イッキ見!

しばしば芸能人などが休みの日にドラマをイッキ見したと言っているのを聞いても、そんなに見続けられるものだろうか、と思っていました。特に海外ドラマですと、数十回にも及ぶドラマが多いですので、一日に果たして何話見られるのか、そうなると全部見終わるのに何日かかるのか、などと計算してしまいがちです。

そんなあたしがこの土日でイッキ見をしてしまいました。それは昨年放送されていた「全領域異常解決室」です。実際に放送されていた当時は見ていませんし、そんなタイトルのドラマがあったような、くらいのおぼろげな記憶しかなかったのです。ただネット配信で暑気払いに背筋も凍えるようなホラー映画を見ようと探していた時にふと目に留まったので第一話を見てみたらはまってしまったという次第です。

もう少しホラーテイストの作品かと思っていましたが、神々の闘いでした。これまでも「SPEC」など異能者を主人公にしたドラマは数多くありました。たいていはいわゆる超能力者の闘いでしたが、このドラマは異なります。上に書いたような神の闘いなのです。

神というのは、日本の八百万の神々のことで、それら神様の魂がいつの時代にも生き続け、人間の姿で人間社会のなかで暮らしている、そうして人間を見守っているという背景があります。そんな現代社会で堕落した人間を葬り去り、新しい世の中を作り直すのだという「ヒルコ」によるテロが始まり、主人公をはじめとする神々が人間とこの社会を守ろうとするわけです。

異能者を日本古来の神に設定したところは面白いと思いましたし、その一方でAIを駆使した情報戦も面白いものでした。続編か映画化がありそうなエンディングでしたが、果たしてそんな話は進んでいるのでしょうか。

個人的に思うことは、天照大神は出て来ないのかなあ、ということや伊勢を中心とした天皇系の神と出雲などをごっちゃにしているのはどうなのだろうか、ということです。それに神々の機関であるならば、国の機関ではなく皇室直属の機関である方がふさわしいと思いますが、さすがにそんな設定はいろいろなところからクレームが入りそうですね。

あと、あたしがイッキ見できたのは、全10回という回数もちょうどよかったのかもしれません。

早く買って読まなくちゃ、と思った次第です

テレビでも盛んに報じられているように、今日は土用の丑の日です。土用は、もちろん土曜ではなく土用で、実は土用は年に四回あるということも、ちょっと調べれば簡単にわかることでしょう。

また土用の丑の日に鰻を食べるという習慣も、江戸時代に平賀源内が考案したキャッチフレーズだということも、諸説あるかもしれませんが、比較的知られたエピソードではないでしょうか。とりあえず鰻は大好きです。

そんな暑さ厳しき今日この頃、書店でこんなフェアを見かけました。買わなきゃ、読まなきゃと思いつつまだ未入手、柴崎友香さんの新刊『帰れない探偵』のファです。東横線学芸大学駅前の今日文堂書店で見かけました。

同店では、四六判宣言やノンフィクションフェア、あたしの勤務先の110周年フェアを開催していただいているのですが、それらとは別のフェアで、ただあたしの勤務先の本が目に付くなあと思ってよくよく見てみたら柴崎のフェアだったというわけです。

店頭では、ご覧のようなチラシを配布されていました。写真ではわかりにくいかも知れませんが、A4判の大きさのチラシです。A3判二つ折りという、こういうチラシではかなり大きなものです。

表紙には「聞き手:講談社文芸第一出版部」とあり、講談社で柴崎さんにインタビュー(?)してまとめたもののようです。内容は柴崎さんによる各書籍に関するコメント、感想、推薦文です。

まずはポール・オースターの作品が三つ取り上げられていて、あたしの勤務先の『鍵のかかった部屋』が載っています。柴崎さん曰く、「初めて読んだオースターの小説は『鍵のかかった部屋』でした」とあります。

その他に、あたしの勤務先の刊行物ではゼーバルトの『移民たち』と『アウステルリッツ』、ジーナ・アポストル『反乱者』が取り上げられていました。また、あたしの勤務先の刊行物ではありませんが、パク・ソルメ『影犬は約束の時間を破らない』、呉明益『自転車泥棒』という、縁のある作家の作品も載っています。

話は戻って土用の丑の日。今日は鰻ではなく、穴子を食べてもよくはないでしょうか。鰻と穴子って煮ていません。ウナギ目アナゴ科ですから、ほとんど鰻と言ってもよいのではないでしょうか。夏バテ防止にスタミナをつけるのに、穴子と鰻でどれくらい栄養価が違うのかは知りませんが。

ホライズンは地平線なのか、水平線なのか

横断歩道に着いている信号に「夜間押しボタン式」と書いてあることがあります。これはつまり夜間は押しボタン式です、ということですから昼間は一定時間で青になったり赤になったりするのでしょう。問題は夜間というのが何時から何時までなのか、ということです。

それはそうと、押しボタン式であるくらいですから、その横断歩道を渡る歩行者は極めて少ない、ということですよね。それが昼間になったからといって突然歩行者が多くなるとも思えません。一日中押しボタン式でよいのではないか、そう思えるような横断歩道があちこちに散見されます。

話は変わって、新書の新シリーズ「思想の地平線」ですが、『偶像の黄昏/アンチクリスト』『悲劇の誕生』『幸福論』に続いて『孤独と人生』がまもなく配本となります。どうぞお楽しみにお待ちください。このシリーズは、この後も哲学思想の名著を繰り出していきますので、この後のラインナップにも是非ご注目ください。

ところで地平線って「ホライズン」でよかったのでしたっけ。ホライズンって「水平線」だと思っていたのですが、「地平線」という意味もあるのでしょうか。日本語では水平線と地平線というように使い分けがありますが、英語にはそういう使い分けはないのでしょうか。

ふと、そんなことを考えてしまいました。英語以外の外国語ではどうなのでしょうね。

この電車は12両です

中央線に二階建てのグリーン車が導入されて数ヶ月。やはりグリーン車を二両連結するよりも、通常車両を二両増結した方がよかったのではないかと、いまだに思っています。

このグリーン車の導入によって、それまで10両だった中央線快速電車が12両になりました。導入前のグリーン車無料期間には、グリーン車を連結していない10両編成の中央線もたくさん走っていましたが、グリーン車が有料になってからはすべての中央線が12両で走っているような気がします。

にもかかわらず、中央線の駅では「この電車は12両です」と毎回放送されています。ほぼ10両の中央線が来ることはないにもかかわらずです。これであれば「この電車は10両です」と放送した方が五月蠅くなくてよいと思うのですが、如何でしょう。そもそも10両の中央線がいまも走っているのか知りませんが。

話は変わって、特濃です。三ツ矢サイダーの新製品らしいです。ただ、この商品、近所のスーパーでは全種類が売られていないのです。オレンジばかりが売られていました。ただ、わが家から一番近いスーパーのいなげやではこの三種類、ピーチオレンジグレープが売られていました。ウェブサイトを見るとアップルもあるみたいですが、それはまだ店頭で目睹していません。

今日の配本(25/07/16)

環境地政学

アドリアン・エステーヴ 著/中野佳裕 訳

本書は、地球環境問題をめぐる地政学的課題を国際関係論の視点から考察した入門書である。気候変動や資源紛争など現代の問題に対し、国家のみならず企業、NGOなど多様なアクターを視野に入れ、環境地政学の理論的枠組みを提示する。また、近年注目される「人新世」の議論を踏まえ、従来の国家中心的アプローチを超える理論の再構成を試みる。

お酒が大好きだった亡き父がやって来ているので……

昨日はお盆の迎え火でした。土地によっては8月にやるところもありますが、わが家では昔から7月にやっています。なので、昨夕に迎え火を焚きました。

わが家の場合、迎え火で迎えるのは亡父とその両親、それに父が生まれるずっと前に幼くしてなくなっている父の兄の四名です。とはいえ、あたしが知っているのは亡父のみです。

そして父はお酒が大好きだったので、久しぶりに帰ってきた時にはお酒を飲ませてあげたいところです。ただ昨日はお酒を切らしていたので、本日、勤務先からの帰路に買ってきました。

新潟の日本酒、越乃景虎です。越乃景虎はこれまでにも飲んだことがありますが、今回は夏用の純米原酒です。これを父の待つ仏壇に供え、あたしも相伴に預かりました。

いかにも新潟の酒という味わいですね。ちなみに、奥のテレビに映っているのは昨晩放送されたのを録画しておいた「乃木坂工事中」です。乃木坂ちゃんのバラエティーを楽しみながら、新潟のお酒を嗜みました。

名前を明かさないのは呪いをかけられないためなのか?

Netflixでホラー映画でも見ようかなと思って探していたところ、橋本環奈主演のコメディー映画「赤ずきん、旅の途中で死体と出会う。」を見つけたので見てしまいました。

ホラー映画とは真逆の方向ですが、これが見たいなあという作品を見つけられなかったので「まあ、いいか」という感じで視聴を始めました。これって配信映画ですよね。さすがにこれを劇場公開したとしても大ヒットになるとは思えないので(汗)。監督からキャストまで、終始一貫いつものテイストです。

ところで、本来見たかったホラー映画のことなのですが、殺人鬼や悪魔、悪霊目線の作品ってあるのでしょうか。もちろん犯人が主人公などの標的を狙って追いかけてくるようなシーンでは犯人の目線のカメラワークもありますが、作品全体が殺す側の視点の作品という意味です。

まあ、ホラー映画というのは「怖い、怖い」と言いながら、思いながら鑑賞するものですから、殺す側視点だと単なる悪趣味なものになってしまうのでしょうか。でも、悪霊でもどうして自分が悪霊になったのか、どうして見ず知らずの人を手当たり次第に襲ってしまうのか、そういう葛藤とかジレンマとか抱えていないのでしょうか。そういう作品を見てみたいなあと思うのですけど、そんなのあたしだけなのでしょうか。

話は最初に戻って「赤ずきん」です。この作品、主人公の赤ずきんは赤ずきんであって名前が無いのですね。シンデレラにはお姉さんも含めて名前が与えられているし、途中で登場する魔法使いにも名前がありました。よくよく考えると非常に違和感があります。そう言えば、王様も王子様も名前はありませんでしたね。

今にして思うと、赤ずきんが来ているのはフード付のマントであって、あれは頭巾という名前でイメージするものとはずいぶん違う気もします。原作の童話では、森に住むお婆ちゃんも「赤ずきん」と読んでいたはずで、孫の名前を呼んであげないのですね。何が棲んでいるかわからない森の中でうっかり名前を口にするのは悪霊などに取り憑かれかねないから避けているのでしょうか。