Rockfield's Diary

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Rockfield's Diary

今日の配本(23/03/24)

古代ローマ人は皇帝の夢を見たか
アルテミドロス『夢判断の書』を読む

ピーター・トーネマン 著/藤井崇 監修/藤井千絵 訳

アルテミドロスは、2世紀末~3世紀初めのローマ帝国を生きた小アジア出身のギリシア人で、5巻からなる『夢判断の書』を著した。これは、古典古代の夢と夢判断の実態を伝える、唯一現存する書物で、フロイトやフーコーが大きな関心を寄せた。本書は、これを同時代の社会、文化、宗教に位置づけながら、当時の人々の希望と不安、またその前提となった価値観――身体と自然の捉え方、ジェンダー観、宗教、そして、首都ローマから遠く離れたギリシア文化圏の都市の住民にとって、帝国とは何だったのか――を読み解く。

ルネ・ジラール

クリスティーヌ・オルスィニ 著/末永絵里子 訳

ミシェル・セールをして「人文科学分野のダーウィン」と言わしめたルネ・ジラール。彼の初期の作品の評判は振るわなかったにもかかわらず、セールはダーウィンの進化論とジラールの模倣論の間に類似関係をみてとり、いち早くジラールの学説を評価している。本書は、ルネ・ジラールが練り上げた思想を辿り、その展開の必然性を説く。セルバンテス、フローベール、スタンダール、プルースト、ドストエフスキーらの作品に、欲望の三角形を見てとる「欲望論」、ギリシア悲劇やシェイクスピアの作品などから、贄のメカニズムや身代わりの犠牲者を解く「供犠論」、そして贄のメカニズムに終止符を打ち、模倣全体のメカニズムを暴きだす「聖書論」。23歳でアメリカに渡り、文学教師として大学を転々としながらも独自の思想を展開した暴力と宗教的なものの人類学者に迫る。

今日の配本(23/03/23)

井上哲次郎と「国体」の光芒
官学の覇権と〈反官〉アカデミズム

杉山亮 著

加藤弘之が創り上げ、井上哲次郎に継承された官学アカデミズムは、煩悶青年が社会問題化した日露戦後、生命主義に傾倒していく。しかし、国体論に「無意識」を取り入れる試みは、東京帝大の心理学者、福来友吉の念写実験が巻き起こした社会的混乱によって絶たれ、官学アカデミズムは歴史へと回帰することになる。他方、大正デモクラシーの潮流のなかで国体を語る裾野は広がっていく。あとの時代から見ると、「国体」と聞くだけで、狂信的な雰囲気が漂うが、そこには「国体論的公共性」とも呼ばれる広範な討議空間もあった。暴力に覆われる前の思想空間を辿り直す稀有な試み。

タイミングは大事ですね

昨年末で乃木坂46を卒業した齋藤飛鳥の卒業コンサートの日程が発表されました。5月に東京ドームで二日間、日時はともかく、会場が東京ドームというのは大方の予想どおりだったのではないでしょうか。もちろん、新国立競技場ではないか、という声もネットにはあふれていましたが、まずは妥当なところではないでしょうか?

ただなんとなく釈然としない点もあります。まずは先に卒業を発表し、グループを離れた飛鳥の卒業コンサートが、後から卒業を発表した真夏や絢音ちゃんの卒業コンサートよりも後になったことの違和感です。なんでこんなことになってしまったのでしょう? たぶん、グループ外の仕事の契約とかがいろいろあったのだと思いますが、だったら卒業発表をもっと遅らせてもよかったし、グループを離れるのも今年に入ってからでもよかったのではないかと思います。

もちろん飛鳥が参加しない、最新シングル発売のタイミングも考慮しないとならなかったでしょうけれど、やはり年明けに発表し、それから一ヶ月半くらい後のバスラ最終日で卒コンをやった真夏、同じく年が明けてから卒業を発表し、3月末に卒業セレモニーを行なう絢音ちゃんのスムーズなスケジュールに比べると、何か疑念を感じてしまうものがあります。

考えてみますと、コロナで延び延びになったまいやんの卒コンも無観客で残念なものでした。コロナ以前ではありますが、同じように年末で卒業し、年明けのバスラを卒コンにしたなーちゃんの場合、毎日毎日登場したので、最終日の卒業コンサートの印象が薄くなってしまったのが残念です。なおかつグループを離れてから時間をおいての卒コンは、なんとなく興醒め感がありましたね。

個人的には、やはり同じくバスラを卒コンにしましたけれど、初日を卒コンとしてやりきり、二日目以降は一切登場しなかったななみんの卒コンが一番感動的でした。ななみんも年内に卒業発表をしていましたが、年末でグループを離れることなく年が明けてからも活動していましたので、やはり卒コン前にグループを離れるのはよくないな、と感じますね。