒の親友だったようです。親友の死の真相を調べに、他人の名を偽って転校してきたという話です。

ただ、最後は犯人の二人を主人公が仕留めるのですが、主人公と死んだ(実は殺された)女子生徒との友情の深みが描かれていません。悪霊映画で途中までは行くのかと思いきや、あまり怖さもなかったです。どちらのストーリーにしても、やや中途半端だったのが残念です。

やはり中継ぎでしたね

WOWOWで放送されていた「Halloween Kills」を録画したので視聴。

Halloween」の続編であり、三部作の第二作目ですね。今年秋には日本でも最終作になる「Halloween Ends」が公開になるようなので愉しみです。WOWOWで放送されるのはいついなるでしょうか?

ちなみに、このダイアリーで何回か書いていると思いますがブギーマンとかハロウィンという言葉を知ったのはこのシリーズの第一作によってです。あたしにとっては思い出の作品シリーズでもあります。

そんなわけですから、あたしは、もちろん前作の「Halloween」は当然見ています。ローリーのいかれ具合がなんとも言えず爽快な作品でした。前作を作った時点で既に三部作にするつもりだったのでしょうね。マイケルの完全なる最後までを描写していませんでしたから。

そして三部作というのであれば、最終対決は最後の第三作になりますから、二作目に当たる本作は中継ぎということになります。あえて中だるみしそうな第二作を制作した意図は何だったのでしょう? 多くのレビューで語られているように、マイケルではなく、マイケルに怯える街の人たちの狂気を描きたかったのでしょうか。だからこそ、マイケルと間違えられた人が命を落とすシーンなんかが挿入されていたのではないでしょうか? あたしもそんな風に感じました。

そして街の人の狂気や、別な人を死に追いやってしまったことへの逡巡など、実はかなり社会的なテーマが散りばめられているにもかかわらず、それをあざ笑うかのようなマイケルの殺しっぷりが見事です。ただ、今回見ていて感じたのは、マイケルってあんなに死体をディスプレイしていましたっけ? あまり確かな記憶ではないのですが、単に殺しまくるだけで死体には無頓着だったようなイメージがありました。それが今回は何体かの死体はきちんとディスプレイしていましたね。そんなことをするタイプだったでしょうか?

個人的には、ホラー映画のお約束と言いますか、なぜか殺される人、襲われる人は個人行動を取ります。せっかく車があるのに、なぜか運転手が席を離れてしまいます。暗い部屋に入った時に灯りをつけようとしません。ホラー映画あるあるですよね? ちょっと不思議です。

さて、第三作に向けてですが、どう決着をつけるのでしょう? マイケルは拳銃で撃たれても、材木などで滅多打ちにされても死にません。普通ならとても生きていられないですから、どれだけ強靱な肉体を持っているのでしょう。頭部を撃たれたこともあったと思うのですが……

やはり浜辺美波は美しい

配信されていた映画「屍人荘の殺人」を視聴。もうずいぶん前の作品ですが、今さらながらの視聴です(汗)。

 

中村倫也に神木隆之介、そして浜辺美波が出ているので非常に興味津々。あたし自身は謎解きとかミステリーってほとんど読まない、見ない人でして、別に嫌いというわけではありませんが、ネタバレされても何も感じないタイプなので、たぶん謎解きの読者、鑑賞者としては不適格だと自覚しています。

というわけで原作小説はもちろん読んでいません。ただ映画公開当時に主演陣への興味と共に、原作がかなり評判のよい、つまり出来のよいミステリー作品だという謳い文句に惹かれて、それなら映画も面白いものだろうと思ったわけです。

ただ、あたしの性格ですから、映画館に見に行こうとは思わず、WOWOWやスカパー!で放送されるのを待つ日々でした。WOWOWやスカパー!加入前はひたすら地上波での放送を待つようなタイプです。

さて映画「屍人荘の殺人」ですが、よくも悪くも期待を裏切られました。既に数年前の作品、映画のレビューもたくさんネットに上がっていますので、以下にはネタバレを承知で書きます。

屍人荘の殺人の映画宣伝では、高原のホテルかペンションみたいなところで連続殺人事件が起きて、その謎解きを中村倫也をはじめとした主要キャストがするのかなあ、と思っていました。そのつもりで映画も見始めました。

しかし、かなり早い段階でゾンビ映画になっていました。一年前に何かしら事件(女子部員の失踪事件?)が起きていたという伏線から、山田杏奈がその女性の親友か妹という立場で、正体を隠して近づいて犯人に復讐をしているのだろうなあと予想はつきました。たぶんそれで殺人事件としては成立すると思うので、どうしてゾンビを登場させたのかがわかりませんでした。

いくつかレビューを見ていると、ゾンビ登場の背後関係も説明されているようですが、映画では一切説明もなく、ただ注射針によってウイルスをまき散らした一団が登場するシーンはあるので、何かしら大きな組織がバックにあるのだろうとは予想できます。それについては映画では結局伏線の回収もなく放りっぱなしでした。映画だけを見ていると、あくまであたしの感想ですが、ゾンビ事件の黒幕は浜辺美波で、中村倫也はそこに気づてしまったのではないかという印象を受けました。

もし実際に証明できてしまったらどうなるのかしら?

WOWOWで放送された映画「死霊館 悪魔のせいなら、無罪。」を録画したので視聴。ちなみに、あたしはこの「死霊館」シリーズ、なんだかんだと言いながらも全部見ているのではないかと思います。怖いか否かと問われると、それほど怖いものではありませんが……

さて、今回はウォーレン夫妻が活躍する王道のストーリーで、なおかつアメリカで実際に起きた事件がベースになっています。SNSなどのレビューを見ていますと、邦題がダメという意見が多いようですね。確かにこのタイトルではホラーと言うよりも、面白おかしい、笑えるコメディー要素の強い作品をイメージしてしまいます。

でも実際にはそんなことはなく、悪魔と対峙するウォーレン夫妻、そして悪霊に取り憑かれた青年とその恋人という二つの愛と信頼の物語でもありました。そして物語の後半では、単に悪魔の話ではなく、悪魔を召喚した女性が登場し、そこにも若干悲しい物語がありました。

ところで、実際に悪魔に取り憑かれて人を殺してしまうことってあるのでしょうか? まあ日本で考えれば悪魔ではなく悪霊と呼んでもよいのですが、どうなのでしょう。ニュースを見ていると、人を殺してしまった事件はよく報じられていて、ニュースを見る限りそれなりに動機も理解できるのですが、時々それがよくわからない事件もあります。そういう時に、実は犯人は悪霊に取り憑かれていて、そのせいで人を殺してしまった、という事件は日本では皆無なのでしょうか?

犯人みずからが逮捕前に、あるいは逮捕後であっても弁護士が「悪霊に操られていただけだ」と声明を出したら、日本の司法はどういう判断をするのでしょう? 単に心神耗弱や心神喪失として処理されるのでしょうか? それはそれで合理的だと思いますし、その事件だけを考えるのであれば、それで一件落着でしょう。

でも、もし本当に悪霊の仕業だとして、事件後に悪霊は他の人に乗り移っていたら殺人事件はまだまだ続きますよね。心神喪失で立件できない殺人事件が永遠に続くことになるのでしょうか? さすがにそんな事件が数件続いたら警察だって悪霊犯人説を信じるのでしょうか?

FAITHではなくFATHER

元乃木坂46の伊藤万理華が主演した映画「アイズ」を視聴。

ジャンルとしてはホラーに分類されていますが、結局はホラーではなかったですね。ネットにあるレビューや感想を見ますと、早々と弟の正体に気づいた方も多かったようですが、あたしは昔の家族写真が映ったシーンを見てようやく「おやっ?」「あれっ?」と思ったので、だいぶ終盤になってからです。ただ、言い訳をするのであれば若干の違和感は感じていましたが。

弟が実は存在しないというオチは、多くの人が書いているように前田敦子主演の「クロユリ団地」と同じですが、結局主人公の妄想がホラーじみたテイストを醸しだしているだけであって、ホラーではなかったというのが率直な感想です。

個人的には、主演の伊藤万理華とその弟は父親か母親が異なる関係(異父弟or異母弟)なのかなと思っていましたが、どうやらそうではなかったみたいです。最後の最後に伊藤万理華の過去に何が起きたかが明らかになるのですが、やや強引というか、ちょっと無理があるなあと感じてしまったのはあたしだけではないと思います。

ショックを受けた娘に父親が弟は死んでいない、生きているとそんなに簡単に信じ込ませることができるものでしょうか? 弟の死体を父親はどうやって処分(始末? 処理?)したのでしょうか? 母親は本当に弟が行方不明になったと信じているのでしょうか?

そんな疑問が湧いてきますが、ひとまず多くの方が書いているように、伊藤万理華の演技は見られるレベルでしたね。あと、自宅のテレビで見ていてそんな文句を言うなと怒られそうですが、セリフの音声が小さくて、何を言っているのか聞き取りづらいところが大半でした。謎解きにとってキーとなるセリフかもしれないので、もう少し音声を大きくしてもらいたいところです。

時代劇の行方

惜しまれつつ終わった朝の連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」、あたしも後半は週末のまとめ放送で熱心に視聴していました。

ドラマの内容については、いろいろな人が自分のブログやSNSで論評したり感想を綴ったりしているのでしょうから、いまは置いておくとして、あたしがこのドラマを見ていて思ったのは日本の時代劇はどうなってしまうのだろう、ということでした。

ドラマの中では川栄演じるひなたが映画村で働いていて、その上司と共に、日本の時代劇がどんどん衰退していくのを嘆く場面が納戸なく描かれていました。松重豊演じる虚無蔵の存在は、そんな時代劇の現状を体現したかのようなキャラクターでした。

あたしも子供のころから時代劇をよく見ていたので、ひなたたちの不安や心配、恐れについてはものすごく共感して見ていました、現実はもっと深刻なように感じます。

ところで、日本の時代劇はそんな状況なのですが、スカパー!やWOWOWを見ていますと、中国や韓国のドラマ、それも時代劇が決して少なくはない割合で放送されています。むしろ、両国ともますます盛んに新作が作られているように感じます。

だからでしょう、ここにリンクを貼ったように、中国時代劇のガイドブック的な書籍がこんなにたくさん日本で刊行されています。それも、多くが「2022年版」と銘打っているように、ほぼ毎年刊行されているのです。

これだけの書籍が刊行されているということは、それなりに人気なのでしょう。レンタルビデオショップ(現在の主流はビデオではなくDVDやBlu-rayですかね?)でも中国ドラマや韓国ドラマのコーナーは意外と広いスペースを占めていて、その中には現代劇ではなく時代劇も数多く並んでいますから、やはり日本で一定の需要があるのでしょう。

時代劇が廃れてしまうと、時代劇を演じることが出来る役者が減ってしまうだけでなく、大道具や小道具をはじめとした時代劇を支える多くの技術が継承されなくなってしまい、将来的にいざ新作時代劇を作ろうとしたときに非常に大きな困難に見舞われるのではないでしょうか。あたしはそれを危惧しています。

ちろん時代劇には欠かせない時代考証も大事だと思いますが、そういう人材も減ってしまうのではないですかね。毎度毎度大学教授のような専門家にお願いすることになるのでしょうか?

もっとも数多く作られている中国時代劇がどれくらい正確な時代考証に支えられているのかは、あたしにはよくわかりません。多くの作品は、時代劇というよりも、時代を歴史時代に設定しただけで、美男美女が出てくるラブストーリーばかりです。格好だけは時代がかっていて、背景設定なども歴史時代なのですが、中味は現代のラブストーリーと変わらないものが多いのは、現代劇だと描けない大袈裟な設定も時代劇なら可能だからでしょうか?

こういうラブストーリーの時代劇が日本でも量産されればよいとまでは思いませんが、それによって時代劇の人気が復活し、失われかかっている時代劇文化が生き延びるのであれば、決して悪いことではないと思っています。日本でも、コミックやアニメでは歴史台を舞台にした作品がヒットしているので、決して時代劇人気が廃れてしまったとは思えないのですが、さすがにドラマだと制作費がかかりすぎて、昨今の不景気の日本では無理なのでしょうか?