ひらがなとカタカナとで異なりますが……

新刊の『きつね』、昨日が配本日でしたので、都内の書店であれば今日あたり、全国の書店でも週明けには店頭に並び始めるのではないかと思います。著者はドゥブラヴカ・ウグレシッチ、クロアチア語の作家です。

タイトルだけ見ると、キツネの生態などを紹介した、書店では自然・動物といった棚に並びそうな一冊に思われるかも知れませんが、本書は小説です。文芸の棚に並ぶはずです。ただ「きつね」と聞くと思い出してしまう楽曲がありまして、それが日向坂46の「キツネ」です。

シングルではありませんが、ダンスもちょっと特徴的で、ファンの間でも人気のある楽曲の一つです。あたしもクルマの中でよく聴いています。そして気づかれたと思いますが、新刊はひらがなで「きつね」、日向坂46の楽曲はカタカナで「キツネ」と表記します。

今日の配本(23/09/29)

少女、女、ほか

バーナディン・エヴァリスト 著/渡辺佐智江 訳

子ども時代のレイプ、小さな町での差別、子どもを抱え必死に働いてきたこと、エリートとなった娘との不仲、実の両親を知らないことなど、みな人知れず心に傷を抱えている。大切なのは共にいること。人生、捨てたもんじゃない。笑って泣かせ心揺さぶる真実の物語。英国黒人女性たちが、乗り越えてきた苦難をウィットに富んだ斬新な文体で語り、共感を呼んだ傑作長篇。作家はナイジェリア人の父とイギリス人の母のもとロンドンで生まれ、本書が7作目の小説。

ニュルンベルク裁判1945-46(下)

ジョウ・J・ハイデッカー、ヨハネス・レープ 著/芝健介 監修/森篤史 訳

捜索、逮捕、尋問から裁判、判決、処刑まで、「平和に対する罪」、「戦争犯罪」、「人道に対する罪」に鉄槌を下す。写真多数収録。

きつね

ドゥブラヴカ・ウグレシッチ 著/奥彩子 訳

ノイシュタット国際文学賞受賞者であり、ロシア・アヴァンギャルドの研究者としても知られるクロアチア語作家ウグレシッチ。惜しくも最後の長篇となった本作は、いわゆるオートフィクションに分類されうるもので、作者を思わせる語り手は、1920年代から現代まで、ロシアからイタリア、クロアチア、イギリス、アメリカ、そして日本まで、トリックスターとしてのきつねさながらに、テクストの中を自在に駆けていく。

立法者・性・文明
境界の法哲学

谷口功一 著

著者は第一論集『ショッピングモールの法哲学』で、1970年代以降の政治理論、とりわけ正義論の枠組みを「郊外」という具体的な場で再考してみせた。社会の境界で考えるという基本姿勢は第二論集である本書でも変わらない。著者の大きな転換点となったのは2003年のいわゆる「性同一性障害」特例法の立法運動だ。そこで拓けた地平は、法を根幹から見つめ直すだけでなく、法と政治、法と社会の関係を問い直すものだった。

書店というか、出版業界は持続可能な業種なのでしょうか?

昨日のダイアリーで無人書店のことを書きましたが、今日の朝日新聞夕刊には、自民党の議連と業界が接近しすぎていないか、という記事が載っていました。なんとなく暗いニュースばかりの業界ですね。

この業界で取り上げられるようなよいニュースは、最近セレクト型の書店が流行っている、各地にたくさん出現している、といったニュースくらいな気がします。

ただ、このセレクト型書店、つまりは書店主、オーナーの個性に依存した書店なわけで、それってつまりオーナーが店を辞めたら続かなくなる、ということではありませんか。そうなると、今後も次々にセレクト型書店、提案型書店が各地に出来てこないと、そのうちそれらが次々に消えていく時代がやって来そうです。

それに書店がなくなると言われていますが、そもそも出版社が今後も存在できるのでしょうか。個人で、自分の好きな本だけを、こだわって年に一冊や二冊程度作っていくのであれば、そういうセレクト型出版社は今後も存在しうるでしょうが、それなりの人数の社員を抱え、多くの人を対象にした書籍を出すような出版社って、資本が潤沢な大手出版社以外は残らないのではないかと思います。

活字文化と言いますか、文字を媒介にしたものは、現在インターネットがそうであるように、これからも続くでしょうし、まだまだ伸びる余地は残っていると思うのですが、こと出版という業界で考えてみた場合、果たして100年後も残っている業界、業種なのか、不安を覚えます。

棚作りという概念が崩壊する?

業界では少し前から話題になっていましたが、ようやく開店ということでニュースなどでも大きく取り上げられていた無人書店。東京メトロの溜池山王駅の構内にオープンするそうです。

この業界に詳しくない人には「何のこと?」という話になりますが、この書店は大手取次の日販が始めたもので、もう一つの大手取次・トーハンが始めた無人書店は、夜間だけ無人になるということで、少し前に世田谷にオープンしています。二大取次が揃って無人書店をスタートさせたわけです。

世田谷の方は、昼間は書店員のいる山下書店ですから、それなりに本を選びもすれば、並べ方、読者の好みを考えて仕入もしていることでしょう。夜間の時間帯になって売れる本の傾向がどう変わるのか、いろいろ実験的なところもあるかと思います。

それに対して今回の溜池山王の書店は最初から最後まで書店員レスですので、どういう品揃えになったのでしょう。まずは日販のデータで売れ筋上位銘柄を並べているのでしょうね。売れた本のデータは取れるでしょうけど、どんな本を手に取っていたか、書店員に聞けないからデータを取りようもありませんが、どんな本を探しに来たのか、そういったデータを集めるのは至難でしょう。

そうなると無個性な書店にしかならないのではないか、そんな気もします。書店の醍醐味と言えば棚作りだと思います。書店員の拘りもあれば、お客さんからの声も反映されるでしょうし、われわれ出版社の営業との話の中から生まれるものもあるでしょう。無人書店ではそういうものが一切捨象されてしまうわけですよね。半年や一年経ったころ、唐書の棚とどれくらい変わっているのか、そしてそれがどのくらい利用者の支持を得ているのか、興味深いところです。

リアル書店であればお客さんのことを「読者」と呼んでもおかしくないですが、こういう無人書店だと「利用者」としか呼べない気がします。

今日の配本(23/09/27)

脱植民地化
帝国・暴力・国民国家の世界史

デイン・ケネディ 著/長田紀之 訳

脱植民地化は、18世紀末のアメリカ独立革命とハイチ独立に始まり新世界を席捲した第一波から、20世紀末のソ連解体によって引き起こされた第四波にいたるまで、複数回にわたって起きてきた。 本書は、第二次世界大戦後のアジア・アフリカ全域で生じた第三波を、こうした長期の歴史に位置づける。

なぎさつは白橋になれるのか?

このところの「乃木坂工事中」は五期生の新センター、井上和をフィーチャーした放送が続いています。ネットを見ると、乃木坂アンチなのか、井上アンチなのわかりませんが、「いい加減ウンザリ」という意見も散見されます。あたしからすると、「だったら見なければいいのに」と思いますし、そもそもアイドルに対して文句ばかり連ねるのって楽しいのでしょうか。そんなのって、アイドルの楽しみ方としては間違っているのではないかと思います。

まあ、好き嫌いは人それぞれですから、乃木坂46や井上和のことが好きでない人がいたって、それは一向に構いませんし、当たり前のことだと思います。ただ、そういう個人的な鬱憤を不特定多数の人が見るネットに書き込んで、何が楽しいのだろうか、と思うのです。

それはさておき、五期生がお披露目されたころは、井上和と菅原咲月がツートップだと思われていたと思います。五期生のライブで二人して「孤独兄弟」を披露したときは、多くのファンが「白橋の後継者」と確信したと思います。「後継者」などと持ち上げて、勝手に理想を託すのは慎みたいと思いますが、あたしもこの二人のバランスはよいなあと感じた一人です。

ただ、白石麻衣、橋本奈々未の二人に松村沙友理を加えたいわゆる御三家は同じ学年、同じ背格好、それでいてタイプの異なる美しさ、かわいさの絶妙なバランスが奇跡だと思われ、御三家と呼ばれるようになったはずです。その流れですと井上和と菅原咲月は身長は同じくらいですが、学年が異なりますね。それくらいは目をつぶるとして、なぎさつを白橋っぽく仕立てていくのかどうか、それがあたしの興味を惹くところです。

後半こそ、白石麻衣もセンターに立つことが多々ありましたが、乃木坂46の理想型はセンターを白橋で挟むフォーメーションだったと思っています。西野七瀬や堀未央奈を悪く言うつもりは毛頭ありませんが、白橋で挟んでしまえば誰がセンターに立っても構わないと、あたしは思っていました。

五期生のなぎさつの二人が、「この二人で挟めば誰がセンターでも大丈夫」という飛車角のような存在になれるのか、これから数年の乃木坂46の愉しみはそんなところです。

いろいろ考えてしまいますね

日向坂46のセカンドアルバムのリード曲のフォーメーションが発表されました。センターは、なんとキャプテンの佐々木久美ということで、ネットでもいろいろと意見が飛び交っているようです。

個人的には、あたしはみーぱん推しなので、アルバムのリード曲と来ればみーぱんがセンターだと勝手に思っていたところはありました。そういう立場から今回のフォーメーションを見るとちょっと残念な気持ちがあります。ただ、もし今回もリード曲のセンターをみーぱんがやってしまうと、もうみーぱんがシングルでセンターに立つことはないのだろうという気もするので、今回はセンターじゃなかったので、次のシングルのセンターはみーぱんか、という期待が持てました。

今回のフォーメーション発表で次に思ったことは、センターをキャプテンが務める意味です。日向坂46の一期生は、年下組から卒業していっているので(井口は別として)、アイドルとしてはやや高齢化していると言われています。確かにそのとおりで、なっちょが既に卒業を発表していますが、このアルバムをもってキャプテンも卒業なのではないか、という気もします。もしかすると一期生はこの二人以外にあと数名卒業してしまうかも知れない、そんな気さえします。

そして更に思ったことは、四期生が加わっていない意味です。これで次のシングルでは四期生が入ってくるのは確実になりましたが、あくまでアルバムリード曲なのだから、ここで一度一期生から四期生までをシャッフルした形を見せてもよかったのではないかと思いました。もちろん、アルバムとはいえリード曲で選抜のようなことをすると、そのメンバーが次のシングルの選抜メンバーの前提と捉えられてしまうでしょうから、それはそれで難しいところだと思いますが。

今回のフォーメーションを見て、まずは一列目と二列目のメンバーが中心なんだろうなあと思います。上に書いた予想が合っているなら、次のシングルはセンター佐々木久美のポジションに四期生がいきなり抜擢される可能性もあるのかもしれません。三列目も半分くらいは四期生になりそうです。もしそうなったら、四期生の誰がセンターに立つでしょう。やはり正源司ですかね。

ところで、こさかなはやはりW佐々木で挟むのが安心安全なポジションなんですね。

今日の配本(23/09/25)

アミナ

賀淑芳 著/及川茜 訳

1970年マレーシア生まれの中国語で創作する女性作家による初の短篇小説集。同時代のマレーシアを舞台に、女性の視点から語られる11篇。性暴力をはじめ様々な暴力の影が忍び寄るのを常に感じながら成長する少女の姿や、現在の社会の中で生きるよりどころを見出そうとする女性の心理が繊細に、ときに幻想的に描き出される。

パスカル科学論集
計算機と物理学

ブレーズ・パスカル 著/永瀬春男、赤木昭三 訳

フランス17世紀の思想家ブレーズ・パスカルによる、人間と信仰をめぐる思索の書『パンセ』は、忘れがたい名句やイメージに溢れ、時代を超え世界中で読み継がれている。著者はその39年の短い人生で、数学者、物理学者としても数えきれないほどの偉大な業績を残した(パスカルの三角形、パスカルの定理、圧力の単位ヘクトパスカルなどにもその名が刻まれている)。彼が発明した計算機の原理は、はるか現代のコンピュータをも予見するものであった。
本書は、そんな天才パスカルの科学的業績のうち、計算機および物理学に関する著述のすべてを収録するとともに、これと深く関係するパスカル以外の人物の手になる作品も加えて紹介する。

独検対策2級問題集[三訂版]

岡本順治、岡本時子 著

出題された過去問を詳しく解説。各章末に練習問題を用意。「覚えておきたい動詞+前置詞155」など付録も充実。音声無料ダウンロード。

最後は本当に助かったの?

映画「ゴーストランドの惨劇」が配信されていたので視聴しました。前々から映画レビューサイトでの評判を読んでいたので、機会があれば一度は見て見たいと思っていた作品です。そして、多くのレビューにあるように「ゴーストランドの惨劇」というB級感丸出しのタイトルで損をしている作品だと思います。

本作は、ジャンルとしてはホラーに分類されがちですが、悪霊とか悪魔が出て来るわけではありません。もちろん呪いとか怨念もありません。むしろ現実に十分に起こりえるストーリーだからこそ怖い、というタイプの作品だと思います。

レビューを読んでいたので、どんでん返しがあるということはわかっていました。前半の作家として成功する主人公の満ち足りた生活が実は現実逃避の妄想だということもわかって見ていましたが、そちらの世界が輝いていれば輝いているほど、現実世界の辛さが際立ちますね。そして、姉妹で一度は逃げ出してパトロール中の警察官に保護されるところは、パトカーが行ってしまったかと思いきや戻ってくるという、ちょっとしたどんでん返しでもあり、しかし、助かった安堵感も束の間、警察官が犯人に撃たれ、姉妹はまた連れ戻されてしまうというどんでん返し。そして妹はまた現実逃避の世界へトリップしてしまいますが、辛うじて踏ん張って現実世界へと舞い戻り犯人たちに立ち向かうわけです。

しかし、所詮は女性のか弱い腕力では犯人にかなうわけもないところ、警察官が撃たれる前に無線で本部へ通報していたことが幸いし、姉妹を助けに来た警察官によって犯人たちは射殺され、こんどこそ姉妹は無事に救出させるのです。ただ、ここまでどんでん返しを見せられてしまうと、本当にこれが現実世界なのか、姉か妹どちらかの妄想世界の話なのではないか、という気もしてきます。

それと、二人組の犯人、最初に襲撃してきてから十数年、ずっとあの屋敷で姉妹を監禁しながら暮らしていたのでしょうか。監禁しながら周辺へ出かけて行って別な犯行を繰り返していたのでしょうか。十数年も監禁していたのに、最後の最後、些細に油断からあっという間に踏み込まれて射殺されてしまうなんて、ちょっと間抜けすぎませんか。

こんなことばかり書いていると、口うるさい奴と思われそうですが……

映像配信サービス「Lemino」で「大好き!日向坂46 〜2023〜 芸能界おひさま化計画&ライブ映像蔵出しSP」の前編が配信されました。前編だけで2時間という、なかなかのボリュームです。

四期生が新入生として部活動に体験入部をするという設定で、バラエティーが繰り広げられました。新入生とはいえ、既に四期生もずいぶんとバラエティー慣れしてきましたね。あくまでアイドルであって、お笑いタレントではないはずですが、活動を楽しんでいるのであればファンとしては見ていて楽しめるものです。

ですが、今回もちょっと気になったところがあったので、書かずにはいられなくなりました。それは料理部のコーナーです。少し前に、このダイアリーで「言いたくはないのですが……」というタイトルの記事を書きました。内容は、YouTubeで配信された乃木坂46の動画について、メンバーの食事シーンの箸や茶碗の持ち方があまりにもお粗末だということを書いたものです。

実はこれに限らず、芸能人の食事シーン(ドラマではなく)で気になるのは、女性の髪の毛なんです。いや情報番組でのインタビューを見ていても、一般人の方でも同じなのですが、長い髪の女性が髪を結うことなく食事をしているシーンを見ると、どうも幻滅を感じてしまうのです。髪はきれいにしているのでしょうから、不潔とまでは言いませんが、やはり食事のときには気になります。

そして今回の日向坂46です。今回は食べるのではなく作る方が気になりました。メンバーが料理を作るということで、アイドルと料理と聞けばハチャメチャな料理の腕前を見て笑うというのが定番ですが、今回に関してはそういう失敗や破天荒な料理はなく、皆さんそれなりに、否、期待以上によいものを作っていたと思います。

しかし、その調理時の髪型がやはり気になるのです。メンバーはほぼ全員髪が長く、その髪を下ろしたスタイルでした。調理を始める前にアップにするとか結うとか、そういうことはなく、そのまま調理を始めていました。髪の長い人が料理を食べるシーンでも気になるあたしですから、調理する方が髪に無頓着なのはもっと気になってしまいます。

料理に髪が落ちたらどうするのでしょう? メンバーの髪の毛だったらファンは喜んで食べる? いや、そういうものではないでしょう。やはりバラエティーとはいえ、調理する、人に振る舞うという気持ちがあれば髪の毛にも気を遣うべきだと思うのですが、皆さん、そういうシーンは気にも留めず番組を楽しんでいたのでしょうか。

好きなグループだからこそ、こういう部分もしっかりして欲しいなあと思うのですよね、あたしは。もちろんレシピあり、専門家の指導あり、事前の準備ありというのはわかった上で、あれくらい料理ができれば充分満足したのも事実ですが。