アンダーと四期生

昨日のダイアリーの続きです。

昨日は、主に選抜メンバーについて、ああだこうだと書きましたが、本日はアンダーメンバーについてです。

乃木坂46の、シングル表題曲の歌唱メンバー(つまり選抜メンバー)に選ばれなかったメンバーは「アンダー」と呼ばれます。この呼び方がよいのか悪いのか、何とも言えませんが、この選抜とアンダーという制度に、過去、多くのメンバーが悩み苦しみ、葛藤してきたものです。

ただし、途中から「アンダーライブ」というものが出来、テレビに出ない(出られない)代わりに、ファンの前でライブを行ない、実力を付けてきたのがアンダーメンバーでもあり、その存在価値はファンの間でもしっかり評価されています。

四期生も、新四期生が加わって大所帯になり、選抜に選ばれたメンバー以外は本来ならアンダーメンバーとして先輩たちに合流し、アンダーライブでパフォーマンスの実力を養わなければいけないと思います。ところが、四期生は今回もアンダーには合流しないようなのです。

運営が何を考えているのかわかりませんが、一つには新四期を含めた四期生までが加わってしまうとアンダーの人数が非常に多くなってしまい、コロナ禍の昨今、この人数で動くのは非常にリスクが高いと判断したのではないかと思います。これは致し方ないことです。

しかし、選抜に入ったメンバー以外の四期生は、このままではいつまで経っても先輩との接点が作りづらく、同じ乃木坂46のメンバーという一体感にも支障が出るのではないでしょうか? あたしはこの際、四期生もアンダーに入れ、アンダーを2チームにすべきではないかと考えます。そしてAチームは東日本を、Bチームは西日本を回るライブツアーを企画してはどうかと思います。

アンダーライブですから大きな会場は必要ありませんし、コロナがあるのでもちろん入場制限は設けないとならないでしょうが、パフォーマンス中心のアンダーライブであれば、それほどの赤字になるとは思えません。なにより、ライブというかけがえのない経験は四期生にとって大きな財産になると思うのですが……

世代交代

なんとなく、乃木坂46の27thシングルの選抜メンバーについて考えてみました。

センターの遠藤さくら、特に違和感はありません。予想していたかと問われれば、予想外と答えますが、今のところ、冠番組などを見ていてもセンターに置かないと輝かないタイプではないかという気もします。

それよりも、個人的には、新内・高山・松村・真夏の長老枠を若手に譲ってやるべきだと思っていました。別にこの四名をアンダーに落とせというのではありません。名誉会員的に扱ってもよいのかな、という気がしています。ただ、松村がこの曲で卒業なので、松村だけは仕方ないか、とも思いますが、そこから派生すると、高山・新内も近いうちに今回で卒業を発表するのではないかという気もします。

空いた四名分を、このコロナの渦中で埋めるべきか、選抜も少人数にすべきかは悩ましいところですが、あえて入れ替えるとすれば、二期生の絢音、蘭世は選抜に入れてあげたいところです。年齢的にも、緩やかな世代交代を考えるのであれば、新内や高山に人数を割くよりも、このあたりのメンバーを入れるべきだと思います。

ひなちまが選ばれたのは、たぶん彼女もこの曲で卒業を考えているのではないかと推察。思い出選抜ですかね。桃子が三列目に下がってしまいましたが、二列目に一期生を置きすぎた結果、桃子が割りを食ったかたちだと思います。

個人的には、現在のメンバーの中で一番センターに置いた時に華を感じられるのは桃子だと思うので、近いうちにセンターをやって欲しいなあと思っているというか、願っています。

今日の配本(21/04/20)

わが家をめざして
文学者、伝書鳩と暮らす

ジョン・デイ 著/宇丹貴代実 訳

本書は、ときに子育てに似たレース鳩の訓練という側面と、著者の家庭作りという側面を絡めつつ、ホメロス、ゼーバルトをはじめとする文学作品や、ハイデッガー、ロラン・バルト、シモーヌ・ヴェイユといった哲学者の著作、フロイトやダーウィンを読む。ブッカー賞元選考委員が、ブレグジットに揺れるロンドンで家、家庭、故郷、祖国に関して考察した記録である。

日本語とにらめっこ
見えないぼくの学習奮闘記

モハメド・オマル・アブディン、河路由佳 著

本書では、文字を失った彼が点字と出合い、日本語を習得していく過程と、のちにパソコンを通して自由に読み書きができるまでの苦闘の日々を振り返る。聞き手となるのは日本語教育を専門とする河路由佳氏。関係者のインタビューも併せ、全盲のエッセイスト誕生の背景に迫る。

一日遅れましたが……

先週の金曜日、16日は母の誕生日でした。

なんと78になりました! 立派な後期高齢者です。コロナにかかったらすぐに重症化してしまうでしょう。

そんな金曜日は仕事でしたので、帰りがけに買い物もできず、休みの土曜日にささやかながら誕生日ケーキ代わりにこんなものを買ってきました。

新宿高野のフルーツケーキです。わが家の近所ですと、JR国分寺駅の駅ビル、丸井の中にありまして、そこで購入した次第。

買ったのは、いわゆるイチゴのショートケーキ、それとメロンのシュークリームです。母がメロンの方、あたしがイチゴの方をいただきました。

ショートケーキは予想どおりの味でしたが、シュークリームの方はシューがちょっと堅めの生地でした。あたしは詳しくありませんが、フツーのシュー生地ではなく、メロンパンのようなシュー生地だったみたいです。

こんどはあたしも買って、美味しくいただいてみたいと思います。

トリプルモニターになりました

わが家のPCとその周辺です。

広々とした家でもなければ部屋でもないので、ゴチャゴチャと手狭で、たいへんお見苦しい点ばかりですが、写真のような状態になっています。

真ん中に置いてあるモニターが本体一体型のデスクトップPCでHP製です。昨年、コロナ禍が広がり始めたころ、それまで使っていた東芝の、やはり一体型のPCがとうとう逝ってしまい、リモートワークもままならなくなったので、ちょうど政府から支給された10万円で買ったものです。

そして左側の赤いフレームがサブモニターですが、これは実はただのテレビです。そのHDMI入力端子に、HPのデスクトップPCからケーブルを伸ばしてサブモニターとしています。もちろんテレビを見ながらPCで作業をしていることもありますが……

そして、右側にある、やや小さめ、縦長のものが、今回追加した3台目のモニターです。これはテレビでもタブレットでもなく、ごくごくフツーのモバイルモニターです。

さて、Windows10は標準でモニター2台の構成は簡単に設定できますが、3台となるとちょっと面倒です。ネットにはいくつも事例報告がアップされているので、それを参考にしました。その結果、USB端子からHDMI出力をする機器があれば簡単に3台目を繋ぐことができるとわかりました。

ところであたしは、USB端子不足の解消に、二つめの写真の製品、StarTechのドッキングステーションを使っていまして、このドッキングステーションにはHDMI出力の端子が備わっているのです。ここからHDMIケーブルを3台目のモニターに繋げばよいわけで、喜び勇んでやってみましたが、モニター画面には「信号なし」の表示が……

どうして信号を検知しないのかはわかりませんが、これではトリプルモニターは構築できません。そんなとき、あたしは以前購入した、単純なUSB-HDMI変換アダプターを持っていることを思い出しました。そこでドッキングステーションのUSBポートにアダプターを繋ぎ、そこから3台目のモニターへHDMIケーブルを繋いだところ見事に表示されました。

あとはWindows10のディスプレイ設定で細かな調整をするだけです。現在はご覧のようにちゃんと動いています。

これまでは真ん中のモニターでワードやエクセルの書類を閲覧しながら、左側のモニターでZOOMの画面を映していました。しかし、何度かZOOM会議をやっていて、デスクトップ上のアイコンなどが操作しにくい、いちいちエクセルなどのファイルを最小化したり位置をずらしたりする手間がありましたが、そういったアイコンを3台目のモニターへ移動させたので、とても快適になりました。

しかしドッキングステーションのHDMI端子が使えない理由は謎のままです。いずれ解決したいところです。

確かに戦いは続いていた

後期日中戦争 太平洋戦争下の中国戦線』読了。

刊行前にネット情報などで「後期日中戦争」というタイトルだけを見た時は、日中戦争に前期も後期もあったっけ、と感じたのが正直なところです。いわゆる満洲事変や盧溝橋事件を経て泥沼の日中戦争にはまり込んだということまでは多くの日本人も知っている歴史でしょう。

ただ、著者も書いているように、太平洋戦争が始まるとフォーカスはそちらへ移ってしまい、太平洋や東南アジアでの戦いが語られることばかりで、その間、中国ではどんな戦いになっていたのか、きちんと説明できる人は少ないでしょう。かくいうあたしも、その後も日中戦争は続いていて、武器弾薬や糧食の補給もままならず、中国軍の術中にハマって奥地へ奥地へと引きずり込まれていた、という漠然としたことしか知りませんでした。

まあ、その知識に誤りはないのですが、こうして改めて戦いの模様をたどってもらうと、やはり日本軍のバカさ加減が痛感されます。兵たちには申し訳ないけれど、どうしてこんな事に命を捧げたのか、無駄に命を捨てることになったのか、そんな気持ちにさせられますし、そのとばっちりを受けた中国の民衆は本当に気の毒です。やはり戦争は悲劇でしかありませんね。

2021年4月16日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

立ちくらみ

書店で棚の欠本チェックをしました。

立ったりしゃがんだり、いくつもの棚の前を移動して、自社の書籍の在庫を確認していきました。

これが仕事ですから面倒だとは思いませんし、嫌いな作業ではありません。

体力的にキツいということもないのですが、一つだけ嫌なところがありまして、それは立ちくらみを起こすということです。

立ったまま欠本チェックが出来ればよいのですが、やはり書棚は上から下まであり、お店によっては棚下にストック置き場もあり、ここをチェックするにはしゃがまないとなりません。

しゃがむのはよいのですが、立ちあがる時に立ちくらみが起きます。

このところ、書店営業もコロナ禍で控えめだったので、欠本チェックも久しぶりの作業でしたが、それが祟ったのか、今回はかなりひどい立ちくらみに襲われました。倒れてしまうのではないかと思うくらいキツい立ちくらみでした。

若ければ、そんなことはないのでしょうか? それとも立ちあがる時に気をつければ立ちくらみは防げるのでしょうか?

とにかく今回はちょっとキツい欠本チェックになりました。

今日の配本(21/04/14)

アクション! フランス語A1

根木昭英、野澤督、ヴェスィエール・ジョルジュ 著

ヨーロッパスタンダードでフランス語を学ぼう!自分や身の回りのことを簡単な表現でやり取りする力を身につけましょう。

異文化間教育

マルティーヌ・アブダラ=プレッツェイユ 著/西山教行 訳

本書は、複数のエスニック・グループが共存する多言語・多文化の文脈のなかで、教育がどのような役割を果たすのかを規定し、分析し、再定義を試みる。異文化間研究は何を課題として議論を進めてきたのか。第一部では、研究の出発点となる文化の定義からはじまり、その方法論を哲学、社会学、文化人類学、社会心理学の観点から検討する。第二部では、フランスの学校教育ならびに国外へ向けた教育活動を扱う。移民の子どもを受け入れてきたフランスの学校では、多様性にどう対応してきたのか。著者は大学での教育研究活動のほか、ユネスコや経済協力開発機構、欧州評議会の専門委員を務める。外国語としてのフランス語教育、異文化間教育、移民教育に貢献し、フランス政府から教育功労賞シュヴァリエ、オフィシエ、レジオン・ドヌール勲章シュヴァリエを受章する。

最近また頭痛に悩まされるようになりました

このダイアリーでも書いていたと思いますが、あたしは頭痛持ちです。一時期は毎日のように頭痛に悩まされていたのですが、ここ数年は比較的安定していて、頭痛も頻繁には起こらなくなっていました。

とはいえ、体調が悪くなると、あたしの場合、まず頭痛として症状に現われるので頭痛薬は必需品で、わが家にはご覧のように「ノーシン」が置いてあります。ノーシンにもいくつか種類があると思いますが、たぶんこれはごくごく一般的なタイプだと思います。ごくごく軽めの症状の時は、これを服用しています。

しかし、根が頭痛持ちなので、頭痛薬が一種類だけというのは安心できません。ですから、わが家の薬箱には「ノーシン」の他に「バファリン」と「ロキソニン」が常に置いてあります。

「バファリン」は、たぶん効き目の一番強いやつではないでしょうか、「バファリン プレミアム」で、「ロキソニン」も「ロキソニンSプレミアム」です。頭痛があまりにもひどい時はこのどちらかを服用しています。

で、最近なのですが、仕事が終わって自宅へ帰り、風呂にも入って食事も済ませ、でもなんとなく体に疲労がたまっているなあ、という感じで布団に入ります。そして夜中に目を覚ました時に、頭がガンガン痛んでいることがしばしばあるのです。ふつうは、頭が痛いから早く寝たら頭痛も治まってすっきりした、となるものだと思うのですが、最近のあたしの場合、寝る前よりも寝てからの方が頭痛がひどくなることが多々あります。

十数年前でしょうか、やはりしょっちゅう頭痛に悩まされていたころ、近所の頭痛専門のクリニックで処方してもらった「マクサルト」という薬が非常によく効きました。ただし、これは医師の処方がないと手に入れることが出来ないようなので、「バファリン」でも「ロキソニン」でもダメな時、最後の最後の手段として取っておこうと思っています。