サイト管理人のブログです。
Rockfield's Diary
Rockfield's Diary
今日の配本(20/09/15)

テレワークで必要なもの

本日もテレワークです。
テレワークも数ヶ月が過ぎ、会議は専らZOOMで開くというのが常態化しました。
となると、自宅(あるいはどこぞのスペース)で仕事をするときに必要なものがあります。ニュースなどでもしばしば取り上げられますが、会社によって対応に差があるようですね。金銭的な補助にしろ、ハード面でのサポートにしろ、しばらくやってみないと必要なものが見えてこない部分もあります。
あたしの場合、自宅にパソコンがありますが、業務で使うのに自宅の、個人所有のパソコンを使うというのはどうなのでしょうね? セキュリティーという面もありますが、そもそも論としてパソコンを持っていない人の場合、会社が買ってくれる(レンタルしてくれる)のでしょうか? スマホしか持っていないという人も多いのではないでしょうか? さすがにテレワークがスマホだけというのは厳しいでしょう。
かといって、会社でパソコンを買ってくれる(レンタルしてくれる)となると、既に所有していて、自分のパソコンを使っている人との差が出きてしまいます。既に持っている人には買って(レンタルして)もらえないのでしょうか? 人によっては自分のパソコンを仕事には使いたくないと思う人だっているはずです。
それに、テレワークですから通信しないといけませんが、その通信費って誰が負担するのでしょう? 自宅にパソコンがある人は、ほぼ間違いなくどこかしらのプロバイダーと契約しているでしょう。定額制であれば、仕事で使っても追加料金が発生することは少ないかも知れません。しかし、スマホしか持っていない人で、一番安い料金プランを使っている場合、テレワークで一気に通信量が増えた場合、追加料金が発生する可能性が高いのではないでしょうか? このあたりの追加分を会社が負担してくれるのか……
とまあ、巷間言われている、上記のような問題もあり、正直なところ、パソコンや通信費に多少の補助をしてもらいたいとは思います。会社側に要求するのは正当な権利だと思います。ただ、今はしばらくおくとして、この数ヶ月テレワークをやってみて気づいたのは、会社の書類が電子化されていない不便さです。
リモート会議に自宅から参加する場合にせよ、自宅で会社の業務を行なうにせよ、「あっ、あの書類、会社の引き出しに入れたままだ」「この前配られた書類、ファイルに綴じて机に置いてある」といったことが過半でした。これでは、仕事をするには会社へ行かなければなりません。何のためのリモートワークはわかりません。
最近でこそ、配布物がPDF化され、メール添付で配布されるようになりましたが、まだまだPDFになっておらず、紙で配付されているものがあります。これらをすべて電子化し、自宅からで取り出せる(閲覧できる)ようにしないと、本当のリモートワークはできませんね。そして、そんな環境が整ったころには、コロナも収まって、ワクチンや治療薬もできて、テレワークの必要性がなくなっているのではないかと思います。
まあ、あたしの勤務先の場合、編集部などは今後もテレワーク併用で構わないと思いますけど。
名前が変わったのか、元からそうだったのか?

このところずーっと、朝日新聞の夕刊で連載されている「人見街道」。《マダニャイ とことこ散歩旅》というコーナーで取り上げられています。
この人見街道、杉並の中心よりちょっと南寄りを突っ切るような感じで延びていて、井の頭通りと合流します。あたしが小学校から大学生のころまで住んでいた高井戸は、ちょうどこの人見街道が通っている場所で、あたしは小学校へ通うときに、毎日この人見街道を渡っていました。比較的車の量が多かったので、渡る信号機の処には毎朝「緑のおばさん」と呼ばれる交通整理の人が立って、子どもたちを誘導してくれていました。
そんな人見街道、朝日新聞の連載では「人見街道」と書かれ、その由来も語られていましたが、あたしが子供のころには、この通りはそんな呼ばれ方はしていませんでした。では何と呼ばれていたのか?
正解は「久我山街道」です。「久我山通り」と呼ぶこともありましたが、その理由はこの通りがちょうど井の頭線の久我山駅の処を通っていたからです。この名称が正しかったのか否か、行政的な意味での正確さはわかりません、しかし、当時あたしたち小学生は、この通り界隈に住んでいる者なら誰もがそう呼んでいたのです。
では、あたしは今でも「久我山街道」を強く主張するのかと問われると、別にそこまで拘りがあるわけではありません。通りとか川とかって同じものでも地域によって呼び名が変わることはよくあることですので、久我山を通っているという杉並区民には非常にわかりやすい理由から久我山街道、久我山通りと呼ばれていただけでしたし、子供のことですからそこに正確さを求めていたわけではありません。
ただ、杉並に在住のころ、中学生だったか高校生だったか忘れましたが、こういった広くもない通りにも街路名の看板が立てられるようになり、そのとき久我山街道に「人見街道」という看板が立っているのを見て非常に違和感を感じたのを鮮明に覚えています。「なんで久我山街道じゃないの? 人見街道って何?」というものです。
たぶん、大人はいざ知らず、その当時、あの地域で育った人の多くはそういう感想を持ったのではないでしょうか? しかし、しばらくすると「ずーっと西の方では人見街道って呼ばれているらしくく、そのまま人見街道の名前で看板を立ててきたので、そうなった」という噂を耳にしました。三鷹だか府中だか、そっちでは人見街道と呼ばれているのはよいとして、どうして通り全体の名前までそれに従わなければならないのか、というちょっとした憤りは感じました。久我山街道の名前を府中まで延ばしたってよかったはずです。
そんな当時の記憶が蘇ってくる朝日新聞夕刊の連載です。
他では読めない? 自宅で読めた?

今朝の朝日新聞読書欄に岩波書店の広告が載っていました。岩波文庫で多くのタイトルが重版になったようです。題して《2020年〈他では読めない〉岩波文庫一括重版》です。
タイトルの中で目を惹いたのは、あたしは中国学専攻でしたので『仁学』と『章炳麟集』でした。しかし、なんとなく見覚えがありまして、思ったとおり自宅の書棚に架蔵しておりました。しかもどちらも初版です。当時のあたしはまだ学生時代で、バリバリの中国学専攻の現役、この手のタイトルは漏らさず買っていたようです。
というわけで、その他で気になったのは『モンゴルの歴史と文化』『哲学史序論』『大転落』『ジュスチーヌまたは美徳の不幸』『とどめの一撃』です。
14歳という年齢は……

新刊『14歳からの生物学 学校では教えてくれない〈ヒト〉の科学』の重版が決まりました。
本書の原本はオランダの学校で使われている生物の教科書です。日本の生物学の教科書や教授内容とあまりにも違いがあることに衝撃を受けた監訳者が「これは日本に紹介しなければ」と翻訳してくださったものです。14歳の方はもちろん、広く中学生、高校生、そしてとっくに学生生活を終えている大人の方にもページを繙いていただきたい一書です。
ところで、14歳っていうのは人世の中でどういう時期に当たるのでしょうね? やはり人格形成などに非常に重要なタイミングなのでしょうか?
そう思うのは、あたしの勤務先で「14歳」が含まれたタイトルの書籍が他にもあるからです。『14歳のアウシュヴィッツ 』『14歳の国
』『14歳のX計画
』です。
他社を含めると、タイトルに「14歳」を含む作品はたくさん見つかります。やはりターニングポイントとなる年齢なのでしょうね。
ところで、『14歳からの生物学』の重版は今月末の出来予定です。