そういう観点には思い至りませんでした

今日の朝日新聞夕刊です。

土葬と聞くと怪訝な顔をされるかもしれませんが、あたしが子供のころであれば、実際に見たことはないですが、地方へ行けばまだまだ残っていた風習だと思います。そのあたりのことは講談社現代新書の『土葬の村』に詳しいです。

記事の最後に同書の著者、高橋繁行さんの名前も出ていますが、あたしが記憶しているかぎり、同書ではムスリムに関する記述はなかったと思います。しかし、本日の記事を読むと土葬という風習が絶えつつある今日、逆に国際化した日本ではこういった困難が立ち現われてきたのですね。思いも寄りませんでした。

ただ高橋さんの著書でも、最近はごく普通の日本人でもあえて土葬を希望する人が少なからずいる,少しは増えてきているようなことが書かれていました。ここまで火葬が一般化してくると、土葬を復活させろとまでは言えませんが、土葬も選べるような環境は整えられてもよいのではないでしょうか。記事を読む限り、火葬か土葬かは信教の自由とも関わってきそうです。

そう言えば、キリスト教も土葬が多かったように思いますが、日本に住むキリスト教徒は火葬しているのでしょうか? ところで、土葬は日本にも古来合った風習ですからまだよいですが、今後、風葬とか鳥葬とか、川に流すとか、さまざまな埋葬方法が増えていくのでしょうか?

今日の配本(22/04/12)

シモーヌ・ヴェイユ

フロランス・ド・リュシー 著/神谷幹夫 訳

裕福なユダヤ人家庭に生まれ、教育熱心な両親の元で育ったシモーヌ・ヴェイユ。16歳でバカロレア(大学入学資格試験)、22歳という若さでアグレガシヨン(大学教授資格試験)に合格するも、その12年後、わずか34年で生涯を終える。本書は、シモーヌ・ヴェイユの兄であり数学者のアンドレ・ヴェイユから、「全集」(ガリマール社)の編纂を託され、2010年まで責任編集者を務めたフロランス・ド・リュシーによる待望のヴェイユ論である。ヴェイユの遺稿を手にしたカミュが「現代の唯一の偉大な精神」と呼んだように、この全集の編纂者は、34年の生涯にしては厖大すぎる量の書簡や日記、エッセーから何を読みとったのか。「重力」「不幸」「神」「根を持つこと」など、ヴェイユが取り組んだテーマを解説しながら、その人生と魂の遍歴を描き、聖なる異才の核心に迫る。

源氏とは?

講談社学術文庫の『源氏の血脈』を購入しました。

ところが自宅の書架には『武門源氏の血脈』という一冊を所蔵しておりました。著者は同じ方です。

はい、単行本の文庫化です。文庫になる時に出版社が変わるのも昨今はよくあることですね。単行本は中央公論新社から出ていました。

なので、文庫化されたものだとわかったうえで買っています。文庫には単行本からちょっと追加があるみたいです。

さて、あまりにも高額な専門書までは手が伸びませんが、このくらいのものですと、源氏に関する書籍ってどうしても気になってしまいますし、ついつい買ってしまいます。

ところで「源氏」という言葉を最初に知ったのは、たぶん源平合戦を学校で習ったころだと思います。NHKの大河ドラマも「草燃える」を放映していた時代だと思います。「平家が亡んで源氏が鎌倉幕府を打ち立てた」という単純な歴史事実をまずは覚えたのだと思います。

ついで、その平家の興亡を描いた作品が『平家物語』だと知り、それとほぼ同時期に『源氏物語』という作品を知りました。ただ内容までを知ったわけではないので、『源氏物語』は『平家物語』に対して源氏三代の興亡を描いた文学作品だと長いこと思い込んでいました(汗)。

まあ、広い意味では「源氏」で間違いはないんですけどね。

時代劇の行方

惜しまれつつ終わった朝の連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」、あたしも後半は週末のまとめ放送で熱心に視聴していました。

ドラマの内容については、いろいろな人が自分のブログやSNSで論評したり感想を綴ったりしているのでしょうから、いまは置いておくとして、あたしがこのドラマを見ていて思ったのは日本の時代劇はどうなってしまうのだろう、ということでした。

ドラマの中では川栄演じるひなたが映画村で働いていて、その上司と共に、日本の時代劇がどんどん衰退していくのを嘆く場面が納戸なく描かれていました。松重豊演じる虚無蔵の存在は、そんな時代劇の現状を体現したかのようなキャラクターでした。

あたしも子供のころから時代劇をよく見ていたので、ひなたたちの不安や心配、恐れについてはものすごく共感して見ていました、現実はもっと深刻なように感じます。

ところで、日本の時代劇はそんな状況なのですが、スカパー!やWOWOWを見ていますと、中国や韓国のドラマ、それも時代劇が決して少なくはない割合で放送されています。むしろ、両国ともますます盛んに新作が作られているように感じます。

だからでしょう、ここにリンクを貼ったように、中国時代劇のガイドブック的な書籍がこんなにたくさん日本で刊行されています。それも、多くが「2022年版」と銘打っているように、ほぼ毎年刊行されているのです。

これだけの書籍が刊行されているということは、それなりに人気なのでしょう。レンタルビデオショップ(現在の主流はビデオではなくDVDやBlu-rayですかね?)でも中国ドラマや韓国ドラマのコーナーは意外と広いスペースを占めていて、その中には現代劇ではなく時代劇も数多く並んでいますから、やはり日本で一定の需要があるのでしょう。

時代劇が廃れてしまうと、時代劇を演じることが出来る役者が減ってしまうだけでなく、大道具や小道具をはじめとした時代劇を支える多くの技術が継承されなくなってしまい、将来的にいざ新作時代劇を作ろうとしたときに非常に大きな困難に見舞われるのではないでしょうか。あたしはそれを危惧しています。

ちろん時代劇には欠かせない時代考証も大事だと思いますが、そういう人材も減ってしまうのではないですかね。毎度毎度大学教授のような専門家にお願いすることになるのでしょうか?

もっとも数多く作られている中国時代劇がどれくらい正確な時代考証に支えられているのかは、あたしにはよくわかりません。多くの作品は、時代劇というよりも、時代を歴史時代に設定しただけで、美男美女が出てくるラブストーリーばかりです。格好だけは時代がかっていて、背景設定なども歴史時代なのですが、中味は現代のラブストーリーと変わらないものが多いのは、現代劇だと描けない大袈裟な設定も時代劇なら可能だからでしょうか?

こういうラブストーリーの時代劇が日本でも量産されればよいとまでは思いませんが、それによって時代劇の人気が復活し、失われかかっている時代劇文化が生き延びるのであれば、決して悪いことではないと思っています。日本でも、コミックやアニメでは歴史台を舞台にした作品がヒットしているので、決して時代劇人気が廃れてしまったとは思えないのですが、さすがにドラマだと制作費がかかりすぎて、昨今の不景気の日本では無理なのでしょうか?

色とりどり?

先日来このダイアリーでご紹介している、わが家の玄関先のチューリップ。

以前にご紹介したときは赤っぽい色のものばかりが咲いていたと思いますが、ようやく黄色い花が咲きました。その合間にはあたしの好きな色、紫のチューリップも咲いています。

チューリップって、細かい色の違いはありますが、大雑把に言って何色くらいあるのでしょうか? 青いチューリップはないですよね? 白と言いますか、薄い黄色のチューリップは写真に写っていますね。

そしてこちらもチューリップです。

色のバラエティーではなく、花びらの数が一枚目の写真のチューリップとは異なります。いわゆる八重咲きのチューリップです。よく見ると、葉っぱの形も一枚目のチューリップとは少し異なります。やはり、同じチューリップとは言っても、その中にはいくつもの種類があるのでしょう、あたしにはよくわかりませんが。

さて、この二つのプランターに植わっているチューリップ、実は並んで置かれています。それが三枚目の写真です。

上で種類が異なるチューリップだと書きましたが、球根を買ったときもパッケージに写っていた写真のチューリップは異なっていました。それを確認して買い植えたので、こういう風に花開くのはあらかじめ予想されていたわけですが、植えてしまうと花が咲くまでは、そんなことなんて忘れてしまうので、いまこうして思い出している次第です。

訃報が……

今朝の朝日新聞には、あたしの勤務先に縁のある方の訃報が2件も載っていました。

まずは彭明敏さん。と言われても、ご存じない方も多いと思いますが、あたしの勤務先では『彭明敏 蒋介石と闘った台湾人』という評伝を出しているのです。彭明敏さんについて知りたければ、日本語で読める文献は、たぶんこれだけになりますので、ご興味をお持ちの方は是非手に取ってみてください。

続いては、菊地信義さん。菊地さんは有名ですからご存じの方も多いでしょう。朝日新聞の記事では『装丁談義』の名前が挙げられていますが、あたしの勤務先からは『新・装丁談義』を出しています。

ただ、この『新・装丁談義』も現在、在庫僅少なんですよね。他にも菊地さんの著作は何冊かありますので、それらをお楽しみいただければと思います。それに他社からもたくさん本は出ていますし。

そして最後は、在庫僅少どころではなく、品切れの本が今日の読書欄で紹介されていました。『遠方より無へ』です。

この本は品切れですが、今日の読書欄のテーマから言えば、青柳いづみこさんの『翼のはえた指 評伝安川加壽子』『アンリ・バルダ 神秘のピアニスト』などは合うのではないかと思うのですが、どうでしょう?

体調不良

日向坂46のメンバーが、22名中18名も新型コロナウイルスに感染してしまったというニュース、その前には乃木坂46でも多くのメンバーが感染していましたね。

どちらのニュースにも共通しているのは、体調不良で念のためPCR検査を受けたら陽性だったというものです。乃木坂、日向坂に限らず芸能人、著名人がコロナ感染を報告するときは、ほぼ異口同音に体調不良で検査をしてみたら、となっています。

この体調不良というのは、どういうものなのでしょう?

発熱でしょうか? それとも倦怠感? あるいは関節などの痛み? 喉の違和感? たぶん人によって症状の出方は様々なのでしょう。そして、ああいう仕事をしているからでしょう、それらの症状が出たら、すぐにPCR検査を受けてみるという体勢になっているのだと思います。

しかし、一般的に体調不良なんて誰にでも、それもしょっちゅうあるものではないでしょうか? 冬の時季であれば風邪の諸症状はコロナと共通するものが多いですし、更には春先の花粉症も似ています。風邪なのか花粉なのか、よくわからないと言いながら、この数年はそこにコロナが加わっているような感じです。

あたしは、もうここ何年も、たぶん十数年、あるいは数十年だと思いますが、寝込むような体調不良になったことはありません。基本は健康なのです。ただ、そのぶんちょっと体調が悪いなあ、と感じることはしょっちゅうありまして、頭痛などはもう慢性化していて、数日おきにロキソニンバファリンを飲んでいます。その他にも、自宅にはイブクイックセデスなど複数の鎮痛剤を常備していますし、通勤カバンにも何粒か持ち歩いています。

あたしと頭痛との付き合いはもう数十年になりまして、慣れっこなのでさほど気にしていませんが、同じように長い付き合いの症状に腹痛があります。腹痛と言うよりは腹下しと言った方が正確です。

これも小さいころからお腹の弱い子供だったので、下痢止め(止瀉薬)にはずーっとお世話になっていますが、大人になってからは専ら正露丸です。あの匂いがダメという人も多いですが、あたしは慣れてしまったので何も感じません。臭いなどと思ったことすらありません。

この腹痛、以前は時々襲ってくる程度でした。それこそ夏にちょっと冷たいものを食べすぎたとか、緊張から来るストレスなど、わかりやすい原因が多かったのですが、この数年はちょっと異なります。

この数年、たぶんもう五年くらいになると思いますが、食事をするとお腹を壊してしまうのです。朝は軽くしか食べないのでまだよいですが、夕飯後はほぼ毎日お腹を下します。別に変なものを食べたわけでもなければ、必要以上に食べ過ぎているわけでもありません。食事を終えるとじきにお腹がキュルキュルしてくるのです。

なので、ここ数年、仕事に出ているときは昼食は食べていません。昼休みなしで働いています。だって、食べるとお腹が気になってしまいますから。自宅で食べる夕食後は寝る前に何度かトイレに行くこともしばしばで、ここで登場するのが正露丸です。

これが目下の体調不良です。ちなみに、あたしは正露丸が日露戦争の時の腹痛対策で作られた薬で、本来は「征露」だったということは、当然知っております。

春ですね

アイドルグループ、日向坂46のメンバーが新型コロナウイルスに感染したと発表されました。現在の変異株は感染力が強いということ、どうしても芸能活動をしているとマスクを外しての仕事も多くなることから、あたしたち一般人よりもはるかに感染リスクが高いのだと思います。

ニュースなどでも取り上げられてしまい、「大規模コンサートなどをやったからだ」といった中傷のような意見もネット上にはあふれています。しかし、ワクチンも、メンバー全員が3回接種していると言いますし、芸能活動という仕事を続けている以上、感染に関して言えば、もう防ぎようがないのではないかと思います。

コロナが流行した初期は、あたしも新規感染者数に一喜一憂していましたが、これだけの年月がたちますと、新規感染者数よりも重症者数、死亡者数、あるいは症状の重篤度などの方が大事なのではないでしょうか?

当初から「インフルエンザの方がよほど怖い、現在の隔離体制ではいずれ医療機関がパンクしてしまうから、通常の感染症レベルに対策を下げるべきだ」と主張している方もいましたが、経済活動などを考えるのであれば、そろそろそういう議論に移行してもよいように感じます。

さすがに二年近い経験があれば、どういう人が重症化しやすいのか、どうなると後遺症が残りやすいのか、ある程度は経験から言えることも増えていると思うのですけどね。あたしは専門家ではないので、いま書いていることはすべて素人の戯れ言に過ぎませんが、経済を動かしていくのであれば、マスコミの報じ方にしても、政府の議論にしても、もう少しバージョンアップできないものでしょうか?

そんなコロナとは、幸いにして無縁で過ごしているわが家ですが、玄関先にいろいろ花が咲いてきました。やはり春は花が咲いてきれいですね。近所の桜も美しいですが、自宅の庭の花々も可憐です。

一枚目は先日もご紹介したチューリップですね。二枚目は何でしょう? あたし、植物には疎いので、よくわかりません。そして三枚目やヒヤシンスになります。

実はこうして花を愛でてはいますが、あたし自身は花よりも苔が好きです。可能であれば、庭は苔むした岩とかを配置した枯山水にしたいのです。でもきれいな苔を生やすには、空気や水のきれいさが大事みたいで、ここ数年流行の小ぶりな器の中で苔を生育するのであればまだしも、狭いながらも庭で苔を生やすなんて、かなりハードルが高いですよね。ですから諦めていますけど。

こうなってくると、昭和ってよかったなあ、という気がしてきます

情報番組で報じていたのですが、コンビニ大手のローソンが、コーヒー用のカップを貸し出しにして、ローソンだけでなくスターバックスでもカップの返却を受け付けるようになるそうです。プラスチックごみの削減策の一環なのでしょう。よいことですね。

でも、それだったらステンレスボトル(マイボトル)を持ち歩いている人も多いですから、そういうボトルを使うのも可、とはならないのでしょうか? マイ箸ならぬマイボトル、いいアイデアだと思うのですが。

こういうニュースを聞くと、かつての商店街の買い物を風景が懐かしく思い出されます。あたしが子供のころから徐々にスーパーマーケットが増えてきましたけど、それでもまだまだ商店街は健在で、魚屋さんに自分の家のお皿を持って行って、そこにお刺身を盛り付けてもらう、お鍋を持参して、そこにおでんを入れてもらう、ボールを持って豆腐屋に豆腐を買いに行く、そんなのは日常茶飯事でした。

今のような缶ビールもありましたが、父が晩酌で飲んでいたのは瓶ビール。近所の酒屋さんからケースで配達してもらい、飲み終わった空瓶は水洗いしてケースに入れ、ケースのビールを全部飲み終わったら取りに来てもらう(次のビールの注文も兼ねる)ということもよく見かける光景でした。当然ビール瓶は再利用されます。そう言えば、駄菓子屋などでコーラを買うときももちろん瓶で、その場で飲んで瓶を返すと10円が戻ってくるというシステムでした。

そんな風に、昭和の時代には自分の家の器が大活躍していたものです。そこにはプラスチックが入り込む余地はありませんでした。今こそ、こういう風景が復活しないものでしょうか?