セルフレジ

最近はいろいろなお店でセルフレジが設置されるようになりました。コンビニなどでは必ずあると言ってもよいくらいです。気づくと本屋さんでもセルフレジを見かけるようになりました。

そこで気になるのはスリップです。セルフレジでスリップはどうしているのだろうか、と思ってしまうのです。

書籍にはスリップというものが挟まっているのをご存じでしょうか? 本屋さんで立ち読みをしているときに「邪魔だなあ」と思った経験はありませんか?

右の写真に写っている、本の上の部分から丸い頭を出しているのがスリップで、かつてはどの本にも挟まっていました。レジで会計の時に店員さんが抜き取ってしまうので、本を買ったときにももう挟まっていませんから、じっくり見る機会は少ないと思います。

最近はこのスリップが最初から挟まっていない書籍も増えてきましたので、セルフレジでスリップをどうしたらよいのかなんて悩む必要もないのかも知れません。でも本屋で見てみればわかるように、まだまだスリップが挟まっている書籍は多いです。セルフレジを使う場合、このスリップは抜き取らないといけないのでしょうか、それとも挟まったまま持ち帰ってよいのでしょうか?

このスリップについては抜き取ろうと抜き取るまいと、どちらでもそれほど大きな影響はないかも知れませんが、もう一種類、常備スリップが挟まっている書籍も本屋には置いてあります。この常備スリップって、本を買ったときにそのまま持ち帰られたらマズいと思うのですが、セルフレジを設置している本屋さんってどう対応しているのでしょうか?

インビジブルとタイムマシーン

タイトルに「インビジブル」と書きましたが、TBS系のドラマのことではありません。昔々見たことがあるなあ、と思い出した映画のことです。

青春映画「フットルース」で主役を演じたケヴィン・ベーコンが透明人間を演じ得た映画です。透明になったので、彼女(?)の部屋に忍び込んでこっそり覗き見をする、なんてシーンもありました。

この時、ケヴィン・ベーコンは服を着ていないという設定です。透明人間が服を着ていたら、中味のない洋服だけがそこにいるということになってしまうので(そこにいるのがバレてしまうので)服を着ていなかったと思います。この映画を見たからではありませんが、透視術について考えました。

自分に透視術があったら、女の子の服を透視して裸を見たい、なんていうのは男子であれば誰でも想像することだと思います。あたしも学生時代にそんな想像をしなかったわけではありません。

ただ、あたしはそこから更にこんなことを考えたのです、「果たして洋服だけを透視するなんて可能なのだろうか」ということです。透視にも段階があると思うのです。洋服だけを透視するのではなく、皮膚や筋肉、骨、透視にはそれぞれ段階があるのではないか、ということです。

女の子の洋服だけを透視しようとして洋服と一緒に皮膚まで透視してしまったら、理科の教科書に載っていそうな赤々とした筋肉だらけの姿が見えてしまうのでしょうか。それはあまりにもグロテスクで気持ち悪いです。筋肉も透視したら骨だけが目の前に見えるのでしょうか?

そこまで考えていたら、あたしの想像は更に飛躍してしまって、「そもそも服や人体を透視しているのであれば、周囲のものも透視してしまっているのではないか? だとすると、道路も建物も街路樹も、何から何まで透視してしまったら、後は何が残っているのでしょう?」とういことです。何もない無の状態ってイメージできるでしょうか? だって地面もないんですよね? 地球の裏側が見えるどころの騒ぎではないです。地球自体も透視して見えなくなっているのですから。

子供のころのあたしって、そんなことを考えていました。そして最近考えているのはタイムマシンです。

よく「タイムマシンがあったら、いつの時代に行ってみたいですか?」という質問があります。自分の人生の過去や未来に行ってみたい人もいれば、歴史上の事件を確かめに行きたいという人もいるでしょう。あたし自身は昔からタイムマシンにはそれほど興味はなく、自分の過去にも未来にも行ってみたいとは思いません。

ただ、最近考えているのは、たとえばタイムマシンでどこまで過去に遡れるのか、どこまで未来へ行けるのか、ということです。宇宙の始まりと言われるビッグバンよりも古い時間まで行けるのか、あるいは人類や地球が滅亡した後時間までたどり着けるのか、そんなことばかり考えています。少なくともビッグバンの直前や直後にたどり着けたとした場合、どんな場所に放り出されるのでしょう?

そんなことばかり考えているのです。

似て非なるもの発見!

勤務先で発行されている語学書の新刊『徹底整理 フランス語動詞活用55』の装丁を初めて目にしたときに、「あれっ、どっかでみたことあるぞ?」と思いました。自社の本で似たような装丁があったのか、それとも書店の店頭で見た他社の本だったのか? ちょっとモヤモヤしていました。

が、正解がわかりました。養命酒ののど飴です。左の写真がそののど飴なんですが、なんとなく似ていませんか? 色遣い、フォントの印象、あたしには非常によく似ていると思えてしまうのです。

いや、確かに似てないと感じる方もいらっしゃるでしょう。それこそ「どこが似ているの? 全然似てないじゃん!」と思う方も大勢いると思います。

でも、あたしには似ていると感じられるのです。そして一度似ていると思ってしまうと、見れば見るほど、どんどん似ていると思えてきてしまうのです。

食べ物つながりでもう一つ。秋田の銘菓、金萬です。金満ではありません、金萬です。かつて乃木坂46の冠番組「乃木坂工事中」で、秋田県出身のメンバー、鈴木絢音が地元の甘いものをプレゼンしたときに紹介されたひと品です。

勤務先にも秋田出身の社員がいて、地元へ帰ったお土産として配ってくれました。乃木坂46の番組では、ちょっと温めて試食していましたので、あたしもわが家に持ち帰って、電子レンジでチンして食べてみました。

確かに美味しいですね。和菓子ですが、ちょっと洋菓子っぽい感じもします。大きさが小ぶりで、軽く食べるのにちょうどよい分量です。

お気に入りのスイーツ

ローソンで見つけたスイーツです。「ホボクリム ほぼほぼクリームのシュー(とろ〜りミルク)」という商品です。

美味しいのかなと思い、買って食べてみたのですが、これが予想以上の美味しさでした、あたし的には。いわゆるシュークリームなんでしょうけど、シューが非常にもっちりとしていて、独特の食感でした。そして中のクリームもあふれんばかりに詰まっていて、そして甘さがちょうどよいです。

これはヒットです。また買って食べます。

話は変わって、平凡社新書の『天皇と中国皇帝』という本を買いました。なんとなく似たようなタイトルの新書を以前に読んだことがあるなあと思って書架を探したら出て来たのが、文春新書の『中国共産党「天皇工作」秘録』でした。

内容はまったく異なる両書ですが、日本の天皇と中国を絡めた内容が、ちょっとにていると思ってしまった原因でしょう。そして、単行本ですがもっと単刀直入に『マオとミカド』なんていう本も架蔵していました。この「マオ」とは毛沢東のこと、「ミカド」とは日本の天皇ことです。似て非なる三冊ですね。いや、後二者は似たような内容でした。

自分の自然治癒力はあてにしない

先日来、このダイアリーでも書いてきましたが、背中の痛みと腕の痺れはまだ続いています。一時期よりは和らぎましたが、まだ痛みも痺れも残っています。

で、先日、整形外科へ行って来まして、右の写真のような薬を処方されました。4種類を朝夕1錠ずつ、一週間分です。

月曜の晩から飲み始めたので、まだ4錠ずつしか飲んでいませんが、少しは効いているのでしょうか? なんとなく痛みが軽くなったのは薬のせいではないかと思っています。

それなりに架蔵しているものです

少し前に最近の通勤電車でよく読んでいるとご紹介した『親王殿下のパティシエール』ですが、第4巻では詩人の袁枚が登場しました。袁枚と言えば、岩波文庫の『随園食単』ですよね。同書の巻末参考文献リストにも載っていました。

あたしはもちろん架蔵しておりますが、いまでも出版社に在庫はあるのでしょうか? この岩波文庫版で翻訳をしている青木正児の『華国風味』もわが家の書架で『随園食単』の隣に備えておりました。必要な書籍はそれなりに買い揃えてあるものだと、われながら感心してしまいます。ちなみに青木正児は「あおき まさる」と読みます。

そして第5巻です。

第4巻の参考文献にも挙がっていましたが、第5巻の参考文献に挙がっている書籍の一冊が『中国くいしんぼう辞典』です。これも、わが家の書架にありました。

と、自慢話みたいになってしまいましたが、上がっている参考文献は、もちろん架蔵していない書籍ばかりです。著者がいろいろ博捜して本書を執筆していることがうかがえます。

第6巻が6月半ばに刊行予定ですが、まだまだ続くのか、これが最終巻なのか、そういう情報はどこにも載っていませんが、個人的には楽しく読んでいます。あとは、当時の北京城内図、それも王府の一までしっかり書いてある詳細なものが欲しいものです。

今日の配本(22/05/17)

リネンの歴史とその関連産業

ジャック・ルール 著/香山学 監修/尾崎直子 訳

最古の繊維といわれるリネン。リネン産業は古代エジプトで花開き、紀元前4000年には頂点を迎えた。遺跡の壁には、リネンの花や当時の織機などが描き遺されている。プリニウスを驚嘆させたその植物から作られた布は、ミイラを包む包帯やキリスト聖骸布としても知られる。本書はリネンの歴史から特徴、栽培・繊維の準備・紡績・織布といった生地にするための一連の工程、亜麻仁油など関連する産業までを概説する。

メモはスマホで?

日曜夕方のラジ「「日向坂46」のひ」で、日向坂46のメンバーがエピソードトークやブログのネタになりそうな、ちょっとした出来事があると、それを記録しておくのにまずはスマホを使うと語っていたのが、あたしのような昭和生まれには衝撃でした。そういうメモって、手帳とかにするものじゃないの(?)と思うのは、もう時代遅れなのでしょうね。

あたしは寝床で読書をするので、枕元にはメモ用紙にボールペン、それとポストイットなども備えています。本を読んでいて何か気づいたらメモしておくのに使うためです。とこころが。日向坂46のメンバーに限らず、いまの若い人たちはスマホを常に肌身離さず持っているのですね。だから寝ている時も枕元に置いておくからすぐにメモできるというわけです。確か、お風呂にも持って入ってネット配信の映画を見ているのだとか。全く生活スタイルが異なりすぎていて理解を超えています。

さて、今朝の情報番組などで乃木坂46の10周年ライブの映像が少し流れていました。ほとんどの番組で扱われていたのはサプライズ登場したOGのことばかり、現役メンバーは今回が初の全体ライブ参加となった五期生のことをちょこっと取り上げたところがあったくらいです。ちょっと大多数の現役メンバーが可哀想になりました。

まあ、情報番組の構成としては致し方ないと諦めますが、二日間のライブの全体はどうだったのでしょう? 昨日も書きましたが、全曲披露のバスラではなく、10周年記念祭り的な構成にしたのであれば、そして初日を2016年まで、二日目を2017年からと銘打っていたからには、二日間で披露する曲は一曲もダブらないようにすべきだったのではないかと思います。そしてやはり年代の区切りを厳密にして、2017年以降の曲は初日にはやらない、2016年以前の曲を二日目には披露しない、と厳格にしてもよかったのではないかと思います。

またアンダー楽曲やユニット曲が少ないという意見もネット上には多いですが、祝祭的にした以上、表題曲が中心になるのは仕方ないでしょう。それでもその時々において象徴的な楽曲はアンダーでもユニットでも存在したと思うので、それらをもう少し披露してもよかったのではないかと思います。

ただ、この種の意見って、結局は自分の好みの曲が披露されたか否かで印象が変わってしまうものなので、それこそ各シングルから表題とあと二曲という縛りでも設けてチョイスしても面白かったのではないかとも思います。

あとライブ後の集合写真がメンバーのSNSなどに挙がっていますが、できればステージには立たなかったけれど会場に来ていたOGも一緒に写っていて欲しかったですね。そして、OG五名の写真が古くからのファンには嬉しいショットではありますが、このOGが四期生や五期生と一緒に写っている写真も見たいものです。