沼にハマった

この数年、沼にハマるという表現をよく見るようになりました。初出は何年くらい前なのでしょうか? 5年前には使われていましたか? 10年前にはなかった表現だと思うのですが如何でしょう?

かつて、たぶん子供のころだったと思いますが、テレビで底なし沼と言いますか、湿地帯のようなところに野生動物がはまってしまう映像を見たことがあります。もちろんドキュメンタリー映像です。はまっていたのは水牛、バッファローのような動物だったと記憶しています。

その動物がどうなったのか正確には覚えていないのですが、たぶん抜け出せずに沈んでしまったと思います。子供心に恐怖を覚えましたが、そんなあたしもはまってしまったことがあるのです。

確か小学生のころだったと思います。父方の田舎が千葉県の九十九里の方にありまして、そこへ遊びに行ったときのことです。ゴールデンウィーク頃だったのでしょうか、水だけが張ってある田んぼに誤って落ちてしまい、必死にもがいてもどんどん沈んでいくという経験をしたのです。

底なし沼と違って、田んぼには底がありますから冷静になればよかったのですが、都会育ちの子供にそんな知識や冷静さなんてあるわけがありません。あたしは必死に土手の土を手でかいて上に上がろうとしました。幸いにもなんとか抜け出せたのですが、穿いていたズボンの太もものあたりまでが泥だらけになってしまいました。そこまで沈めば、子供にとっては相当な恐怖だったことはわかっていただけるのではないでしょうか。

そんな思いを幼少のころに体験しているあたしにとって「沼にハマる」という表現をいとも喜楽に使っている昨今の風潮はとても理解できません。許しがたいとまでは言いませんが、本当に沼にハマる恐怖を知っていますかと聞きたくなります。

まあ、実際に底なし沼にハマってみろとは言いませんが、せめて『地獄の門』の一篇「悪しき導き」を一読されることをお勧めします。

現実がオーバーラップしたような……

勤務先の新刊『帰りたい』を読了しました。読み始めたころに予想したのとはまるで異なる結末でした。ちょっと衝撃的です。

簡単なあらすじは、イギリスに住むパキスタン出身のムスリムの姉妹が主人公で、姉と少し歳の離れた双子の姉弟の三人です。

幼くして家族を捨てて家を出た父親はジハード戦士となり既に亡くなっているようですが、その死因は小説中でははっきりしません。ただ、そのせいで姉妹はテロリストの子供という目で見られているようです。母親も姉妹が幼いころに亡くなっていて、姉が幼い双子の妹・弟の世話をしてきたようです。

姉は双子の妹弟が高校を卒業したのでようやく肩の荷を下ろし、学問を続けるためアメリカへ留学します。イギリスに残った双子の弟の方が、社会常識的に考えれば「悪い仲間」に誘われて「イスラム国」へ加わってしまいます。それを知った双子の姉、そして長姉も弟を連れ戻そうといろいろと手を尽くすのですが……

この三人姉妹に、やはりムスリム出身の英国内務大臣、その息子がかかわることになるのですが、日本でも「イスラム国」が盛んに報道されていたころに本書を読んだとしたら、どんな気持ちになったでしょう。「イスラム国」に旅立った日本人がいたのか否か、あたしは正確なことはわかりません。ただ欧米ではかなりの数の若者が加わったと報道されていました。たぶん、本作に描かれたような家族が欧米にはたくさん存在する(存在した)のでしょう。

果たして二人の姉は弟を無事に助け出せるのか。そして弟はどんな気持ちで「イスラム国」へ向かったのか、そこで何を見て、何を感じ、どういう思いを抱いたのか。内務大臣の息子(双子の姉の恋人)は内相の息子という立場と、恋人の弟がテロリストになってしまったという立場の間でどう振る舞うのか。内相は父親としての立場と内相としての立場にどういう線を引こうとしているのか。本当に衝撃の結末でした。

そんなイギリスを舞台にして、「イスラム国」をテーマとしつつも、西洋社会に暮らすムスリムという社会のある断面を切り取った重い作品でした。これからは日本も国際的に開かれた国にならなければと言うのであれば、こういう作品は読んでおかなければならないでしょう。

イギリスの作品と言えば、新潮クレスト・ブックスの『』もEU離脱という英国の大きな社会変化を背景にした作品でした。刊行されたころに購入して読んでいたのですが、四季四部作として『』『』『』が先頃完結したので、未購入の三冊を落手しました。時間のあるときに読んでみようと思っています。