また一つ……

横浜の駅ビル、ルミネに入っている有隣堂が来月上旬に閉店になります。

あたしが担当になって、もう5年くらいになると思いますが、以前はもっと大きなお店だったと聞いています。それが改装で少し小さくなり、とうとう閉店です。

とはいえ、右の写真を見ていただければわかるように、閉店とは言っても一時的なものです。来月初めにいったん閉店し、秋にはルミネの地下二階に改めて出店するそうです。完全な閉店でないことにまずはひと安心です。

ただ有隣堂のウェブサイトを見ますと、現在の218.55坪ある店舗が、移転後は約87.96坪の大きさに縮んでしまうそうです。うーん、これではどれだけの本が置ける、否、置けなくなってしまうのでしょうか?

そんな同店では、現在、あたしの勤務先のフェアが開催中です。「愛書家の楽園」と題した、本に関する本のフェアです。本好きの方であればちょっと気になってしまうタイトルが並んでいますので、是非お立ち寄りくださいませ。

さて、横浜まで足を延ばしたので、たまには何かお土産でも買って帰るかと思いまして立ち寄ったのが高島屋の中にあった豊島屋です。ご存じ、鳩サブレーでお馴染み、鎌倉の有名店です。

実は鎌倉にも営業で時々行くのですが、混んでいるし、その後も営業が続くので、まさか鳩サブレーを持ったまま回るわけにもいかず(邪魔になるから?)、なかなか鎌倉で買う機会はなかったのです。ただし、母に言わせれば、鎌倉に行ったなら鳩サブレーくらい買ってこい、となるわけで、仕方なく横浜で買い求めたという次第です。

もちろん豊島屋は都内にも出店していますので、横浜でなければ買えないということはありませんが、やはり本場に近いところの方がお土産っぽくなるではないですか。

で、買ったのは「八仙花」という菓子です。サイトの説明では「白羊羹の上に、葉をイメージした緑の錦玉を流し、透明な錦玉とこなしで紫陽花を表現しました」とあります。季節のお菓子です。ビニールパッケージを開けていないので、食べるときにまた写真を撮りたいと思います。

もちろん、鳩サブレーも買いました。たまに食べたくなりますよね。

今日の配本(22/06/16)

中級ドイツ語会話ハンドブック[新版]

谷澤優子、ガブリエラ・シュミット 著

第1部は毎日使う定型表現。第2部はドイツ語会話パターンを実例と合わせて解説。第3部は日本紹介の200以上の表現集。全例文音源付き。

シャルル・ドゴール伝(下)

ジュリアン・ジャクソン 著/北代美和子 訳

世界を牽引した指導者、「最後の偉大なフランス人」シャルル・ドゴール。彼は巧みな戦略家であり、ひとつの政策に固執する反面、融通無碍な政治家でもあった。派手さを嫌う性格でありながら、ショーマンシップも発揮した。悲観と楽観のあいだを揺れ動き、自信を喪失したかと思うと、自己をフランスと一体化させ、君主であるかのように振る舞った。人びとの心にほとんど宗教的な崇敬の念を吹きこんだ。国民の統一を希求したが、その手法や政策はフランス社会に分断と対立を生み、ドゴールが憎悪の対象ともなった。従来のドゴール伝が礼賛か批判かに偏りがちだったのに対して、本書は時代ごとの世界情勢や政治的状況、経済的環境のなかにドゴールを位置づけ、著作、書翰、発言、さまざまな同時代人の証言、新公開されたフランス国立文書館収蔵のドゴール文書など膨大な資料を駆使して、その全体像を中立かつ客観的な視点から記述する。さらに本書の大きな魅力は、資料の綿密な分析に基づいて、「人間ドゴール」の複雑な性格を浮びあがらせている点にある。英国の世界的権威による、ドゴールを主役にした「20世紀フランス史」。

4割がデート経験なし

今朝はいろいろなメディアが取り上げていましたね、このニュースを。

取り上げ方を見ていると、男性を面白おかしく嗤っているような感じを受けますが、これが男女逆だったら女性団体からものすごい抗議が来るのではないかとも思います。いや、こういう取り上げ方については男女関係なく抗議の声を上げるべきなのでしょうか?

まあ、あたし自身は別に不快に感じたわけでもなく、特に気分を害したりはしていませんので、抗議をしようという気にはなりませんが、あくまで個人の感想、感触です。

で、報道の中味なんですが、

これまでにデートした人数が「ゼロ」だと答えた独身の20代女性は約25%で、20代男性は約40%でした。30代でもそれぞれ約20%、約35%に上りました。

とあります。[出典:Yahoo!

あたしも、この歳になるまでデートってしたことないので、こういう若者の魁、先駆者ですね。また20代男性の7割が恋人も配偶者もいないようです。女性だともう少し低いのでしょうか? いずれにせよ、国の将来を考えると由々しき事態なのでしょう。

ただ、ここで国が出会いの場を作ろうとか言っているのは、なんか違うのではないか、という気がします。出会いの場を設けるのではなく、安心して暮らせる仕事と収入が得られるように環境を整えるのが政府の役割だと思うのです。

子供を作らない夫婦もいますが、結婚する男女が増えれば子供の数だって自然と増えるはずだと思います。ただ、そのために国が出会いの場を設けようというのは、やることが違うのではないかと思うのです。

グループアイドルは難しいですね

乃木坂46の五期生、川﨑桜がこのところプッシュされているように感じますが、気のせいでしょうか。四期生にもさくらがいますが、こちらは平仮名の遠藤さくらですけど、二人でユニット組まないでしょうか? 「チェリーズ」なんてよいユニット名だと思いませんか?

さて、そろそろ乃木坂46の30枚目シングルのメンバー発表があるようです。あくまでネットの噂なので、本当にそうなのか否か、あたしにはわかりません。既にメンバーへの発表は済んでいると書いている人もいますが、本当でしょうか?

誰が選ばれるかはひとまずおくとして、前々から書いているように、もうお姉さんメンバーは(卒業はしなくても)選抜メンバーからは引退でよいのではないでしょうか? 具体的には、飛鳥、梅、絢音ちゃんの学年(年齢)を上限として、それより上の人は選抜メンバーには選ばない、ということです。

本当なら、飛鳥の世代も「もういいか」と思っているところもあります。これも以前も書いたと思いますが、22歳、つまり大学卒業の年で全員卒業という制度にしたらよいのではないかと思うのです。その代わり、新メンバー募集は毎年やります。ただし中学3年生限定で。乃木坂46は高校1年生から大学4年生までの年齢(学年)が活動期間と決めてしまえばよいと思っています。同じ期は全員同じ学年ということになります。人気の高下にかかわらず、22歳、世間では大学卒業の年に乃木坂46も卒業です。

こんなやり方は、あまりにも乱暴でしょうか? でも、個人的にはアリだと思っています。ただし、年の違う同期がいるからうまく期別でまとまることができるというメリットもあるかもしれないので、あたしのやり方はあくまであたしの妄想に過ぎませんが。

あと、これも書きましたが、女性アイドルグループは三期、四期と同じグループで後輩を加入させて新陳代謝を図りますが、ジャニーズみたいに新しいグループを次々に作るということはしませんね。これはどうしてなのでしょう? マネジメントの法則から導き出された答えなのでしょうか?

同じ秋元康のグループということで言えば、かつてのおにゃんこは派生ユニットが単独ででニューすることが多々ありましたが、坂道グループではそういうことはないですね。ユニットができても、シングルやアルバムの中に収録されるのがせいぜいです。なぜ、おにゃんこのようなやり方を取らないのか、秋元康なりの考えがあるのでしょうが。

で、「ひとまずおく」と書きましたが、次の30枚目シングル、五期生を入れることには反対です。個人的には四期生の林を選抜に入れたいと思っています。久保史緖里、柴田柚菜などとしっかり歌えるメンバーを中心にした楽曲を期待しています。そういう方針の上で五期生を入れるのであれば納得もできますが。

2022年6月14日 | カテゴリー : Rockfield Diary | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

叢書というのは、こういうものです

昨日のダイアリーで、《新編諸子集成》と言われても中国学を専攻していなかった人には意味不明ではないかと書きました。ところが、その同じダイアリーで《二十四史》にも言及していまして、これもわからなさでは同じことではなかったでしょうか?

《二十四史》とは中国の正史、二十四種類を網羅した叢書でして、歴史の国・中国について学ぶのであれば、哲学だろうと文学だろうとまずは参照すべき基本資料になります。それが中華書局から手ごろな形で刊行されているのです。

図書館で閲覧すればよいのかもしれませんが、あたしのような自宅通学生には大学までの距離と時間がそれなりにかかってしまうので、よく使う資料であれば手元に置いておきたくなります。学部時代は古代が専攻だったので前四史と呼ばれる『史記』『漢書』『後漢書』『三国志』くらいしか所蔵していませんでしたが、大学院時代には二十四史を全部揃える羽目になりました。

その《二十四史》は『史記』から『明史』までの二十四種類を指すわけですが、あたしが学生時代に清代を扱う『清史稿』が発売になりました。これで《二十五史》という呼び方もできました。『新元史』を加えて《二十六史》という言い方もあったように記憶しています。

さて『清史稿』というタイトルからもわかるとおり、いずれ正式な『清史』が発売になると思うのですが、あたしが学生時代には発売されず、その後は中国の出版事情を追っていないので、正真正銘の『清史』が出来上がって刊行されたのか、あたしは知りません。

この《二十四史》には、全部にではないのかも知れませんが、人名索引や地名索引が出ているものもあります。あたしも見つけたときには買っておきました。自宅に《二十四史》を所蔵していなくても、索引があれば図書館へ行って調べるときのアタリを付けられますので、これは学部生時代から集めるようにしていました。

昨日ダイアリーでもう一つ挙げていたのが《十三経清人注疏》でしたね。これは《新編諸子集成》が、主に思想家の著作を網羅した叢書だったのに対し、儒教の経典の注釈書、それも清朝考証学の成果とも言える注釈書を集めた叢書です。

《新編諸子集成》が、あたしの記憶では学部時代にはかなり刊行されていたのに対し、《十三経清人注疏》は入学してしばらく経ってから刊行がスタートした叢書です。そのため、いま現在どれだけ刊行されているのかはわかりませんが、あたしが架蔵しているのはご覧のような分量に留まっています。まあ、その代わりと言っては何ですが、当時『皇清経解』正続編が刊行されたので、そちらを買い求めたりしましたが……(汗)

あたしの専攻が古代思想でしたので、主に哲学思想、歴史方面の書籍はかなり買い集めましたが、文学方面はやや手薄です。それでも重要なものは手元に持っていなければと思い集めたのが左の写真です。

これらも叢書として刊行されていましたが、さすがにすべてを揃えようとは思わず、上にも述べたように必要なもの、有名なものだけ買っておきました。

2022年6月13日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

こんどは凛とした立ち姿で

少し前に、このダイアリーで庭に薔薇が咲いたとお伝えしました。その薔薇は既に枯れて散ってしまいましたが、次の花が開きました、同じ株だから色も同じくピンク色です。

それが右の写真なのですが、前回の薔薇が横向きに咲いていたのに対し、今回の花は真っ直ぐに茎が伸びた、そのいただきに咲いています。とても美しい立ち姿です。これぞ女王の薔薇といった風格を感じます。

真上から薔薇を眺めると左の写真のような感じです。いかにも薔薇という感じです。頭の中でイメージする薔薇、イラストに描かれそうな薔薇に見えます。

そう言えば、「きれいな薔薇にはトゲがある」と言いますが、この薔薇にもとげがあるのでしょうか? 花ばかり見ていて茎に注目することがなかったので失念しておりました。

ところで、薔薇を見ると行ったことはありませんがフランスのパリ郊外、ヴェルサイユをイメージしてしまうのは、多くの日本人に共通する現象ではないでしょうか? やはり池田理代子の「ベルばら」の影響が大きいと思います。

しかし、どうしてベルサイユと薔薇が結びつけられたのでしょうね? 宮廷生活の華やかさが薔薇の美しさに重ねられたのでしょうか? でもあの作品はフランス革命の物語です。多くの人が命を落としていく物語です。薔薇にそういうイメージってあるものでしょうか?

その「ベルばら」、今年が連載スタート50周年なんだそうですね。あたしの勤務先から出ている『ヴェルサイユ宮殿に暮らす』も売れるかしら?

諸子集成とか

先日のダイアリーで《新編諸子集成》という本を取り上げました。ただ、中国学を専攻していなかった人には「それ、何?」という感じだったのではないかと思います。なにせ中国の本ですから。

写真で取り上げたのは『荘子集釋』でしたが、《新編諸子集成》はシリーズの名前です。中国学的に言えば叢書です。「新編」とあるくらいですから、それ以前に《諸子集成》という叢書がありまして、新たに編纂した《諸子集成》なので《新編諸子集成》というわけです。

《諸子集成》というのは、諸子、つまり中国の思想書を集めたシリーズのことです。その代表的な注釈書でシリーズを作ったのが《諸子集成》になります。そして、あたしが学生時代、つまり1980年代に中国の中華書局から新たに刊行がスタートしたのが《新編諸子集成》になります。

以前にもご紹介しましたが、二枚目の写真はわが家の書架の一部で、写っている棚の上二段に並んでいるのが《新編諸子集成》です。春秋戦国の諸子を中心に中国思想では著名な名前が散見されると思います。

学生時代には刊行されるたびに買っていたのですが、全部で何冊(全何巻)なのかはわかりません。途中でラインナップが変更になったりしましたし、当初の予定とは異なる注釈書が加わったりもしています。

中華書局のウェブサイトを見ますと、更に《新編諸子集成続編》というのも載っています。正編を適当なところで打ち切って、それ以降刊行したものを続編と呼ぶようにしたのか、詳しい経緯は知りませんが、続編も出ていますので、全部で何冊になっているのか、ますますわかりません。この続編も既に完結したのか、あるいは刊行途中なのか、それすらあたしにはよくわかりません。

ちなみに中華書局の叢書リストのページを見ますと、懐かしい名前が散見されます。『二十四史』『清史稿』は全巻所蔵していますし、《十三経清人注疏》も学生時代に刊行されていたものは、すべて架蔵しているはずです。よくもまあ、飽きもせず買い集めたものだと思いますね。

2022年6月12日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

あたしの通っていた高校は私服だったので……

今日の朝日新聞の夕刊です。ジェンダーレスな制服を導入する高校が増えているようですね。そう言えば、数日前にはジェンダーレスなスクール水着のニュースも流れていました。世は挙げてジェンダーレスに向かっているようです。

ところで、このジェンダーレス制服の記事、よく読むと女子生徒がズボン(パンツスタイル)も選べるようになったとありますが、男子生徒がスカートを選んでも構わないんですよね? だって、そうでないとジェンダーレストは言えないのではないでしょうか?

それにしても、女子がズボンを選べることが大きな話題のようですが、あたしの高校時代、もう30年近く前のことですが、冬になると多くの女子はズボンを穿いていました。なにせ制服がない、私服の高校でしたので。

男子も女子も好きな格好で登校していましたし、化粧をしている女子もいれば、パーマをかけている生徒もいました。だからといって問題になることもなく、ごくごく普通の高校生活を送っていたと記憶しています。女子などは「服を選ぶのがたいへんだから制服が欲しい」と言っている子もいましたね。

熱を出したことはなかったようです

TBS系のドラマ「持続可能な恋ですか?」の今週放送分をようやく視聴。世間では主演の上野樹里ではなく、井川遥に人気が集まっているのだとか……

ところで、あんなにうまい具合に都合のよい相手が現われて恋に落ちるなんて、現実世界にあるのでしょうか? って、そんな文句を恋愛ドラマにぶつけたってダメですね。それを言い出したら、ほぼすべてのドラマ(恋愛もの)は成立しなくなってしまいますから(笑)。

ところで、今回のエピソードの中で気になったのが、田中圭演じる晴太の息子・虹朗が保育園(兼幼児向け英語教室?)で熱を出してしまったところです。ストーリーとして、熱を出した子供の元へ誰が迎えに行くのかという点で次の展開に繋がるってことなのでしょう。ただ、あたしが気になったのは熱を出したという事実の方です。

あたしは保育園には通っていませんが、小学校へ入る前に二年間幼稚園に通っていました。幼稚園と保育園は異なりますが、子供心にはそんな違いはあってないようなものです。で、母に聞いてみたのです、あたしは幼稚園時代に熱を出したりして、急遽迎えに行ったりしたことはあったのかと。

母が昔々の記憶を絞り出したところ、そんなことは二年間に一度もなかったそうです。果たして本当に熱を出すようなことがないほどあたしが健康だったのか、と言われると麻疹などで一か月くらい休んだ記憶がかすかにあります。幼稚園の二年間皆勤賞というわけではなかったので、それほど健康体だったわけでもなかったと思います。

それでも熱は出さなかったというのであれば、登園すれば緊張感で病気も寄せ付けなかったのかもしれません。必要最低限の体力と健康だけはあったと言うべきでしょうか。

そんな昔のことを語ってくれた母が、近所のスーパーでこんなものを買ってきました。「ときめきカフェ プリンは飲みモノ」です。あたし自身は、柔らかいプリンよりも少し硬めのプリンが好きな方ですが、これはこれでよいのではないでしょうか?

「し」でも「じ」でもどうでもよい?

講談社学術文庫の『荘子の哲学』を落手しました。かつて岩波書店から刊行されていたものが、講談社に移って文庫化されたようです。あたしは岩波書店版は架蔵していなかったので今回文庫になったのを機に買い求めました。

その巻頭に、参照した『荘子』は郭慶潘の『荘子集釋』と書いてありますが、それが一枚目の写真に写っている、中華書局の四冊本です。《新編諸子集成》シリーズに収録されています。たぶん学生時代に買っていたものでしょう。このシリーズはずいぶんたくさん所蔵しております。

ところで、この『荘子の哲学』の「荘子」ですが、奥付のルビを見ると「そうし」となっています。あたしが学生時代は「荘子」は「そうじ」と読んでいました。現在の学界ではどうなっているのでしょうかね?

まあ、こういう読み慣れはそもそも日本語での話ですから、気にする必要はないのでしょうが、気にする人は気になるらしいですね。中国語では「Zhuangzi」ですから「し」も「じ」も関係ないですし(笑)。

ちなみに、架蔵している文庫の『荘子』の日本語訳では、岩波文庫版と中公文庫版にはルビがなかったので不明ですが、ちくま学芸文庫版・講談社学術文庫版はともに「そうじ」となっていました。

2022年6月10日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー