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Rockfield's Diary
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おばんざい?

またまた国分寺マルイです。東北物産展はもう終了しましたが、また別なイベントが始まっています。
まずは東北物産展で買っておいた、酒の肴にしようと思ったスモーク牛タンです。スーパーなどで買ったことはありますが、あまり美味しいと感じたことがなかったのですが、物産展の商品なら美味しいだろうと思って、試しに買ってみたものです。
ごはんのおかずでもよいですが、やはり酒の肴としていただくのよさそうです。スモーク牛タンを食べると、やはりふつうの牛タンが食べたくなります。またねぎしに食べに行きましょうかね。
さて、国分寺マルイで始まった「京都・滋賀フェア」で買ってきたおばんざいです。左上が小松菜、その右が筍、下が出汁巻き卵焼きです。
この薄い味付けが京都風なのでしょうか。いずれもおいしくいただきましたが、出汁巻きの出汁を感じられるほどの舌をあたしが持っていないのが残念です。
筍はこれからの旬ですね。鰹節がまぶしてあって予想どおりの味でした。思いのほか美味だったのが小松菜です。柚と和えてありましたが、非常に食べやすく、柚の香りが効いていてとても美味しかったです。でも小松菜って京野菜じゃないですよね?
瓶詰めプリン

国分寺マルイで東北物産展「東北旅気分と作家とおやつ」が開かれておりまして、母の好きないぶりがっこを買ってみました。母曰く、スーパーでふだんから売っているいぶりがっこは、やはり味がイマイチだそうで、こういう物産展で買える、地元のいぶりがっこは美味しいのだそうです。
そんな物産展で、こんなスイーツを買ってみました。蔵王と書いてあるので、宮城県、山形県どちらのスイーツなのかわかりませんでしたが、ウェブサイトなどを調べてみると、「ラ・シェール・アンジュ」のスイーツで、宮城県石巻市のパティスリーでした。
石巻なのにどうして蔵王なのかと思いましたが、蔵王産の材料を使って作られているのですね。今の時代、ガラス瓶に入っているプリンは珍しいです。たいていはプラスチックの容器ですから。
赤い紙の覆いを取ると、プラスチックの蓋が被さっています。瓶の中のプリンは上の方が白くなっています。よく見ると、プリンの上に生クリームが載っているようです。
公式サイトを見ると「樹氷プリン」というのもあるのですね。蔵王プリンはとても柔らかいプリンでしたが、この樹氷プリンも柔らかいプリンだとか書かれています。個人的には硬いプリンが好きなのですが、それでもこの樹氷プリンも食べてみたいと思います。今回の東北物産展では並んでいないようでしたので、通販でお取り寄せするしかないのでしょうか。
還暦を前にして性に目覚めてしまった?

たまたま買った新書2点。いみじくも共通するキーワードが「性」でした。
一つはハヤカワ新書の『人類学者が教える性の授業』、もう一つが光文社新書の『性的であるとはどのようなことか』です。どちらも下ネタではなく、極めて真面目な内容の本であることは言うまでもありません。
後者の著者、難波優輝さんは少し前に『物語化批判の哲学』を読みましたが、あたしにはかなり歯応えのある一冊でしたから、本書もきっと噛み応えのある内容なのでしょう。壇蜜推薦というのがちょっと笑えます。
一方の前者、タイトルだけを見て想像するのは、現在放送中の日テレ系ドラマ「パンダより恋が苦手な私たち」を思い出します。ドラマの方は求愛行動だけに興味・関心を持っている大学の先生が出てきますが。
ちなみに、後者の著者、奥野克巳さんの『入門講義 アニミズム』もつい先日楽しく読んだばかりでした。
近刊情報[26/01/29]

今日の配本[26/01/29]

インド独立の志士「朝子」
笠井亮平 著
本書は、本人と関係者へのインタビューのほか、未公開の日記や回顧録など貴重な資料を駆使し、一独立運動家の目で見た戦前・戦後の日印関係を再構成したものである。日本で生まれ育ち、若くしてインド独立運動に身を投じたアシャとその家族の数奇な運命を通して、気鋭の研究者が日印関係史に新たな視角をもたらした傑作ノンフィクション。
日本の夜の公共圏
スナック研究序説
谷口功一、スナック研究会 編
かつては全国津々浦々にあったスナック。本書ではその起源・成り立ちからコロナ前までの現状に至るまで、徹底的に調べ上げた本邦初のスナック研究である。スナックという「夜の公共圏」・「やわらかい公共圏」に光を当てることで、日本社会の「郊外/共同体」と「社交」のあり方を逆照射することを試みた。
ドナルド・キーン わたしの日本語修行
ドナルド・キーン、河路由佳 著
日本文学研究の泰斗はいかに誕生したのか。もし海軍日本語学校に入らなかったら、日本文学者になることはなかった――2019年2月に惜しまれつつも東京で永眠した故ドナルド・キーン氏は、かつて自らの分岐点についてこう語った。