比べてみました

同じタイトルの本というのが、時々あるものですが、最近こんな書籍を発見しました。

 

中央公論新社の新刊『クルスクの戦い 1943 第二次世界大戦最大の会戦』です。そしてもう一冊が、あたしの勤務先の『クルスクの戦い1943  独ソ「史上最大の戦車戦」の実相』です。

副題こそ異なりますが、正題は共に「クルスクの戦い1943」です。著訳者は前者がローマン・テッペル著、大木毅訳で、後者はデニス・ショウォルター著、松本幸重訳です。四六判で400ペイジを超える分量はどちらも同じです。

公式サイトによる内容紹介は、前者が

独ソ戦の研究の最前線。第二次世界大戦の帰趨を決した戦いの一つ、クルスクの戦いをドイツ、ロシア両国の資料から精緻に分析し、著しく歪曲されてきたそのイメージを刷新する。

で、後者は

「ツィタデレ作戦」の背景、準備、戦闘の経過、圧巻のプロホロフカの戦車遭遇戦、作戦の挫折を、米国の長老軍事史家が新資料を駆使して精緻に描写。地図・口絵・索引収録。

です。同じ素材に関する書籍ですから煮てしまうのは仕方ないですが、書店店頭や読者が迷ったり、間違えた発注が起きないか、そこがちょっと心配です。

林檎とトリュフ

毎年この時季になると、あたしの勤務先に創業者のご実家から林檎が届きます。林檎農家ではなかったと思うのですが、毎年恒例のお歳暮です。

函で贈られてくるので、社員一人に一つずつ分けられますし、何個かは勤務先でお昼に剥いて美味しくいただいたりしています。みずみずしくて、とても美味しい林檎です。

自宅へ持ち帰るのはよいのですが、あたしのように書店営業回りをしていますと、どうしても荷物が多くなりがちで、そこに林檎が、一つとはいえ、持って歩くとなると、なかなかのスペースを占めてしまいます。

というわけで、本日午後のあたしのカバンを開くと、このように真っ赤な林檎が顔を覗かせているというわけでした。

そして帰路。

最寄り駅の駅ビルには成城石井が入っているのですが、そこで少し前から気になっていたトリュフ味のポテトチップスを買おうと寄ってみました。

しかし、少し前までは棚に並んでいたそのポテトチップスが見当たらないのです。「あれ、どうしたのだろう?」と探していて目に入ったのがこちらの商品。

ポテトチップスではなく、ポテトスティックです。

帰宅後に早速賞味しましたが、ちょっと塩っぱいものの、とても美味しかったです。トリュフというものをきちんと食べたことがないので、これがトリュフの風味なのかどうなのか、よくわからないのが悲しいところです。

本を読んでいる人が多い気がしました

電車の中で『鬼滅の刃』を読んでいる人はいないなあ、と思いながらの書店回り。

先週末の鬼滅騒動も一段落、次の入荷いつになるのかという凪の状態が続いているようです。

そんな書店回りの電車内で、ショートヘアの女子高生が、乗ってくるやおもむろにカバンから取り出して読み始めたのが、岩波文庫の『失楽園』でした。上巻なのか下巻なのかまでは判別できませんでしたが、クールビューティーな雰囲気を漂わせた美少女(?)が岩波文庫を手にしているのはとても格好よかったです。

そんなあたしは『見えない人間』を読んでいましたが、あたしの隣に座っていた女性も、手にしているのはスマホではなく文庫本。何気なく社内を見渡してみると、今日の車中は本を読んでいる人が多いなあという印象。なんだか嬉しくなってきました。

シライサン

WOWOWで放送された「シライサン」を視聴。

ホラーとしてはそれほど怖いとは思えませんでしたね。造形的にもそうですし、ストーリーにしても、もう少し怖くできたのではないかという気がします。

そして、たぶん多くの人がレビューで書いているのではないかと思われますが、そもそもこの「シライサン」って何者? どうして怨みを抱えるようになったの? というところが謎のままです。都市伝説だからそれでいいんだ、という見方もできますが、それにしては二十数年前からの話ですし、最初にこの話を採取した民俗学者(?)のストーリーを膨らませてもよかったのではないかという気がします。

もしかして、本作がヒットしたら、その民俗学者が主人公で、シライサン誕生の秘密に迫るエピソード・ゼロ、そして最後に記憶を失った主人公・飯豊まりえのその後を描くパート2を作る構想でもあったのではないか、そんな気がします。

でも、それを作るのであれば、もう少しシライサンの造形に気を配った方がよいのではないでしょうか? あれではさほど怖くはないのですが……

またしても自粛期間?

東京を始めとする日本のコロナ感染者数がここへ来て急激に増えてきました。

政府は、GoToトラベル(人の移動)によって感染が広まっているという証拠はない、と盛んに言っています。だったら、どうしてGoToトラベルで札幌と大阪を除外したり、東京に自粛を求めたりしているのでしょう。証拠がない、つまり人の移動で感染は広がっていないというのであれば、誰が何を言っても除外や自粛などせずに続けるべきではないでしょうか?

そんな社会のことはともかく、あたし自身の仕事に関しては二か月ほど前にも似たようなダイアリーを書きましたが、やはり同じような悩みを抱えています。

会社内の密を避けるには在宅ワークがよいのでしょう。社内の人数を減らしても出退勤時の電車内の密は残ります。密度を考えたら、こっちの方がよほど密でしょう。書店営業も、電車に乗る、不特定多数の人が集まる書店に赴く、という点では密になります。

でも、書店回りもせずに自宅にいたとして、いったいどんな仕事ができるのでしょう? POSデータを見ながら書店に電話をかけまくって、ファクスを送りまくって受注拡大に励みますか? でもそれって、結局社内の誰かが出勤して伝票を打ち、書籍を出荷するという作業をしないとならないわけで、自分だけのうのうと自宅にいて、他の人には出勤を強いるというのはどうなのでしょう?

また、たとえば書評などに載った商品それだけを単品で営業するのであれば電話やファクスでも可能かも知れませんが、棚のメンテなどはやはり実際に棚を見ないと難しいところがあります。それに実際に足を運んで話をするからこそ見えてくるもの、生まれるものがあるのはこれまでの経験上わかっているので、そういうものをなくしてしまった場合、果たしてどういう営業が可能なのでしょう?

と二か月前と同じような悩みを延々考え続けております。

これはどんな本なのか?

新刊『花冠日乗』が紹介されていました。

コロナ禍の詩人が、写真と音楽とコラボした作品です。と、いとも簡単に「コラボした作品」と書きましたが、公式サイトの内容紹介には

詩人・野村喜和夫が、コロナ禍のなか、生存を脅かされる恐怖にさいなまれ、旧約の大洪水にも比すべきカタストロフィーを感じつつ、生きた証を刻む。言葉と写真とピアノ曲との斬新なコラボレーション。

とあります。やはりコラボです。本は文字を読むものですが、著者は詩人。そこに音楽がつくとなるとつまりは歌曲になるわけでしょうか? そこにイメージとして写真がつくとなると、こんどは静止画によるミュージックビデオのようなものを想像すればよいのでしょうか?

いや、形状は全くの本でして、本屋さんに並んでいます、本屋さんで買っていただく商品です。このコラボを、コラボと呼ぶ以外うまく言葉で表現できないので、あとは手に取っていただいた方それぞれの感性で感じとっていただければ、と思います。

朝日新聞の紹介にある「五感に響く」というのが正しい受け取り方なのでしょう。

なかなか厳しい時代?

昨日の朝日新聞夕刊の一面に無言館の記事が載っていました。

 

記事にもある館主・窪島誠一郎さんの無言館に関する著作は、あたしの勤務先からも二点刊行していまして、それが『「無言館」への旅 戦没画学生巡礼記』と『無言館の坂を下って 信濃デッサン館再開日記』です。

残念ながら前者は現在在庫僅少となっていますが、後者は十分に在庫があります。ウェブサイトの紹介を引用しますと、前者は

戦没画学生の遺作を集め、その慰霊美術館「無言館」を建設しようと全国の遺族や関係者を訪ね歩いた著者が、彼らの生命への祈りを聞き、自らの戦後を問い直すために綴った巡礼の旅。

というもの。後者は

連日多くの入場者でにぎわう「無言館」と、閉館の危機に陥った「信濃デッサン館」。二つのユニークな美術館を運営する著者が、喜びの再開にこぎつけるまでの揺れる思いをつづる。

という内容です。無言館もそうですが、「戦没画学生」という言葉自体がもう現在では理解されづらくなっているのでしょうか。

無言館に限らず、各地の博物館・美術館、なかなか運営が苦しいということは折に触れ耳にしますが、コロナ禍で更に人の移動が止まってしまい苦しさに拍車をかけているのでしょう。