みくりでも、平匡でもなく、ゆりちゃんなのよ

TBS系「逃げるは恥だが役に立つ」の再放送、最終回、堪能いたしました!

いやー、ガッキーが可愛いです。たまりません。

当時の放送も見ていたし、Blu-rayも買ったあたしですが、見ていて思うのは、みくりや平匡よりも石田ゆり子演じるゆりちゃんに感情移入してしまうと言いますか、立場を置き換えてしまうことが多々ありました。

もうじき50の独身女性、あたしはとっくに50を過ぎていますが、やはり独身です。一生独身でいるのかなという漠たる不安というか予想は平匡にもゆりちゃんにも(そしてあたしにも)共通していますが、その切実度は全然違います。

いや、当人たちがどれほど切実に思っていたのかはわかりません。縁があれば結婚したいという気持ちは二人とも持っていたと思いますが、現実問題として、あたしの場合、既に諦めの境地です。

平匡にしろ、ゆりちゃんにしろ二人とも優雅な独身生活を謳歌していました。いや、平匡は最後にリストラされてしまったわけですが、SEとしてのキャリアとスキルで転職も何とかうまくいい気そうですし、ゆりちゃんは部長にまで昇りつめ、生活するぶんには困らない収入が保証されているでしょう。

それに引き換えあたしときたら……

この歳になって恋だの愛だの、そんなものが可能だとは思えませんし、そういう気持ちが持てたとしてどうしたらよいのでしょう? 単に老後の不安を解消するため、孤独死だけはしたくないということなら、これもあたしはとっくに覚悟を決めています。茶飲み友達も別に欲しいとも思いません。

あたしの場合、とりあえず母と二人暮らしなので、現在はそう思っていられるのでしょうが、母が近い将来に他界したら、あたしの気持ちも変わるのでしょうか?

またしても思い出してしまいました!

またしても昨日の朝日新聞の夕刊から。

「赤い肌」とはまた露骨なチーム名でしたね。

しかし、ネイティブアメリカン、あたしが子供のころはインディアンと呼んでいましたが、彼らはあたしたち日本人と同じモンゴロイドではなかったでしたっけ? だとすると、アジア人は「イエロー・モンキー」などと呼ばれる反面、インディアンは「レッド・スキン」と呼ばれていたのですね。ちょっと興味深いです。

それはさておき、この記事をまたしても読んで思い出してしまいました。何を思い出したのかは、既にダイアリーに書いたことがありますので、こちらをお読みください。

まあ、「赤い肌」と「赤い人」ではだいぶ異なりますが……

マンガ? 漫画? コミック?

昨日の朝日新聞夕刊です。ちくま文庫が取り上げられていました。

ちくま文庫というと、ちくま学芸文庫もそうですが、非常に硬派な文庫レーベルというイメージがあります。それは恐らく筑摩書房という出版社のイメージから来るのだと思いますが、そのイメージが裏切られることはありません。

が、今回の紙面に登場したのはマンガです。コミックと呼ぶべきなのでしょうか?

いや、そもそも筑摩書房ってコミック出していましたっけ? という疑問がまず先に浮かびます。しかし、そこは筑摩書房、ちくま文庫です。単なるコミックではなく、クールジャパンのキラーコンテンツとしてのマンガを文化誌の一分野として位置づけた作品になっているわけです。だからこそ、朝日新聞が取り上げているわけですね。

それにしても、マンガが市民権を得たからなのか、他社の文庫でもコミック版的なものを時々見かけます。「マンガ文庫」を名乗っているレーベルもあったはずです。学習マンガなんて、形容矛盾を起こしているのではないかという気さえします(爆)。本当にあたしが子供のころとは隔世の感です。

本来、マンガって、買ったり読んだりするのを親から禁止されるようなものでしたよね。それでもコソコソと読む(別にエッチなものでなくとも)のが子供時代の醍醐味でした。いつの間にか、そんな子どもたちが成長し、大人になってもマンガから卒業できなくて、大人になってもマンガを読み続けるようになったから、大人向けのマンガも流行しているのでしょうね。一方で、そういう大人が大人向けにマンガを出せる社会的立場になった面もありますが。