NHKの人気番組「ラジオ深夜便」で『上海フリータクシー』が紹介されることになりました。
放送は7月19日です。すぐにご注文いただければ、放送前の店着も可能だと思いますので、よろしくお願いします。
最近流行りのスマートウォッチ。以前は、スマホを鞄から出さなくてもメールのチェックができるとか、半分おもちゃみたいな印象を持っていましたが、最近は歩数計や心拍、血圧、カロリー消費など、かなりいろいろなことができるようになってきているようです。
食指が動くかと問われると、微妙です。寄る年波ですから、健康維持のために日頃から血圧などを測っていた方がよいでしょうし、足腰のためには歩数計なども便利だと思います。若いころとは違うという自覚はあるので、こういったものの助けを借りることに躊躇いはありません。
あたしにとって問題なのは、こういったスマートウォッチが腕時計型だという点です。
ご存じの方もいらっしゃると思いますが、あたしは腕時計をしていません。別に金属アレルギーというわけではありません。だったら金属でないバンドの腕時計をすればよいだけのこと。単純に、手首に付けるのが馴染めなくて、それにこの季節ですと汗をかいたりするので、ますます手首周りはすっきりさせておきたいと思うのです。
そんなあたしは、高校の頃には腕時計をしなくなりました。もちろん最初はしていました。でも上記のような理由で、じきに腰のベルトにぶら下げるようになりました。大学生時代、そして社会人になってからは懐中時計を使うようになり、腕時計とは縁のない生活が既に数十年です。
さすがに懐中時計のスマートウォッチは見たことがありません。スマートウォッチとしては懐中時計型を作れなくもないのでしょうが、たぶん最近の心拍計、血圧計といった機能はそれでは実装できないでしょう。正確さはともかく、手首にしているからこそ心拍や血圧などを測定できるのだと思いますから、ポケットに入れっぱなしの懐中時計型では測定のしようがないでしょう。
ちなみに、いまのあたしは懐中時計すら持ち歩いていません。まあ、誰もがスマホを持つ時代、腕時計にしろ懐中時計にしろ、時計を持ち歩かない人って多いみたいですね。時間だけならスマホで済んでしまいますから。
ただ、あたしの場合は、そうではなく、トラベル用の小型、薄型の置き時計をポケット入れて持ち歩いています。どうしてかと言いますと、ずーっと懐中時計を使い続けてきたのですが、懐中時計って電波時計がないんです。いいや、探したらあることはあったのですが、選択肢がほぼ一種類、あまりあたしの好みではなかったので、諦めました。
しかし、外出時に時計は必要です。だから、薄くて小さなトラベル用時計を買ったのです。これですと電波時計もありますし、気温や湿度が測れるものもあります。あたしは便利に使っているのですが、家族をはじめ周囲の人間は、一様に驚くようです。だったらスマホを見ればいいじゃない、というのがよく言われるセリフですが、スマホはスマホであって、時計は時計なのです。
たぶん、あたしが持っているのは、枕元に置くようなタイプのものですから、ウォッチではなくクロックなのでしょうね。
国家安全法施行以来の香港に関するニュースを見ていると、いや、それ以前からですが、一国二制度が踏みにじられて、どんどん北京の、中国共産党の色に染められていくのがわかります。
地元の声を無視して、中央が強権的に権力を振るう、時には暴力も辞さず強制的に民衆を排除してしまう。
と、ここまで書いて、沖縄の状況とよく似ているなあと思いました。
沖縄も、何度選挙によって民意が示されても中央は、自民党は歯牙にもかけず、沖縄の人たちを排除して強制的に基地問題を先へ先へと進めていきます。長くて先の見えない闘い、香港も沖縄も同じです。
さらに考えてみますと、成田空港の問題もなんとなく印象としては似ている気がします。これもやはり地元の人、そこに暮らす人の声を無視して中央が、自民党政権が強引に事業を進めた事案だったはずです。「多くの国民が成田空港を使って海外へ出かけている、結果的に国民のためになっている」と開き直るのでしょうが、正直なところ、海外へ行く前にあんな遠くまで行きたくはありません。だから、なし崩し的に羽田の国際化が進められ、ちょっと高いけど羽田利用のツアーを使う人が増えているのだと思います。
閑話休題、香港と沖縄。
体制が共産主義であるか否かは、こうなってくると関係ないようです。中国は一党独裁体制だから云々という議論も、沖縄の現状を前にするとどれだけ真実なのか疑問に感じます。だって、日本だって自民党の一党独裁だし、むしろそれを民主的な選挙で選んでしまっているところに、日本の宿痾があるような……
って、あんまりこういうことばかり書いていると、中国へ旅行へ行ったときに上海や北京の空港で逮捕される可能性があるんですよね、国家安全法の規定によると。
いよいよ配本になったミルハウザーの新刊『ホーム・ラン
』ですが、原書のタイトルは『Voices in the Night
』で、ミルハウザーの16の短篇が収められた作品です。
原書まで追いかけている熱心なファンであれば、原書と比べて「おやっ」と思われた方もいらっしゃるのではないでしょうか? なぜなら今回の『ホーム・ラン』には8作品しか収められていないからです。そのあたりの事情は公式サイトにも
スティーヴン・ミルハウザーの最新短篇集Voices in the Nightは、2冊に分けて刊行する。まず1冊目が、それぞれ多彩な奇想に満ちた8つの宇宙が詰まった本書『ホーム・ラン』だ。(2冊目は『夜の声』[仮題]として2021年刊行予定。)
と説明されています。「訳者あとがき」でもう少し言葉を補いますと、
(前略)本来ならその十六本を翻訳書でもそのまま一冊の本に収めればよいはずなのだが、そこで生じるのが、厚さの問題である。一般に、アメリカで出版される小説は日本より厚めである。人気作家であれば毎年二、三冊本を出すことも多い日本とは違って、アメリカでは作家が数年かけて一冊の長篇を出すだけのことも珍しくない(生活の手段は、大学で教えるなど、別のやり方で確保する)。勢い、一冊一冊は厚くなる。これは短篇集でも同じで、日本だったら二冊、三冊分あるんじゃないかと思える分量が、一冊のなかに収められていることも多い。そしてこの Voices in the Night もまさにそうで、このまま翻訳書を出すとおそらく五百ページを超える分量になる。それは日本の出版事情を考えるとさすがに少し長いのではないかと…(後略)
ということで、ミルハウザー氏に断わって二分冊にして刊行することになったのです。残りの8作品刊行まで、楽しみが増えたと思って、いましばらくお待ちくださいませ。
九州における豪雨のニュースに釘付けになっていたら、こんどは岐阜、長野が……
大きなニュースにはなっていないようですが、四国や紀伊半島、関東近郊では箱根なども相当な雨になっているようです。やはり地球温暖化の影響なのでしょうか?
それはともかく、今回のニュースで何度も取り上げられた筑後川。もちろん名前は知っていましたし、有明海へ注ぐということも知っていました。しかし、上流が大分県の日田地方にあるとは、今回のニュースで初めて知りました。ニュースで、大分県と筑後川が結びつかず、地図を見て初めて納得した次第です。
その筑後川、確か何年も前に出張で久留米へ行ったときに、久留米の紀伊国屋書店の前を悠々と流れているのが筑後川だと知り、初めてその姿を目にしたものでした。あの筑後川が上流では暴れまくっているとは……
で、筑後川なんですが、あたしには多少の思い入れがあります。
別にかつて流域に住んだことがあるわけではありませんし、知り合いが住んでいる(住んでいた)ということもありません。そういった意味では縁もゆかりもない川なんですが、皆さんは「筑後川」という合唱曲をご存じでしょうか?
あたしも音楽の詳しいことは知りませんが、たぶん「筑後川」はいくつかの楽章に分かれているのだと思いますが、その中の「河口」という曲(楽章?)を中学時代の合唱祭で、クラスで歌ったことがあるのです。あれ、中学時代だったかしら? 高校の時だったかしら? ちょっと記憶があやふやです。
ただ、「河口」をクラスで歌ったことがあるのは本当で、それ以来、ニュースなどで筑後川と聞くと、自然とこの歌が頭の中に流れてくるのです。もちろん合唱曲なので、主旋律ではなく、あたしが歌っていたバスやテナーのメロディーで、ですが(汗)。久留米で見たように、確かに悠々とした、スケールの大きな曲だったなあという思い出があります。
まあ、久留米の紀伊国屋書店は決して河口付近にあるわけではありませんが、長い長い筑後川全体からすれば、河口にほど近いところにあったと言えるのではないでしょうか?
今日は在宅ワークではなく休暇を取りました。そして、母を連れて東京国立博物館へ。お目当ては右の写真、「きもの」展を見るためです。
あいにくの空模様でしたが、なんとか傘を使わずには済みました。しかし、時折パラパラと降ってくる空模様、湿度はほぼ100パーセントだったのではないでしょうか? 直射日光が照りつけるのもいやですが、ムシムシと湿気が多いのもいやですね。
コロナウイルスのため会期が大幅に変わり、なおかつ展示品の中には日本へ持ってくることが出来なかったものも何点かあったようでした、それでも古くから現代までの着物を一気に観られるとあって、とてもよい目の保養になりました。密を避けるために入場の人数制限をしているので、最初の数点こそやや混み合っていたものの、その後は広々とした会場でほとんど他の来場者に邪魔されず、じっくりゆっくり見て回ることができました。
やはり、それなりの入場料を取るわけですから、本来、美術館や博物館にはこのくらいの参観環境を日頃から整備して欲しいところです。とはいえ、本館の常設展なんて、いつ行ってもガラガラだったりするわけですが……
朝イチで見に行って、少し早めの昼食は、上野駅前にあるねぎしの牛タンでした。とても美味しかったです。満足、満足!
さて、今回の展覧会、実はいくつか不満というか、改善して欲しいところがありました。まずは入場時です。日時予約をしなければいけないのはわかりますし、そのチケットの確認も大事です。しかし、正門のところでは持っているのかを確認するだけで、バーコードを機械で読み取るようなことはしません(これは会場である平成館の受付で行なわれました)。いったい何のために正門であれだけの人数をかけてチェックしているのでしょう?
なおかつ、日時予約券のチェックだけなのかと思いきや、チケットも見せてくださいとその場に来てから言われました。繰り返しになりますが、あれだけ無駄に人員がいるのですから、並んでいるときにどのチケットを用意しておくべきかきちんと伝えて欲しいと思います。たぶん、民間であれば、その半分の人数で捌けるでしょうね。
そして、今回の一番の後悔、あたしの痛恨のミスかも知れませんが、一番不満が残ったのはミュージアムショップでした。いつものように、展覧会に関するグッズなどは会場内、平成館の二階にありまして、図録や一筆箋など買って帰りたくなるものがたくさん並んでいました。
しかし、今回あたしは、前に見に来た展覧会の図録を買っていなかったので、それも欲しかったのです。なので、「きもの」展の図録も一緒に買えばいいやと思って、会場を出て本館のミュージアムショップへ向かいました、こちらでは過去の特別展の図録なども売っていますから。
そして、目的の展覧会図録は見つかったのですが、こんどは「きもの」展の図録やグッズなどは全く置いてありません。ちょっと待ってよ! これではなんのために平成館で買わずに出て来たかわかりません。そんなことを言えば、見つけたところで買っておけ、と言われるのでしょうが、確かここのショップは1万円以上でないとクレジットカードが使えないはずでした。ちょっと財布に持ち合わせが少なかったので、カードを使おうと思っていたので、そして合計金額が図録を複数買って、一筆箋とかいろいろ買えば、ちょうど1万円くらいだなと算盤を弾いていたのですが、それがすべてパーです。
結局、買いたかった過去の図録も買わず、きもの展の図録も買わず、もちろん一筆箋などのグッズも買えず、ただ展覧会を見て帰ってきただけになってしまいました。確かに密を作らないようにという配慮があるのかも知れませんが、本館のショップにも平成館で売っているものを(すべてとは言わないけれど、主立ったものは)並べて欲しいところです。せめて図録くらいは置いてくれないと話になりません。
今後、きもの展の会期中に常設展を見に行って、「そうだ、この前買わなかった図録を買いに行こう」と本館のショップへ行っても図録が買えないなんて、ちょっとおかしくはないでしょうか、と思うのです。
NHKの番組「世界の哲学者に人生相談」で次回取り上げられるのは、アダム・スミスだそうです。
アダム・スミスと言えば『国富論』でしょうか? あるいは『道徳感情論』でしょうか? いずれにせよ、テレビ番組を見たからといって、いきなり原典に挑むのはちょっとハードルが高いものです。となると、手頃な参考文献はないだろうかということになります。
そこでお勧めなのが『アダム・スミスとその時代』です。スミス研究の世界的権威による著作の邦訳で、刊行当時には読売・朝日・毎日・日経という4大紙に書評が載るという快挙を成し遂げた一冊です。単行本だとちょっと重いんだけど、という方もいらっしゃるかと思いますが、こういう番組を見ている方であれば、このくらいの書籍は苦にならないはず。まだ未見の方、この機会に是非どうぞ!