古典だけでなく近代も!

岩波文庫の新刊『厳復 天演論』を手に入れました。「初の全訳」とありますが、「そうか、全訳は出ていなかったのか」と改めて思いました。そして「さすが岩波文庫、こういう渋いものもちゃんと出してくれるんだ」と感心したところです。

中国の近現代史を学べば、厳復の名は外せない一人でしょうし、その場合には『天演論』の翻訳とセットで覚えるはずです。あたしもそうでした。学生時代が懐かしく思い出されます。

そんな岩波文庫ですが、今回のように近代の著作の邦訳も数多く出しています。なんとなく古典ばかりという印象がありますが、そうでもないのです。確かに、数としては古典の方がはるかに多いですが、近代だって負けてはいません。

そんな岩波文庫の近代ものとしては、ほんの一部ですが、こういったものがあります。『孫文革命文集』や『梁啓超文集』などが刊行されたときには、やはり歓喜しました。このたび厳復が出たので、あとは何が刊行されれば嬉しいでしょうか。章炳麟、康有為、蔡元培なども出して欲しいところです。

ところで、原典の邦訳ではありませんが、文庫クセジュも以前は中国ものを数多く刊行していました。文庫クセジュはフランスの作品ですが、フランスの中国学は世界のトップクラスですから研究者も数多くいますし、当然のことながら著作もたくさん出ています。クセジュにもそういった作品があり、それらの翻訳がいくつか刊行されていたのです。

めぼしいものは古本で買っていましたが、そんな中の一冊がこちら、『毛沢東』です。この他にもいろいろありますが、最近のクセジュには中国ものはあまりないのでしょうか。寡聞にしてフランスの出版事情は詳しくないので、情けない限りです。

2025年3月18日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

鼻ではなく目が……

今朝の朝日新聞の文化欄で、先頃完結したコミックのことが載っていました。中世のヨーロッパを舞台にしたコミックですが、最近はこういう史実にかなり忠実なコミックも多いように感じます。

史実に忠実なだけでなく、よくもまあこんなニッチな時代や人物を選んだなあと思ってしまうような作品も多いようです。そして、今回紹介されているコミックの主人公はアンナ・コムネナです。

となると、記事中でも触れられていますが、あたしの勤務先から『歴史学の慰め アンナ・コムネナの生涯と作品』が重要な参考文献でしょう。たぶん、アンナ・コムネナを扱った本は日本ではこれしかないのではないでしょうか。

ですから、このコミックを読んでいる人であれば、本書のことも既に知っているのかも知れません。たださすがに、書店の店頭でコミック売り場に『歴史学の慰め』を並べているようなところはないでしょう。でもこの記事を見たら並べてみるのも面白いのではないでしょうか。

ところでいよいよ花粉症のシーズン到来です。あたしは花粉症ではあるのですが、比較的症状が軽い方で、専用の眼鏡を装着することもなければ、マスクをすることもなく外出しています。点鼻薬をシュッシュッとスプレーすれば鼻づまりも解消するので、あまりこの季節を苦にしていませんでした。

しかし、この土曜日から目がちょっと痒くて、ゴロゴロする感じがし始めました。掻いてしまうとよくないのですが、目の周りがちょっと赤くなり、なおかつカサカサになってしまいました。これはちょっとツラいなあと思い、近所のドラッグストアで買ってきたのが写真の塗り薬です。保湿になるので、カサカサはだいぶ収まりました。痒みはまだありますが、症状はだいぶよくなりました。

使い古された言い回しですが、本当に怖いのは怨霊よりも生きている人間でした

このところ、休みの日には録画しておいたホラー映画を見ています。最近見たのは韓国系のこの三本、「タロット 呪札の暗示」「タロット 愚者の運命」「怪談晩餐」です。いずれも三つ、四つくらいの短篇で構成されています。

前二者はタロット二部作で、主人公の元にどこからともなくタロットカードが届き、主人公は特に興味も関心も示しませんが、そのカードのメッセージに導かれるような運命をたどることになります。

タロットカードの摩訶不思議な力が作用しているのかも知れませんが、見ている限りは幽霊とかその怨念が出て来るというわけでもなく、人間の嫉妬心、妬みや嫉み、そういったものが引き起こした結果ではないかと思われます。特に「呪札の暗示」よりも「愚者の運命」の方がその傾向がより一層強くなっています。

そして「怪談晩餐」も怪談とは言いつつも、怖いのは人間です。怨霊的なものが出て来る作品もありましたが、やはり怖いのは生きている人間です。そして共通する怖さというのは、収入や学歴、職業などで形成される人のランクのようなものに支配されている韓国社会の歪みです。日本にもこういった格差はありますが、韓国映画を見ていると格差などという生易しいものではなく、階級社会と呼べるほどのものではないでしょうか。

そして感情が爆発したときの激しさも、日本人とはちょっと違うなあと感じます。そしてたまに邦画でもこういうものはありますが、韓国映画の場合、子供だからといって純粋で、被害を受けるだけの立場ではない、ということです。なめてかかると痛い目を見そうです。

春には春の酒がある?

この時季は気温が上がってちょっと暑いなあと感じたり、逆に曇りがちや北風が強くて真冬に逆戻りしたような日があったりして、体調管理に気を遣います。ただ、家での晩酌、日本酒は夏だろうと冬だろうと冷酒一本槍なので、迷うことはありません。そして、国分寺のクイーンズ伊勢丹でこんな日本酒を買ってきました。

まずは「大江山」、能登の酒です。地震の復興の意味を込めて、機会があると能登の酒を買うようにしていますが、これもその一本です。能登に大江山という山があるのか否か、あたしはよく知らないのですが、公式サイトを見ると京都由来のようですね。まあ、酒で大江山と聞けば酒呑童子を思い出す人も多いでしょう。

酒呑童子の大江山は丹波の方になりますが、公式サイトには「大江山の由来は、先祖が京都の大江山より「酒呑童子のごとく豪快に酒を酌み交わして欲しい」と願い名づけられました」と書いてあります。

続いては米どころであり、日本酒どころでもある新潟のお酒、「久保田」です。その「純米吟醸にごり」です。公式サイトには「春だけ楽しめるすっきりフルーティー」とあり、「2月限定出荷」とも書いてあります。

まだ飲んでいませんが、「さらっとなめらかな口当たり」というのがどんな感じなのか、とても楽しみです。

そして三本買ったうちの最後は、この時季らしいピンク色の日本酒です。群馬のお酒「水芭蕉」です。「水芭蕉」は以前にも飲んだことがありますが、この「春酒 純米吟醸生貯蔵酒」は初めてです。

季節限定のお酒は各季節ごとに出ているようですので、今後は他の季節の水芭蕉にも挑戦してみたいと思います。このお酒は「ほのかに感じる旨味を残しながら、キレのある仕上がり。 氷温生熟成を施し、飲み飽きしない純米吟醸を目指しました。 すっきりとしたキレの良さにより、お料理との相性も抜群です」ということで、久保田と同じように、やはりすっきり、さっぱりと飲める日本酒のようです。

あたしは、どぶろくやにごり酒も嫌いではないので、他の地域や他の銘柄の日本酒も試していきたいと思います。悪酔いしない程度に、そして酒に飲まれない程度に。

新書をよく読んでいます

かつては日曜の新聞紙面に掲載されていた書評欄、読書欄いつのころからか土曜日に掲載されるようになりましたね。朝日新聞の読書欄が土曜日掲載になったのは何年前でしたでしょうか。

それはさておき、先週に引き続き、今週の読書欄にもあたしの勤務先の刊行物が掲載されました。『日本の反戦非戦の系譜』です。いろいろと考えさせる本ですね。

アジア諸国や自国民にあのような悲劇をもたらした戦争を起こした日本こそは世界の反戦非戦をリードする国にならないといけないと思うのですが、むしろ平和憲法を改めて、もう一度武力を持つべきだという意見が、このところ強くなっているような気がします。憂うべき異だと思いますが、そういう国際情勢なのでしょうね。

ところで同じ今朝の朝日新聞に、こんな記事も出ていました。今年の岸田國士戯曲賞の受賞作が決まったという記事です。今年はお二人が受賞となったようです。

紙面にはルビは付いていませんし、演劇界の方であれば常識なのでしょうが念のため、「岸田國士」は「きしだくにお」と読みます。よく「きしだこくど」と間違えている方もいらっしゃいますので申し添えておきます。

再び読書欄に戻りますと、最初のページの「売れてる本」に掲載されている『新・古代史』はあちこちの本屋で積まれていて、売行きも好調なようです。あたしも日本の古代史、興味があるので読んでみようと思って買ってみました。

そして今日の読書欄には他にも中公新書の『ユダヤ人の歴史』と『近代日本の対中国感情』が載っているのですが、どちらも既に読み終わっております。非常に面白かったです。さすがは中公新書という一冊、否、二冊でした。

そして古代史に興味があるので、『新・古代史』と共に『ヤマト建国の真相』も買っておきました。あたしが生きているうちに、邪馬台国論争に決着は付くのでしょうか。

できることなら新書か選書で読みたいのです!

中公新書の『コミンテルン』を読了しました。中国近代史を学んでいたときには、コミンテルンとは絶大な力をもっている組織ように感じられましたが、本書を読むとそうでもない事がわかりましたし、ソ連共産党に翻弄され、右往左往していたようにさえ思えてきました。

それはおくとして、ソ連による共産革命によって、共産主義=マルクス主義のように見なされがちですが、たぶんレーニン、そしてスターリンによって作られたものはマルクス主義ではないのでしょう。たぶんマルクスが生きていたら、そう言うのではないかと思います。そうなると共産主義とは何なのか、マルクス主義とは何が異なるのか、ということが気になります。

共産主義の一つの方法としてマルクス主義があるのだとすれば、マルクス主義以外の共産主義にはどのようものがあり、それぞれの違いはどんなところにあるのか、それが非常に気になります。確か、マルクス以前に既に(概念としての?)社会主義や共産主義は存在していたはずですから。

また『コミンテルン』を読んでいると、社会主義も共産主義とはちょっと違うようですし、社会民主主義となると盛って異なるもののように描かれています。言葉が違う以上、その中味も違うのは理解できますが、ならばそれぞれはどう違うのか、そこが知りたくなってきます。

『コミンテルン』を読了して、一番に思ったことはそういうことでした。社会主義と共産主義、社会民主主義、そういったものの違いをコンパクトにまとめている書籍はないものでしょうか。つい先日、書店の人文担当の方とそんな話をしていました。たぶん専門書を渉猟すれば見つかるのでしょうが、そこまで詳し事を求めているわけではありません。新書か、せいぜい選書くらいの手軽さで読めるようなものはないものでしょうか。

ところで、国分寺のクイーンズ伊勢丹で、話題のイチゴ、あまりんが売られていました。噂に違わず美味しいイチゴでした。

エジプトは人気?

最近、テレビでエジプトのピラミッドに関するニュースを見ました。ツタンカーメンの墓にまだ知られていない部屋(空間)があるのではないか、というのです。このニュースがエジプトはともかく、世界各国でどれくらい報道されているのかわかりませんが、日本では古代エジプトの人気は高いので、このように報道されたのではないでしょうか。

そういうわけで、ということではありませんが、今月のちくま新書はこの二点を購入しました。『フッサール入門』と『ファラオ』です。フッサールは、もちろん名前は知っていますが、著作(の邦訳)を読んだことはありませんので、ひとまず入門的な知識を得ようと思って手に取った次第です。

そう言えば数ヶ月前に講談社現代新書でも『はじめてのフッサール「イデーン」』が刊行されていましたけど、なにかアニバーサリーでもありましたっけ。それとも、たまたまの偶然なのでしょうか。

そしてもう一点の『ファラオ』と聞けば、あたしの勤務先でもつい先日『プトレマイオス一世』を刊行したばかりです。東京ではちょうど「ラムセス大王展」が開幕したところですし、年明けから「特別展 古代エジプト」も開催されていますので、ちょっとした《古代エジプト》ブームが巡ってきているのかも知れません。

考えてみますと、書籍の刊行でも古代エジプトはそれなりのボリュームがありますし、日本人にとって人気の時代、地域であることは間違いないでしょう。海外旅行の旅先としてもエジプトとピラミッドは人気上位に入っているはずです。もともと日本人には馴染みがあるのでしょう。

やっぱり桃が好き!

桃はこの季節の果物ではないと思いますが、コンビニなどへ行くと桃のフレーバーの商品は季節を問わず、一年中置いてあるような気がします。

桃の話題はともかく、三省堂書店の成城店で国書刊行会のフェアが開催されていました。題して「若手編集&営業が推す おすすめ選書フェア」です。同社の若手編集部員、営業部員が選んだ書籍のフェアということです。

フェア台にはこの画像のようなチラシが置かれていました。A4サイズの裏表にビッシリと、どうしてこの書籍を推しているのか、熱い思いがほとばしっています。こんな熱い編集と営業の両輪で国書刊行会は運営されているのですね。見倣いたいものです。

否、見倣いたいではなく、見倣わなくてはなりませんね。振り返ってみれば、若いころは、あたしももう少し熱い情熱を持って営業をしていたのかも知れません。そんな灯が消えてしまったのはいつのころでしたでしょうか。

そして話題には桃に戻ります。

あたしのカバンの中に入っているものです。のど飴もモモ味、MINTIAもモモ味、XYLITOLガムもモモ味という、これでもかというくらいの桃尽くしです。特にMINTIAはカバンの中に入れていると桃の香りが漂うので、それだけでテンションが上がってきます。

ちなみに、香りと言えばあたしのカバンは霊によって匂い袋が入っているのですが、この桃尽くしのポケットには匂い袋は入れておりません。香り同士がぶつかり合うようなことはございませんので、ご安心ください。