個体差ということなのでしょうか?

あたしの記憶では、昨年もこのダイアリーに書いたと思うのですが、椎茸の丸太、今年も生えてきました。ご覧のとおりです。

椎茸らしいのはまだ一つだけですが、いくつか芽が出て来ているので、あと何個かは収穫できそうです。我が家の庭先菜園の立派な収穫物です。

昨年も収穫して、美味しくいただきましたので、今年も今から楽しみですが、果たして何個収穫まで育つのでしょうか? 水さえ与えておけばよいのでしょうか?

さて、話は変わりまして、数日前に書いた目覚まし時計の件です。ご覧のように枕元に三つ鎮座しております。

念のため言っておきますが、いや、書いておきますが、あたしは目覚ましで起きることは年に数回しかなく、ほぼ毎日目覚ましなしでも起きるべき時間に起床できます。

ですから、起きられないから3個も並べているのではありません。それでも、念のため、万万が一のために目覚ましは毎日セットして就寝しています。

で、先日壊れてしまった目覚まし時計に変わって購入したのが真ん中のもの。しかし、全然電波を受信しないので買い直した(買い増した)のが右のものです。一番左のは前から使っているものですが、乾電池ではなくAC電源を使うタイプです。

三つとも電波時計ですが、結局真ん中の時計は電波が受信できていません。こんなに同じ場所に並べているのに一台だけ受信できないなんて、やはりブランド品でないと受信感度が落ちるのでしょうか? 両端の二つはちゃんと受信できていますから。

そして、もっと気になるのは温度と湿度です。三つとも温湿度の表示機能があるのですが、三つともすべて違っています。同じ場所に置いてあるのにもかかわらず、こうも異なるのは目覚まし時計の個体差なのでしょうか? これは電波の受信感度以上に不思議な現象と言えるかもしれません。三つを足して三で割れば、あたしの寝室(という名の納戸)の温湿度の状況がはっきりするのでしょうか?

開花宣言、出ましたか?

近所の桜です。

昨日の時点で二、三輪は確実に咲いているのを目睹していたので、今日の昼前に再び見に行ってみたのです。

昨晩はあいにくの雨でしたが、今日の午前中はよく晴れたので、これはきっともっと咲いているぞ、と思って確認しに行ったわけです。

そして、その結果がこれらの写真たちです。如何でしょう? これならもう十二分に開花宣言を出してもよいと思うのですが。

もちろん、写真からもわかるように、すべての株で花が咲いているわけではありません。すべてを見たわけではないですが、たぶん咲いている花があったのは二株くらいでした。そして咲いているとは言ってもこの程度、数輪咲いているくらいです。開花宣言の最低ラインを辛うじて突破したといったところです。

それでも、この調子で極端に寒くならなければ、今週末はかなり咲きそろってくるのではないでしょうか? そうなると来月初め、2日、3日の週末が見頃ですかね?

ここは通りの両側に桜が何本も植わっていて、桜のトンネルになっている場所なので、わざわざ小金井公園や井の頭公園、はるばる上野公園などに出かけなくても、十分すぎるほど桜の花を満喫できます。桜の木の下を散歩するだけでも、気分はワクワクしてくるものです。

初めて購入してみました

少し前に、勤務先でスマホを支給されたと書きました。

そのスマホに、ご覧のようなフィンガーリングを取り付けてみました。初めて買いました。輪っか角度を変えることによって、デスクに置いたときのスタンドにもなるんですね。

あってもなくてもそれほど変わらない、と思っていたのですが、やはり取り付けてから移動の車内などで扱うときには安定感が増したと感じます。とはいえ、まだまだ指を通さずに持って使っていることも多いのですが(汗)。

シンプルなリングを買おうと思っていたのですが、ネットショップを見ていたら、こんな可愛らしいデザインのものを見つけたので、つい買ってしまいました。首輪の部分が蝶ネクタイをしているように見えるんですよね。

やはりあたしはネコ派ではなくイヌ派だと実感します。

もう少し怖がらせて欲しかった

韓国映画を2本見ました。どちらもホラーですが、その感想を。

まずは「ヨコクソン」です。

かつての映画のリメイクだそうですが、もちろん以前の映画は見ておりません。

悪霊に祟られて、その家の息子が次々と新婚初夜の晩に殺されることが続き、とうとう三男の息子の嫁として、下男の嫁にするために連れてこられた女性が生け贄的に三男の嫁とされます。しかしその甲斐もなく三男もやられてしまいますが、この女性が妊娠をしたことから、その名家の跡取りを生むかもしれないとして立場が強くなります。

しかし陰湿な姑(なおかつ後妻)、長男と次男の未亡人も屋敷には残っていて、そもそも悪霊とは関係なく人間関係がドロドロしています。そんな感じで進んでいくのですが、結局この家に祟っている悪霊の正体は、気がふれて倉庫に監禁されていた主人がかつて妾として弄び惨殺した女だったというわけです。つまり、すべてはこの家の主人が悪いわけです。因果応報です。

そんな血を引いているわけですから、たぶん似たり寄ったりの性格だと思われる息子たちも恨みを買ってしまったわけですね。三男の嫁にされた女性(少女と言った方がよいのかしら?)は多少の霊感があるみたいで、なんとか悪霊と対決し身を守るのですが、お腹の中の子供が悪霊に既に取り憑かれている、かのようなエンディングでした。

悪霊ものと言っても、この屋敷に関して言えば身から出た錆なので、悪霊の方に肩入れしたくなります。もっとおどろおどろしいものを期待したのですが、そもそも悪霊の来歴が数年か十数年前程度の出来事ですから薄っぺらく感じました。

二本目は「モクソリ」です。

なんとなく、見覚えがあるようなストーリーです。

バカで軽薄な若者が軽いノリで行動して破滅していく、アメリカ映画にありがちです。ここにアジア的なテイストとしてドロドロしたものがもう少し付け加わっているのであればよかったのですが、そのあたりはあっさりしていましたね。主人公の他にもう一人女の子が出て来ます。他の映画であればもっと自分勝手で周囲を振り回す役回りだと思うのですが、そこまでイヤな奴ではありません。

主人公の少女も、たぶん何らかの理由で命を落とした親友にとらわれすぎていて、親友の声が聞こえるのも空耳なのか本当に親友からのメッセージなのか疑問です。主人公の身を案じ、そっちへ行ってはいけないと警告しまくりだったのに、最後は主人公を連れて行ってしまうなんて腑に落ちません。それにその親友ってなんで死んだのでしょう? その死に主人公は関わっていませんよね? 主人公の罪の意識の描き方も中途半端でした。

まあ、韓国の若者って、いろいろいっぱいいっぱいで息苦しい社会を生きているんだなあという閉塞感は十分伝わってきましたけど。

これがAIの本当の実力なのでしょうか?

先日、もう長いこと使っている目覚まし時計が壊れたので、新しいものを買いました。

あたしの知らないメーカーの商品ですが、見やすそうだったのとお値段も手ごろなので、それほど深く考えることもなく決めました。

電波時計であることは必須で、寝室(と呼んでいる納戸)なので、温度と湿度がわかるといいなあ、というのが決め手です。様々な時計があり、値段もピンキリですけど、今回は枕元に置く目覚まし時計なので、アラーム機能も必須です。ただ、目覚ましのアラームで起こされることは年に数えるほど(数回)しかなく、実はなくてもよいのではないかという気もしますが……

さて、購入して電池を入れると動き出しましたが、なかなか電波を拾ってくれません。強制受診のボタンを押してもダメです。別の電波時計の隣に置いても電波を受信できません。もちろん隣の電波時計は受信できています。

電波時計は、部屋の中の置かれる場所によって電波の受信に差があることは知っています。やはり窓際がよいのは常識で理解できますが、今回の時計だって窓に近いところに置いてあるのですがダメです。そもそも隣にある電波時計は電波を受信できているのに、どうしてこれは新品なのに受信できないのでしょう?

自宅の時計は、掛け時計も含めすべて電波時計なので、電波が取れない時計は役立たずです。特に、ほとんど使うことのないとはいえ目覚まし時計ですから、時計の正確さは必須の機能です。

やはりセイコーとかシチズンのように有名ブランドの商品でないとダメなのでしょうか? 値段の差は電波受信力の差になって現われるのでしょうか? 商品到着後5日経っても電波をまるで受信できないので、この商品は諦めて、あらためてセイコーの電波時計を買い直すことにしました。

そして一昨日ネット(ヨドバシ)で注文をして本日届く予定なのですが、なんと一昨日の夜、ふと枕元の目覚まし時計を見たら電波が受信できているマークが表示されているのです。電波が受信できたのです。

買って以来まったく電波が受信できなかったのに、新しいのに買い換えるとなった途端に電波を受信できるようになるなんて、どうしてなのでしょう? もしかしてこの二つの時計、メーカーは違えどもお互いに電波を送受信して、もう一つ時計を買わせようと画策していたのではないでしょうか?

これが近未来のAIの実力なのでしょうか? いや、そんなことはないでしょうけど、もしかすると近い将来には本当にこんな感じの世界が出現しているのかもしれません。だとすると、あまりにも怖すぎます。でも、あらゆるものが電波やネットで繋がっている世界は、こんなことが起こっても不思議ではないのでしょうね。

今日の配本(22/03/18)

流木記
ある美術館主の80年

窪島誠一郎 著

2022年5月、「無言館」は開館25周年を迎える。戦没画学生の作品を展示するこの私設美術館には毎年多くの見学者が訪れ、館長として活躍する著者の評価も高い。しかしながらここ数年、著者は二つの大きな喪失を体現した。一つは「無言館」の本家ともいえる「信濃デッサン館」を閉館したことである。このデッサン館は、著者が畏怖する村山槐多など、夭折した画家たちの作品や関係資料などを収蔵・展示してきたが、運営が困難となり、長野県立美術館に多くを売却・譲渡することとなった。もう一つは10万人に1人以下という陰茎癌と診断され、手術によってペニスを失ったことである。長年疥癬に苦しんだり、講演中に脳出血で倒れたりと、病気につきまとわれる著者にとって、これは人生を見つめ直すほどの大きな衝撃だった。この二つの大きな喪失によって、出生から現在まで、改めて半生を振り返り、自らの存在を確かめようとしたのが本書である。あえて負の部分を晒すことで、逆に傘寿を超えた著者の新たな野望すら見て取れ、不思議な共感を呼び起こす自伝的作品ともいえる。

林先生、ごちそうさまです!

またまた朝日新聞です。

俳優の宮川一朗太さんが翠江堂の苺大福を紹介しています。

宮川一朗太で苺大福と聞けば、おひさま(日向坂46ファン)であれば誰もが知っているエピソードです。記事中にはしっかりそのことが書かれています。

たぶん、月末の東京ドーム公演にも苺大福を抱えた林先生(共演したドラマでの宮川一朗太さんの役名)が現われるのだと思います。今回もそっと苺大福を置いてくるだけなのでしょうか?

東京ドーム公演と言えば、歌舞伎役者の中村勘九郎さんや、その親友である藤原竜也さんは見に行くのでしょうかね?

校則が思い出せません

新聞やテレビでも、都立高校のブラック校則を見直すことになったというニュースを大きく取り上げています。

この「ブラック校則」という言葉、あたしが学生のころには存在しなかった言葉です。こういう事例がなかったとは言いませんが、たぶんあたしたちの時代は「校則が厳しい」と表現していたのだと思います。もちろん、あたしの時代から数十年も経っていますので、あたしの卒業後にますます校則がおかしな方向へ行ってしまったのかも知れませんが。

さて、あたしは都立高校の出身ですが、意識させられるような校則はなかったというのが正直なところです。あたしの通っていた高校は自由な校風で知られ、髪を染めている人やパーマをかけている人もいました。まあ、時代が時代なので、染めると言うよりは脱色しているという方が正しいですが。女子も化粧をしている子がいましたけど、だからといって先生に取り立てて注意されていることはなかったと思います。

制服もなく、みんな自由な服装で登校していました。冬になると寒がりな女子はズボンを穿いてくる子もいたくらいです。ちなみに、私服の高校で、あたしは一時期あえて学生服(詰め襟)を着ていました。それも「チューラン」と呼ばれる、襟が少し高くて、丈もやや長めのものです。別に不良を気取っていたわけではありませんが。

むしろ校則が異様だったのは通っていた公立の中学の方です。いや、校則だったのか今となっては思い出せませんが、制服の既定がおかしかったのです。その公立の中学校、男子は学ランなのですが、女子は全くの私服でした。

どうしてそんなことになったのかわかりませんが、男子だけ学ランを着ているという、かなり異様な光景が日常でした。しかし、だからといって男子から文句が出るようなこともなかったと記憶しています。今はどうなっているのでしょうか?

いずれにせよ、校則を気にすることなく中学高校時代を過ごすことができたのは幸せだったと思います。

たぶん並んでいるはずです

今朝の朝日新聞の社会面です。東京版にしか載っていないのではないかと思われる、ローカルな記事です。

くまざわ書店の八王子店で、地元の創価大学と協力して町興し的な棚を作っているという記事です。それも、なんとシュリーマン! 今年が生誕200年にあたるということもあっての盛り上がりのようです。

そういうわけで、あたしの勤務先でも、しばらく品切れになっていた『シュリーマン』を復刊しましたし、その少し前に『トロイア戦争』なんていう一冊も刊行しております。

たぶん、この二点も八王子店のコーナーにしっかり鎮座していることと思われます。是非お手に取ってみてください。