夏祭りとか墓参りとか

盆休みも終わり、今年の夏も、暑さはともかく、気持ち的には終わりつつある、という感じがします。今年の夏はいつもとは違う、とはしょっちゅう言われていたことですが、花火大会や夏祭りが軒並み中心になったり、やっても規模縮小になっていることもずいぶんと報道されていました。

しかし、夏祭りってそんなに大事なものでしょうか? いや、農耕儀礼としての祭りは大事なものだと理解していますけど、現在のように、ただ人が集まって騒いで羽目を外すだけのような祭りにどれほどの意味があるのか、とも思います。なにせ、あたしは幼少のころからお祭りが嫌いな人間でしたので……(汗)

親戚の伯母さんが、小さいころのあたしを連れて近所のお祭りに連れて行ってくれたことがあるそうなのですが、あたしは「つまらないから早く帰ろう」と言っていたそうで、お祭り好きな伯母さんも諦めてあたしを連れて帰路に着いた、という話を後になってから聞かされました。そんな筋金入りの祭嫌いなあたしです。

しかし、世の中には都会で暮らしていても、年に一度の地元の祭りのために帰省するという人もいるんですよね。あたしには信じられないことです。まあ、今年の場合はコロナで祭りが中止でしょうし、県を跨いだ旅行は控えるように言われていますので、帰省もしなかったのかも知れませんが。

帰省と言えば、テレビのインタビューでよく聞くのは、お墓参りに行って来た、という話です。お盆って、わが家でも迎え火、送り火を焚くのでわかりますが、自宅へご先祖様を迎えるんじゃありませんか。だとしたら、空っぽのお墓に何をしに行くのでしょう? むしろ、お墓参りってお彼岸の時期にするものではないかと思うのですが、違うのでしょうか?

ちなみに、わが家は祖父の命日が1月7日(なんと、昭和天皇と同じ日)なので、1月の半ばとか、あるいは12月の早めにお墓参りをする習慣が昔からあったので、お彼岸もスルーです。もちろん、お盆にもお墓参りはしません。

どうしても行きたい?

昨日のニュース番組では、お盆の最終日の話題が報じられていました。

コロナ禍にもかかわらず、そして県を跨いだ移動は慎重にと言われていましたが、それなりの人が旅行に出かけていたようです。とはいえ、行楽地からすれば例年の半分以下というところも多かったようで、大部分の人は自粛したお盆休みになったようです。

ニュースなどの街頭インタビューで思うのは、どうして皆さん出かけるのだろうか、ということです。もちろん近所のスーパーへの買い物などは別ですが、銀座とか新宿とか、どう見たって近所から来ているわけではなさそうな人たち、ああいう人たちはどうして感染リスクを冒してまで都心へ出かけてくるのか、あたしにはさっぱり理解ができないのです。

旅行についても、一人暮らしの親が心配だから、家族は東京に置いて自分一人だけで帰省する、という人もいましたが、家族揃って沖縄や北海道を始めとした観光地へ旅行している人の意識、非常に不思議に感じます。

あたしのように、ふだんから外へ出かけない、旅行へ行かない人間には、全く理解できない感覚です。子供がいて、ずーっと家の中にいるのではさすがに辛いだろうという気持ちなら少しは理解できますが、だけど、それだからといって行楽地に出かけるのはいかがなものかと思ってしまうのです。この猛暑では近所の公園で遊ぶというのも危険ですから、選択肢が少なすぎますね。

マイカーで別荘に出かけ、そこでは買い出しも数日に一回で済ませ、家族以外誰とも接することなく過ごす、というのならありかも知れませんが、だとしたら自宅に籠もっているのと何が違うのだろうか、という気もします。

「溶けそうなくらい暑いです」とインタビューに答えている人たちが、あえてそんな時に外出している理由が聞きたいところです。しかし、それよりももっと不思議なのは、そういうニュースを伝えるテレビの男性アナウンサーが、ほぼ例外なくスーツ姿でいることです。中には三つ揃い姿の方も多数見かけます。これでは「殺人熱波」というニュースも嘘っぽく聞こえてきます。

同一人物らしいのですが……

中条あやみというのはモデルなのでしょうか、それとも女優なのでしょうか? まあ、どちらでもいいですけど、あたしは意外と好きなタレントの一人です。

ドラマや映画もそうですが、CMでもよく見かけます。が、最近はどうもマンガ、アニメにされてしまっている場合が多く……

まずはコミックシーモアのCMです。竹内涼真と兄妹役ですね。CM中では兄の竹内涼真ともどもマンガになってしまうシーンがあります。だいたい13行くらいのところです。

続いては高級アイスクリームのハーゲンダッツで、こちらは以前から登場していましたが、最新のCMでは実写の本人は登場せず、全編アニメになってしまっています。

さて、この二つのCMを見て、同じ人物がモデルだと思えるでしょうか? 確かに特徴的なホクロの位置とか、わかる人にはわかるのですが、とはいえ、あまりにも別人なアニメではないでしょうか?

生ちゃんを堪能する晩

今宵は、6時からフジテレビ系の「ミュージックフェア」を視聴。

乃木坂46の新曲も楽しみましたが、その前に生ちゃんが元気そうでなにより、ジュピター、よかったですね。

そして同番組が終わった後はCSのTBSでミュージカルドラマ「とどけ!愛のうた」を視聴。こちらも生ちゃんが主演のリモート飲み会をする会社の同僚5名の作品です。

リモート飲み会というと、少し前に本田翼や前田敦子が出ていた、そして乃木坂46の齋藤飛鳥も出ていた「リモートで殺される」も画面としては似たようなものでしたが、ずいぶんところなる作品でした。

「愛のうた」はその名の通り、愛にあふれた、希望と勇気をもらえる作品で、主演の生ちゃんのキラキラ感がとてもよくマッチしていたと思います。三浦春馬の自殺の前に収録されていた作品ですね。

一方の「殺される」は謎解き要素があるのですが、もう少し緻密な構成でないと、謎解きの粗ばかりが目立ってしまったのがちょっと残念でした。登場人物が限られているだけに、犯人はその中にいるわけで、だからこそ構成がしっかりしていないと、というところでしょうか。

しかし、リモートを逆手に取った、こういった作品群、粗探しをするよりは、コロナ禍での可能性の追求としてもっといろいろなタイプの作品が作られるとよいなあと思います。作っていくうちにノウハウも積み重なっていくでしょうし、新たなアイデアが生まれてくるかも知れません。次はどんな作品が出てくるかとても楽しみです。

さらっと引用されています

朝日新聞の一面から、終戦特集ということで、ノモンハン事件の記事が載っていました。

最初に引用されていたのは、みすず書房の『ノモンハン 1939』です。ノモンハンの記事ですから当然と言えば当然です。記事に写真で載っているジューコフならば、あたしの勤務先から『スターリンの将軍 ジューコフ』という書籍が刊行されています。

そして記事の半ばにはアントニー・ビーヴァーの『第二次世界大戦1939-45(上)』が引かれています。記事中では『第二次世界大戦1939-45』としか書いていませんが、実際には写真のように3冊本です。引用されたのは巻頭ですから、その上巻です。

第二次世界大戦を扱った書籍はたくさん出ていますが、日本で出ているものはどうしても日本が中心で意外と第二次大戦の全体像というのがつかみにくいきらいがあります。しかし、本書は第二次大戦の全体を描いているので、実は極東で行なわれていた日本の闘いを扱う比重など、ちょっと目から鱗な部分が多々ありました。

モノとしての書籍

本日も朝日新聞の「声」欄です。

昨日は小学生の娘さんのことを書いたお母さんからの投書でしたが、今回は本人の言葉です。

「重くてかさばる」というのが本に対するネガティブなイメージかと思いますが、この投稿主のようにその重さこそが醍醐味だと感じる人もいるのです。本好きあれば、この気持ちはきっと共有できるはずです。もちろん、やはり重くてかさばる本を読むのは大変だし、面倒だと思わないわけではありません。でも、読み終わったあとの達成感は何とも言えないものがあります。

厚い本であればあるほど、これからはハンディーな電子書籍だ、という方もいます。辞書などは電子が主流になりつつありますが、紙の辞書の良さも見直されていて、ケースバイケース、使い分けが大事であるように、本も同じことだと思います。

検索が必要になる場合には電子の方が便利でしょうし、文芸や芸術書であれば装丁を愉しみたい、という思いもあるでしょう。それぞれの良さを理解して、電子書籍も紙の書籍も楽しんでいただければよいと思います。

とはいえ、個人的にはやはり電子書籍は慣れなくて、どうしても紙の本を買ってしまい、もはや収納する場所がなくなっているわが家なんですけど……

読書だって立派な《Go To トラベル》になりませんかね?

今朝の朝日新聞「声」欄に載っていた投書です。娘さんが本が大好きだという内容なのですが……

さて皆さんは、この投書を読まれてどういう感想を持たれたでしょう?

担任の先生の心配もわからなくはありません。一見するとクラスメートから仲間外れにされているのではないかと疑ってしまいそうな情景でもありますし、やはり学校生活というのは勉強を学ぶだけでなく、社会生活を学ぶところでもあるわけですから、クラスメートとほとんど交わりを持たないようであれば、それはそれで問題だと言えるでしょう。

でも、ここはもう少し長い目で見てあげて欲しいですね。本当にイジメに遭っているのであれば別ですが、文面を見る限りそういうわけでもなさそうです。そのうちクラスメートの中から本に興味を持つ子が現われて、本の感想などを語り合ううちに自然と仲良くなることだって十二分に予想できますから。

ところで、前段の「せっかくキャンプに来たのに」というところに、あたしは引っかかりを感じました。確かに家族で自然豊かなピクニックに来ているのかも知れません。でもこの子はこの子で、本の中でもっと違う世界に旅しているのかも知れません。それこそ、本の世界であれば、外国にだって違う時代にだって旅することが可能です。

となると、本を読むということはちょっとした《Go To トラベル》ではないでしょうか? だったら、本を買うのにもこのキャンペーンを適応してもらうことはできないものでしょうか? 特に大都市では知事の多くが旅行や帰省を控えて欲しいと訴えている現状では、本で旅することは大いに推奨されてもよいのではないかと思うのですが、ダメでしょうか?

リモコンがないと何もできない?

わが家のエアコン。何台かあります。リビングにあるエアコンは、昼間も一番いる部屋なので使っていますが、他の部屋のエアコンはまだ使っていませんでした。しかし、ここ最近のあまりの暑さに、いよいよ使おうと思いました。

が、しばらく使っていなかったので、リモコンの電源が切れているようでした。そこで電池を入れ替えてみたのですが、やはり何も付きません。ふつうは電池を入れ替えたら、時刻合わせをしたりしないとならないのですが、液晶が表示されないのです。

さて、どうしましょう?

エアコンって、部屋の上の方に付いていて、手が届くような場所にはありません。だから操作はリモコンでやるのが当然なのですが、いざリモコンのスイッチが入らなくなるとお手上げです。エアコン本体にはスイッチも何もありません。電源のランプとリモコンの受光部くらいしか見当たりません。リモコンが壊れてしまったら、エアコンを付けようがないのですね。

エアコンも壊れているのか、リモコンだけ取り替え(買い換え? 修理?)ればまだ使えるのか、その判定すらできません。やはり、ふだん使うことはなくとも、リモコンが壊れたときに本体だけで操作できるようにして欲しいと思うのはあたしだけでしょうか?

そう言えば、昨今のテレビやレコーダーもリモコンがない(壊れる)と、操作がほぼ出来ないものが多いような気がします。なんとかならないものでしょうか?

夏休みは何日間?

本日から、あたしの勤務先は夏休みです。社休として12日、13日、14日の三日間が夏休みとなりました。何年か前に数年間だけ、7月と8月で各自自由に三日間夏休みを取ってください、という時期がありましたが、だいたいは取次の休み合わせて一斉休暇になるのが、あたしの勤務先の常態です。

だったら、昨日も休みにしてしまえばよいのに、という意見もあるでしょうが、一週間休みにしてしまうと休み明けに仕事がたまりすぎるという、どこの会社でもありそうな、そしていかにも日本的な理由からなのか、今週は昨日だけは営業日となりました。ただ、あたしは在宅ワークをしていましたので出社はしていませんけど……

でも、よくよく考えてみますと、いまのご時世、夏休みが三日というのはどうなのでしょう? もちろん土日と続くので5日間だという見方もできますが、土日はあくまで土日であって夏休みではありません。ここで大手と比べても詮無いことですが、三日しか夏休みがないのはやはり少ないのではないかという気もします。

ただ、その一方、有給休暇すらきちんと消化できていない現状を考えますと、夏休みがあと数日増えると、ますます消化率が下がりそうですね。だとするなら、今週のように一日だけ営業日にすることによって社員にその一日に有給を使ってもらいやすくするという方法もアリなんだと思います。ただ、「今週は一日だけ行くのは面倒だから休んじゃえ」と考える日本人と、「一日だけ行けばいいなんて今週は楽だ」と考える日本人とでは、どちらが多いでしょうか、という問題も残ります。上述した休み明けの仕事量を考えると一日だけ出社するを選択する日本人が多いような……

あと、話が戻るようで恐縮ですが、あたしの勤務先は工場などではないわけですから一斉に休みにするのもどうか、という考え方もあると思います。数年前に実施したように、会社としての一斉の夏休みは設けない代わりに、各自に有給休暇とは別に夏休みとして7月から9月半ばまでで取得可能な夏休みを3日間(個人的には5日間欲しい!)与える、という夏休みもアリだと思います。出版社によっては、会社としての休みはなく各自で休みを取っているところもあると聞きます。

この手の要求というか希望って、組合で会社側に働きかけるものなのでしょうか? それともそれぞれの部の会議で提案すればよいのでしょうか?

いずれにせよ、在宅ワークという仕事なのか休暇なのかわかりづらい働き方が導入されたので、有給休暇や夏休みも流動的な気がします。ワーケーションなんてのが一般化したら、それこそ夏休みで避暑地に旅行に行っていながらにして仕事もバリバリこなしています、という働き方もできるわけですし……

格好の手引き書、あります!

朝日新聞夕刊の紙面です。

見出しに「アール・ブリュット」という文字が見えますが、「アール・ブリュット」ってご存じですか? 聞いたことはあるけど、どういうものかと問われるときちんとは答えられない、という方も多いのではないでしょうか?

芸術ですから、実際の作品を見て自身で感じるのが一番なのは当たり前ですが、やはり知識とか周辺情報などを仕入れておきたいと思うのもごく自然なことです。というわけでご紹介したいのが文庫クセジュの『アール・ブリュット』です。

近年、アール・ブリュットの作品を展示する場が増えている。アール・ブリュットに特化した展覧会はもちろん、ベネチア・ビエンナーレ国際美術展でも紹介された。フランスでは、日本の作家を紹介する「アール・ブリュット・ジャポネ」が、二度にわたって開催されている。はたしてアール・ブリュットとはどういったものなのか。本書は、「アール・ブリュットを巡る考察集団」の創立メンバーで、臨床心理士・ラカン派の精神分析家である著者が、その起源(第一章)、提唱者ジャン=デュビュッフェ(第二章)、定義(第三章)、概念がどう発展したか(第四章)、作品の素材やかたち(第五章)、愛好家やコレクターの心理(第六章)、近年のブーム(第七章)、作品を扱う美術館やギャラリー(第八章)、現代アートとの対話(第九章)など、さまざまな切り口で概説する。

同書の内容紹介は上掲のとおりです。新書サイズのコンパクトな紙幅で、「アール・ブリュット」について手際よくまとめられている一冊です。展覧会を見てから読むもよし、読んでから見に行くもよし、展覧会を見に行けないから本だけ買って読むもよし、まずは手に取ってみてください。