大阪へ行けない代わりに?

新聞にこのような広告が入ってきました。

JR国分寺駅の駅ビルセレオの広告です。その広告にがんこ寿司の文字を見つけたのです。

がんこ寿司って、東京にももちろん何軒かありますが、あまり知られていないチェーンだと思います。大阪へ行くとあちらこちらで見かける、非常によく知られたチェーン店です。

そんながんこ寿司が国分寺に出店ですか……

とはいえ、食事だったら家に帰ればよいような場所なので、国分寺のセレオで食事をしたことは、30年近く多摩地区に住んでいて片手で数えられるくらいだったと思います。たぶん自覚しているのは2回くらいです。

ですから、がんこ寿司ができたからといって食べに行くとは限らないのですが、それでも大阪で何回か入ったことのあるお店ですし、東京だと上野のお店にも行ったことがありますので、こうして近所にできたのも何かの縁、こんど行ってみようかなあという気になりました。

革命尚未成功

昨日のうちにダイアリーを更新できなくて、ちょっと忸怩たるものがあるのですが……

はい、昨日、3月12日は中国革命の父、孫文の命日です。96年前のことです。つまり、あと4年すると、孫文没後100年になるわけですか。日本でもいろいろと関連書籍が出版されるのでしょうか?

孫文は、大陸でも台湾でもどちらも尊敬されている革命の父ですから、どちらも4年後は盛り上がるのではないでしょうか? ちなみに5年後は生誕160年ですから二年続けてのアニバーサリーですね。

そんな孫文、わが家で孫文関連の書籍を探してみましたら、まずは岩波文庫が見つかりました。『三民主義』と『孫文革命文集』です。この二点はまだ新刊で入手可能なのでしょうか? ちなみに写真では上巻のみですが『三民主義』は上下本です。

続きましては、同じく岩波書店の『孫文伝』です。

この本は、あたしが学生のころ既に入手不可で、古本屋で買いました。なぜか二冊持っています。古本屋を丹念に探せば、今でも手に入れることはできるのではないでしょうか? 岩波書店ではオンデマンドで販売しているようですが……

そして最後に、またまた岩波新書、『孫文』です。これが一番入手が容易な一冊ではないでしょうか?

そして清水新書の『孫文と中国の革命運動』、陳舜臣の『孫文』です。これはどっちも古本屋に行かないと手に入らないのではないでしょうかね?

清水書院の新書は、現在は判型が大きくなった「人と歴史」シリーズとしてリニューアルしたのですが、この孫文の巻は出ていないようです。残念です。同じく「人と思想」シリーズには『孫文』という一冊があります。

陳舜臣さんも中国史をテーマにした小説やノンフィクションをたくさん書かれていますが、果たして現在手に入る文庫はどれくらい残っているのでしょうか?

2021年3月13日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

ご案内を二つ

新刊『プルーストへの扉』が重版になりました。

今年はプルーストのアニバーサリーイヤーということもあり、そしてなかなか読み通せない超長篇である『失われた時を求めて』を読んだ気になれる一冊、出足からして好調でして、また来月には『対訳 フランス語で読む「失われた時を求めて」』が刊行になりますので、二冊併せてのご案内です。

前者は文芸書、後者は語学書に置かれる本ではありますが、どちらも文芸書で展開していただけると、またいつもとは異なる読者の目に留まるのではないかと期待しております。

そして、もう一点。

ラカンです。

ラカンは今年、生誕と没後どちらもアニバーサリーです。ひとまず先に訪れる生誕120年を狙ってのご案内です。

あたしの勤務先は、たぶんあまり心理学のイメージはないと思いますので、ラカンなんて関係あるの、と言われそうですが、文庫クセジュに一冊あるのです、そのものズバリ、タイトルは『ラカン』です。

小難しい概説書ではなく、ごくごく入門のラカンに関する一冊ですので、最初に手に取る一冊としてお手頃ではないでしょうか?

ちょっと甘いものが食べたくなりまして……

時短勤務なので1時半くらいには自宅に帰宅します。

その途中、家の近所のセブンイレブンで昼食を買ってから帰宅するのがほぼ習慣になっているのですが、時間帯的にお弁当類があまり豊富には並んでいません。ラーメンやうどん、ドリアや丼物、たまに食べるぶんにはよいのですが、ほぼ毎日になると飽きてしまいます。

なので、時にはパン類から選んだり、あまりお腹が空いていなければおにぎり一つや二つで済ませたり、自分なりにいろいろと創意工夫をこらしています。もちろん、セブンイレブン以外のところで調達するという方法もあるのですが、わが家の近所にはコンビニはセブンくらいしかなく、ローソンやファミマはかなり遠いところまで行かないとなりません。最寄り駅で買ってもよいのですが、バスの時間が迫っている時はゆっくり見ていることもままならず、JRの売店を利用することもしばしばです。

そんな中、本日立ち寄ったセブンイレブンでこんなスイーツが並んでいました。スイーツと言いますか、パンケーキです。ホイップクリームたっぷりで、見るからに美味しそうではないですか! お値段も手頃です。思わず買ってしまいました。

予想どおり、ハズレのない味でした。欲を言えば、これにバナナが挟まっていて、チョコレートソースがかかっていたら最高なのですけど、そうなると500円くらいになってしまいますかね?

さすがにこの二冊を並べている書店はないですよね?

毎日の通勤電車の中で読んでいる、岩波新書の『ヒンドゥー教10講』です。

あたしはインド哲学にも、ましてやヒンドゥー教にも詳しくはないですが興味はあります。なので、こういった新書ならば取っ付きやすいだろうと思って読み始めたのですが、なかなかに歯応えのある一冊です。少し前に読んだ同著者の前著『インド哲学10講』もほとんど頭の中から抜け落ちてしまっていて、最初から学び直すと言いますか、学び始めるような気持ちで読んでいます(汗)。

そんな『ヒンドゥー教10講』ですが、読んでいますとサンスクリット語がかなり頻繁に登場します。もちろんパーリ語など古代インドの言葉の宝庫です。本文中ではアルファベット表記なので取っ付きやすいですが、どんな感じの言葉なのか、そういったものが肌感覚で身についていないので、なかなか頭の中に知識として定着しません。情けない限りです。

しかし、ほとんど同じようなタイミングで『ニューエクスプレスプラス サンスクリット語』が刊行されました。こちらはCDも付いていますが、音声アプリにも対応していて、簡単気軽にサンスクリットの音を楽しむことができます。

とはいえ、この両書を一緒に並べている書店はほぼないでしょうね。かたや岩波新書、かたや語学書ですから、通常の書店の棚構成で決して出会うことのない二人、ではなくて二書です。もし出会うとしたら人文書のコーナー(宗教とかインド哲学とかの棚)ではないでしょうか?

ネットワークがわからない

自宅のネットワーク機器のつながりがどうもおかしくて途方に暮れておりました。

有線LANで繋いでいるのですが、ネットワークに繋がりません。同じスイッチングハブに繋がっている他の機器は接続できているので、ハブがおかしいとか、ルーターの故障とか、そういうことではなさそうです。

そう言えば、以前にネットでネットワークがうまく行かない場合の事例を検索していて、しばらくケーブルを抜いてみる、電源も落として電源ケーブルまで抜いてしばらく放置して、再びケーブルを挿すと直ることがある、と書いてあったのを思い出し、実際に電源ケーブルを抜いて小一時間ほど放っておきました。

そして再接続。

なんと、見事に復活です。

こういうところがネットワーク機器のよく理解できないところです。この電源ケーブルを抜いておくことにどういう意味があるのでしょう?

縦貫と横断

長野県の道路地図を見ていて、ふと違和感を感じました。

まだ全線開通していませんが、長野県の真ん中あたりに「中部横断自動車道」という高速道路があります。上信越道の佐久小諸から小海線沿いに北杜市まで南下し、中央自動車道を経由して身延山の麓を通って静岡県の清水で東名と交わる路線です。

地図や地理に詳しい人であれば、この高速道路が南北に長野県を貫いていることに気づくと思いますが、その南北に走る高速道路の名称が「横断」というのに、あたしは違和感を感じたのです。

地図において何も断わりがなければ北が上というのは常識です。そうすると「横断」というのは南北ではなく東西に延びるものを指して使う言葉ではないかと思うのです。

この名称と関係するのかわかりませんが、長野県にはもう一つ、「中部縦貫自動車道」という道路があります。これは長野県の松本から岐阜県を貫いて福井まで延びる道路なのですが、こちらは地図見ると南北というよりも東西に延びていると呼んだ方がふさわしい路線です。東西なのに「縦貫」という名称に、こちらも違和感を感じてしまうのです。

なんでこんなことになったのでしょう?

電子書籍、と言うよりも電子テキスト?

昨日このダイアリーに書いた電子書籍について、その続きです。

続きと言うよりも、全然別のことかも知れませんが、あたしの頭の中では一連のことなのでお付き合いください。

現在の電子書籍って、基本的には紙の本がそのままスマホやタブレット、パソコンのディスプレイなどでも読める、という形になっています。レイアウトも紙の本のまんまのようです。文字を拡大すると、画面上に収まりきらなくなるので、スクロールしないとならなくなります。

電子書籍って、購入したことがないので、上記のことはすべて聞きかじりなので、間違っていたらすみません。でも、たぶん合っているのではないかと思います。

こういった電子書籍は、場所を取らないから置き場所に苦労しない、何冊持っていてもスマホやタブレットの重さしかないから相対的に軽くて持ち運びやすい、といったメリットがあります。そういったことに文句を言うつもりはないのですが、当初、電子書籍が誕生するころって、電子書籍と言うよりは電書テキストみたいなものが配布されるものだと、あたしは思っていました。

「電子テキストが配布されても、それをどうするの?」と聞かれそうですが、当初あたしがイメージしていたのはこういうものです。

たとえば、あたしが好きな中国古典、例として『論語』を挙げてみますると、邦訳はたくさんの種類があります。訳者によって解釈も異なりますし、それに応じて訓読も異なる場合がままあります。あたしはそんな各種『論語』の現代日本語訳電子テキストを同じ章句ごとに並べた、自分だけの『論語』を作りたいなあ、と思っていたのです。そんなにたくさんは並べられませんので、代表的な四つくらいを並べ、それを四六判かA5判くらいの大きさでレイアウトしようと思っていたのです。

レイアウトした、自分だけの『論語』をどうするかと言えば、プリントして製本し、世界に一冊だけの『論語』日本語訳対照本を作りたいなあと考えていたのです。オンデマンド製本機もあったようですので、そういう自分だけの書籍の製本サービスを、書店店頭で受け付けてくれないかあ、などと思っていました。書店の多くは文具を扱っていますので、表紙カバーの用紙なども選べるようにして、お客さんが持ち込んで電子書籍(電子テキスト)の製本サービスをやったらよいのに、と思っていました。

丸善のように洋書を扱っている書店なら、洋書とその日本語訳の電子テキストを販売(配信)し、それを左右でも上下でも自分で好きなようにレイアウトし、自分なりの対訳本を作れるようになったら楽しいだろうなあと夢想していました。

大手チェーン、丸善ジュンク堂にしろ紀伊國屋書店にしろ、電子書籍を販売していますが、こうした電子テキストは販売していませんよね? もちろん出版社が提供してくれないとテキストとして販売することはできないのでしょうが……。でも、こういうサービスというか販売形態、これから伸びないものでしょうか?